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と言いつつ。
いつの間にかそのことは考えなくなっていた。
面倒だったし、考えてもどうにもならないような気がしたから。
まあ、逃げてることに変わりはないんだけど。
そんなわけで、結論は出ないままなのに、すっかり樋渡のペースに嵌められていた。

成り行き任せで樋渡と出社するようになって一ヶ月。
既成事実の領域に入ったといっても過言ではない。
少なくとも樋渡の中では、俺はすっかり『恋人』の扱いだった。
一方、俺はと言えば、未だにそれを否定していた。
そんな日々。



終業後、いきなり樋渡から電話がかかってきた。携帯からだった。
「どこからかけてんだよ? 外か?」
五時5分過ぎといういかにも見計らった時間だったから、どうせくだらない用事だとは思ったが。
『会社』
「じゃあ、内線してこいよ」
話していて不自然な相手でもないだろうに。ってことは、内容がヤバイのかと思ったが。
『今日、一緒に夕飯食べないか?』
ぜんぜん普通の会話だ。わざわざ携帯でかけるほどのことかよ?
いったいコイツは何を考えているんだか。
「別にいいけど。なんだよ、急に」
樋渡も会社ではまったく今までと変わらない。進藤も含め、俺たちは誰から見てもよくつるんでる同期なんだから、メシの誘いくらい普通にすればいいのに。
『大学時代の悪友が札幌から来てるんだ』
なんだかいちいち腹が立つ。
「じゃあ、俺、ジャマだろ?」
『いいから、来てくれ。何時に終わる?』
「ん〜……? あと1時間くらい」
『じゃあ、1時間後にいつもの場所で』
ぶちっ……。
電話が切れた。
いつもの場所ってどこだよ??
電話で言いたくなかったんだろうとは思ったが、いきなり切るってどうなんだ。
と思っていたら、すぐにメールが来た。
『まきちゃんの家の近くの居酒屋だから』
アホか、仕事が一時間で終わっても、その場所に行くのに20分かかるぞ??
『1時間じゃ行けねって』
『先に行って待ってるから、まきちゃんはゆっくり来ていいよ』
万一、会社の奴らに見られても大丈夫なように『まきちゃん』なんだろうけど……。
なんか、あやしいオヤジみたいじゃないか?
俺なら絶対に彼女をちゃんづけで呼んだりしないけど。
まあ、樋渡だからな。
すっげー、年下の彼女ってカンジだけど。
もしくは年上をわざとちゃん付けとか。
ん〜、その方が樋渡っぽいかも。

……けど、その『まきちゃん』は俺のことなんだよな。


けっ、と思いながらもデスクに向き直った。
その時また俺の集中力を奪うヤツが……
「ショック〜。樋渡さん、彼女誘ってましたぁ」
大声でドアを開けたのはうちの業務課の女の子だった。
「そりゃあ、彼女くらいいるだろ? これだけモテるんだし」
「ですけど〜……」
電話まで聞いてるヤツがいるんじゃ樋渡も大変だな。
「彼女じゃないかもよ? 友達とか」
「彼女ですぅ。例の『まきちゃん』でしたぁ……」
思わず吹き出しそうになった。
そこまでチェックしてんのか??
「ダメなんじゃない? いっつもその子なんでしょ?」
「はい。い〜っつも『まきちゃん』です」
彼女は真面目に泣きそうなんだけど。
事実を教えたら安心するだろうな。
いや、ゲンメツするか……
「そうそう。樋渡さんに『まきちゃん、元気ですか?』って聞くとすっごく幸せそうに笑うんですよね」
なんでみんなそんなことに詳しいんだろう。
いや、それよりも何やってるんだ、樋渡は??
はぐらかすとか誤魔化すとか、少しはしてみせろよ。
「ったく……」
なんだかイライラが増幅して仕事をする気になれなかったから、仕方なく少し早めに切り上げて会社を出た。


