愛しの麻貴ちゃん


B型番外
(ちなみに進藤くん視点)


<王子様>

森宮はまだ子猫だから、あまり上手くしゃべれない。
おかげで、たまに口を開いても「ちっ」とか「けっ」とかいう言葉だったりする。
思うことはたくさんあるみたいだけど、思った通りに言葉にできないのがもどかしいからなのか、本当にぜんぜんしゃべらなかった。
でも、普通の猫と違ってちゃんと意思表示ができる。
そういう意味では飼いやすいのかもしれないと思うけど……。


「こんにちは、樋渡。森宮もう慣れた?」
お土産を持って遊びに行っても、樋渡は俺の存在は全く無視して森宮と戯れていた。
「麻貴ちゃん、『にゃあ』は?」
樋渡はとても楽しそうに『お返事』を仕込もうとしていたけど、森宮は一度も返事をしていなかった。
それどころか、普通の仔猫にはありえないくらいロコツに迷惑そうな顔をしていた。
「麻貴ちゃん、ご機嫌ナナメかな?」
森宮だってきっと樋渡に何を言われているのか分かっている。
現に樋渡が教えたその他のことはすぐに覚えた。
テレビでもエアコンでも、ちゃんとリモコンの前に座って間違うことなく自分で欲しい機能のボタンを押せる。
何よりも賢いと思うのは、鳴かなくても全てを済ませる術を知っていることだ。
たとえば、おなかが空いたときは、まず樋渡の顔を見る。
樋渡は一日中森宮を見ているから、必ず目が合う。
それを確認した森宮は次に冷蔵庫を見る。
すると、
「麻貴ちゃん、お腹空いたのか? 待ってろよ、すぐに用意してやるからな」
そう言って樋渡がご飯を持ってくる。

……というシステムが森宮を迎えた二日目にしてすでに出来上がっていた。

おいしいご飯は黙ってても運ばれてきて当たり前。
眠くなったらところかまわず寝る。
そしたら自動的にふわふわのタオルが用意される。
樋渡に構われるのが面倒になったら、人間の手の届かないところへ隠れる。
そんな態度を取られても「麻貴ちゃんが寒くないように」とエアコンの温度が上げられる。
もう本当にネコ可愛がりされて王子様な生活を送っていた。
「わがまま放題だね、森宮」
しつけは最初が肝心だよ、と樋渡には言ったけど。
「いいんだよ。麻貴ちゃんは俺といる時が一番幸せなんだから。な?」
どうやら樋渡は甘やかすだけ甘やかして、自分のことを好きになってもらおうという作戦に出たらしい。
とても大人げなくて姑息な手段だ。

そして今日もそれは続けられていた。
「お待たせ、麻貴ちゃん。今日は麻貴ちゃんの大好きなササミだからな」
森宮はちっちゃいくせに良く食べる。
その日も運ばれてきたご飯を脇目も振らずに食べていた。
それは、樋渡がデパ地下で購入した新鮮な地鶏のササミで、なおかつ絶妙な茹で加減に仕上げたもの。そのうえ森宮の口にも入るように小さく切って、ふうふうして冷まして適温にした状態だった。
ササミの他にも何品かあって、どれも少量ずつ可愛い絵柄の皿に乗せられていた。森宮が飽きないようにとの配慮らしい。
「はい、麻貴ちゃん、あ〜んして」
小さく裂いたササミを森宮の小さな口の前に持っていったけど。
森宮はそれをまったく無視して、皿の中のご飯にだけ集中していた。
そして、そんなに愛情と手間隙をかけてやったというのに、用意されたものは何のありがたみもなくあっという間に消えてなくなった。
樋渡はゆるゆるにとけた顔でその様子をず〜っと見ていたが、森宮が食べ終わるとすぐに声をかけた。
「麻貴ちゃん、おいしかったでちゅか〜?」
ゆるゆるのまま背中を撫でる樋渡に対して、森宮は「にゃあ」でもなければ、「うん」でもなく、ただ、面倒くさそうな顔で再び冷蔵庫に視線を投げた。
……どうやらご飯が足りなかったらしい。
「そっか、そんなに美味かったか? いっぱい食べて大きくなれよ」
そして、下僕の樋渡は愛しの麻貴ちゃんのためにまた冷蔵庫へと走っていくのだった。

