-なんの代わり映えもしない日々-



-4-

「ったく、バカなことばっかり言ってんなよな」
家に戻ってから散々文句を言ったが、樋渡からはやっぱり「麻貴ちゃん、怒っても可愛いな」というふざけた返事のみ。
そうでなくてもムカついてるのに、何を言ってもムダになるのがまたさらにムカつく。
「けど、仕事は三人でやるよりずっと早く終わっただろ?」
確かに今日一日で全部片付くとは思ってなかった仕事がキレイに片付いたし、それには感謝してるけど。
「それにしても、もうちょっと普通にできねーのかよ?」
アホを全開にさえしなければ、樋渡もそれなりにいいヤツだと思うんだが。
「おまえ、昔はもうちょいまともだったよなぁ……」
いや、もしかしたら、それも俺の記憶違いかもしれない。
現に思い出そうとしても、まともだった頃の樋渡は浮かんでこなかった。
「……まあ、今さら昔のことなんてどーでもいいけどな」
とにかく現状はコレなんだし。
面倒くさかったのでそれ以上考えるのはやめることにした。
「……ったく、また疲れが出たじゃねーか」
俺がぶーたれている間も樋渡はいそいそ働いていて、狭苦しいキッチンで楽しそうにマグカップ一個を用意していた。
もちろんコーヒーを入れるためだが、また1つのカップから二人で飲むのかと思うとやはり鬱陶しい。
だが、だからといって箱から樋渡分を探し出すのも面倒だ。
なので。
「樋渡、カップもう一個出せよ」
今日こそは自分でやらせようとしたが、
「俺は麻貴ちゃんと二人で一つのカップがいいんだ」
堂々と拒否された。


結局、カップは一つのまま。
それでもコーヒーの良い香りが部屋に広がると少しホッとした。
「麻貴、俺がいなかったら何してるんだ?」
「別になんにも」
無駄な世間話。
樋渡がコーヒーを飲むたびに俺の手から取り上げられるマグカップ。
「たまには俺のこと思い出したりしてくれた?」
「……あー?」
バカか、と言いたいのはなんとか堪えたが。
当然、そんなことは考えたこともなく、考えたことがあったとしても覚えてないわけで。
でも。
ベッドに横になったまま樋渡の後姿を視界の隅に捉えながら部屋を見渡すと、一人の時は長期出張の時のホテルと変わらなく思えた場所が、なぜか長年住んでいる家のように思えた。
こんな鬱陶しい状況でも、俺の脳は「樋渡がいる場所=自分の家」と認識するようになってしまったのかもしれない。
「……すっげームカつく」
心底不本意なんだけど、なってしまったものは仕方ない。
「どうした、麻貴。腹減ったのか? なんか作るか?」
「……いらね」
そんな言葉にさえひどく嬉しそうな顔でキスを落として、「クッキー食うか?」と笑う樋渡を見ながら、なぜか少し癒される。
末期なのはどうやら俺も同じらしい。
「……樋渡」
だからっていうわけじゃないけど。
「なんだ?」
カップを見つめたまま。言わなければならないことを告げた。
「準備期間、少し延びると思うんだ」
そんなことを言いながら、ほんの少し不安に似たわけのわからない気持ちが過ぎっていく。
けど、俺がその正体をつかむより早く、樋渡はあっさりと言葉を返した。
「まあ、予定通りに終わるとは思ってないけどな」
思いがけず普通な返事にまた少し拍子抜けして。
ついでに気が緩んで。
次の瞬間には聞かなくていいことまで聞いてしまっていた。
「おまえ、あと何ヶ月なら―――」
どのくらいの間、こんな状況を続ける気でいるのだろうか。
ふとそんなことが気になって。
「……つっても、別に『待ってて欲しい』って意味じゃないからな」
アホが調子に乗らないようにとそんな付け足しをしてみたが。
樋渡はニヤけることもなく、まっすぐに俺の顔を見ていた。
それから。
「―――別に、何年でも」
そう答えた。

不安とか、焦りとか。
離れていたら離れている距離や時間の分だけ積もって行くはずのものなんだろうけど。
「……ふうん」
きっと俺らには関係ないんだなと、また俺の手からカップを取り上げた樋渡を見ながら、ぼんやりと思った。

