-5-





昼前に目が覚めた。
目が覚めるといきなり樋渡と目が合った。
「おはよ、麻貴」
「名前で呼ぶなっつーのに……」
それでも声はいくらかマシになっていた。
「心配しなくても外では呼ばない」
「そーゆーこと言ってんじゃねーんだよ」
気持ち悪いから……ってこともないけど。
う〜ん、正確には『照れくさいから』なんだろうか……
樋渡はずっと起きていたようだった。そのくせ、たぶんずっと俺の隣にいた。
「……おまえ、何してたわけ?」
本を開いていたが、読んでいる気配はない。
「麻貴の寝顔見てた」
「普通そーゆーこと言うか??」
「一日ずっと見ててもいいよ。すっげー、かわいかった」
おかしい。コイツ、絶対に、おかしい。
「……おまえ、ヘンだよ」
ずっと起きてたくせに服も着てないし。さっきからずっとニヤニヤ笑ってるし。
「今更、そんなこと言われてもどうってことないぜ。カワイイ麻貴ちゃん」
ぬけぬけとそんなことを言いながら、ムギュウっと俺を抱き締めやがった。
「ところで麻貴ちゃん、お約束のセリフを言ってもらおうかな」
「なんだよ……」
おまえとは何の約束もしてねーよ。
「名前呼んで、カワイく『好き』って言ってみな」
「誰がっ……」
「いいのか? そう言ったらお仕置きしなきゃと思って服着なかったんだぜ?」
「バカじゃねーっ……」
俺の悪態など聞く耳はないらしく、樋渡は微笑みながらまた唇を塞いだ。
「……んっ」
背なんか7、8センチくらいしか違わないのに、力で勝てない自分がけっこう悔しい。
「麻貴」
いったん唇を離して樋渡が俺の顔を覗き込む。
「……んだよ……」
むっとしてるわりに中途半端な抵抗しかしない俺。
樋渡がクスッと笑った。
「好きだ」
この期に及んで俺は固まった。頭の中が真っ白になっていた。
樋渡を見上げたまま硬直している俺を見て、もう一度笑った。
でも、返事は求めなかった。
その代わりに、ただゆっくりと唇を重ねた。
俺は自分から舌を絡めた。
頭の中はまだ空白で、そうしたくなった理由なんて自分でも分からなかったけれど。
樋渡の手が俺の頬を抑える。
キスはどんどん深く激しくなる。
肌を合わせると下半身の熱を感じた。身体の奥深くで疼くものを押さえ切れずに樋渡の背中に腕を回した。
だが、樋渡の身体は離れて行った。
「おまえには俺って身体だけの相手なのか?」
樋渡が真顔でそんなことを聞いてくるとは思わなかった。
「わ……わかんねーよ。そんなこと突然言われたって……だいたい、それって確認する必要があることなのか?」
なんとかはぐらかそうとしていたのに。
「あるよ」
びっくりするくらい真剣な顔で返事があって、俺の脳内はまた空白になった。
「……俺は、そんなの……考えたことねーよ」
三年間ずっと、あの日のことを考えていたのに、自分が樋渡をどう思っているかはあんまり考えたことがなかった。
だいたい、あの時は樋渡が血迷ったと思っていたんだ。酔っていて、それで……。
まさか真顔で好きだと言われるなんて。
「冷たいんだな」
目の前で深い溜息が吐き出された。
身体だけなんて樋渡は簡単に言うけれど、それだって俺には充分に受け入れ難いことなのに。
「じゃあ、つれない麻貴ちゃんに仕返ししとこうかな」
いつの間に用意したのか、クリームが入ったチューブが枕元に置かれていた。
樋渡の指がそれを取り、またしてもいきなり俺の尻に塗り込めた。
「う、……あっ」
「あれだけしても緩くはならないもんだな」
妙なことに感心しながら樋渡は指の抜き差しを繰り返す。
樋渡の長い指は俺の体の奥を擦り、まだあまり声の出ない俺から掠れた呼吸を絞り出す。
「やめろっ……樋渡、ダメ……」
「今更そういうことを言うな。俺、もう止まんないぜ」
樋渡のモノが俺の下腹部に押し当てられた。
熱くて硬い。しかも濡れていた。
「口でしてくれるのも色っぽくていいんだけどさ、やっぱり中がイイんだよな。奥まで突くとビクンって跳ねるのが堪んない」
熱を持った吐息が混じる声。それから、意地悪な笑みが降って来た。
「なあ、麻貴……気持ちイイか?」
「…うるせーよ、おまえ、いろいろと……」
俺はそれどころじゃなかった。
クチュクチュと出し入れされる樋渡の指でイキそうになっていた。
ヒクついているのが自分でもわかった。
「後ろだけでイク気か?」
返事はできなかった。喉が痛いのに喘ぎ声しか出てこない。
「しかも指で?……でも、まだイカせないぜ。今度こそちゃんとねだってみろよ」
「てめー……」
吐き出されたのも異常にハスキーな声。まるっきり自分じゃないみたいだった。
「そんな色っぽい声で怒られても、カワイイだけだけどな」
樋渡の指がぬるぬると蕾の周りをなぞっている。
「麻貴、ちゃんと言ってみろって」
ツプッと指先を突っ込んだ。
「あ、あっ……」
だが、すぐに指は抜かれて、刺激を求めてヒクヒクと動くその場所を樋渡の指は焦らすように柔らかく押し続ける。
「樋渡っ……」
「ダメ、呼び直し」
指先が埋め込まれた。
なんでこんなに感じてしまうんだろう。
なんで樋渡の言うがままになってしまうんだろう……
「うっ……ん」
「欲しい?」
「……ほし……い……」
「何を?」
「樋渡の……」
「違うだろ?」
「……りゅ……ういちの……」
「いいコだ、麻貴」
途端に足首を捕まれ、樋渡の肩に上げられた。
腰が浮き、樋渡の硬く立ち上がったものが上を向いた入り口に当てられた。
触れた瞬間にまたヒクヒクとうごめいた。
「どうして欲しい?」
「……入れ……て」
「かわいいよ、麻貴……じゃあ、ご褒美」
言い終わらないうちに一気に貫かれた。
ズブっという音の後、すぐにパン、パンという音が耳に飛び込んできた。
「あ、イイっ………っ」
折り曲げられた身体の中心が、ダラダラと先走りを滴らせていた。
その先に深々と埋め込まれる樋渡のモノが見えた。
「麻貴、名前呼んで?」
ただ快楽が欲しくて、求められた通り口にする。
「……りゅ、う……いち」
樋渡が満足げに微笑んだ。
それから、俺を抑えて根元までググッと腰を押し込んだ。
「あぁぁっ……」
快感に仰け反る俺をじっと見つめる樋渡の視線に煽られて、自分の胸に精液を飛び散らせた。
樋渡の放った物は入り口を塞ぐ物がなくなるとダラダラと俺の中から溢れ出した。
腿を伝い、シーツを濡らす。
だが、そんな事を構う余裕はなかった。

