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居候生活にもすっかり馴染み、樋渡はほとんど実家に帰らなくなっていた。どんどん増えて置き場がなくなった樋渡の荷物のせいで、車の中まで物置にしていた。
だいたい1Kの部屋に二人で居ることそのものが間違いだ。
そんなわけで、俺はなんとなく引越しを考え始めていた。
同居生活を肯定するようで嫌だという気持ちは、まだどこかに残っていたんだけど。


会社の帰り、不動産屋のガラスにへばりついている背後で進藤が声を潜めた。
同期の田中、それと1コ上の先輩たちも興味津々な面持ちで通りの反対側を眺めていた。
「総務の木原嬢だ。珍しいな、樋渡と一緒なんて」
「カノジョ、樋渡狙いらしいよ。最近よく樋渡を食事に誘ってる」
また、こんなところで俺のぜんぜん知らない事実が。
「樋渡はOKなんだ?」
俺の代わりに進藤が聞いてくれた。
「わからん。けど、あいつ、そういうの好きだろ?」
「そういうのって……?」
「ちょっと気が強くて高飛車なオンナを落として振るの」
「そう言えば、昔、『落とすまでが楽しい』とか言ってたよな?」
田中が俺に同意を求めた。
そういえば、昔はそんなことも言っていたかもしれない。
「……そうだっけ」
返事をしながらも真剣に間取りを見ている俺を、進藤が不思議そうに眺めていた。
「森宮、引っ越すの?」
理由を聞かれた時、不意に木原嬢と並んで歩いていた樋渡の姿が脳裏に蘇った。
「いや、まあ、なんとなく……」
曖昧な返事で濁してみたが、なんとなく気が乗らなくなって、このまま飲みに行くという進藤たちと別れて一人で家に帰った。


言われてみれば最近、樋渡はあまり俺にくっついてこなくなった。
それはそれでいいと思っていたんだけど、つまり、冷めたってことだったんだな。
「なら、部屋なんて探す必要ないか……」
樋渡はここのところ忙しいらしく、ほとんど毎週休日出勤をしていて、傍から見ても疲れているのが分かった。
二人で風呂に入ることもなくなったし、夜も一人でソファベッドに寝ていた。
もちろんヤることもない。
それでも掃除とか洗濯はマメにしてるし、俺が起きると朝食も用意されている。
だが、樋渡本人は会社に行ってしまった後だ。
だからと言って全てが素っ気なくなったわけでもなくて、家で話せないせいなのか毎日メールが来る。
それも『可愛いマキちゃん』と堂々と書かれているようなアホ全開のメールだ。
だから、抱かないのもじゃれつかないのも樋渡が俺に飽きたからじゃなくて、ただ単に疲れているせいなんだろうと思っていたのに。
「違ったってことだよな……」
男同士で付き合うことの不自然さを考えたら、それはそれでいいだろう。
今から軌道修正してまっとうに女の子を好きになって。
それで元通りやっていけるはずだから。

けど、気がつくと溜息をついていた。
「……俺、ふられんのかな」
そんな噂と我が身を重ねてしまうのって、どうかと思うけど……

部屋を見渡す。
やたらと樋渡の物が増え、樋渡が実家に帰った日は妙に部屋が広く感じるようになっていた。
「なんだかなぁ……」

うだうだと同じことばかり考えながらも、結局、俺はその後も部屋を探し続けていた。
ずいぶん探したけれど、条件のいい部屋はなかなか見つからなかった。
会社から遠いと樋渡はますます大変になるだろうし、駅から遠いのも駄目だ。
そして、樋渡は今週も俺が起きている間に帰ってきたことはなかった。
「今日も遅いのか……」
なんとなく、俺も疲れを感じた。
忙しい時期だからまあ、仕方ないんだけど。
……原因は仕事だけじゃないのかもな。