――――まあ、いいか……

そんな曖昧な結論の後。
「じゃ、できるだけ早く帰れよ。お疲れ。気ぃつけて」
樋渡がいる間に部屋も片付いたし、栄養補給もしたし、しばらくはこの状態を維持できるだろうと思ったので、遠慮なく追い返すことにした。
「麻貴ちゃん、相変わらず冷たいよな。こんなにいい雰囲気になってるのに、普通そういうこと言うかよ?」
相変わらずの脳天気ぶり。
だいたい、どこが『いい雰囲気』なのか俺にはさっぱりわからず、思いっきり「はあ?」って感じなんだが。
「まあ、そういう冷たいところも可愛いんだけどな」
スイッチが入った樋渡を理解するのは不可能なので、やはり本日も放置。
だが。
「じゃあ、麻貴ちゃん」
「……んだよ」
「昨日はたくさん寝たし、体力も戻ったってことで」
そんなふざけた言葉を真顔で言うもんで。
自分がマグカップを持っていることを確認してから、遠慮なく床に蹴り落とした。
二度とベッドに上がってくんな、ボケ。
……と思ったが。
「バカ樋渡!!足の指なんか舐めんじゃねーっ!」
反対の足で胸部を遠慮なく蹴ってみたが、スイッチの入った樋渡はそんな行為さえ妙に幸せそうに受け止める。もはや阻止する手立てはなかった。
「おまえ、一回脳をスキャンしてもらってこい」
言い放った俺を無視して、樋渡は余裕の笑みで空になったマグカップを取り上げると床に置いた。
それから、
「脳がハート型になってるかもな」
笑いながら、おもむろに俺を押し倒した。
「ちょっと待て。誰が『いい』って言ったよ?」
「これから言ってもらう」
もう何ヶ月も一緒にいると言うのに、俺は未だに樋渡の暴走の止め方を知らないため、結局今回もこのまま流される気配。
「てめえ、いい加減に――――」
けれど、やっぱり腕力で樋渡に勝てるはずもなく。
押さえ込まれた挙句に、シャツをめくり上げられると、すぐに手が滑り込んできた。

自分の体より少し温かい手。
指先が通った後をなぞるようにやわらかく触れる唇。
少し甘いような樋渡の肌の匂い。
懐かしいような、苦しいような―――――

「麻貴、そういう顔するなって」
どんな顔のことを言ってるのか、俺にはわからなかったけど。
その後でやわらかく合わせられた唇が、少し笑っているのがわかった。
「しながら笑うな」
キスがどうとかじゃなくて。
コイツが楽しそうだと、やっぱり少しムカつく。
けど。
「じゃあ、真面目にやるよ」
「……わけわかんねー」
「麻貴、愛してる」
樋渡があまりにも何も変わらなくて。
「つまらねーこと言うな」
だから、離れていた時間なんてほんの少ししかなかったような気がしてたのに。
合わせた肌から流れ込む体温と一緒に、二ヶ月という空白の長さを実感した。

少し触れられただけだというのに身体が疼く。
「待て、樋渡……なんか、ヤバい」
そう呟いた時、俺の首筋に触れていた樋渡の唇が少しだけ離れて、
「別にいいんじゃないか。麻貴が欲しいって言うならいくらでもしてやるし」
そう言った後でまた、今度は本気で咽喉を吸われた。
「バカ、跡はつけるなって言ってるだろ??」
反射的に頭を引っ叩いたら、今度は腕を掴まれて。
「麻貴、いきなり殴るのはやめろ。そういうことをするなら手は縛る」
その言葉と同時に俺の両手はあっさりとその辺に置いてあったシャツの袖で縛られてしまった。
「なんで、手とか縛るよ??」
「麻貴が殴るから」
「っつーか、おまえが悪いんだろ。『待て』って言われたらきっちり待て。人の話はちゃんと聞け」
その言葉に樋渡はしばらく考えていたけど。
「……ま、そのへんはすっきり終わってから話し合おうな」
やっぱりさらっと流しやがった。



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