らいと・ぶらうん
- Light brown eyes -





「じゃあ、とりあえず店を見に来いよ。仕事終わるまで待ってるからさ。返事は見てからでいいからよ」
ジュンジの猫なで声が耳につく。
昔はこんな豹変ぶりも気にならなかったのに。
一瞬、一緒に暮らしていた頃のことを思い出して気が緩んだ。
ジュンジがすかさず濃厚な口付けをする。
俺は慌てて身体を離すと辺りを見回したが、薄暗い店内では気に留める者はいなかった。
トレイを脇に抱えてテーブルを離れようとした時、背の高い男にぶつかりそうになった。
なんとか触れずに擦り抜けたが、今度はその男に腕を掴まれた。
見慣れた顔が、信じられないくらい不機嫌な表情で俺を見下ろしていた。
「……颯……何しに来たんだよ……」
佐伯さんと話していたのが昨日。正確には今日の深夜2時頃。
こんな時間にこんなところにいるなんて、颯が無理して仕事を早く切り上げてきたんだってことは間違いなかった。
「おまえが妙な男に絡まれてるって聞いてな」
表面上は落ち着いた声。
でも、いつもと違う。
「なんだぁ、こいつ」
ジュンジがニヤニヤ笑いを消して指を差した。
「俺の……家主」
なんて言ったらいいのかわからなくて、そう答えた。
「パトロンってことか?」
チッというジュンジの舌打ちを捻じ伏せるように、颯が吐き捨てた。
「恋人だ」
ジュンジは颯の顔を見上げながら、後ずさりした。
他の連中も怪訝そうな顔をした。
そりゃあ、そうだ。
こんな若くて金がありそうでルックスもいいヤツが、なんで俺なんか囲ってるんだろうって思ったんだろう。
緊張した空気が流れた。
「お客様、よろしかったらお二階のお席にご案内いたします」
場の空気を察知したらしく、絶妙なタイミングで支配人が現れた。手で2階のVIP席を指し示して愛想笑いをしてた。
「ありがとう」
颯は慣れた口調でバカ高いボトルを入れるように言いつけて、支配人にクレジットカードを渡した。
「それから、彼をテーブルにつけて頂けますか?」
チラリと視線を俺に投げた。
「承知いたしました。キミ、ご案内して」
「……はい」
仕立てのいいスーツ、磨かれた靴。横柄な態度ではなかったが、傅かれることに慣れている人種だということを今更ながらに痛感した。
ジュンジたちも口を開かない。
こんな男に囲われているなら金の心配など無用だ。このやり取りを見せつけられたら、誰だってそう思う。
若さや整った容姿に不釣り合いな貫禄がずっと年上の支配人をぺこぺこさせている。
……どう見ても若社長って感じだもんな……。
うちにいる時はただのぶっきらぼうなにーちゃんだけど……。
颯について知っているのは、名前と今住んでいるマンションの住所だけ。仕事先も家族のことも携帯の番号も何ひとつ知らなかった。
聞けば教えてくれるのかもしれないけど、聞くつもりもなかった。
俺だって関心がないわけじゃない。
でも、手が届かない相手だと知るのが怖くて、いつまで経っても聞けずにいた。
「二度とこいつに近づくんじゃない」
颯はジュンジの目をまともに睨みつけて低い声でそう言った。
さっきまでの紳士的な態度からは想像できないほど冷たくて鋭い目をしていた。
そして、その目のまんま俺の方に向き直り、平手で頬をぶっ叩いた。
その衝撃で俺は思い切り壁に叩き付けられた。
「おまえも、あんまりふざけたことをするなよ」
よろめきながら立ち上がると、めまいがした。
「返事は?」
有無を言わさない。
「……はい……」
大人しく従うしかなかった。口の中が切れて返事をすると血の味が広がった。
支配人や店の者、客も呆気に取られて見ていたが、すぐに目を逸らした。
「ご案内、します」
俺は切れた唇を手で拭いながら、整えられた二階の部屋へ案内した。
俺たちの様子が気になるのか支配人もVIPルームまで付いてきた。
颯は涼しい顔でソファに腰を下ろした。
「申し訳ありません。驚かれたでしょう」
颯は穏やかに微笑んで支配人の目を見る。
支配人もカンペキな営業笑いだ。
「遠い親戚で私の家で預かっているんですが……」
颯が適当な作り話をもっともらしく話して聞かせると支配人がチラチラと俺の顔を見る。
こんなことで支配人の態度が変わったら笑うよな、と思いながら片手でシャンパンを注ぐ。
「上手いものだな」
シャンパンくらい誰でも注げるだろうと思ったが、一応従業員らしく振る舞うことにした。
「恐れ入ります」