いい加減ブルーになりかけたときに見かけた樋渡は、また木原女史と一緒だった。
「もう、食っちゃったのかな?」
「そう言えば、樋渡、最近ケータイ電源オフのままだよな?」
「ってことは……?」
「ひゅーっ、やるねえ! さすが樋渡」
樋渡が何時に帰って来ているのか、俺は知らなかった。
俺が寝る時間にはまだ帰ってきていない。
俺が起きる時間にはもういない。
朝帰って来て、食事を作って、また出ていっているんだとしたら……?
進藤がチラチラと俺の顔を見ていた。
確かに少しショックだったけれど、俺は無理に「どうってことない」って顔を作った。


―――……樋渡、彼女と付き合うのかな……
部屋に帰ってシャワーを浴びてドサッとソファに寝転ぶとなんとなく樋渡の匂いがするような気がした。
彼女はちょっと高飛車という噂だが、とびきりの美人。
樋渡が断る理由はどこにもない。
しかも、今日で何度目かのデートらしい。
キスくらいはしてるんだろうな。
俺、最近、キスだってしてないかもしれない。
だいたい、まともに顔を合わせないもんな。
同じ部屋に住んでるのに……。
仕事に追われている時はそんなこともないけど、家に帰って一人になると、あれこれと考えてしまう。
「はあ……」
思いっきりため息をついた時、樋渡が帰ってきた。
木原嬢とデートのはずなのに。時計を見たらまだ10時過ぎだった。
「ただいま」
樋渡は相変わらず疲れた顔をしていた。
俺は寝転んだまま、テレビから目を離して樋渡を見上げた。
「……お帰り。大丈夫か? おまえ、顔色が悪……」
そこまで言ったら、樋渡は急ににっこり笑った。
「な……んだよ??」
「おかえり、って言ってくれるようになったんだな」
今までは言わなかったんだろうか、俺。
「初めてじゃないか?」
俺はそんなことまで意識してなかった。
けど、樋渡は喜んでいた。
そんな、つまんないことで。
「こんな早く帰ってきたの久々だな。麻貴もだろ?」
「ん、まあ、そうかな」
夕飯を食べ終えた段階でこの時間てことは本当に久々だった。
「麻貴、もうシャワー浴びたのか?」
「うん」
「家に仕事、持って帰ってきてたりしないだろうな?」
「んなことするかよ。かったるい」
俺の返事なんて聞いているんだかいないんだか。
樋渡は鼻歌を混じりにバスルームに消えた。
実は彼女とうまく行ってるんだろう。
背中が楽しげだった。


なんか、疲れるな……。



どうやら俺はそのままソファで寝てしまったらしい。
テレビから流れるニュースがリアルな夢になる。
世の中ろくなことがないなと思いながら、シュールな気分で目を覚ました。
俺はちゃんとベッドに寝かされており、目の前に樋渡の顔があった。
しかも、起きている。
「おはよう、麻貴ちゃん」
「……んん? もう朝?……今、何時?」
ダルくてとても起きあがる気になれなかった。
だが。
「一時半」
おはようじゃねーよ、まったく、焦らせやがって……。
「っつーか、おまえ、なんで起きてんだよ?」
「寝るの、もったいないだろ」
そんなことを言いつつ樋渡が接近してくる。
「……変だぞ、おまえ……」
俺はドキドキしながらも樋渡に背を向けた。
だってヤバイだろ、これ。
そう思ったんだけど。
樋渡は背中から俺を抱き締めただけだった。
「このまま寝ていいか?」
樋渡の下半身が俺の尻に当たる。熱と硬さで、服の上からでも十分な存在感を示していた。
「……そんなんで寝られんのかよ」
「それは『してもいい』ってことなのか?」
別にいいって言おうとして。

―――……彼女ともう寝てるのかもしれないのに……?

