-なんの代わり映えもしない日々-



-2-

その後の日々はといえば、あまりの忙しさに時間の感覚が狂いそうになるほどで、もちろん東京に戻るヒマなどなかった。
樋渡は樋渡で、毎年このシーズン恒例の休日研修の準備に追われてこっちに来る時間も取れないまま、気がつくと二ヶ月が経過していた。

だからと言って何がどうというわけでもなく。
仕事はすこぶる順調で、以前から東京でフォローしていた取引先はひどく喜んでおり、開設準備も着々と進んでいた。
あまりにも雑事が多すぎて必要以上に忙しいことを除けば、急な来客もほとんどないような穏やかな日々。
なのに。
「本社からの電話、多いですよね」
「……だな」
もちろん大半は費用に関する申請とか準備委員長である課長からの指示を仰ぐといったまともな仕事だが、唯一、毎日毎日昼休みにかかさずかかってくる私用電話があった。
そう。
もちろん、どこかのバカだ。
「ああ、どうも、こんにちは。え、森宮さんですか? お元気ですよ。お昼は一緒にファミレスで……」
桑山と多田に『今日の麻貴ちゃん報告』と呼ばれている無駄な連絡。
俺の携帯だと取ってもらえないことを知っているから、わざわざ支店の番号にかけてくるんだろうけど。
「え、森宮さんならここにいますよ。かわりますか?」
よけいな気だけは回る後輩がいるせいで、俺はいまいち穏やかに暮らせない。
「さっさと切れ。絶対に出ねーからな」
思いっきり叫んだ声は受話器を通過して樋渡の耳にも届いたんだろう。
「あとでメールするそうです」
そんな伝言と「たまには出てあげればいいのに」という言葉と共に桑山がにっこり笑った。
「よくそれで続きますよねー」
多田はなんだか真面目な顔で溜め息をついてたけど。
「それは俺じゃなくて樋渡に言え」
なんでアイツがこの状態でやっていけるのか、それを一番疑問に思ってるのは間違いなく俺なのだ。
「あーあ。私も樋渡さんくらいマメなカレシ見つければよかったなぁ」
それを真顔で言う多田もどうかとは思うが。
今付き合ってる相手と遠距離がうまく行ってないんだから、まあ、仕方ないってことにしておいてやろう。
だが。
「……やめとけ。鬱陶しいぞ」
確かに樋渡はマメだから、便利な時もあるんだが。
だとしても、それはそれ、これはこれだ。
なのに。
「でもー、森宮さん」
多田の口調がなんだかうらめしそうで。
「なんだよ」
真昼間の会社で、飲んでもいないのにいきなり絡むな。
「遠距離恋愛ってぇ、不安じゃないですか?」
……それを俺に聞く時点ですでに何かが間違ってるだろ。
「んなこと知らねーよ」
ってか、俺らのは世間一般の「恋愛」に区分されていいのか?
そんなわけのわからない話は桑山に振ってしまえと思って「おまえ、彼女は?」と聞いてみたが。
「ちょうど上手く行かなくなってて、そのままです」
つまりは別れてきたってことか。
「そうなんですぅー。そーれーでー、森宮さんに聞いてるんですぅー」
だから、それを俺に聞くなってーのに。
仮に樋渡とのことを言ってるんだとしても、相手がアイツじゃ参考になるはずはない。
日常会話からしてズレまくってるようなヤツなのに。
「でもー、もう二ヶ月以上会ってないんですよねー?」
寂しくないですか、不安じゃないですか、自分のことを忘れてたらどうしようって思いませんか、と矢継ぎ早に聞かれて。
「……忘れてくれてもぜんぜん構わねーんだけど。っていうか、いっそのこと忘れてくれとか思うんだけど」
とても真面目にそう答えてみたものの。
「……けど、最近背中に悪寒が走るから、そろそろ来そうな気がするんだよな」
二ヶ月以上もの間、樋渡が一度もこっちに来なかったのが奇跡なんだ。
たとえ悪寒などなかったとしても来る頃に違いない。
そう言ったら、
「いいですね。信じてるんですねー」
そんな言葉と共にため息を返された。
「それ、なんか違うだろ。っていうか、俺が言いたいのは樋渡が変だってことなんだけど」
っつーか、あの性格はマジでおかしいだろ。
と言ってみたところで、多田からはため息しか返ってこない。
「そうですかぁ? カッコいいって聞きましたけどー」
それを桑山が援護した。
「そうですよ。大阪ではモテたんですよ」
それが事実だとしても既に過去の話だ。
おまえらは現在の樋渡について誤解している。
「今のヤツを見たら驚くと思うぞ」
多田も桑山も「そうですか」と言って首をかしげていたけど。
でも、まあ、なんというか。
「……よく考えたら、アイツが変なのは俺に対してだけかもな」
だから、俺がどんなに「樋渡は変だ」と力説してもなかなか信じてもらえないわけだが。
「ま、そのうちにここへも来るだろうから、現物を見て自分で判断しろよ」
一発で状況を理解するに違いない。
と思って安心していたら。
「森宮さんにだけなんですかー、いいですよねー。しかも、ここへ来るってわかっちゃうんですね。いいなぁ」
多田がまた絡む。
「それのどこがいいんだよ?」
「そんなに思われてみたいですぅー……」
シラフのくせに酔っ払い口調。そんな戯言を真に受ける必要はない。
そうは思うが。
「じゃ、俺と替わってくれ」
どれだけ鬱陶しいかを体感した後で、もう一度そのセリフが言えたら何でも好きなものを奢ってやろう。
……まあ、樋渡の真実をわかった上で「そんなに思われてみたい」などという軽率な言葉が吐けるヤツがこの世に存在するとは思えないが。
「あ! じゃあ、できるだけ早く樋渡さんに手伝いに来てもらってください。営推部をかるーく通過できる年度計画とか〜、予算表とか〜、あーとーはー」
確かに樋渡が手伝ってくれるなら、何度も営推部とくだらない推し問答をしなくて済みそうだが。
しかも、「手伝いに来てくれ」と言えば有給を取っても来そうだが。
我が身のことを考えたら、それは死んでも依頼しないほうがいいだろう。
なので。
「おまえら、樋渡から電話がかかってきても、それだけは絶対に頼むなよ」
桑山と多田にもしっかり予防線を張っておいた。