けど、予定の時間より前に到着するっていうのが、早く樋渡に会いたいみたいで面白くなかった。
だいたいアイツは絶対に自分のいいように解釈するに決まってる。
なもんで、ワザと本屋で時間を潰してから電話した。
「今、会社出たとこ」
もちろん樋渡はもう店にいた。
どういうつもりで樋渡が俺を友達に会わせようとするかなんて考えるまでもない。どうせその友達とやらに「これが俺の麻貴ちゃん」とかって紹介されるに決まってるんだ。
そう思ったら、また行く気が半減した。
『店にいるから早くおいで』
笑みを含んだ保護者口調が耳の中に響く。
それがまたちょっとムカつく。
確かにヤツは俺より二つ上だし、あれこれ世話を焼いてもらってるけど。
「だからってエラそうなんだよ」
実際、樋渡が来てから、俺は家事のほとんどをしなくなった。
もともと規則正しい生活なんてしてなかったから、休みの日なんて樋渡に起こされるまで寝ている。
俺はただぼーっと起きて、顔を洗って、椅子に座るだけ。その時にはテーブルに食事が並べられていて、部屋はきちんと片付いており、新聞も集合ポストから取ってきてある。準備万端の状態になってから俺は起こされるのだ。
前夜の無理が祟ってそれさえもダルい日なんて、樋渡はベッドまで朝食を運んで来る。そりゃあ、もちろんダルいのは樋渡のせいなんだけど。
至れり尽くせり。でも、やり過ぎだ。
俺だって子供じゃないのに。
……そんなことを考えているとまたムカついてくるんだけどな。



店に入ってキョロキョロしていると樋渡が手を上げた。
「麻貴、こっちだ」
あれほど外で名前は呼ぶなと言ったのに……。
おかげで俺はかなりふてくされて樋渡のテーブルに歩み寄ることになった。
「なんだよ、機嫌悪いな」
「名前で呼ぶなって言っただろ?」
俺が不機嫌になるって分かってるくせに毎度毎度ファーストネームで呼ぶお前が悪い。
「いいだろ? 会社じゃないんだから。マキって苗字もあるし、他人には名前かどうかなんてわかんないぜ?」
「そりゃあ、そうだけど」
そういうことじゃない。
俺が気に入らないんだ。

そんなやり取りを樋渡の前に座っていた男がニコニコしながら見ていた。
回りを取り囲む空気が、昔の樋渡とよく似ている。
つまり、遊び人っぽかった。
「それより、こいつが俺の大学時代からの悪友、中西伸一。俺と遊んでて二留したから麻貴より二つ上。苦楽を共にした仲ってヤツだ。で、こいつが……」
「樋渡の『マキちゃん』ね。はじめまして。よろしく」
ほらな。そんなことだろうとは思ってたさ。
「……森宮です」
わざと苗字だけ言った。多分、顔はムッとしてた。
でも、中西ってヤツは笑ってるだけ。しかも最初の印象通り、いきなり馴れ馴れしかった。
すぐに俺からカバンを取り上げて空いている椅子の上に置き、自分の隣りに座るようにと椅子を引いた。
「なんで中西の隣りに座るんだ?」
こんな時でさえ樋渡の真顔が笑えない。
「別にどこでもいいだろ?」
まったく、そんなことにも拘るか?
「いいじゃん。俺の隣でさ。俺だって目の前でいちゃいちゃされたくないしなぁ」
アホの友達は同類だ。くだらないことばっかり言うところが良く似てる。
「しねーよ」
思わず口から出ていた。
初対面だってことを忘れたわけじゃないんだけど。
でも中西はケラケラ笑った。
「ん〜、ちょっとイメージ違ったなあ」
俺の顔と樋渡を見比べてまた笑って。
「どう違ったんです?」
俺はまだ不機嫌だったけど、なんとか丁寧語に戻して答えた。
「いや、樋渡があんまり『カワイイ』を連発するからさ、もっと女の子チックなのを想像してたんだけど、ぜんぜんヤローじゃん」
当然だ。
「樋渡がヘンなんだって」
勢い余ってまたタメ口になってしまった。
「同感だね。それにしてもさ〜……さっきから、気になってんだけど、もしかして森宮って樋渡の恋人じゃないんだ?」
俺は沈黙した。
「悪い。樋渡が『俺の麻貴ちゃん』を連発するから、てっきりそうなのかと思った」
ちらっと樋渡の顔を見たが、黙って酒を飲んでいる。
俺がなんて答えるか待ってるんだろう。
それもムカつくが。
「えーとさ……まあ、ほとんど毎日一緒にいるんだけど。でも、恋人なんてことはぜんぜん……」
友達の前だし、樋渡をウソツキ呼ばわりするような発言もどうかと思ったから、そう答えたのに。
樋渡が真っ向から俺の態度を否定した。
「コイビトだよ。俺のもんだ」
ためらいもなく、はっきりそう言った。笑ってもいなかった。
そこで俺はまたムッとした。
「あのな、樋渡……それって」
なんとか軌道修正しようと思ったのに。
「毎日一緒にいて、キスして、セックスして、一緒に風呂入って、一緒に寝てんだぜ? それでも違うと思ってんの、おまえ?」
いくら親友でも、人前でそういうことを言うか??
だいたい声がデカいよ。
けど、俺が睨んでも樋渡は涼しい顔で酒を飲んでいた。
「異議があるのか?」
「俺は……恋人なんて思ってねーよ」
この状況にはもう慣れてきたけど、真正面から肯定する勇気はなかった。
「おまえ、まだ俺のこと好きって思ってないのか?」
「……え……ん、まあ……」
口ごもったのは樋渡に気を使ってるせいじゃない。本当にわからなかったんだ。
好きだって思ってるなら、恋人でいい。
けど、どうしてもそこだけは肯定したくないって思うってことは、きっと好きじゃないんだろう。
なのに、その結論にも自信がない。
「煮えきらない返事だな」
樋渡が少しイライラしはじめたのが伝わってきた。
それを見て中西が面白そうに笑った。
「まあ、いいんじゃないの? 俺にはじゅうぶん仲良さそうに見えるよ」
初対面の相手にフォローされてどうするんだよ。まったく。
樋渡が追加のオーダーをしている間にこっそり溜息をついた。
中西が笑いながら俺に耳打ちをした。
「ってか、樋渡、マジだな」
――――……知らねーよ。そんなこと。


