微妙な夏休み
-5-



なんとなく意識が戻って。でも、目は開かなくて。
「森宮って、マジでぜんぜん起きないんだなぁ」
聞こえてきたのは中西の声だった。
「飲んでる薬、かなり眠くなるらしいんだ。麻貴の体に合ってないのかもな」
ついでに樋渡の声と、パチッ、パチッという音が。
「んんー……」
目をこすろうとしたけど、右手が動かない。
「んんん??」
おもむろに目を開けたら、俺の右手は樋渡が握ってて、しかも、なぜか膝枕されていた。
「なんで樋渡が俺の爪切ってるんだよ??」
「なんで、って……自分の爪を切るついでにと思って」
樋渡は良からぬ思惑がいろいろとあるから、ほとんど毎日爪の手入れをしてるんだけど。
だからって、普通、寝てる奴の爪を切るか??
「森宮、気づくの遅すぎるってー」
それについては俺もそう思うけど。
「すぐ終わるから。もうちょっと待ってろよ、麻貴」
鬱陶しかったけど、そのまま好きなようにさせておいた。
切り終わったら形を整えて、満足そうに眺めてから、
「麻貴って手も綺麗だよな」
無理やり指先にキスをして。
「だから、そういうことはやめろっつーのに」
早めに逃げようと思ってガバッと起き上がったら、今度は後ろから羽交い絞めにされてしまった。
「やめろって言ってんだろ??」
べったり張り付いてる樋渡を見ても、進藤と中西はなんとも思ってなさそうだったけど。
……そういう問題じゃねーよな。
「よかったね、本当に仲直りしたんだ」
進藤が嬉しそうに言って。
「けど、あんまり仲良さそうじゃないよなあ」
中西が笑い転げた。
……いいよな、他人事でいられるヤツは。



その後、進藤と中西はすぐに酔っ払いと化してオヤジくさい会話を繰り広げた。
俺もビールを少し飲んだけど、体調が悪いせいであまりうまいとは思わなかった。でも、適度に酔いは回っていたらしい。
「麻貴、ベッドで寝ろよ」
いつの間に眠ったのか、夜中に樋渡に起こされた。
「んー……」
その時には中西も進藤もカーペットの上に転がっていた。それはもう泥酔という言葉がピッタリな潰れ方だった。
「大丈夫か?」
樋渡だけは酔っ払ってもいなくて、俺の体にはちゃんとタオルケットが掛けられていた。
「……うん」
ぼーっとしたまま起き上がって自分のベッドに移動した。
「そう言えば、樋渡が掃除したんだっけ……」
部屋はきちんと片付けられ、布団もふかふかになっていた。
「気持ちいいかも……」
散々寝ていたくせにまた眠気がこみ上げた。
「麻貴、ちゃんと毛布掛けて寝ろって」
リビングを片付けてから寝室に入ってきた樋渡は、また俺の世話を焼いて。ついでに。
「じゃ、寝るか」
そう言って楽しそうに俺のベッドに潜り込もうとした。
「おまえは自分の部屋で寝ろよ」
なんとか追い出そうとしている俺をムギュッと抱きしめてから、おでこに手を当てた。
それから、軽くキスをした後で電気を消した。
「そんなに警戒しなくても大丈夫だって。麻貴、まだ熱もあるしな」
体が熱いのも、顔が赤いのもビールを飲んだせいだと思うんだけど。
「おやすみ、麻貴」
樋渡にしては珍しく、あっさりと目を閉じた。しかも、俺に背中を向けて寝ようとしてた。
……ガマンできなくなりそうなら、無理にここで寝ずに自分の部屋かソファで寝たらいいと思うんだけど。
まあ、そんなのは樋渡の勝手だから、知らん顔して眠ることにした。



