Only to You
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B型番外 Side:Hiwatari



ちらちらと窓に降る桜を気だるい表情で見つめていた。
こんな顔で、いったい何を考えているんだろう。
そう思った時には声をかけていた。
「隣り、空いてる?」
窓際の席に座っていた麻貴は、俺の顔も見ずに自分の横に放り出していた書類を片付けた。
「東京採用? 名前、聞いていいか?」
ちゃんと自己紹介をしてからそう尋ねたが、麻貴は思い切り欠伸をしながら『森宮』と書かれた胸ポケットのネームプレートを指差しただけだった。
「寝不足? 実質今日が入社式っていう日にいい根性してるな」
デリケートな奴なら、ドキドキして眠れなかったということもあるだろうが、少なくとも目の前で欠伸をしている男にそんな繊細な神経はなさそうだった。
「わりい。ちょっとゼミのヤツらにマージャン付き合わされて」
また、あくび。
けど、大口を開けても綺麗な顔だった。
「ふうん。……森宮、下の名前は?」
何気なく聞いた。
男のファーストネームなんて聞く自分に疑問を持ったけれど。
落ち着き払って隣に座っていた王子様は気にする様子もなく、相変わらずの涼しい顔で口を開いた。
「マキ」
「……マキ?」
女の子じゃないんだから、と思ったが。
キラキラの王子様は無言で胸ポケットに刺さっていたペンを取り出すと、資料の余白に『麻貴』と書いた。

―――左手で。

何がどうというわけではなかったが、どこかに違和感のあるその動きに、また気持ちが吸い寄せられた。
「左利きなのか」
鏡の中でも見てるような不思議な感じだった。
「そう」
その時、涼しげな瞳がやっと俺の顔を見て。
「よろしく、樋渡」
そう言って、少しだけ笑った。

サラリとした前髪が陽射しに透ける。
その向こうに桜の降る窓。
「――……ああ、よろしくな」

ヤバいと思う間もなく、始まっていた。








懐かしい夢。
もうすぐ薄明るくなるという時間、不意に目が覚めた。
「おはよう、麻貴」
いつの間にか俺の腕を抜け出して、毛布に鼻先を当てて眠っている。
5年経っても麻貴は少しも変わらない。
その寝顔は昨夜よりもずいぶんと疲れが薄くなったように見えた。
「けど、まだ5時過ぎだもんな」
さすがに起こすのは可哀想だ。
……たとえ、俺の下半身に問題が発生していようとも。
もう一度、抜いてこようかと思ったが、寝返りを打って俺の手元に戻ってきた麻貴が愛しくて離れることができなかった。
「麻貴、」
なんとなく呼んでみたが、もちろん返事はない。
「よく寝てるな」
少しだけ頬をつついてみたが、起きる気配はない。
さらに強くつついてみたが、やっぱりすやすやと眠っている。
そのうちに、ただ見つめていることができなくなって、本格的にちょっかいを出し始める。
俺の悪い癖。そんなことは自分でも分かっているんだが。
髪に口付け、額に口付け、瞼に口付ける。
柔らかいようで芯のあるサラリとした髪が俺の鼻先を擽り、シャンプーの甘い香りと麻貴の肌の匂いに煽られる。
「ちょっとだけ我慢しろよ」
ぐったりとしている体を抱き寄せて、無理やり腕枕をした。
それでもピクリともせずに眠っているのが麻貴のいいところだ。
「……あまりにも無神経だけどな」


週明けはそんなこともないが、金曜ともなると麻貴の熟睡振りは半端じゃない。ひどい時は、体中にキスマークをつけられてもまったく気付かないのだ。
だからこそ心配なのに。
『んなことするヤツ、おまえしかいねーんだよ』
麻貴はいつでも面倒くさそうに吐き捨てて終わりだ。
こんな風に眠っているのを見たらヤリたいと思う奴だっているだろう。俺の被害妄想なんかじゃなく、絶対にだ。
もちろん、そんなことをする奴がいたら殴るくらいじゃ済まさないが。
『麻貴、気をつけろよ。冗談じゃなくて』
それでも麻貴はまともに聞いてはくれない。
『一番危ないのはおまえだと思うけどな』
そんな言葉で片付けてしまう。
確かに麻貴との関係は無理矢理始まったし、今でもOKをもらえないまま突っ走ってしまうことがあるから、そう思われても仕方ないのだが。
それにしても。
「……危険だと思ってるなら、起きて欲しいもんだよな」
この警戒心の無さは何なのだろう。
本当に麻貴は不思議だ。
「まあ、そこが可愛いんだけどな」