中西は札幌から転勤してきたばかりだった。
会社も近い。家も遠くない。
「これから長い付き合いになるんだから、丁寧語はやめてくれよな。あと、『さん』付けも」
「じゃあ、そうする」
裏表のないヤツだということはすぐにわかった。
まあ、あの樋渡が回りくどい性格のヤツと長年付き合うはずはないけど。
「麻貴、中西はどうでもいいけど、俺のことはそろそろ名前で呼んでくれよ」
樋渡は諦めが悪かった。
「なんで名前にこだわるんだ?」
中西は本当に樋渡の反応が面白くて仕方ないらしい。新しいオモチャを発見した気分なんだと俺に言った。
「苗字呼び捨ては恋人っぽくないだろ?」
会社でだって同じ苗字の奴は名前で呼び分けてるから、本当は名前で呼ぶくらいどうってことはない。
けど、樋渡はそれが恋人っぽいと思っているんだ。
だったら、名前でなんか呼ばない方がいい。
こんな意地は、客観的に見たらバカみたいにくだらないことかもしれない。
けど。
俺は嫌だった。
恋人の関係を肯定したみたいで。
だから、絶対に呼んでやらねーと思った。


中西が「んじゃ、来週も飲みに行こう!」とか言うもんだから、予定を決めてから別れた。
帰り道、隣りにいる樋渡このとなんかすっかり無視して、俺はまた考え込んでいた。
同じところをグルグル巡りながら。
なのに、なんの結論も出ないまま。
久々に考えたら、また疲れてしまった。


家に帰ってから、すぐに樋渡が口を開いた。
「じゃあ、始めようかなぁ。麻貴ちゃんはシテいる時なら、名前で呼んでくれるんだろ?」
まだ拘っているらしかった。
「絶対呼んでやらねーよ」
「じゃあ、無理にでも」
樋渡が薄く笑みを浮かべて、俺の身体を押さえつけた。
「なんでいつも無理やりなんだよ?」
Tシャツの裾から手が滑り込む。樋渡の唇が目の前で動く。
「麻貴が快く応じてくれないからだろ?」
指先が胸の突起に辿りつくと、そこを弄り始めた。
「ホントに好きな相手に、無理やりはやらねーだろ??」
せっかく真面目に考えていたのに、気がつくとこういう状況に持っていかれているからムカつくんだ。
「精一杯優しくしてるつもりだけどな。俺、下手か?」
「じゃなくて、嫌だって言ってんだろ」
「ふうん?……コレで? 嫌?」
覆い被さっていた樋渡の身体が俺の下腹部を刺激する。言われなくてもどんな状態かってことはわかっていた。
文句を言いたかったけど、口を塞がれて返事ができなくなる。強く押し当てられた唇から舌先が侵入してくる。
「麻貴」
ときどき唇を少しだけ離して俺の名前を呼ぶ。
頭に来ることに樋渡の声は身体の芯に響く。疼いた場所をどうにかして欲しくて無意識のうちに樋渡の背中に腕を回していた。
どんなに気持ちが抵抗しても身体はすっかり受け入れていて。
悔しいと思うのに……抱かれるのは嫌じゃない。