翌日、土曜日。
朝から茹だるような暑さだったが、俺はスッキリと目を覚ました。
「なんだ、樋渡がいてもちゃんと安眠できるんだな」
いつもこうならいいのに。
樋渡はとっくに起きていたらしく、集合ポストから新聞を取って戻ってきたところだった。
「おはよう、俺の麻貴ちゃん。いい夢見てたみたいだな」
意味深なセリフと共に一人で朝から緩んでいて、ついでにディープなキスをされてしまった。
「朝っぱらからそういうことをするなっ」
進藤たちが見てたらどうするんだと思ったが。まだ二人ともリビングのカーペットにいかにも酔っ払いな風体で転がってた。
「よくこれで寝違えたりしないよなぁ……」
進藤の右手は中西の腹の下。中西の足は進藤の足の下。
もう痺れて感覚がなくなっているに違いない。
「進藤、せめて違う体勢で寝ろよ」
突いたら、ムニャムニャ言いながら起き上がった。
「……おはよ、森宮。早いね」
水分の取り過ぎなのか、微妙に顔がむくんでいるけど。
「中西、起きて。そうじゃなかったら、まっすぐ寝て」
進藤が呼びかけてみたが、ピクリとも動かなかったので、その妙な体勢のまま放置することにした。
けど、30分後。
朝飯が食卓に並んだら、匂いにつられて中西も起きてきた。手足が痺れたらしくて、しばらくはのた打ち回ってたけど。
「いただきます」
行儀よく挨拶をして箸を取る進藤と、すでに食い始めている俺と、まだ手が痺れている中西と、せっせと味噌汁を運んでいる樋渡と。
男4人で囲むテーブル。
なんだか妙に暑苦しい。
「森宮たちって休みの日もちゃんとした時間に朝ごはん食べてるんだね」
進藤に言われて時計を見たら、まだ7時半だった。
「んなことねーよ」
それよりも。すべての用意を終えた樋渡がダイニングテーブルの椅子をピッタリ俺の隣にくっつけて座ろうとしているのが気になった。
「おまえ、くっつきすぎ」
さっさと追い払おうとしたんだけど、樋渡はしっかりとそこに自分の場所を確保してしまった。
さすがに「あ〜ん」の類のバカはしなかったけど、目の前でふやけている樋渡を見てるとやっぱりダルくなる。
「うまい?」
「うまいけど……ニヤニヤすんのやめろよ。気持ちわりいな」
人がメシ食ってるところをマジマジと見るヤツなんていねーよ。
「いいから、たくさん食えよ?」
そう言いつつ、ニヤニヤ笑ったまま俺の頬にキスをしてきた。
「食ってる時にするなよ」
何度言っても聞いてない。
しかも。
「な、麻貴、夕べ俺の夢見てただろ?」
思いっきり違う話をはじめて、ついでにムギュッと抱き締めて。
「見てねーって」
ぜんぜん覚えてなかったが、とりあえずそう答えた。
樋渡の様子からしても、俺、また寝言で何か言ったんだろうな。
ちょっと嫌な予感。
「麻貴、」
樋渡の目が。
「なんだよ」
「愛してる」
もうイッてるし。
それでも進藤たちは普通にメシを食ってるし。
俺も知らん顔していようと思って聞こえない振りをしてたら、あごをクイッと樋渡の方に向けられて、唇に思い切りキスされて。
さすがに舌を入れたりはしなかったが。それにしても。
「だから、食ってる時にするなって言ってるだろ!!」
「じゃあ、食い終わってからな?」
脳天気爆裂。
「そういう意味じゃねーっ!!」
思いきり怒ったら。
「森宮、食べてるものを飲み込んでから話してよ」
進藤に注意された。
だったら、食ってる時に他人にちょっかいを出してる樋渡を怒って欲しいんだけど。
「だって、樋渡は森宮が言わないと聞かないから」
……俺が言っても聞いてねーよ。
しかも。
「麻貴ちゃん、あとで楽しいことして遊ぼうな?」
樋渡的には進藤と中西はもういないことになっているらしく、すっかり二人の時と同じ状態だった。
「……一人で遊んでろ」
それにしても樋渡のこの切れ方。俺、どんな寝言を言ったんだろう??
にわかに不安になったが、思い出せないものは仕方ない。
「ほんとに素直じゃないんだよな。ま、そこが麻貴の可愛いところだけど」
……何を言っても聞いてないってどうなんだよ。
「もうおまえとは口利かねーよ」
俺の態度に収集がつかないと思ったのか、
「とにかく。仲直りできてよかったな〜、あー、よかった」
中西が適当にまとめに入って。
「本当によかったよね」
進藤もさらっと笑顔で流した。