声が出なくなって指の一本さえ自分では動かせなくなるまで、何度も樋渡に抱かれた。


時間が経っても俺は仮死状態から立ち直れなかった。
「じゃ、俺、帰るから」
樋渡はそんな俺を余裕で見下ろし、突っ伏している背中に軽くキスをして、すっきりした顔で帰っていった。
なんでこんな事になったんだろう。
わけもわからないまま、俺は再び眠り落ちた。



「……う……いてぇ……」
薄暗い部屋で俺は意識を取り戻した。
身体が痛い。
尻も、腰も腕も肩も。
明日は会社に行かなければならないのに。
金曜日だから一日やりすごせば土日はゆっくり休めるけど……。
のっそりと身体を起こした時、明かりのついたキッチンからいい匂いが漂ってきた。
よく考えたら、朝から何も食べていない。
それにしても……?
「麻貴、起きたのか?」
腕まくりをした樋渡がキッチンから顔を出した。
「樋渡、おまえ、なんで……帰ったんじゃなかったのかよ??」
じゃあな、って言ってただろ??
「なんでって、麻貴が心配だったからさ。メシ作りに来た」
「帰れよっ、ったく……」
なんだよ、コイツ。なんなんだよ??
「なんで怒ってんだ? あんなによがって腰振ってたのに?」
「帰れっ!!」
俺がマジに怒ると樋渡が笑った。
「冗談だ。それより腹減っただろ? とりあえず起きてメシ食えよ。ほんとに身体壊すぜ?」
樋渡は俺を抱き起こし、パジャマを着せた。
この状況を受け入れられずにいる俺の気持ちなどお構いなしに、樋渡は上機嫌だった。