だが、そんな会話をしたその日。
「んじゃな。日曜は出社だから、体調整えておけよ」
「明日はちゃんと休んでいいんですかぁ?」
「来たかったら来てもいいけど」
「いやですぅー」
ダレた遣り取りをしながら時計を見たら、午前0時。
会社を出たのはその30分後の0時半。
「お疲れ」
「おつかれさまで〜す」
このまま倒れたら道路の真ん中でも寝られると思いながらも、なんとか家まで戻ってきたら。
「お帰り、麻貴。いつもこんなに遅いのか?」
……樋渡がいた。
いや、来そうな気はしてたんだが。
実際にいると脱力する。
口を開くのさえ面倒で、適当に流してスーツをかけるとシャワーを浴びにいった。
けど、樋渡の顔を見たとたんに疲れが倍増するかと思ったが、意外とそんなこともなくて。
「まあ、今日も案外普通だったしな」
二ヶ月も会わなかった割にテンションは高からず低からず。
なんていうか、普通の人間のようだった。
……もっとも、これで気を緩めると大変なことになるんだけど。



バスルームから出て、夕刊を読む気力もなくベッドに倒れこんだら、樋渡が顔を覗き込んだ。
「麻貴、驚かないんだな」
「何が?」
「俺が来たこと」
会話をするのがダルいんだって最初に言ってしまおうかと思ったが、よけいなことを考える気力もなくて、普通に返事をした。
「……来ると思ってたヤツが部屋にいても普通は驚かないだろ」
もう、どうでもいい会話をさせるなよと思いながら目を閉じたら、頭上に不穏な空気が漂った。
「……んだよ?」
相手をしないから拗ねたのかと思いながら薄目を開けたら、樋渡はニッカリ笑ってた。
何が嬉しいのか俺にはまったく分からないが、コイツとは意思の疎通がはかれないのが普通だからそのまま放置した。
だが、クルリと背を向けて寝始めたら、やっぱり一緒のベッドに入ってきた。
まあ、スペアの布団があるわけじゃないし、人が寝られる大きさのソファもないし。ここに無理矢理寝ることをOKするか、床に転げ落とすしかないんだけど。
「あんまりくっつくなよ」
今日のところは体力的にも不利で、樋渡と攻防戦を繰り広げる気力もない。妙に煽るようなことはせずにできるだけ壁にくっついて寝ることにした。
けど。
……樋渡が妙に温かい。
いや、どんなに変でも一応人間だから、体温はあって当たり前なんだが。
どんなに壁に寄って樋渡との間に距離を設けようとしても、背中にペッタリと貼り付いていて離れない。
寒いならまだしも、部屋は十分に快適な温度。
「気持ち悪ぃから指一本でも接触するんじゃねーよ」と言いたかったが辛うじて堪えた。そんな言葉はきっとロクな結果を招かない。
「……暑いから離れろって」
それだけ言って罵声は飲み込んだ俺の耳元に、樋渡が随分と弾んだ声で返事をしやがった。
「麻貴もあったかいよ。二人でいるって感じだな」
まったく、コイツは。
しばらく離れていた間にすっかり忘れていたが、確かにこういう性格だった。
遠回しとか遠慮なんてことを言っていたら、会話にならない。
そんなわけで。
「いいから離れろ。暑い。ウザい。鬱陶しい」
そこまで言えばいくらなんでも分かるだろうと思ったんだが。
「おやすみ、俺の可愛い麻貴ちゃん。愛してるよ」
すでに会話になってないことに気付いた。

仕方ない。
相手は樋渡なんだから。

そう自分に言い聞かせてから、まだ楽しそうに貼り付いている温かい物体を意図的に無視して眠りについた。
ついでに。
一緒に住んでた頃はこれが普通だったんだなと夢の中で思った。



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