らいと・ぶらうん
- Light brown eyes -





超高級車の助手席で、俺はあっという間にすやすやと眠り始めた。
店の近くの駐車場で起こされるまで爆睡した。
「どうもありがとうございました」
運転席の右側に座ったまま、俺は一応深々と頭を下げた。
それから、少しくらいは感謝の意思表示をと思って颯を店に誘った。
「な、ちょっとだけ寄ってかない? 水割りくらいならおごるよ」
こんな早い時間に店に来る客は少ない。
店にいるホストも入りたてのヤツばっかりだから、気を遣うこともない。
「忙しいなら無理にとは言わないけど」
顔を覗き込むと目が合った。
「おまえ、歳はいくつだ?」
また、唐突な質問。
「……ハタチ」
よく考えたら去年からずっとハタチだな、俺。
「嘘を言うな。本当はいくつだ?」
「ハタチ」
「なんで嘘をつく?」
自信満々。なんで嘘だって分かるんだろう?
店のヤツらは今でも俺が本当に二十歳だと信じているのに。
「とにかく、ハタチ。何回聞かれてもハタチって答えるよ」
また、ため息をつかれた。話にならないと思ったんだろう。
けど、仕方ねーじゃん。
「うちの店、ハタチ以上じゃないと働けないんだ。知ってた?」
それだけ言うと俺は先に車を降りた。
颯はしばらく考えていたが、車を降りてドアをロックした。
俺の客なら腕でも組んで店に入る。でも、そうじゃない。
そこはハッキリさせておかないと後で大変なことになる。
何より男の嫉妬は見苦しい。それに、結構、怖い。
「座んなよ」
店にはオーナーも店長もマネージャーも、エライ奴は誰もいなかった。
いるのは当番の若い、といっても俺よりはちょっと年上の、ホスト二人だけ。
二人とも驚いていた。まさか俺が憧れの「颯さま」とご出勤とは思わなかったのだろう。
「偶然そこで会ったから、店に連れてきただけだよ」
一応、言い訳なんてしてみた。
嘘なんかつかなきゃならない理由は「颯さま」のファンがうるさいから。後は、オーナーが聞いたら不機嫌になるってことかな。
どっちにしてもくだらない理由。


俺よりも20歳年上のオーナーは、今のところ余裕かまして紳士のフリをしている。
手篭めにする気はないみたいだけど、それも時間の問題だ。
最近はチラチラと俺の様子を覗って「ここで働きたいなら」とか、「他のところで働くにしても保証人が必要だよ」とか、そういうことを言ってくる。
もちろん「ここまでしてやってるんだからヤらせろ」と言うことに他ならない。
俺は「なんのこと?」って顔で気付かないフリ。
こういう時だけ子供のフリは汚いかもしれないが、自己防衛なんだから仕方ない。
代わりに保証人になってくれる大人と、なんとか食っていかれる仕事先が見つかったら、こんな店すぐにでも辞めてやるのに。
……それがなかなか難しいんだよな。
俺だって普通のバイト先なら、一生懸命働く気あるんだけど。
世の中の厳しさが身に沁みる。


「どーぞ」
約束通り、俺は颯に水割りを作り差し出した。
いつもなら社交的に当たり障りのない話をする颯が、今日は黙ってグラスを傾けている。
もっとも、颯は一人でこの店に来たことはない。
友人がいなければ喋らないのかもしれない。
俺も何も言わなかった。
というよりは、まだ本調子じゃないのでバカ話をする気力がなかった。
「俺も飲みたい」
グラスに手を伸ばしたが、怒られてしまった。
「アルコールは禁止だ」
そして代わりに、ミネラルウォーターを俺に渡した。
「ちぇっ。飲めば治ると思うけどな」
ぶーぶー文句を言う俺を見て、颯が少しだけ微笑んだ。
こんなふうに笑うんだなって思いながら見惚れていたら、意地悪い言葉が後に続いた。
「未成年なんだろ?」
痛いところを……。
いつもなら平然とかわすところだが、今日は言葉に詰まった。
風邪ごときでこの有り様なんて俺も修行が足りない。
それにしても。
理由はわからないけれど、颯は絶対俺が二十歳未満だと確信している。
なんか、嫌な感じだ。



