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樋渡が帰ってきて、つまみの用意が整ってから、俺と進藤は行儀よくリビングのカーペットの上に座って箸を持った。
「なんでサラダまでレタスで巻いて楊枝が刺してあるんだよ?」
聞いたのは俺だったが、無駄な質問だった。
面倒くさがりの森宮のために樋渡がそういうものばかり作ったんだ。
ほとんどが一口サイズで楊枝付き。
だから、森宮はすでにいろんなものをつまみ食いしていたが、箸は持っていなかった。
「なんか、だんだんすごくなるね、樋渡」
進藤はほのぼのと笑ってたが。
「じゃあ、箸でしか食えないやつは森宮が嫌いなものってことなのかあ?」
だって、森宮の箸が用意されてないもんな……って思ったんだけどさ。
樋渡はにっかり笑って森宮の隣に座って。
「はい、麻貴ちゃん、『あ〜ん』して」
楊枝がさしていないそれをハートマークを飛び散らせながら自分の箸から無理やり食わせていた。
そうだよな。
よく考えたら、森宮が嫌いなものが食卓に並ぶはずはないんだ。
……俺って、あさはか。
「うまい?」
その時点ですでにゆるゆるに溶けていた樋渡は、
「うん」
そんな素っ気ない返事ひとつで、また遠くへ行ってしまった。
「麻貴、愛してる」
っつーか、これってもしかしてラブラブってこと?
進藤に意見を求めようと思って顔を見たら、にっこり笑ってたけど。
森宮はその後、「アホか」と吐き捨てただけだった。
「う〜ん……少なくとも『らぶらぶ〜』っていうのとは違うようだな」
まあ、当たり前だけど。その事実に安心する俺。
だって、ラブラブになったら面白くないもんな。
「んじゃ、まあ、そういうことで。相変わらずの樋渡君と麻貴ちゃんに乾杯〜。明日の朝まで付き合うよ〜ん」
すでに乾杯も4回目くらいだったけど、俺が居座る様子を見せると樋渡があからさまに不機嫌になった。
「いくらおまえでも、まさか本当に泊まって行かないよな?」
いきなり牽制するんだもんよ。冷たくなったもんだよな。
昔は無二の親友だったのにさ。
そんなことはもう忘れちゃったんだね、樋渡君。
「適当なところで切り上げるなら、潰れないように飲まないとね」
進藤はとても樋渡に協力的だけど。
でも、世の中そう思い通りにはならないもんだよ。
「でも、万が一ってこともあるしなあ。潰れちゃったらどうしようもないし〜」
俺、泊まる気満々だし。
「いいじゃねー。泊まってけば。どうせヒマなんだろ?」
森宮はなんにも考えてないから、そんなことをフツーに答えた。
そうなると麻貴ちゃんの言うことがこの世の全てな樋渡は承知するしかない。
「だとしても、寝る時は進藤が麻貴ちゃんの部屋で、中西はソファだぜ? それだけは守れよ。……あ、もちろん麻貴は俺の部屋」
相変わらず仕切るんだけど。
その言葉を一番しっかりと聞き流したのは、間違いなく愛しの麻貴ちゃんだった。
「進藤、夕刊貸して」
いかにも「おまえの言うことなんて聞いてねーよ」って顔で新聞を広げる森宮を樋渡はちょっと不満そうに見てたけど。
「もっとつまみ作ってこようか? 酒だけ飲むのは体に良くないからな」
そう言って、おでこに「うちゅ〜」と吸いついて、思い切り森宮に嫌がられていた。
「何がいい?」
もう、可愛くって仕方ないって顔で聞いてるんだけど。
肝心の森宮は気怠さ全開。樋渡の方なんか見ちゃいなかった。
「んー……じゃあ、フライドポテトとサラダと焼き魚」