「ったく、ああ、もう」
文句を言いつつも、樋渡に支えられながらテーブルにつくと、並べられた料理に少なからず驚いた。準備された食卓は想像以上にまともなものだった。
「なんだ? 驚いた顔して」
「……いや。樋渡、料理なんてできるんだな」
「まあな。学生時代は居酒屋の厨房でバイトしてたんだ。と言っても、自分一人の時はぜんぜんしないけどな」
テーブルを挟んで向かい合う。
ヤローが作ったとは思えないまともな食事。
ごはんに味噌汁におひたしに煮物に揚げ物に生姜焼き。
まあ、居酒屋っぽいメニューではあったが。
「いいおムコさんになりそうだろ? うまい?」
無邪気な顔を向けられて、俺も普通に返事をした。
「うん。すっげー、うまい。びっくりした」
昼間のことなどすっかり忘れて、遠慮なくバクバク食べる俺を樋渡は笑って見ていた。
「麻貴が具合悪くなったら、『あ〜ん』して食べさせてやるぜ?」
「……いらねーよ」
これがなきゃ、少しは見直すんだが。


夕食後、コーヒーを入れる樋渡の後姿に安堵感を抱く。
甲斐甲斐しく家事をする樋渡は俺のイメージからかけ離れていた。
俺を押し倒した男と同じ人間とも思えなかった。
樋渡は俺にコーヒーを出した後、ご苦労な事に洗い物までしようとしていた。
「いいよ、おまえが帰ったら洗うから。そのままにしておけよ」
「え? なに言ってるんだよ、麻貴ちゃん。俺、帰らないぜ?」
「え??」
「着替え、持ってきたからさ。明日から一緒に出勤しような」
「あ??」
『明日一緒に』ならまだしも、『明日から』って、なんだ??
俺は慌ててクローゼットを開けた。
「おまえ、着替えって……?」
スーツ3着、ワイシャツ5枚、ネクタイ5本、下着、私服……。
「なんでこんなに持って来てんだよ??」
「合鍵も作った。駐車場も借りた」
合鍵? 駐車場??
「どう? 押し掛け女房」
「俺の許可を取れよっ!」
「許可を取ったら押しかけ女房とは言わないんだよ。それより、毎日ヤレるぜ?」
「バカっ! 絶対させねーっ!」
「じゃあ、一日おき?」
「ふ……っざけんなよ」
「なら、麻貴がカワイくねだってくれた日だけにするか?」
そうじゃなくても妙な疲れが残っているのに。
口を利く気力がなくなった。
「毎日ねだってくれもいいよ。俺は断らないから。全部、おまえの希望通り。食事も、おまえが一緒に食いたいっていったら、他の用事は全部キャンセルしておまえと食うよ。もちろん、俺が作る。片付けもする」
本気か?
それとも単なる冗談か?
どっちとも受け取れるニカッという笑顔。
「……なんでもいいけど、そーゆーことはするな。精神的に負担になる」
ああ、でも、俺のこの発言はそれ以外の全てを肯定しているんだな。
俺、まだ現状を受け入れてないって言うのに……。
「麻貴の発言にはいちいち愛情の薄さを感じるよなぁ」
樋渡がケラケラ笑った。
ってことは、冗談か。
コイツの思考回路について行けない。
「絶対、毎日は来るなよ」
「一週間のうち何日なら来てもいいんだ?」
「一日」
肯定してるよ、俺。
なんでこんなことになっているんだ?
「それはあんまりにも少なくないか? 俺がいるとジャマってことか?」
「じゃねーけど……他人と一緒に暮らせるかよ」
「じゃあ、兄貴だと思って」
「思えるかっ!」
確かに年は上だが、そういう問題ではないんだ。第一、勝手にどんどん話を進めるな。俺はまだ受け入れてないし、ぜんぜん状況を飲みこんでないんだから。
「俺はいいぜ。カワイイ弟と同居中ってことで」
けど、やっぱり話は進んでいく。
どうやってコイツを止めたらいいんだ?
「兄貴がそーゆーことするかよ」
「いいんじゃないか? 近親相姦。萌えるだろ?」
「萌えねーよ。おまえ、絶対、変だよ。変。ヘンタイ」
「なんとでも言ってくれよ。ヘンタイ行為で喘いでくれる麻貴ちゃんになら、何て言われてもぜんぜん平気だぜ」
「樋渡のそーゆーとこが嫌いだ。オトナゲない」
それだけが問題じゃないんだが。並べたらキリがなさそうだ。
「麻貴が素直じゃないからだろ」
「俺はそーゆー性格なんだよ」
「分かってるって。そこが可愛いんだけどな」
「やめろ、気持ち悪いっ!!」
思わず怒鳴っていた。
その一言に、樋渡は何も言い返さなかった。静かに俺から視線を外した。
さすがにちょっと言い過ぎたかもしれない。
「悪い……俺……」
「いいぜ、無理しなくて。思ってることははっきり言ってくれよ。俺、深読みとか行間読むのとか苦手だから」
そうは言ってもショックを隠し切れない顔だった。
「……でも、今の、嘘だから……。なんか、おまえだと、言い返したくなるんだよな」
口元だけ無理に笑わせたような笑顔を見て、俺はめいっぱい反省した。
本当は少し戸惑っているだけなんだ。
樋渡がなんで俺に好きだと言うのか。
この先、どうしたいと思っているのか。
何より、俺が今の状況をどう思っているのか。
そして、樋渡のことをどう思っているのか……
そういうことの全てがよく分からなくて。
「けど、俺、ちょっと傷ついたな」
「ごめん」
「いいよ、もう」
ぜんぜん良くないって表情でそう言った。
樋渡は俺の顔なんか全く見ようともしないでコーヒーカップを片づけた。
「樋渡……な、ごめんって……」
「いいって」
「けど」
普段誰かを宥めたことなんてないし、謝ることもあんまりないから、次の言葉が見つからない。
シュンとなって俯いていると、樋渡の手がポンとポンと頭を叩いた。
こうやってサラリと流すのは会社にいる時と同じだった。
樋渡は何につけても特別に固執したり必要以上に力んだりしない。ダメだと言われればすぐに諦めて次を考える。仕事でもプライベートでもそういうヤツだった。
なのに、なんで今回はダメなんだろう。
俺じゃダメだと思うのに。絶対に樋渡の期待には応えられないと思うのに。
「……ごめん」
もう一度謝る俺に、樋渡はちょっと考えた後でこう言った。
「なら、俺の頼み事きいてくれるか?」
「あ……ああ。いいよ。」
顔を上げると樋渡と目が合って。
その時ふと思った。
……けど、なんで俺が樋渡の機嫌を取っているんだ?
沸き上がった疑問を見透かしたように、樋渡がまた淋しげな笑顔を見せた。
「やっぱり、いいよ。また気持ち悪いって言われそうだからな」
そうやって微妙に俺の罪悪感を突いてくる。きっと演技だ。樋渡ならそれくらいのことするに違いない。
なのに、そう思っても受け入れてしまうのは何故なんだろう。
「……言わないって」
俺だって樋渡を傷つけたいわけじゃない。もしかしたら、本気で『好きだ』って言ってるかもしれないのに。
「聞いてくれるってことか?」
「いいよ。聞くから」
ここで樋渡はニッカリ笑って、「今の言葉、忘れるなよ」と言った。