厄介な恋愛だと思う。
けど。
俺がそれを態度に出したら、きっと側には居てくれないだろう…――


「……愛してる、麻貴」
今でも、こうして一緒にいることが信じられない時がある。
最悪の夜と空白の3年。
あまりにも夢中だったから、どうやってここまで辿り着いたのかは自分でも分からない。
けれど。
悩んでも、迷っても、今は俺の腕の中にいるのだから―――
少しだけキツく抱き締める。
「麻貴、」
名前を呼ぶとたまに答える。
大抵は「ん」というだけの短い返事。
なのに、可愛くて仕方ない。
中西にはよく「脳がやられている」なんて言われるが、自分でもかなりヤバイと思う時がある。
わかっていながら、どうすることもできない。
「麻貴」
答えが返ってくるまで何度でも口にする。
なのに、返事が返って来たら来たで、また呼んでしまう。
「麻貴」
何度目かに呼んだとき、「うるさい」と言われた。もちろん寝言だ。
初めの頃は焦ったが、麻貴が目覚めた時にこの会話を記憶していたことはない。
今日だって覚えてはいないだろう。
「……麻貴」
すぐ隣で名前を呼んでいるのが俺だって分かってるのかいないのか。
首筋に唇を当てて抱き締めると、わずかに身じろぎした。
「……ん……、んん……?」
腕の中から眠そうな目がぼんやりと見上げる。
「寝てろよ。まだ5時だ」
緩く唇を食んで、舌を舐め取る。
それを受け入れたまま、焦点の合っていない瞳が閉じていく。


―――抱き締められて、キスされて。
それでも、まだ安心した顔で眠れるんだな……


安堵と、ほんの少しのもどかしさ。
大切にしたいと思うのに、理性は勝手に崩れて行く。
「麻貴、ごめん」
そう呟いて唇を塞いだ時、起きるはずのないと思っていた麻貴の瞳が開いた。
「……樋渡……」
「なんだ?」
掠れた声が俺の名前を呼んで、まだ触れ合ったままの唇が問いかける。
「……さっき……俺のこと、呼ん……」
麻貴の手が俺の背中に回って、Tシャツを掴んだ。
けれど。
その途中で、また眠ってしまった。
俺の背中に回された手だけが、変に温かく感じた。


―――ああ、呼んだよ……


あまりに不意打ちで。
笑うしかなかった。
ため息をついて、腕から麻貴を解放すると、俺はベッドを出た。


自分の部屋で、一人熱を吐き出す。
本当はあのまま抱いてしまいたかったけれど。
「……いい加減、俺も成長しないとな」
自分に言い聞かせる言葉がまだ薄暗い部屋に響いた。



身体を落とすのは簡単だ。
麻貴が気持ちいいと思うところに刺激をやればいい。
どこに触れればいいのか、どうすれば感じるのか、もう全部分かっている。
セックスが上手いのは悪いことじゃない。
でも、本当に欲しいのは身体じゃない。
麻貴が誰かに向けるはずの愛情の全部を、俺一人のものにしたかった。
家族に向ける気持ちも、友達を思う気持ちも、恋人を抱きたいと思う気持ちも、全部。
ただの同期なんかじゃなくて、恋人で、家族で、友人でありたかった。
だから、どうしても一緒に暮らしたかった。


麻貴の側で。
麻貴の一番になりたかった。


仕事で詰まったら相談に来てくれるように。
滅入ったら真っ直ぐに俺のところに甘えに来てくれるように。
腹が減ったら、退屈だったら、寒かったら、忙しかったら……
なんでもいい。
どんな時でも。
俺のことを思い出してくれるなら。


「……俺も、もう少し寝ておくかな」
叶う時が来るのかは、分からないけれど。
今は、まだ。
一緒にいられるなら、それだけでいい。



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