自分をとろけそうな顔で見つめている樋渡には目もくれずに、食いたいものだけちゃっかりリクエストする森宮が俺は大好きだ。
そして、そんな扱いでもゆるゆるに溶ける樋渡も面白すぎて大好きだ。
「他は何がいい? 食いたいものがあったら何でも言えよ?」
可愛い麻貴ちゃんが喜ぶのなら、お手伝いさん扱いでも全然平気らしい。
「中西、手伝え。進藤、食い終わったヤツだけ皿洗って。あ、麻貴は座ってろよ。何にもしなくていいからな」
あまりの過保護ぶりに、進藤と顔を見合わせて苦笑い。
まあ、森宮はえらくダルそうだし、立たせるのも可哀想な感じではあったんだけど。
「もしかしたら、昨日、あ〜んなことをヤリ過ぎて立てないのかなあ?」
俺は素直にそう思ったんだけど。
「森宮は絶好調の時でもダルそうだから」
進藤は今日も冷静だった。
「麻貴、もっとビール持ってきてやろうか?」
それにしても、樋渡君、甘やかしすぎだってば。
森宮はその間もあさっての方向を見たままあくびをしてた。
「麻貴ちゃん、こっち向いて」
などと言ったわりには、自分で森宮の目の前に顔を出してて。
しかも、森宮はその瞬間にわざと反対を向いたんだけど。
樋渡はぜんぜんメゲることもなく、森宮の頬を両手で押さえて無理やりキスをして、挙句に「愛してる」と言い残してキッチンへ消えていった。
愛に生きるっていうのはすごいことだ。
何がスゴイって、こんな扱いをされている樋渡がものすご〜く楽しそうで、こんなに大事にされている森宮がすご〜く嫌そうだってことが本当にスゴイと思う。
樋渡がキッチンに消えたあと、進藤が口を開いた。
進藤は空いた皿を洗う気なんてカケラもないらしい。
「仲良くやってるみたいだね。よかった」
もちろん本気でその「よかったね」を言ってると思うんだけど。
森宮は何も言わずに「けっ」と吐き捨ててビールをあおってた。
まったく、せっかくの美人顔が台無しだ。樋渡が見たら、「可愛くなくなるからやめてくれ」と言って嘆くだろう。
「でもなぁ、マジでイチャイチャしすぎだって。体壊すよ〜、森宮」
取り込まれたシーツを見ながら言ってみた。
ま、森宮のダルそうな歩き方からして、体はもう十分壊してるっぽい感じだけど。
「腰揉んでやろうか?」
男同士は腰にくるはずと思って気を利かせたんだけどさ。
「おまえは麻貴に触るな!!」
キッチンから樋渡の怒鳴り声が。
どこかに盗聴器でもあるのかと辺りを探してみたけど、もちろん一般家庭にそんなものがあるはずはない。
「……樋渡、地獄耳過ぎてちょっと怖いぞ」
親友の俺さえそう思う状況で、進藤はとても普通にそれを受け止めた。
「すごいね。あんな遠くで、しかも揚げ物してるのに中西の声が聞こえるなんて」
感心してる場合じゃないよ、進藤君。
それは人間離れしすぎだって。
そこそこ飲み食いした後、
「麻貴、腹一杯になったか?」
その質問に森宮は無言で頷いたが、それにもかかわらず樋渡はまた台所に消えた。
「何しに行ったんだ?」
俺も進藤も分からなかったが、さすがに毎日一緒に暮らしている森宮には分かるらしい。
「梨か葡萄か知らないけど、持って来る気なんだろ?」
ああ、そうなのね。
きっと毎日デザートつきの夕飯を二人で食べてるのね〜と思ってやさぐれそうになったが。
「樋渡、なにしてるんだろう。遅いよね?」
樋渡が買ってきたのが葡萄だったことはチェック済みだったから、よけいに不思議に思った。
だって、葡萄なんて洗ってくるだけだろ?