名前は呼んでやらなかった。
けれど、樋渡は何も言わずに何度もキスをした。
俺が疲れて眠るまで、ずっと。





何の結論も出ないまま時間だけが意味もなく流れる。
そんな中、中西の存在は迷惑なようで少し有り難かった。
「遅いよ。樋渡、森宮」
この間と同じ飲み屋で、同じ席で。
樋渡は相変わらず『俺の』と言い続け、俺はそれを否定し続けた。
本当はそれもどうでも良くなっていたけど、もはや条件反射。
言われるとつい言い返してしまう。
「おまえらって面白いのな」
中西が笑い転げて。
「面白くねーよ」
俺と樋渡は同時にそう答えた。
「息もピッタリだしな」
能天気な中西は樋渡の機嫌も俺の不機嫌もお構いなしに思ったことを言った。
「な、森宮って、もしかしてすっげー床上手?」
「っ……!!」
思わず吹き出すようなことさえ、遠慮なく。
「んなわけねーだろ。なんだよ、突然」
そんなこと、普通聞かねーよ。
「いやあ、これだけツレなくされても樋渡が諦めないってさ、今までになかったパターンだから」
「だからって、なんでそういうことに繋がるんだ?」
中西は樋渡の過去を知っている。それだけに、俺といる時のヤツはかなり面白いらしかった。
停滞していたこの状況に少しずつ切り込みを入れてくれる。
……もっとも、かなりいらない世話って気もするんだけど。
「森宮って顔はまあまあとしても、そんな可愛い性格でもないしさ。色っぽくもないし。言うなれば、まあ、普通の男だろ? なのに、樋渡ときたらコレだもんな。聞けば掃除も料理も樋渡がやってるって言うし。そしたら、後は」
ニヤリと笑った。
どう考えてもそれはない。
俺はされてるだけで、自分から何かをしたことはない。
ヤる時だって、それは同じだ。
「ふうん。なら、おまえらの会社ってさぁ、可愛い子いないのか?」
「……はあ??」
そんなのが男に走る理由になるか?
だいたい彼女を見つける場所は会社だけじゃないんだぞ??
「いるよ。女子社員は顔採用って噂が流れるほど美人ぞろいだ」
呆れ果てる俺の隣で、樋渡が笑いながら答えた。
「じゃあ、なんで森宮なんだ?」
中西が俺の顔を見た。
「俺に聞いてどうするよ?」
俺だってさっぱりわからないのに。
「森宮のココが好きだよ〜、とか言われたことあるんじゃないかと思ってさ」
「……ねーよ」
好きだとは言われたが、好きな理由は聞いてない。
樋渡は『可愛い』を連発するだけだ。
華奢という視点なら、樋渡よりは背も低い。それでも174センチだ。
どう考えても可愛いサイズじゃない。
顔だって普通だ。童顔でもなければ女顔でもない。
まあ、男臭い顔でもないけど。
「じゃ、樋渡に質問。麻貴ちゃんのどこが可愛いんだよ?」
樋渡はその質問を無視して冷たく言い放った。
「おまえは森宮を名前で呼ぶな」
明かにムッとしている樋渡の言葉に中西は大受けして笑い転げた。
「なんでこうメロメロになるかなぁ」
また俺の顔を見るんだけど。
……そんなこと、俺が聞きたいよ。



