『もう1回だけ』の後、俺は夜までソファに突っ伏した。
しばらく死んでから何とか起き上がったものの、一人でシャワーを浴びることさえできずにまたしても樋渡とバスルーム。
グッタリしたまま樋渡のベッドに寝かしつけられて、そこで夕飯を食うことになった。
トレーにセットした夕飯をえらく楽しそうに運んでくる樋渡が、またムカつくんだけど。
「はい、麻貴ちゃん、『あ〜ん』して」
「バカ、動かないのは身体だけだ。メシくらい自分で食える」
「そんなことわかってるけどな、やってみたいだろ?」
んなもん、絶対やりたくねーよ。
「麻貴ちゃん、いい子だから、口開けてみなって」
「嫌だ。自分で食う」
これ以上、疲れるようなことはやめてくれ。
「じゃ、あげない」
とか言って、俺のトレーを取り上げた。
ほんっとに大人げない。
「おまえ、ヤルだけヤッといてそれって卑怯だよな」
本当は怒鳴りたいんだけど。
大声出しても背骨に響くほどで、文句を言うにもパワーは半減。
「いい子にして可愛く口を開ければいいだけだろ?」
『いい子』とか『可愛く』なんて言われたら、余計に嫌だろ?
「ぜーったい、嫌だ」
「そんな恥ずかしがることないのに。ホント、可愛いよな」
なんでもかんでも『可愛い』って言うなっ!!
……叫びたいけど、腰が痛い。
「樋渡だって人に食わせてもらうの嫌だろ??」
「いいや、ぜんぜん。麻貴になら食わせてもらいたいけどな」
根本的に俺と樋渡の感覚はズレてる。それも端っこさえ重ならないくらいの大きなズレだ。
「あ〜、もう……」
俺が独りで文句を言ってる間に樋渡も自分の分をベッドまで持って来た。
しかも、狭苦しいベッドに一緒に入って、並んでメシを食う気らしい。
「バカ、樋渡、邪魔」
「せっかく一緒に食おうと思ったのに、冷たいな」
そりゃあ、作ってもらったんだから、あんまり文句ばっかりなのもどうかとは思うけど。
「なら、反対側に来いよ。腕がぶつかって食いにくいだろ??」
左利きの俺の左隣りに右利きの樋渡は、本当に邪魔だ。
「ああ、そうか。なんか馴染まないと思ったんだよな。麻貴、いつも俺の左にいるもんな」
そう言った後で樋渡の顔が緩んだ。
また、自分に都合のいい解釈をしたに違いない。
だから、すかさず釘を刺す。
「言っておくけど、俺、誰と一緒にいても左側に立つぞ」
樋渡だけに気を使ってるわけじゃない。
そりゃあ、他のヤツと腕が当たるほど近くにいることは滅多にないけど。
「……あ、そ」
ガッカリする樋渡が、なんだか妙に可笑しくて。
遠慮なく笑ったら、頬を噛まれた。
「舐めるならまだしも、噛むのはやめろよな」
夢に出てきそうでコワイだろ?
樋渡に食われる夢なんて絶対見たくない。
「じゃあ、舐めるだけな?」
そう言ってにっこり。
ちょこっとなら、まだ可愛げもあるけど。
樋渡、思いっきりペロペロ舐めるんだよな。
「……やっぱ、それもヤメろ。さっさとメシ食えよ」
テレビもない部屋のベッドに男二人で肩が触れる距離に座って一緒に夕飯を食う姿。
客観的には絶対見たくないなと思いながら。
「うまい?」
「……うん」
たまに俺にちょっかいを出しながら何度もそんなことを聞く樋渡が、少しだけ可愛く見えた。
「片付け、俺がやるからな」
俺にしては殊勝な申し出だと思うんだけど、樋渡はあっさり断わってきた。
「麻貴はいいから」
「けどさ、」
「俺の相手だけして」
それを聞いて、何がなんでも手伝おうと思ったんだけど。
メシを食い終わった段階でもまだ腰が痛くて、とても前屈みで洗い物なんてできる状態じゃなかった。
もちろん、樋渡の相手なんてそれ以上にできなかったんだけど。
「でも、一緒に寝てくれるよな?」
一応、それは断わらなかった。
「……別にいいけど」
仕方なくそう答えたのに、樋渡は本当に嬉しそうに俺の世話を焼き続けた。
「麻貴、湿布貼ってやるよ」
樋渡が湿布を手に部屋に入って来た頃には、俺も一人で動ける程度には回復してた。
湿布なんてケガ人みたいで大袈裟だと思ったけど、明日は会社だ。たかが腰痛と思わずにさっさと治すに限る。
そう思って、言われた通りにうつ伏せになった。
樋渡の手がパジャマをめくり上げて、大きな湿布を腰に貼る。
それを剥がれないように上から抑えつけて、さらにテープで止めた。
「そこまでしなくても剥がれないだろ?」
俺は何気なく聞いたんだけど。
「麻貴ちゃんが抵抗しなかったらな」
そんな返事が来て。
次の瞬間には押さえ込まれていた。
「樋渡、俺を殺す気か??」
「大丈夫だ。挿れないから」
そういう問題じゃない。
「麻貴は寝てていいぞ。軽いマッサージだと思って」
そう思える行為なら抵抗なんてしないけどな。