次の瞬間には既に自分の言葉を後悔していた。
けど、その後にもっと後悔した。
このあと何があったかなんて、思い出したくもない。




一時間くらい経ったのだろうか。
もう時間の感覚さえなくなっていた。
「大丈夫か?」
散々遊ばれて死にそうになっている俺の顔を覗き込みながら、樋渡は笑っていた。
絶対、俺の心配なんてしていなかった。
立ち上がることもできなくなった俺の身体を丁寧にシャワーで流す間も笑っていた。
大きなバスタオルで包まれ、ベッドまで運ばれる間も俺はぐったりとしていた。
ベッドに座らされ、濡れた髪をそっと拭かれている間も樋渡に身体を預けていた。
動く気力なんてカケラも残ってなかったけど、樋渡がときどき手を止めて俺を見るから、ぷいっと顔を背けた。
俺を抱き支えたまま樋渡は同じタオルで自分の髪を拭いた。
それから素っ裸のままベッドに横になった。
俺を抱き締めて。
「寝る?」
「うん……」
眠くはなかったけれど、起きているのが辛かった。
なのに、程よく冷えたはずの身体はまた熱を持ち始めていた。
「な、麻貴。もう一回、やろうぜ?」
「ふざけんなよ」
「今度は、普通のヤツ。な?」
樋渡の身体はいつでも俺よりも少し体温が高い。
けど、今日は俺の体の方がずっと熱いような気がした。
「……変なことするなよ」
「大丈夫だって」
樋渡の手が優しく肌を滑る。
体内に残る液体が樋渡をスムーズに迎え入れる。
もどかしいほど優しく、甘く、樋渡の落ちついた声が俺の名前を呼んだ。

その先は覚えていなかった。
長い長い一日だった。



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