そのうちに店長と、売れっ子ホストたちが現れた。
颯を見つけるとすぐに駆け寄ってきて、ベッタリ張り付いた。
「やだァ、なんでトーキと一緒なのォ?」
答える気力もなく俺は黙って席を立った。座っている時は大丈夫だと思っていたのに、立ち上がると思わずよろけてしまった。自分の脚で立っているという気がしなかった。
「この店、個室があっただろう?」
颯がいきなり聞いてきた。
いつもなら「あったでしょう」と聞くだろう。なのに、このぶっきらぼうな口調からして、颯は明らかに俺に向かって話している。
「ありますよ。金かかるけど」
金のことなんてどうでもいいんだろうなとは思ったが、念のためそう付け足した。
色めき立つ周囲をサラリとかわして、颯は「ちょっと仕事をしたいので」と穏やかに微笑んだ。
「お世話係をお付けしましょう。どの子がよろしいですか?」
店長も笑顔を振り撒く。
こともあろうに颯は黙って俺を指差した。
喜んでヤリそうなヤツに頼めよと言いそうになったが、ここは店だ。お客には逆らえない。
「水割り作ってくれるんだよな?」
ダメ押しの妙な威圧感に負けて、颯を奥の部屋に案内した。
外野の視線がピリピリと突き刺さる。
また熱が出そうだった。


ミノリが差し入れだと言って颯に軽い食事を運んできた時、颯は本当に仕事をしていた。
俺は隣りで颯が貸してくれた雑誌を読んでいた。
「トーキ、お仕事しなきゃダメじゃない」
「いいんだよ。話し掛けるとジャマだろ?」
黙々と小さめのノートパソコンを叩く颯。
まったく振り向きもしない。
ごめんなさい、と小声で謝ってからミノリはそっと出ていった。
颯は仕事の合間に、いくつか質問をした。それも、かなりプライベートなことで、こういう店のホストに普通は聞かないようなこと。
その上、俺が触れられたくないようなことばっかりだった。
「本名はなんていうんだ?」
「それは内緒です」
「家族はどこにいるんだ?」
「何年か前にいなくなりました」
「死んだのか?」
「生きてはいますけど」
「なんでホストなんかやっているんだ?」
「わりと楽しいので」
一つもまともに答えない俺に苛立ったのか、挙句の果てには「中学校はどこだ?」と聞いてきた。
さすがにそれには俺も「はあ?」と間の抜けた返事をした。
「なんでゲイバーのホストにどこの中学なんて聞くわけ?」
それには颯が答えなかった。
わけありな様子からして、またアイツのことなんだろう。
颯が大事そうに持っていた古い写真を思い出した。
幼い少年が愛くるしい笑顔でほんの少し首を傾げている写真。
前にも間違われたが、絶対、俺はソイツと似ていない。
茶色の目、茶色い髪……
確かに、俺も目はけっこう茶色いけど、髪は染めてるだけだ。
他人が見たら、似てると思うんだろうか?
同じヤツに2度も疑われるくらい?

――――……なんか、やだなぁ

会話が途切れると俺は再び雑誌に目を落とした。
少し顔が火照ってきていた。
身体も熱っぽい。
頭がぼんやりして、だんだん雑誌に集中できなくなる。
同じところを何度も目で追ってしまう。
「少し、休んだ方がいいな」
颯が立ち上がってドアの鍵を閉めた。
そんなことしたら後で店長に根掘り葉掘り聞かれ、あることないこといろんな想像をされるに決まっている。
だが、その時の俺にはもうそんなことはどうでもよくなっていた。
頭が痛い。
喉が渇く。
身体が重い。
目が回る……
ただぼんやりとソファに沈みこんでいる俺の前まで来ると、颯はスーツの上着を脱いだ。
それをそっと俺の身体に掛けて、頬にキスをした。
俺は一瞬身構えたが、それ以上何かされることもないまま。
颯は忙しそうに再び仕事を始めた。
ノートパソコンのキーを叩くリズミカルな音が眠りを誘った。
程よい雑音と、颯の匂いのする上着……