何を言い返そうか考えたけど、途中でどうでも良くなって返事もせずにフテ寝した。
その後、朝までぐっすり眠れたかと言うと、もちろんそんなことがあるはずはない。
……以下、省略。
そんなこんなで。
最悪の状態で出勤日の朝を迎えてしまった。
なんとか起き上がれたけど、それ以上はどうにもならなくて。
仕方なく進藤に電話した。
「……悪いけど、あと頼む」
新年一日目の出社日。
電話する声もかすれてた。
初日は社長の挨拶と年始の挨拶回りだけで、確かに絶好の有給休暇消化日だ。仕事にも支障はない。
……だからと言って、突然休むのは俺だってどうかと思うよ。
『本当に具合悪いのか?』
進藤の声は怒ってなかったが、笑ってもいなかった。
冗談なのか、見透かされてるのか、微妙なところだ。
「とりあえず体調は最悪だけど」
こんな理由で会社を休むのももう何回目だろう。
『とか言って〜、樋渡とイチャイチャしてたら怒るからね?』
ちらっと横を見ると、樋渡は一人で勝手にイチャイチャしてた。
絶対、俺が悪いわけじゃないと思うんだけど。
そんなこと言っても仕方ない。
樋渡までちゃっかり休んでるし、どう考えてもバレバレだもんな。
溜め息と共に電話を切って。
「俺、いつか身体を壊して働けなくなるかもしれねーよ。そしたら、おまえのせいだからな」
情けなくなって、つい、愚痴ってしまった。
もちろん、もうちょっと俺の身体に気を遣えって意味なんだけど。
「麻貴はそんな心配しなくていいって」
樋渡は俺の非難をサラッと流した。
「他人事だと思って簡単に言うなよな」
現に身体のあちこちが痛む。
上半身を起こすだけで身体に亀裂が入りそうだ。
なのに樋渡はにこやかに俺の耳を舐めて鼻の頭にカプッと噛みついた。
「他は何も心配しなくていいから、俺のことだけ考えてろよ」
二言目にはコレだもんな。
仕事は出来るくせに、脳がヤラれてる。
「樋渡、おまえ、一歩間違えば変質者だぞ?」
「一歩も間違ってないんだから、別にいいんじゃないか?」
少なくとも会社をいサボってゴロゴロしてる今の状況は充分まちがってると思うのは俺だけらしい。
「ここまでプライベート優先のヤツなんていないぞ?」
「俺が優先してるのはプライベートじゃなくて麻貴ちゃんなんだけど」
俺の気持ちはぜんぜん優先されてないんだけど。
「なあ、樋渡ってさ、ホントに俺のこと好きなのか?」
普通、好きなヤツにここまでしないよな?
……って思ったのも俺だけで。
「愛情が足りないってことか?」
いつものニッカリ笑いが樋渡の口元に浮かんだ。
「ぜんぜん足りなくねーよ。むしろ余計」
っていうか、履き違えてる。
俺が怒ってんのに、笑って誤魔化すし。
「だから、そうやってペタペタ触るなって」
すぐに俺のパジャマの下に手を入れるし。
「麻貴」
「なんだよ、うるせーな」
会話をする気が失せた瞬間。
「愛してる」
また、これだ。
「頼むから、それ以上口利くな」
樋渡が妙な気を起こさないように、俺も口数を減らすことにした。
「そんなに照れなくてもいいだろ? ホント、可愛いよな」
樋渡と同居するようになって何ヶ月も経つけど、いまだにコイツの思考回路だけは理解できない。
「今年はもっと大きなベッド買うか?
いろんな体位でヤレそうだろ?」
樋渡のはしゃいだ声を聞いたら、急に頭痛がして。
「俺、寝るから。起こすなよ」
樋渡の手が侵入して来ないようにしっかりと毛布にくるまった。
「麻貴、俺もその中に入れてくれよ。ナンにもできなくてもいいから」
樋渡のおねだりなんて、ぜったい無視だ。
「麻貴〜。二人で密着して寝よう、な?」
無視、無視。
「ま〜きちゃん?」
それでも返事をしなかったら、樋渡は諦めて毛布の上から俺を抱き締めた。
「そのままでもいいから、こっち向いて寝てくれよ。可愛い顔が見えないだろ?」
「見られたくねーんだよ」
つい、うっかり、答えてしまった。俺って意志薄弱。
樋渡が嬉しそうに笑いながら頬ずりをして、毛布に手をかけた。
「じゃあ、見ないから」
ぐるぐる巻き状態では身動きなんて取れない。
「おやすみ、俺の可愛い麻貴ちゃん」
おかげで無理やり樋渡の方に向けられて。
本当に顔も見えないくらいムギュッと抱き締められて眠るハメになった。
ベッドの中は温かくていい匂いがしたけど。
会社をサボった罪悪感といまだに耳を舐め続けている樋渡のせいで、その後の夢は最悪だった。
どうやら今年もロクなことはないらしい。
そんなことを考えながら眠る俺の耳元に、「愛してる」が何十回も聞こえてきた。
end
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