その日、中西は俺の部屋に遊びにきた。
そうでなくても狭い部屋に、ヤロウ三人で泊まろうなんて無謀だと思うのに。
「ふうん。ここが樋渡と森宮の愛の巣なわけね」
「気色悪い言い方すんなよ」
なんだよ、『愛の巣』ってーのは。
「けど、そうなんだろ?」
「違うって。ここは俺の部屋。樋渡は邪魔しに来てるだけだ」
「ふうん……森宮、本気でそう思ってる?」
その言葉がチクッと突き刺さった。
中西はちょっと見よりもずっと切れるタイプなんだろう。遊び人ぽいけど、ときどきものすごく痛いところを突いてくる。
「森宮が悪あがきしてる理由はなんだ? 樋渡にキライだって言えないか?」
「んなことねーけど……」
「じゃあ、好きだって認めたくないだけなんだな。良かったよ。それじゃあ、樋渡があんまりにも可哀想だモンな」
中西は勝手に頷いてから方向転換すると、冷蔵庫からウーロン茶のペットボトルを持ってきた。
「とりあえずそこそこ好きってことで。カンパーイ」
並べられたグラスを見ながら、またグルグル巡っていく。
……そうなんだろうか。
そう言われても、まだピンと来ない。
樋渡は黙っていた。
ちゃんと聞いてるくせに一言も喋らなかった。
「……嫌いじゃないけど」
好きかどうかは今でもわからないんだ。
「じゃあ、森宮。俺と樋渡と、同じ男だと思うか?」
「はぁ?」
「おまえにとって、二人ともただの友達かって聞いてんの」
「……そりゃあ、違うよ。中西は俺を押し倒したりしないし……」
「じゃあ、俺が押し倒したら、樋渡と同じになるのか?」
そんなことは想像できなかった。
いや、樋渡とのことだって起こってみるまでは想像したこともなかったけど。
「わかんねーよ」
「なら、俺とキスできるか?」
「あのなー……」
できないと思う。
少なくとも今の俺は冗談でもそんなことはできなかった。
そして、そんな会話をしている間も樋渡の視線が気になって仕方なかった。
何を思ってそんな目で俺を見るんだろう。
なんとなく試されているような気がした。
「いろいろ考えてみるといいよ。森宮ってあんまり遊んでなさそうだし、経験値では考えられないかもしれないけどさ」
考える時間は三年もあったんだ。
けど、同じ所をぐるぐる回るだけでどうにもならなかった。
「……面倒くさいんだよ。なんか、考えてもよくわかんねーし」
第一、男同士の恋愛に経験を活かせるヤツはそうそういないだろ。
「それでもさ、考えなきゃダメだって。森宮が返事しないと、樋渡はただ振り回されるだけなんだから」
振り回されているのは俺だと思うのに、中西は「違う」と言う。
「樋渡はもう決めてるんだから。森宮が嫌なら諦める覚悟もしてると思うぞ?」
そう言って中西が樋渡の顔を見て。
俺も釣られてそっちを見たけど。
樋渡はまだ黙っていた。
何にも言わないのは卑怯だと思った。
だから、言ってやった。
「じゃあ、忘れろよ。今までのこと、全部なかったことに……―――」
言った途端、樋渡に後ろから羽交い締めされた。
「うわっ……何するんだよ??」
いや、抱き締められたと言うべきか。
「麻貴が、本気で言ってるなら諦めるけど?」
樋渡の唇が耳の後ろで呟いた。
息がかかる距離で。
「本気……だよ」
振り向く事も出来ずにそう答えた。前を見たままだったけど、中西の顔は見ないようにした。
嘘を見抜かれるのが嫌だったから。
けど。
「本気は何パーセント?」
樋渡は分かってた。その場しのぎの中途半端な言葉だってことを。
なんだか勝てない気がした。
だから、それ以上の嘘はつかなかった。
「……半分くらい……かな」
いや、多分もっと少ないかもしれない。
「残りの半分は?」
「……考え中」
俺、何してるんだろうって思ったとき、樋渡の腕が緩んだ。でも、まだ俺の身体を放しはしなかった。
「中西、麻貴に変なことを吹き込むなよ。コイツだって何も考えてないわけじゃないんだから」
静かな部屋に少しキツイ口調が響く。
けど、中西は当然のように言い返す。
「おーお、甘いね、樋渡は。そんなんじゃ、いつまで経っても生殺しだぞ?」
甘いっていうのは、俺もそう思う。
けど、樋渡はニッカリ笑って堂々と答えた。
「別にいいぜ。したいことはさせてもらってるからな」
ったく、バカ樋渡。
そんなこと言わなくてもいいだろ?
デリカシーのないヤツだ。
なんてことを考えてたら。
「森宮」
今度は俺に向かって少しキツイ声を投げかけた。
しかも苗字で呼んだから、俺はちょっと怯んだ。
「……んだよ?」
「俺と中西が同じかどうかを聞かれた時くらい、違うって答えろよ」
「……ちがわねーもん」
今は確かに違うけど。
押し倒されたら同じになるかもしれない。
そう思ってしまうくらい自信がなかった。
樋渡と寝ることを拒否しなくなったように、中西だって受け入れてしまうかもしれない。
そんな自分がものすごく嫌だった。
「けど、中西とは絶対するなよ。押し倒されたらちゃんと断われ。蹴っても殴ってもいいからな」
こんなセリフも真顔だもんな。
そこまで心配する必要がどこにあるよ?
俺は溜息。
中西はゲラゲラ笑った。
「押し倒さないって。樋渡、面白すぎるよ」
そんなことを真剣に言う樋渡は、確かにどこかがやられてるんだと思う。
「森宮もそんな顔しないでさぁ。分かってやれよ」
中西まで俺を子供扱いする。前髪をくちゃっと掻き混ぜやがった。
「何をだよ?」
「樋渡がおかしいのは森宮のせいだってこと」
俺のせいにするなよな。迷惑してるのに。
そんな俺の気持ちを見透かしたのか、樋渡はちょっと不機嫌になる。
横目で俺たちを見ながら中西が笑う。
他人事だったら、俺も笑うんだけどな。

あー、もう。やってらんねーよ。
そういう気分だった。


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