ふとそんな言葉が頭を掠めた。
けど。
「……好きにしろよ」
俺は無意識のうちに樋渡を繋ぎとめることを望んでいたのかもしれない。
「よかった。……せっかくダッシュでシャワー浴びてきたのに、おまえすっかり寝てるしさ。仕方ないから麻貴の顔見ながら一人で抜こうかと思ってたんだぜ?」
こんなアホな言葉を聞いても呆れ果てたりはしなかった。
「顔見たくらいで、抜けるかよ?」
「ぜんぜん大丈夫。いつもそうしてる」
いつも……?
「なんでそんな顔するんだよ、麻貴。おまえ、いつも俺が帰って来るとすっかり寝ちまってるだろ?」
「そうだけど、さ」
俺を起こしてたってするヤツかと思ってたのに……。
せっぱ詰まってないってことは、やっぱ、彼女としてんのかな。
……なんか、すごいマイナス思考だ。
そう思ったら、もうあれこれ考えるのが嫌になって、さっさとヤッてサッサと寝ることにした。
で、とりあえずゴムをつけようとしたら止められた。
「麻貴は、駄目」
「なんで? 後で面倒だろ?」
「ちゃんとキレイに拭いてやるから」
「けど、樋渡だって疲れて……」
ってか、止める理由なんてねーだろ、と思ったが。
「麻貴が射精するところが見たい」
「……ヘンタイ」
「なんとでも」
見て面白いものでもないと思うが。
「麻貴は嫌か?」
「嫌とか、そういうんじゃ……」
仰向けに寝転がっている俺を見下ろしながら、樋渡が微笑んだ。
「なんだよ?」
「……いや、別に」
そんな返事だったけど、そのままぎゅっと俺を抱き締めた。
「麻貴……」
耳元でささやかれると、それだけでイキそうになるほど、樋渡の声は熱を持って身体の芯に響く。
肌に押し当てられた唇は首筋から胸に下り、そのまま熱くなったものを含んだ。
ガマンしていたつもりだったが、丁寧に吸い上げられてすぐに限界がきて。本当にあっという間にイッてしまった。
樋渡は何も言わなかったけれど、ちょっと笑っていた。
「麻貴、疲れてる?」
「え……あ、うん……」
「寝た方がいいか?」
「……あ……う、……ん……」
「それは、どっちなんだ?」
「え、っと……」
返事を強要されるのもかなり久しぶりで、俺は耳まで真っ赤になった。
「……んなこと、言わせんなよ」
薄暗い部屋では俺の顔なんか見えないだろうと思ったが、そんなことはなかったらしい。
「麻貴、やっぱり可愛いな」
俺の頬を樋渡の手が包み込んだ。
「……うるさいな、早くしろって……」
そんな色気のない会話の間に、じっと見つめる樋渡の瞳がなんだかズキズキと心臓を刺激して、俺の中心はまたすぐに硬くなった。
それを察した樋渡はいつも以上に意地悪い笑いを見せながらそれを手のひらでもてあそんでいたけど。
でも、すぐに後ろに自分のものを当てた。
「じゃあ、遠慮なく。声出していいからね、麻貴ちゃん」
いいから、早く、と言う言葉を俺はグッと飲み込んだ。
「優しくして欲しい? それとも激しいのがいい?」
「……そーゆーこと、聞くな……って」
「じゃあ、俺にお任せ?」
「フツウにしろよ、フツーにっ」
ってか、樋渡に任せるのが一番怖い。
何をされるかわからないんだから……
「どういうのがフツウかわかんないなぁ?」
