<下僕その3>
森宮が来てからというもの、休みのたびに樋渡から電話がかかってくる。
たいていは樋渡が買い物に行っている間の森宮の世話とか、その程度の用事なんだけど、今日は違った。
その時、俺はちょうど中西と一緒に遊んでたんだけど。
『麻貴ちゃんが見つからない』
やけに慌てている樋渡の声が携帯から漏れると中西は目を輝かせた。
どうやら、楽しい匂いをかぎつけてしまったらしい。
そして、
「よし、今からそっちにいって一緒に探してやるぞ〜」
ダッシュで樋渡んちに向かうことになってしまった。
「で、麻貴ちゃんって誰?」
そう聞くのも無理はない。
よく考えたらまだ中西には話してなかったんだ。
「樋渡がバーゲンで買った子猫」
「ネコ? 『にゃあ』って鳴くネコ?」
「そう」
俺は一度も森宮が「にゃあ」って鳴いてるのを聞いたことがないけど。
でも、ネコだってことは間違いない。
血統書だってちゃんとあるはず。
……それも見たことないけど。
「こんにっちは〜」
中西がうきうきと部屋に入っていくと、そこは『愛しの麻貴ちゃんの大捜索』のせいであちこちに物が散乱したものすごい状態になっていた。
これだとその辺に森宮がぽっとり落ちていても気がつかないんじゃないかと思ったけど、まあ、樋渡に限ってそんなことはないだろう。
「で、どんなネコなわけ?」
探してやるよ〜と弾んだ声で辺りを見回す中西に、森宮ばかりで埋め尽くされたアルバムを見せた。
部屋がどんなにひどい状態でも、森宮の写真だけは大事に机の上に載せられているのがすごいと思うけど。 「ほら、これが森宮」
本当は実物を見せてやりたいところだけど、いないものは仕方ない。
「へえ、本当に『にゃあ』って鳴くネコなんだな」
何十枚、あるいは何百枚もある森宮の写真を見ながら中西がぷぷぷと笑った。
「バーゲンで買ったんだっけ? ネコって安売りしたりするのか?」
それって可愛くないからなんだろ、という耳打ちに俺もちょっと複雑な気持ちになった。
「う〜ん、なんていうか……でも、他の兄弟もみんなバーゲンだったけど」
他の子猫は子猫らしくジャレたり遊んだりする普通の猫だったから、可愛くないせいで安売りされたわけじゃないだろう。
それに、見た目だけを言うなら、確かに森宮が一番かわいかった。
メンクイの樋渡の目に留まるくらいだから、それは間違いない。
「でも、絶対そうだって。その後きっと他の猫たちは普通の値段に戻ってたと思うぞ〜」
中西がまたしてもぷぷぷと笑う。
確かに猫の可愛さは見た目だけじゃないと思うけど。
「でも、ほら、こうやって寝ているところ、可愛いよね? それにおとなしいのはいいことだし。夜中に走り回って起こされても困るし」
俺と中西がそんな会話をしている間も、樋渡は脇目も振らずに部屋のあちこちを探し回っていた。
「まあ、いなくなってたら、本当に可愛かったかどうかなんて、もうわかんないけどな〜」
その言葉を恨めしそうに聞いていた樋渡は、いっそう慌てて部屋のあちこちを探し始めた。
でも、ネコが隠れているような気配なんてどこにもなくて。
……まあ、森宮はほとんど動くことがないから、たとえそこにいたとしてもぬいぐるみと同じで気配なんかしないんだけど。
「いつからいないの?」
森宮はああ見えて自分のことだけはちゃんと考えているから、そんなに心配する必要はないと思ってたけど。
でも、このまま見つからなかったら、樋渡が泣きながら警察に届けそうな勢いだったので、できるだけの協力はしてあげることにした。
「朝食の後」
「それって何時ごろ?」
「10時24分。皿を片付けて戻ってきたら、いなくなってた」
「……森宮ってそんなに素早く動けるんだ……」
時計を見たら、3時過ぎ。そろそろお腹が空く頃だろう。
「樋渡、森宮の好きなおやつ買い溜めしてあるよね?」
「ああ」
というか、樋渡のキッチンは森宮の好きなものしか置いてないんだけど。
「おやつの時間だよって言えば出てくるんじゃないかな?」
なんと言っても子猫なんだから、おやつはきっと嬉しいだろう。
そうじゃなくても森宮は人一倍食い意地が張っている。