俺は金持ちの親戚だとは思われたくなかった。ただの貧乏フリーターの方がいい。
欲しいのは、普通の生活。それ以上は要らない。
「終わるまで待っているから、ちゃんと働けよ」
支配人はテーブルに投げ出された颯のセカンドバッグから覗いた分厚い財布を見ている。
「後片付けはいいので、定時に上がって帰りなさい」
支配人の態度はあっけなく豹変した。本当に親戚と思ったんだろう。
颯はそんな支配人を引き止めて俺の働きぶりなんかを聞いている。
もう、お世辞しか言わないに決まっているのに。


その後、俺はフロアに戻って、いつもと同じように働いた。
ジュンジたちはもういなくなっていた。
支配人に促され、12時ピッタリに店を出た。
店の前まで回された車。運転手が恭しくドアを開けて俺と颯を乗せた。
マンションに付くまでの間、俺も颯も一言も話さなかった。
沈黙を気まずいとは思わなかったけど、わざわざ迎えに来てくれたんだと思うと颯の顔がまともに見られなかった。
颯にとって俺は何なのだろう。
考えてもわからない問いを何度も自分で噛み締めた。
「部屋に戻ったら説教するからな。覚悟しておけ」
車を降りる時、颯が保護者のような口調で言った。
条件反射で俺は憂鬱な顔をしてしまったが、本当は少し嬉しかった。
こんなふうに二人でいると苦しいくらい胸が締め付けられる。
―――…俺にとって颯は保護者なんかじゃない。
「お帰りなさい、颯ちゃん」
佐伯さんと待島さんがそろって出迎えた。
少し離れて立っている俺を見て、「東騎クンもお帰りなさい」と意味ありげに笑った。
颯が部屋に入るのを確認してから佐伯さんは、「大事にされちゃってるんだね」と俺に耳打ちした。
それから「顔、どうしたの? 悪いお友達に殴られた?」と心配そうに尋ねた。
「颯に引っぱたかれた」
ムスッとして答えると、佐伯さんと待島さんは身を乗り出してきた。
「え? なんで、なんで?」
面白くて仕方ないらしい。
だから待ち構えていたんだな。
いつもはそれぞれ好き勝手に部屋で過ごしてるのに。
「俺に聞くなよ。全然わかんねーもん」
興味津々の二人に囲まれている俺を無視して、颯はさっさとシャワーを浴びて着替えてきた。
それからおもむろに携帯のメッセージを確認して、どこかに電話をかける。やっと話し終えるとすぐにまたボタンをプッシュしはじめる。
こんな真夜中に仕事かよ。
「説教するんじゃなかったの?」
俺はソファで煙草を咥えた。
でも、すぐに颯に取り上げられた。
「未成年のくせに煙草を吸うな。説教は20分後に始めるから、おまえもシャワーを浴びて着替えておけ」
言いながらパソコンを開ける。
「先にすれば?」
「俺の気が済むまでやるからな。今日は寝られると思うなよ」
気の済むまでって言ってもさ。
「そんなに何時間も話すことねーだろ?」
「話はすぐ終わる。いいから、言う通りにしろ」
「言ってることが、ぜんぜんわかんねーよ」
相変わらずの命令口調にぶーぶー文句を吐きながらも従うしかなかった。
「電話をするから書斎には入ってくるなよ。寝室で待ってろ。すぐに行く」
シャワーを浴びた後、ベッドに腰を下ろした。
颯もわりとすぐに来て、大人しく座っている俺の顔を見るなり説教を始めた。
「何故すぐに断らない。まともな話じゃないことくらいおまえにも分かっているんだろう?」
「わかってるよ」
そんなに怒らなくてもいいのに。
俺だって自分が悪いって思ってるんだから。
「どこかに売り飛ばされるかもしれないんだぞ」
「だから、わかってるって」
せっかく颯と二人でいられるのに。
よりによって怒られてるんだよな、俺。
「売り飛ばされたいのか?」
「なわけねーだろ」
「金か? セックスか?」
抑揚のない声だけどかなり不機嫌なのはよく分かる。
「どっちかって言えば金」
颯の眉がピクリと動いて釣り上がった。
「恥ずかしいとは思わないのか?」
「何に対して? 金が欲しいと思うこと? 誰かに抱かれること?」
もう、投げやり。
「金を稼ぐのにそんな手段しか思いつかないこと。それから、快楽のために誰とでも寝ることだ。そういう仕事がしたいのか?」
「そんなことないよ。それほど嫌ではないってだけで」
すでに根本的な人格を疑われてるから、どんな答えを返そうがムダな気がした。
「金は何に使うんだ?」
「颯に返すに決まってんじゃん」
「そういうことなら受け取らない」
「どんな方法で稼いでも金は金だろ?」
だいたいどうやって手に入れたかなんて、颯にわかんのかよ?