「樋渡、おまえな……」
「嘘、嘘。普通ね。いいよ、麻貴ちゃんのお望み通りにいたします」
樋渡の悪ふざけもなんだか妙に懐かしいような気がした。
最近の樋渡は会社でも無口で深刻な顔をしていたから、こんな冗談も本当に久しぶりに思えた。
でも、お互いこんなことで和んでいる余裕はなく。
「ん、あっ……ぅっ」
樋渡はすぐに欲しい物をくれた。
疼く身体に与えられる少し激しい刺激は狂いそうなほど快感で、俺は簡単に音を上げた。
仰向けに寝かされたまま身体を深く曲げられ、幾度も貫かれる。
押し広げながら繰り返される抜き差しに身体が震えて、そのたびに樋渡を締めつける。
「……麻貴……いくよ?」
吐息の混じる声で樋渡が俺の意思を確認する。
けど、答えることもできないまま。
「ん、あっ、んんっ……!!」
二度目だというのにまったりと濃い液が腹に飛び散った。
樋渡も珍しく肩で息をしていた。
それでも約束通り俺の身体をウェットティッシュでキレイに拭き取ってから、自分の後始末をした。
「麻貴ちゃんがやらせてくれないから、すっげー溜まっちゃったよ」
外したゴムを俺の前にちらつかせる。
一回でこんなになるもんだろうかと思うような量だ。しかも、かなり濃そうだった。
「でも、麻貴は二回してるから、おんなじくらいかな」
幸いシーツは汚れなかったので、身体だけ拭き終わると服も着ずにベッドに入った。
「よかった?」
「え……あ、……」
なんで、そういうことを聞くかな。
「麻貴ちゃん、疲れててもたまには起きて待っててくれよ。欲求不満でおかしくなる」
そう言われても眠気には勝てない。
「したかったら起こせばいいだろ」
ってか、それ以上のことだって平気でするくせに、なんでそこだけ遠慮するんだ?
「ふうん。なら、起こしてもいいんだ?」
「だからって、毎日、真夜中に起こしたりすんなよ」
「分かったよ」
ニッカリ笑う樋渡は、なんか嫌なカンジだ。この笑いの後はロクなことがない。
「じゃな、おやすみ」
とにかく寝てしまえ。
そう思って狭苦しいベッドの隅っこで壁に向かって目を閉じた。
けど、うとうとしかけた時、樋渡が俺を抱き寄せた。
「……ん〜……?? なんだよ、寝ろよ……」
そう、つまり。
「起こしていいんだろ?」
いやな予感が的中した。
「……え……っ? えっ、ええっ?」
さすがに驚く。
確かにそう言ったけど、さっきヤッたばっかりだろ??
俺の抵抗などものともせずに手早くローションを塗りたくると、樋渡は俺に覆い被さって押し入ってきた。
ビクンと身体が跳ねて、不意に押し広げられた場所から苦しさがこみ上げた。
「う、っ……」
なのに、グイグイ押し込まれると我慢できずにダラダラと先走りが滴り落ちた。
もうどうにでもなれと思いながら、腹から流れ落ちるほどぐちゃぐちゃにして、腰を振った。
樋渡もいつものように悪ふざけをする気はないらしく、黙々と俺を抱いていた。
繋がれた場所はどんどん熱くなり、内壁を擦られるたびに挿れられたものを締めつけた。
「……麻……貴っ……」
樋渡が苦しそうに名前を呼んで。
その刺激が身体を駆け抜け、俺もすぐに達ってしまった。


