<飼い主の呼び方>
「俺に万一のことがあったら、麻貴ちゃんのこと頼むからな」
樋渡はそう言って俺に部屋の合鍵を渡した。
まあ、森宮は手もかからないし、静かだし、本当に万一のことがあったら、引き取ってもいいかなって思っているけど。
「んー、麻貴ちゃん、今日も世界で一番可愛いでちゅねー」
……こんな樋渡が森宮を残して死ぬとはとても思えない。
そして、またしても週末。
『動けないからすぐ来てくれ』
樋渡から逼迫した電話がかかってきた。
ケガでもしたんじゃないかと思って、合い鍵を握り締めて樋渡の家に行ったけど、いきなり「静かに入って来い」と怒られた。
「大丈夫なの、樋渡?」
聞きながら部屋を眺めてみたけど。
ソファに座っている樋渡の膝の上には森宮がくるくるに丸まって眠っていた。
「進藤、その引き出しからタオル取って。一番柔らかいヤツな。それからエアコンのリモコン。あとは―――」
この状況は紛れもなく。
「……森宮が寝てるから動けなかったんだね」
俺が思うに、爆睡モードの森宮は膝の上から転げ落ちてもすやすや寝てるはずなんだけど。
「せっかくマヨネーズでおびき寄せたんだから。……あ、マヨネーズ、冷蔵庫にしまってくれ」
自分からは膝に乗ってくれない森宮を食べ物で釣るなんて、激しく卑怯だ。
そういうところが森宮に嫌われる原因じゃないかと思うんだけど。
「んー、麻貴ちゃん。なんでこんなに可愛いんだろうな」
樋渡は自分が森宮にあんまり好かれていないなんて夢にも思っていないみたいだった。
それから、しばらく。
目覚めた森宮が一番最初にしたのは、樋渡に向かって「ごはん」と言うことと、俺に向かって「たおる」と言うことだった。
俺の手の届くところにあったから、お気に入りのタオルはすぐに取ってあげたけど。
「まだお腹パンパンしてるみたいだけど……また食べるの、森宮?」
そしたら森宮は面倒くさそうに首を振った。
じゃあ、なんで「ごはん」なんて言うんだろうって思ったけど。
「結構ちゃんとしゃべれるようになったから、言ってみただけだと思うけどな」
樋渡は別にどうってことないって顔でそんなことを言った。
毎日見ている樋渡がそう言うんだから、きっとそうなんだろうけど。
でも、森宮は樋渡の家に来た直後から、簡単な単語ならちゃんと話せた。
それに、「てれび」も「まよねーず」もズバリそのものを言うのに、なぜか樋渡の名前を「ごはん」、俺の名前を「たおる」って思い込んでいるのも不思議だった。
「でも、森宮はまだちっちゃいからね」
ちょっと間違えて覚えてしまうことだってあるよねと思いながら、「樋渡」と「ご飯」のどこが似ているだろうと考えてみた。
「うーん……」
文字数も違うし、語感も似てない。
「進藤」と「たおる」も同じことだ。
「森宮、俺はね、『進藤』。それで、森宮の飼い主が『樋渡』。わかった?」
教えてみても。
樋渡の顔を見て「ごはん」、俺の顔を見て「たおる」と言い直されてしまった。
「……まあ、いいけどね」
『ごはん』も『たおる』も森宮の好きなものだから、きっと俺と樋渡にお気に入りの名前をつけてくれたんだろう。
そう思って、それでいいことにした。
でも。
夕飯の時に謎が解けた。
王子様の森宮はふかふかソファの上にちょこんと座って、また樋渡に「ごはん」、俺に「たおる」と言った。
樋渡は「待ってろよ、すぐに持ってきてやるからな」と何の疑問も持たずにキッチンへ行ってしまったけど。
「森宮、それってさ」
樋渡は「ごはん」の係。
俺は「たおる」の係。
「……そういうことだよね?」
それに対して森宮は何も答えなかったけど。
その後、キッチンから戻った樋渡に「まよねーず」。
呆然としている俺に「てれび」。
ソファの上から指示をした。
王子様の召使い2名。
キッチン担当とリビング担当。
ついに役割分担まで決められてしまったらしい。
「森宮、あのね、俺は樋渡の友達で、森宮の飼い主じゃないんだよ?」
そんなことを言ってみても。
こんな時だけまるっきり子猫みたいに『むずかしいの、わかんない』って顔であくびをした挙句、
「りもこん」
当たり前のように次の指示を出した。
「樋渡、あのさ」
樋渡が甘やかすからこんなことになるんだよって言おうとしたけど。
「ん、麻貴ちゃん、チャンネル変えてあげるよ。その前にちゃんとお口拭いて。これ食べて。ほら、あーん」
……言っても無駄みたいだから、やめておいた。
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