樋渡がキッチンでやけに高そうなネコ缶を開けている間に聞いてみた。
「森宮、今もらったご飯の中で何が一番おいしかった?」
森宮のことだから返事はしないだろうけど、ちらりと美味しかった料理の皿を見たりはするかもしれない。
俺から見てもおいしそうなものばかりだから、森宮も一つに決められなくてお皿の前で迷ったりするかもしれないな、なんて思っていたら。
森宮からはすぐに、しかも言葉で答えが返って来た。
「まよねーず」
それは間違いなくササミの横にほんのちょっぴり添えられていたクリーム色のあれだ。
「……そっか」
その後しばらく俺は悩んでしまった。
森宮がしゃべったことを報告すれば、「さすがは俺の可愛い麻貴ちゃん。おりこうでちゅね〜」と言って樋渡は喜ぶだろう。
でも、なんて言ったんだと聞かれて「マヨネーズ」はどうだろう。
それも、「今食べた中で一番おいしかったもの」が、樋渡が一生懸命用意した茹でササミでもなければその他の料理でもなく、ただチューブから出しただけのマヨネーズ……

ほどよく1分ほど迷ったが、さすがに親友を奈落の底に落とすことも出来ず、今の会話全部をなかったことにして自分の中にしまいこんだ。

その後も森宮は樋渡がわざわざ適温に温めてきたネコ缶を散々食べ散らかした後でコロンと寝てしまった。
「麻貴ちゃん、美味しかったかな?」
樋渡が聞いたところで、「ごちそうさま」も「おいしかった」もない。
「にゃあ」の一言さえも、だ。
「マヨネーズ」が言えるなら、「にゃあ」は簡単に言えるだろうに……

俺が悩みまくる隣では何も知らない樋渡がゆるく溶けていた。
「麻貴ちゃん、お腹パンパンだな〜」
森宮のふわふわのお腹を眺めながら、デレデレになっている樋渡にこの事実を伝える勇気は俺にはないんだけど。
いつか森宮がそんなふうに思ってることも全部分かってしまう日が来るんだろうと思うとあまりに不憫だった。
出来ることなら、少しでも長く、森宮の性格を誤解したままで甘く楽しい生活をさせてやりたかったんだけど……


でも、その瞬間はあっという間にやってきた。


「麻貴ちゃんがダルそうだから、何か美味いものを作ってやろうかな」
ほのぼのとした午後。
そう言って張り切る樋渡が、買い物に行く間だけ森宮の面倒を見て欲しいと頼まれて「いいよ」と返事をした。
食後の森宮は極上ふわふわタオルに包まってお昼寝の真っ最中。
手がかかることなんて何もない。
ダルそうなのは何も今だけのことじゃなく、会ったその日からずっとなんだから心配することもない。

だが、事件は樋渡が買い物に出かける前に起こった。
「麻貴ちゃん、美味いものたくさん買ってきてやるからな」
半眠り状態の森宮を強引に抱き上げて頬ずりをして、さらに無理矢理「ちゅ〜」をして。
思いっきり嫌そうな顔をされたその後。
「麻貴ちゃんの欲しいもの何でも買ってきてやるから、なにかあったら遠慮せずに言えよ?」
デレデレのままお腹をふかふかしている樋渡に、森宮は思い切り眉を寄せたまま、「けっ」や「ちっ」よりもかなり長い言葉をしゃべった。

「あたらしい飼いぬし」

森宮はまだ子猫だから。
もしかしたら自分が言った言葉の意味が分かっていないのかもしれないけど。


その後。
樋渡は抜け殻になり、森宮はおやつを食べ損なった。



「そんな顔してるけど、今のは森宮が悪いんだよ?」
そうでなくても常にダルそうでご機嫌ナナメな森宮だけど、本日の午後はさらにムッとしたまま過ごすハメになった。
「樋渡だって一生懸命なのに、それじゃあまりにも可哀想だよ。ね?」
そんなことを言っても森宮が「うん」なんて言うはずはないんだけど。
おやつをもらえなかったことと自分が言った言葉の因果関係については少しだけ考えたみたいだった。

口は災いの元。
良いことわざだから、あとで森宮にも教えてあげようと思った。



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