「あー、気持ち良かった。すっきり」
……ったくコイツは終わったとたんにコレだからな。
「すっきりじゃねーよっ、おまえ、俺を何だと思ってんだ??」
「何って、俺の可愛い麻貴ちゃん」
答えになっているような、なっていないような……
「起こしていいって言ったの、おまえだろ?」
「言ったけど、さっきやったばっかだろ??」
「したかったんだから仕方ないだろ?」
堂々とそう言われて閉口した。
樋渡が自分のモノを抜くと、俺の中に放たれたものがタラリと流れ出てきた。
「しかも、つけてないし……」
「悪い。余裕がなくってな。シャワー浴びて来いよ」
「ったく……」
悪態を吐きながら、流れ出てくるそれの気持ち悪さに耐えかねてバスルームに駆け込んだ。

数分後。
身体はキレイになったものの、シャワーを浴びてすっきりしたら、なんだか目が冴えてしまった。
「寝られなくなったじゃねーかっ」
「大丈夫。すぐ眠くなるって」
樋渡が笑いながら俺の背中を抱き締めた。
それだけのことなのに、疲れと共に安堵感が押し寄せてくる。
背中から心臓の音が心地よく響いてきて、俺は間もなく眠りついた。




半期決算の対応が終わっても、俺の部署は少しもヒマにならなかった。
でも、樋渡は少し落ち着いたらしく、以前よりは早く帰ってくるようになっていた。
木原嬢と出かけている様子もない。
けど、お互いに疲れは隠せなくて、相変わらず家ではあまり喋らなかった。
寝るときも別々。樋渡もソファに横になるとすぐに眠ってしまう。スーツを着たまま朝になっていることもあって、この俺が心配するほどだった。

「……やっぱり広い部屋が必要だよな」
家賃は半分ずつ出すとしても、敷金と礼金と引越し費用か……
もっと金を貯めておけばよかった。
会社でぼんやりそんなことを考えていたら、進藤が心配そうに話しかけてきた。
「森宮、大丈夫?」
進藤に心配されるほどは深刻な顔なんてしてないと思うんだけど。
「……なんか変か?」
一応聞いてみたが、進藤も首をかしげた。
「元気がないって樋渡が妙に心配してるから」
元気がないのは樋渡の方だろ。
「なんでアイツが心配するんだよ?」
「さあ。けど、えらく深刻そうだったから。あの樋渡が飲みの誘いをカンペキに振り切って真っ直ぐ家に帰るんだから、みんなびっくり」
「え?」
だから早く帰ってきてたのか?
……俺も少し驚いた。
「俺、元気なく見える?」
進藤はちょっと考えてから首を振った。
「ううん、疲れてるとは思うけどさ」
「……だよな」
確かに、俺もあんまり喋ってなかったけど。
でも、樋渡が疲れてるから話し掛けなかっただけなのにな。
まあ、木原嬢のことで不用意な発言をしてしまうのが嫌で、あえて余計な会話はしないようにしていたのも事実だけど……
「よっぽど樋渡の方が元気ないだろ?」
「だよね。なんか変だもんね」
家にいる時はそうでもない。
疲れていること以外はいつもとなんの変わりもないと思う。
でもな。
「ね、森宮。久しぶりに飲みに行かない?」
「俺は別に構わないけど……」
樋渡が俺を心配して帰ってきてるのなら、飲みに行くのは気が引けた。
「樋渡も誘うから心配しなくていいって」
進藤が笑って俺の肩を叩く。
ついでに、
「なんだかんだ言って、うまくいってるんだ?」
そんなことまで言われて。
「んなことねーけど……」
普通の友達でも心配はするだろ。
「ど遊び人の樋渡が森宮にホンキっていうのが信じがたいけどなぁ……」
進藤はそんなことを言うけれど、肝心なことを忘れてねーか?
「樋渡、木原さんと付き合ってんだろ?」
でも、進藤はあっさりと否定した。
「俺は違うと思うよ。二人で食事に行って、樋渡が一生懸命断ってるって聞いたけど」
興味がない相手と二人でメシ食いに行くかよ……
「誰がそんなこと?」
「総務のミナちゃん」
ミナちゃんは木原嬢の親友だ。木原嬢が受け付け当番の時は、いつもうちの事務の子とお弁当を食べている。
ついでに進藤はたまにそこに交じっている。
まあ、進藤のお弁当情報はかなりアテになるんだけど……。
「木原嬢は取引先の取締役の娘だから、むげに断ることもできないよね?」
そりゃあ、そうだろう。
けど、な……
まだ何となく納得できていない俺の目の前でいきなり進藤が叫んだ。
「あ、樋渡〜っ!!」
樋渡は何故かいつも絶妙のタイミングでうちのフロアに顔を出す。
わざとじゃないだろうけど、心臓に悪い。
「進藤。呆けてないで資料早く出せよ。おまえのとこだけだぜ、出てないの」
「あはは、ごめんごめん。今、部長に承認回してるから、後で持ってくよ。それよか、今日飲みに行かない?」
でも、樋渡は速攻で断った。
「悪いけど、俺、早く帰るから」
あんなに飲み好きなのに、いったいこの態度はなんなんだ?
「あー、でも、森宮も行くけど」
進藤の意味ありげな笑いに樋渡の表情も変わった。
その後。
「じゃあ、行く」
笑いもせずにそう返事をした。
「分かりやすいなあ、樋渡」
「いいだろ、別に」
分かりやすいっていうか……バカというか。
「そんなに森宮がいい?」
「分かりきってることを聞くなよ」
大真面目に答えて俺の顔を見た。
もちろん即視線を外したけど。
でも、樋渡のその答えは少しだけ俺の気持ちを軽くした。
そう思っていながら素直に態度に出せない自分がなんだかすごく嫌だった。