……俺もいい友達を持ったもんだ。



朝飯を食ったあと、進藤と中西はサクッと帰っていった。
昨夜の安全実績から俺の気持ちも相当緩んでいたんだけど。
「じゃあな」と言ってドアがしまった瞬間、樋渡に後ろから抱きすくめられて一瞬身動きが取れなかった。
「じゃあ、麻貴ちゃん。一緒に遊ぼうか?」
行ってるそばから樋渡の左手が俺のTシャツの下に滑り込んだ。
「……んん……やめろって……」
もう、何を言っても聞きそうにない雰囲気なんだけど。
「麻貴、そんな可愛い声出したらダメだぜ?」
樋渡が、変だ。
いや、いつも変だけど。
「ちょっと待てって。俺、まだダルイし……」
まあ、それは嘘じゃないんだけど。なぜか自分の耳にも言い訳に聞こえた。
これじゃあ、樋渡に通用するはずはないと思ったんだが。
「だったら、何なら一緒にしてくれるんだ?」
どういうわけか気を変えてくれた。
けど。
男二人で一緒にするようなことなんてないだろ??
「……何がしたいんだよ」
「麻貴ちゃんと昼寝」
それはダメだろ。絶対、ヤバイ。
「じゃあ、麻貴ちゃんとお話」
おまえと話すことなんてねーよ。
「麻貴ちゃんと散歩……はダメだな。具合悪いのに炎天下を歩かせるわけにいかない」
やっぱり、これと言ってやることなんてないわけで。
「俺、テレビでも見てボーッとしてる方がいいんだけど」
何度も言うようだが、まだダルイんだって訴えようかと思ったら。
「じゃあ、それでもいいけどな」
樋渡とは思えないあっさりした返事があった。
でも。
「俺は麻貴ちゃんの膝枕」
樋渡らしい妙な譲歩案が出された。
膝の上に樋渡の頭……
自分目線でもかなり嫌だったが、客観的に見た構図を思い描いたらもっと嫌になった。
けど、その程度なら仕方ない。
「それ以上なんかしたら、俺、中西んちに家出するからな?」
一応、それが条件で。
10分後には樋渡の頭は俺の膝の上に乗せられていた。
俺はカーペットの上に座ってソファに寄りかかった状態で新聞を読んでいて、樋渡は俺の足にスリスリしながらテレビを見ていた。
絶対、妙な光景なんだけど。
しかも、一緒に何かをしてるっていう感じでもなかったんだけど。
「なんか、いいよな」
樋渡はいつになく静かで、ときどき鼻をくんくんさせたり、「次回は短パンにしてくれよ」と言うくらいで。
後は満足してたようなので放っておいた。
たまにもぞもぞ動くのがくすぐったくて、ついでに人間の頭って重いんだな……と思ったりもしたが、特に不都合があるわけでもない。
その間、樋渡がいるとは思えないくらいのんびりと過ごすことができた。
けど。
「樋渡、」
そのまま30分くらいしたら、樋渡がなんの反応も示さなくなって。ちょっと呼んでみたけど返事がない。顔を覗き込んだら、ぐっすり眠っていた。
「そっか……樋渡、あんまり寝てないんだよな」
おとといは俺の看病をしていて、昨日は飲み会の後の片づけをしていて。なのに今朝もずいぶんと早起きをしていた。
「おやすみ、樋渡」
だから、そのまま寝かせてやることにした。

……っていうか。
寝てると静かでいいなと思っただけなんだけど。



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