……と思ってキッチンへ行ったら。
「麻貴ちゃんが食いやすいように剥いていく」
そう言い張って。
巨峰を半分に切って、スプーンで実だけくりぬいて、種を取ったものを森宮に持って行こうとしてた。
それにも大概びっくりだけど。
リビングに戻ったら森宮が突っ伏していて。
「……森宮、もしかして、寝た?」
デザートが来ると分かっていながら、さっさと眠ってしまった森宮にはもっとびっくりだ。
相変わらず、樋渡は報われない。
でも、その状態がもはや当たり前になってるから誰も何も言わない。
「麻貴、疲れてるのかな」
樋渡が心配そうに髪を撫でたりしてるんだけど。
「ん〜、疲れてるっていうかあ……ちょっとダルそうだったけど。でも森宮だからな〜」
少なくとも森宮はものすご〜く気持ちよさそうに寝てた。
……っていうか、ただの酔っ払いだ。
樋渡はガラスの器に入った葡萄をテーブルに置いて、しばらく森宮を見てた。
巨峰を頑張って実だけにした苦労が報われなくても全くがっかりもしてなかった。
「なー、これって俺が食ってもいいの?」
このまま放っておいても食えなくなるだけだから、もちろんいいんだろうって思ったけど。
「ダメ。明日麻貴が食えるようにゼリーに入れるから」
その後、洗っただけの皮付き巨峰を俺と進藤の前に置いて、その足でいそいそとタオルケットを取りにいった。
「風邪、引くなよ?」
そう言って森宮にかけてやったのは、フワフワで見るからに気持ちよさそうなヤツだ。
「なあんか、それって、いつも俺らに掛けてくれるのと違うよね、樋渡君」
俺と進藤が潰れた時も一応タオルケットを掛けてはくれるんだけど、こんなに柔らかそうなヤツじゃない。
普通のタオル地の安そうなヤツだ。
森宮にかけられたフワフワの隅っこをちょっと触ってみたけど、ホントに赤ちゃんでもオッケーなくらい柔らかくて気持ちいい。
「うわあ、本当に柔らかいね。森宮専用なの?」
進藤も感動してた。
可愛い麻貴ちゃんの柔肌にはこれくらいじゃないとダメってか?
だったら、その柔肌に妙な病気のようにキスマークをつけるのもやめた方がいいよ?
いや、それよりも。
「こんなにフワフワでも、森宮はありがたいと思ってないと思うんだけどなあ?」
ってか、掛けてもらったことにも気づいてないよね?
さらに言わせてもらえれば、気づいても絶対に感謝なんてしてくれないと思うんだけど。
「それって、どうよ。樋渡君?」
樋渡は進藤の質問も俺の疑問もさらっと聞き流して、愛しの麻貴ちゃんの寝顔を見つめてた。
そんで。
「なんでこんな可愛い顔で寝るんだろうな」
また、森宮に「うちゅ〜っ」と吸い付いていた。
それでも森宮はやっぱりスヤスヤと寝てて。
見るたびに思うけど、森宮のことをマジで尊敬してしまいそうだ。
「樋渡、いい加減離れてあげたら? それじゃ休まらないよ」
吸い付いたままの樋渡を進藤は何の遠慮もなくベリッと剥がして、ソファに座らせた。
進藤はどこまでも二人の心配をしてあげてエライと思う。
「行き過ぎるとホントに嫌われるよ?」
けどさ、樋渡にそんなことを言ってもムダだと思うんだよな。
「んー、でもな」
いきなり顔が緩んで。
「嫌がってる顔がまた可愛いんだよな」
ほら。
もう絶対、戻って来られない所まで行っちゃってるんだから。
「樋渡、昔は遊び人で浮気性だったのになぁ?」
一緒に遊び呆けた大学の頃が懐かしい。
感慨にふける俺を進藤がふふっと笑い飛ばして、
「一人いれば十分だよね?」
樋渡に同意を求めたけど。
「……麻貴、ホント可愛いな」
樋渡は遠くへ行ったきり、帰ってこなかった。
そのあと、森宮のために少し明かりを落として、起きないようにそっと枕の上に頭を乗せてやって。