その日の飲み会にも俺は遅刻していった。進藤と樋渡だけじゃなくて、いつもの飲み仲間も何人かいて、樋渡は珍しく酔っ払っていた。
「遅い、森宮」
樋渡は酔ってもあまり顔色は変わらない。言うこともまともだ。
「悪い」
だから、樋渡が酔っているかどうかは何度も飲みに行ってかなり親密な仲にならなければ分からない。
何事もなければいいけどな……なんて考えていたら、また嫌な話題が。
「樋渡、木原のこと振った? それとも、食っちゃった?」
先輩が気になって仕方ないって顔でその話を切り出した。
でも、樋渡は少し憂鬱そうな顔でため息をついた。
「ちゃんとご説明申し上げて納得していただきました」
「それって、なんの説明するんですかぁ?」
樋渡と仲のいい後輩がすかさず突っ込みを入れた。
「もちろん付き合えない理由」
ってことは、振ったのか。
ふうん……
「ここで説明してみてくださいよぉ?」
酔っ払いは普通なら聞きにくいことも平然と尋ねる。
でも、樋渡も何のことはないって顔で答えを返した。
「何期待してるんだよ。そんなすごい理由じゃないぜ? 好きな人がいるから付き合えないって言っただけ」
「あ、それって『まきちゃん』のことですよね?」
樋渡と同じ課の女の子が口を尖らせた。
「そうそう。樋渡さん、ニコニコしながらラブラブメールしてますもんね」
またそれか。
ホントに締まらないヤツだな。みんなに見られてることもお構いなしでメールなんかするなよ。
それよりも、見られてマズいメールはなかったっけ……と思い出している傍らで、まだ話は続いていた。
後輩連中はノリノリだ。
「キレイなひとですか?」
「そりゃあね」
いつもの樋渡ならこんな話は適当に別の話題に摩り替えるのに……。
もしかして、完全に酔っ払ってるのか?
「年はいくつ?」
「27」
その瞬間に嫌な予感がした。
「どこで知り合ったんですか?」
「同期なんだ」
いくら酔っていても、あっさりとそこまで白状するとは思わなかった。
数少ない女性を含めても、同期に『マキ』なんて何人もいないはずだ。
進藤は苦笑していた。
「絶対バレるね。森宮、覚悟を決めといた方がいいよ」
「バカ、笑ってないで樋渡を止めてくれ」
青ざめる俺を楽しそうに呼び止めたのは他ならぬ樋渡だった。
「というわけで、麻貴ちゃん。こっち来て」
みんなの視線が一斉に俺に飛んできた。
もはや言い逃れなんてできそうにない。
俺も覚悟を決めるしかなさそうだった。
仕方なくグラスを置いて席を立つ。周囲の視線が俺についてきた。
「……名前で呼ぶなって言っただろ?」
「じゃあ、森宮。ここ、座って」
笑ってるけど。
「樋渡、おまえ、酔っ払ってんだよ」
「俺? 酔ってないよ。いいから、来いよ」
キスされないとも限らないので、用心して樋渡の向かいに座った。
「じゃあ、紹介するよ。俺の麻貴ちゃん」
マジで言っちまったよ、コイツ……
「え〜?? ホントですか??」
俺はノーコメント。
これ以上、余計なことを喋らないうちに連れて帰ろう。
俺は本当にヒヤヒヤしてたんだけど。
「じゃあ、これで、俺の麻貴ちゃんの説明は終わり」
樋渡はさっさとその話を終わらせた。
「え〜? もうちょっと聞きたいですぅぅっ! ま、まじなんですか? それとも冗談??」