俺の記憶の中では、そのまま眠ってしまったことになっていた。
どうやって店を出たのかという記憶はまったく残っていない。
意識が戻ったのは翌日の昼過ぎで、俺はちゃんと自分の部屋に寝かされていた。
頭と喉が痛かった。
どうやって帰ってきたんだろう。
かすかな記憶の中に、颯と店長との途切れ途切れの会話が残っていた。
ということは、店長か颯が運んできたのか……。
ふと外を見ると、ベランダには洗濯物が干してあり、部屋には新しい着替えが用意されていた。
店長なら洗濯物を干したりはしないか……
カチャっという音がしてドアが開いた。
颯の顔が視界に飛びこんできた。
その表情が嬉しそうに見えて、一瞬だけ俺が目を覚ましたことを喜んでくれているんじゃないかなんて甘いことを思ったりしたのだが、慌てて自分の考えを否定した。
自惚れてる場合じゃない。
期待なんてしちゃダメだ。
「……俺、寝ちゃったんだっけ?」
やっと振り絞って吐き出した言葉は自分で思った以上に掠れていた。
「倒れたんだ。覚えてないのか?」
ぜんぜん覚えていなかった。
酒も飲んでないのに倒れるなんて。
情けない。
「……仕事じゃ、ないの?」
「土曜は休みだ。余計なこと考えずに寝てるんだな」
颯はコンビニの袋からプリンを取り出すと「食えるか?」と尋ねた。
空腹感はなかったが、食べておいた方がいいと思って頷いた。
俺が起き上がれないことも手に力が入らないことも颯はちゃんと分かっていて、そっと抱き起こすと自分の腕の中に抱き留めた。それから、ちっちゃなスプーンでプリンを食わせてくれた。
「どうした? 喉が痛むのか?」
確かに飲み下すたびに喉は痛んだ。
けど、俺が眉を寄せたのはそういう理由ではなかった。
胸が苦しい。
わずかな表情の変化に気付かれたことが、なんだか照れくさくなって目を逸らした。
「……ガキみたいだな、と思ってさ」
言い訳のために自分でそう答えてから考えた。
子供の頃は親にそんなことをして貰ったかもしれない。
だが、遠い記憶の中にもそんな温かい光景はなさそうだった。
オヤジとオフクロはいつからうまくいってなかったのだろう。
俺はいつから放っておかれていたのだろう。
三人で一緒に食事をした記憶も、いつの物かわからないほど曖昧だった。
いつも一人だった。
母親が用意していった食事を温め直して食べていた。
コンビニの弁当なんてことも多かった。
思い出したくないことが溢れてきそうになって、ギュッと目を閉じた。
颯が手を止めて、俺の顔を覗き込んだ。
センチメンタルな気分になってしまうのは、颯が優しくするからなのに。
颯は運転手付の車に乗っていて生活感のない男だったけれど、ただのボンボンなんかじゃないんだろう。
ちゃんと一人で生活したことがあって、誰かの看病なんかもしたことがあって、そんな誰かを一生懸命心配したこともあって……

――――アイツ、なのかな……


「ごちそうさまでした」
食べ終わってそう言うと颯が笑った。
「なんか、おかしい?」
自分の声とは思えないほど、掠れた声。
このまま、違う人になってしまいたいとぼんやり思った。
そうすれば、素直にこの状況が楽しいと思えるかもしれないのに。
「いいや。意外と礼儀正しいんだな」
そんなこともないんだけれど、母親は挨拶にはうるさかったんだよな。
それも随分小さな頃の話だけど。
いつの間にかなんにも言わなくなった。
夜中に帰ってきても、外泊しても、何日も戻らなくても。
「……奥さんとかいないの?」
なんでこんな事を聞いてんだろう、俺。
いつもなら、他人の私生活になど関心を持ったりはしないのに。
たとえ興味を持ったとしても、店の客には絶対聞いたりしないのに。
でも、2日連続で家に帰らなかったら、家の人が心配していると思ったんだ。
「結婚はしていない。一人暮しだ」
「……なら、いいんだけど」
このまま夕方になっても俺が起き上がれなかったら、今日もここに泊まるんだろうか。
「さっき、一度家に戻った。着替えを取りにな」
颯は俺の考えていることがわかるみたいに返事をした。
「店は休めよ」
テーブルの上に置かれた携帯を見つめている俺に気付くと、すぐにそう言った。
けど、部屋にいてもやることがない。退屈なのは苦手だった。
本でも買ってくればいいんだけど、如何せん身体が動かない。
寝返りを打とうとしただけで、身体が軋む。
熱は自分が思っているよりもずっと高いのかもしれない。
颯は俺を抱いたままで薬を飲ませた。至れり尽くせり。
「なあ、ほったらかしておいても、俺、野垂れ死んだりしないよ」
強がってみても、声は掠れていた。
世話なんて焼かれて喜んで。
そんな自分が、ものすごく嫌だった。



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