テレビの音を小さくして、エアコンを調節して。
ついでに髪を梳いてやって、ほっぺにキスして、唇にキスして、首筋にキスマークをつけて。それから、タオルケットの中に潜り込もうとして……
「樋渡、そこでストップ」
その先は進藤に止められた。
その後は3人でちびちび飲みながら、どうでもいいような話をした。
「なあ、樋渡。家出してテク磨いてたってーの、ホントなのかあ?」
その話を聞いてから、ずっと気になってたんだよな。
「浮気してたわけじゃないけどな」
いくら樋渡に理性が少なくても、2度も浮気するほどはバカじゃあるまい。
そう思ったが。
「嘘。本当に?」
……進藤、疑ってるし。
まあ、前科があるから仕方ないけど。
あの時も森宮がやらせてくれなかったからって女の子とデートしてたんだもんな。
「するわけないだろ。ちょっと友達に……いろいろ聞いてきただけだ」
俺に言わせると「イロイロって何を?」「友達って誰?」って感じなんですけど。
「おミズなお友達に前立腺マッサージしてもらったりとか? それとも2丁目のオトモダチからテクの講習でも?」
会社のヤツだったら森宮にも進藤にもバレるだろうし、大学の友達だったら俺も知ってるし。
それ以外ってことだよな……って思って聞いたんだけど。
「中西、茶化さないの」
進藤に怒られた。
……でも、俺、マジメに聞いてますけど?
「樋渡も、冗談でも森宮には浮気を匂わせるようなことは言っちゃダメだよ?」
進藤のアドバイスは役に立つんだろうか。
だってなぁ……。
「森宮はぜ〜んぜん気に留めてなかったっぽいし」
妬くどころか関心なんて少しもなさそうだったし。
テクも相変わらずで進歩してないからダメダメって言いたそうだったし。
「マジでテク磨いた方が喜ばれたんじゃないのかあ?」
樋渡がどれほどのもんか俺にはわかんないけどさ。
「中西、変なことそそのかさないでよね」
ウブい進藤君には分からないとは思うけど。
「いや、マジメな話、テクはあった方がいいって」
森宮みたいな面倒くさがりなヤツは恋愛なんて七面倒なことには絶対にマジにならないんだから、カラダで繋ぎ止めておけばいいはずだ。
「森宮だって男なんだから、気持ちよくイケればいいだろうし、そうじゃなくても樋渡はそこそこ便利なんだから、少なくともそばには置いてもらえるはずだっ!」
って言ってみたけど。
……それじゃ、樋渡があんまりにも可哀想か。
まあ、今もそんな状況だとは思うけど。
「ダメだよ、樋渡。一緒に暮らしてるんだから、もうちょっと誠実な態度で接しないと。嘘なんてすぐにバレるよ?」
なぜか嘘と決め付けている進藤君。
キミも相当なもんだよ。
でも、進藤に責められても樋渡は相変わらずで、まったく反省の色は見えない。
たぶん、愛しの麻貴ちゃんに言われたこと以外は全然気にならないんだろう。
なんていい性格。
でも、それで森宮にあ〜んなこと言われてちゃ、ちょっと気の毒だけどな。
「樋渡ってさー、ヘタなのかあ?」
俺が昔寝取った女は、樋渡のHテクに関して「今まで付き合った中で一番巧い」って言ってたんだけどな。
相手が男だと自慢のテクも発揮できないのか?
「俺、うまいよ」
樋渡の返事が自信満々なんだけど。なにか裏付けがあるんだろうか。
「ふっう〜ん。じゃ、森宮が『ああん、いい、いく〜、もっと〜』とか言ったりしちゃうわけ?」
森宮に限ってそんなことあるはずないし。
もちろん単なる冗談だったんだけど。
両サイドから冷たい目で睨まれてしまった。
……まったく、二人ともマジメなんだから。
そんなことじゃ人生楽しめないよ?
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