冗談だと思ってくれるといいんだが。
「いいの。勝手に想像してくれ。俺、森宮に話があるから」
今度はちゃんと苗字で呼んだ。
それほどは酔ってないのかもしれない。
けど、話って……?
「なんだよ?」
二人で話さなきゃならないことなら、家で言えばいいのに。
「おまえ……引っ越すのか?」
「え? あ、うん……いいところ見つかったらな」
なんで知ってるんだろう。
俺、そんなことを話しただろうか?
視線を泳がせていると進藤がぺロッと舌を出した。
ちっ……やっぱし。
「なんで引っ越す? 俺がいるとジャマか?」
「そーゆーこと言ってるんじゃないだろーよ」
ヤバイ、これじゃあ私生活バレバレ。
「あのな、樋渡。どうでもいいけど、それ以上しゃべるなよ」
もちろん俺はめいっぱい小声で話した。
なのに、樋渡はいつもと一緒だった。
「なんでだよ? 照れるような年でもないだろ?」
「だから、そういうことじゃなくって、会社に居辛くなるから止めろって言ってんの。噂にでもなったら、俺、マジに会社辞めるぞ?」
「そしたら俺が養うから、おまえは好きなことだけしていればいい」
やっぱ、酔ってるな。
じゃなかったら、どこかが外れたに違いない。
「アホか。ったく。俺に家事ができると思ってんのか?」
「家事もしなくていい。全部俺がやるから」
俺は言葉を失った。
樋渡があまりにも真剣で。
みんなもシーンとしていた。
「だから、ずっと俺と一緒にいてくれないか?」
真っ直ぐに俺の目を見て、そう続けた。
けど。
俺には樋渡の気持ちに応える勇気がなかった。
「……もうちょっと広いとこに引っ越そうかと思ってるだけだろ? おまえだって、ソファで寝るの嫌だろうし……」
曖昧に話を摩り替えて返事をすることを避けるつもりだった。
なのに。
「麻貴のベッドで寝かせてくれよ」
「ふざけんな」
この展開は駄目だ。やらしい話になる。
「とにかく……おまえの着替えとかいろいろ置いてあるし、ワンルームじゃ狭いから……」
「それは、一緒に暮らそうってことなのか?」
樋渡はきっとどうしても真正面から話がしたかったんだろう。
でもさ。
「おまえが来ても大丈夫ってことだろ? 話を飛躍させるな」
ごめん、樋渡。
俺はたぶんおまえのことを好きだけど、ここでそれを言う勇気はないんだ。

―――……本当に、ごめん

気が咎めて、何度謝っても、どんなに言い訳しても許しては貰えないだろうと思った。
でも、樋渡はあっけらかんと言い放った。
「そっか。これで公然と同棲してるって言えるんだな」
「言えねーよっ!!てめぇ、人の話を聞きやがれっ!」
……やっぱ、酔っ払ってるかもしれない。
そのままへらへら笑っている樋渡を速攻で連れて帰った。


もちろん散々冷やかされながら店を出ることになったわけだが……。




そんなわけで、新しい部屋が見つかると、事情を知ってるヤツらが積極的に引越しを手伝ってくれた。
いや、もちろんみんな面白半分だったけど……
まあ、予想外に好意的な反応だったことについては感謝しておくことにした。


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