そう思って、森宮の好きそうなおやつの袋をわざと音を立てて開けてみた。
「森宮、おやつ食べよう。ほら、ささみ味だよ。マヨネーズもつけちゃおうかな?」
部屋の様子を伺いながら、わざと辺りに匂いを振りまいたら、クロゼットの下にある引き出しがスッと開いて奥から森宮が顔を出した。
「麻貴ちゃん、そんなところにいたのか。心配したぞ」
樋渡が無理矢理抱き上げてスリスリする間も、森宮は俺が差し出したおやつを両手で受け取って食べ続けていた。
おやつ以外は全く無視する気らしい。
中西にいたってはここに存在していることさえ気付かれていないかもしれなかった。
「森宮、あのね、こっちは中西。樋渡と俺の友達だよ。覚えた?」
聞いてみても見向きもしない。
どうやら手土産を持参していない人間は存在を認識してもらえないようだ。
「……中西、今からスーパーに行って猫用のチーズのおやつを買ってきて」
そしたら、きっと森宮も客として迎えてくれるはず。
「なんで、ネコにそこまでするんだよ〜?」
中西は不満を述べていたけど、せっかく来たのにお目当てと遊ぶことなく帰るのも悔しいからと、おやつを買いに出かけていった。
そして、10分後。
チーズのおやつを貢いで、ようやく中西は森宮の視界の中に入れてもらえたようだった。
「それにしても森宮ってぜんぜん鳴かないんだなぁ。『みー』とか『にゃー』とか言ってみなって、ほら」
家ネコだから静かなのに越したことはないんだろうけど。
でも、森宮のはそういうんじゃない。
現に中西のその言葉に対して、小さな声で、でも思い切り、
「……ちっ」
そう言った。
それも大概「うーん……」という感じだったんだけど。
それにも増して、
「麻貴ちゃんはちゃんとしゃべるんだよ」
樋渡からは緩んだ返事があって。
「ちゃんとっていうかさぁ……」
中西もどう返事をしたらいいのかわからずこっちに助けを求める視線を投げたけど。
「……まあ、そんな感じなんだよ」
俺だって困るので適当に流しておいた。
その後、森宮は何事もなかったかのように、樋渡に「ごはん」、俺に「たおる」といつもの指示をして、自分はソファの真ん中で寝る体勢に入った。
「な、進藤、その『たおる』とか『ごはん』ってなんだよ?」
森宮にお気に入りのタオルを渡してから、中西の質問に答えてあげた。
「王子様が決めた俺と樋渡の係」
確認はしていないけど、多分そうだと思うと話したら、中西がまたぷぷぷと笑った。
それから、
「俺もなんか決めてもらおう〜」
そう言ってソファの横まで行ってみたけど、森宮の真ん前には樋渡がゆるゆるに溶けた顔で座っていて近寄ることはできなかった。
「樋渡、せっかく来たんだから、ちょっと森宮を貸せよ」
中西が何を言っても、もう樋渡には聞こえていないんだろう。
「麻貴ちゃん、おやすみの『ちゅ〜』しようか?」
もう眠そうな顔をしている森宮を撫で回し、またさらに溶けていく。
そして、今にも鼻先に口が触れるという時、突然森宮がむっくりと起き上がって中西を見た。
それから。
「ぱんち」
そう言い放った後で、視線を投げたのは樋渡の頭上。
「……森宮、それはいくらなんでも……」
樋渡が可哀想だよ、と言いかけたその時。
何の遠慮もなく『ごつっ』という鈍い音がして。
「俺、パンチの係になった〜」
中西が楽しそうに樋渡にグーパンチをしていた。
そんな経緯で。
森宮はついに自分の手を使わずに、樋渡に反撃する方法を会得したのだった。
おかげでその後すぐに俺と中西は追い出されるハメになってしまったのだけど。
「じゃ、麻貴ちゃん、またな〜」
楽しいことを見つけてしまった中西は「俺の麻貴ちゃんを名前で呼ぶな」と激怒する樋渡などほどよく無視して、上機嫌でマンションを後にした。
「あー、楽しかった。樋渡君って可哀想〜」
また、ぷぷぷと笑ったけど。
その後、急に真面目な顔になって。
「……俺、何があっても、しゃべるネコだけは飼うのやめよう」
ひそかにそう決心していた。
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