「なら聞くが、人を殺して奪った金だと聞いてもおまえならその金が使えるのか?」
極端な例で話をしないで欲しいよな。
「俺もそこまで外道じゃないよ。けど、それとこれとは……だいたい、誰かに欲しいって言われて寝るのが悪いことかよ」
颯はまた溜息だ。
「……おまえ、もう少し自分を大事にしろよ」
心配してくれているのはわかった。
けど、その言葉は俺の心臓を抉り取った。
「……今更、遅いんだよ……」
言い返す唇が震える。
颯は今まで俺がどんな生活をしてきたかなんて知らないからそんな説教ができるんだ。
「颯だって惚れた相手とだけ寝てるわけじゃないだろ?」
気まずくなって話を逸らせる。
「東騎……おまえ、俺をどんなヤツだと思っているんだ?」
あからさまに不機嫌な視線が向けられる。
けど、それはこっちのセリフだ。
「ムッツリで鬼畜で疲れ知らずでねちっこい……って佐伯さんが言ってた」
そのまま正直に伝えた。
颯は何も言わなかった。
「なのに、なんで俺は抱かないんだよ? 俺に対する興味って、知ってる人に似てるってことだけ?」
俺の目が茶色じゃなかったら?
しゃべり方が似ていなかったら?
それでも颯は俺に関心を持っただろうか。
一緒に住んでも、抱くどころか滅多に話しかけもしない。
結局のところ、俺が颯に反抗的なのはそれが不満だからに過ぎないのに。
そんなことにも気付いてくれない。
「どうせ俺のことなんて――」
顔を上げると、颯は遠い目をして黙り込んでいた。
こんな目で何年も想ってきた相手に俺が勝てるはずなんてない。
「……話、もう終わり? なら、俺、寝るけど」
胸の痛みを隠して立ち上がった瞬間、颯に引き止められた。
「明日、店は休みだろう?」
「そうだけど。……疲れたから、もう寝るよ」
だんだん声が小さくなって、最後の音は自分にも聞こえなかった。
顔を見る気にはなれなくて、掴まれた腕に視線を落とすと、颯の指にギュッと力が篭った。
「脱げよ」
「……え?」
ちゃんと聞こえていた。
けど、あまりに突然でその言葉を飲み込めなかった。
「抱いてやるから、服を脱げって言ってるんだ」
望んでいたことなのに。
気持ちは簡単に切り裂かれる。
「……『抱いてやる』ってなんだよ。んなこと頼んでねーだろ」
そんな言葉が欲しかったわけじゃない。
なのに。
触れられた場所から熱が広がり、身体が火照ってくる。
「金を払えばいいのか? 身体で稼ごうとしていたんだ。それくらいはどうって事ないんだろう?」
本気で言ってると思いたくなかった。
「ふざけんなよ。どうせ囲われてんだから、金なんていらねーよ」
颯はぜんぜんわかってない。
俺は半ばヤケでTシャツを脱ぎ捨てた。



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