らいと・ぶらうん
- Light brown eyes -

11



俺を呼んだのは常連のお客さん。いつも美人二人で来ている。
「男アサリよ〜」なんて笑うコケティッシュなお姉サマだ。
「お待たせいたしました」
「私、いつもの。チェリーとか入れないでね」
「じゃあ、私は東騎クン」
そして常にこんなことを口走る。
あまりにいつものことなので俺は気にしてないけど。
でも、颯が聞いているかもしれないと思うと返事も小声になる。
「やだなぁ、美香さん。お腹壊しますよ」
「壊してもいいなら、食べてもいい?」
100%冗談だってことは俺や他のバイトにはわかっているけど、初めて聞く人はそう思ってくれないだろう。
それが面白いらしく、わざと色っぽい目をしてくれちゃうんだよな。
「お腹なんて壊したら、美人が台無しですから。お口に合いそうなものをお選びしてお持ちします」
お姫さま扱いが大好きで、「貴女のために」と言えばにっこり笑ってくれる。
店で楽しそうにしてくれる客は大好きだから、俺も特別仕様の愛想笑い。
「じゃあ、お願いね。可愛い東騎クン」
「かしこまりました」
お姉サマ、早く男漁りに突入してくださいね。でも、颯はダメですよ。
そういう気持ちでテーブルを離れた。
恭しくドリンクを持ってくるとお姉サマが微笑んだ。
「綺麗なカクテルね」
「美香さんのためにお選びしましたから」
ありがとう、の後はほっぺにチューだ。
空気に酔える人らしい。
男漁りが目的なら、それはやめた方がいいと思うんだけど。そんなことは言えないし。
とにかく颯に見られていないことを祈るだけだ。
隣りのテーブルから賑やかな声が聞こえているけど、振り返る勇気はなかった。
「東騎く〜ん、オーダー!!」
すでに酔っ払ってきているバイト仲間の彼女たちが俺を呼び付ける。
少し離れてテーブルを拭いていた手を止め、注文を取りにいく。
「ワインクーラーおかわり。あとミモザ。それからカシスウーロン」
「かしこまりました」
「モテモテね〜東騎くんたら。まるっきりギャルソンよ〜」
どうでもいいけど、もうすっかり酔っ払いだった。
「てか、お姉さまキラーね。『美香さんのために』とか言っちゃって」
その言葉に思いっきり溜め息をついた。
一番遠い所に座っている彼女に聞こえるくらいだから、当然颯にも聞こえてるはずだ。
やだなぁ……
「東騎くんってば、ちょっとカッコいいわよ。居酒屋とは違うわねぇ」
キャラキャラ笑い転げられて、また閉口して。
「……大変なの連れてきちゃったな」
佐伯さんに小声で告げたら、
「テンション高い子のほうが面白くていいよ。僕らも久々に笑い転げた」
って言ってくれたけど。
さすがに外ではオネエ言葉は使わないらしく、違う人のようだった。
颯は別のテーブルからも飛んでくる視線をさりげなく無視しながらハーフアンドハーフを飲んでいた。いつもは水割りとかなのに。女がいると違うんだな。
それもなんか気に障る。
まあ、彼女たちが同じテーブルに座っていることは虫除けにはなるんだけど。
でも、心配だよ。今日の颯は妙に人目を引く。
機嫌もいいし、その分愛想もいいし。
「東騎、あっちのテーブル頼むよ」
「は〜い」
小声で返事をして。
でも、考えるのは颯のことばかり。
早く終わって颯と帰りたいなとか。
なんで今日に限って俺のバイト先に来るんだろうとか。
このまま俺より先に帰って先に寝てたらショックだなとか……。

けど、その間に店はどんどん混雑してきて。
「夏原、そっちも。ぼうっとするなよ」
「……はい」
ぼんやりしてもいられなくなって、颯のことも一時中断した。


結局、全員閉店までいた。女の子たちはみんなで一番近い子のうちに泊まるといってタクシーに乗り込んだ。
「じゃあ、東騎くん。まったね〜。バイト、遅刻すんなよ〜」
……それ、おまえだよ。俺、明日は昼のバイトないんだから。
彼女たちは本当に最後まで酔っ払いのまま帰っていった。
今夜の客の中で一番うるさかったのは間違いなくコイツらだ。
颯も佐伯さんも待島さんも、あんなヤツらにおごってやることないのに。
そんなことを考えつつ、でも、今日ばっかりは俺も交じって遊びたかったなと思ってしまった。
だいたい颯は土日もロクに家にいないから、一緒にどこかに出掛けることもない。
颯だってせっかくの休みだったのに、こんなとこで飲んでてさ。
「東騎クン、僕ら前のファミレスで待ってるから、終わったらおいで。みんなで帰ろ」
佐伯さんに言われてダッシュで片付けを始めた。
分担が決まっているから自分の持ち場が終われば周りに遠慮することなく帰れる。
「お先に失礼しま〜す」
パッと着替えて店を出ると向かいの店で窓際に座っていた佐伯さんが気付いて手を振った。
「東騎クン、お疲れさま」
いつものオネエ言葉に戻った佐伯さんにナデナデされて、それからタクシーで帰った。
ちなみにいつもは30分かけて歩いて帰ってる。
颯や待島さんには危ないからタクシーで帰ってこいって言われるけど、そんなところに使う金はないし。
「近くてすみません」
運転手に謝りながら佐伯さんが後部座席の一番奥に入る。
俺は待島さんと佐伯さんに挟まれて座った。
颯は助手席に座るといきなり電話をし始めた。またしても仕事の打ち合わせ。こんな真夜中に話す相手も大変だよな……なんて考えながら颯を見ていたら。
「帰ったら覚悟しといた方がいいよ」
不意に待島さんが俺の耳元で囁いた。
「覚悟??」
佐伯さんも反対の耳に話し掛ける。
「お姉さまが好きなのかってムクれてたから」
颯がそんなことでムクれるとは思えないけど。
「仕事じゃん」
「それでもね。珍しく人前で不機嫌を顔に出してたから」
「そうそう。昨日あれだけ可愛いこと言って颯ちゃんを喜ばせておきながらバイト先でオネエさまにデレデレじゃあね?」
「デレデレなんてしてないよ」
だいたいさ、可愛いことってなんだよ??
「昨日は颯いなかっただろ?」
そうだよ。俺、颯と話なんてしてないし。
って思っていたのに。
「いやぁね。夜、帰ってきたじゃない」
「ほら、やっぱ寝言だったんだよ」
寝言??
「颯に会いたいってヤツ」
あ〜……?
夕べは……佐伯さんの声が聞こえたんだ。ホントに寝ちゃったのって。
それから髪を撫でられて、おでこにキスされて……?
「あれ、佐伯さんじゃ……」
「ぶぶー。外れ。颯ちゃんでした」
颯に聞かれてた……?
「だから、今日、俺のバイト先に来たの?」
「そりゃあ、そうでしょ。会いたかったんでしょ? ゆっくり顔見たかったんでしょ?」
いきなり顔が赤くなるのを感じた。
佐伯さんと待島さんがクックッと声を殺して笑っていた。



マンションについて靴を脱いだ途端、颯が口を開いた。
「シャワー浴びたら部屋に来いよ」
声はいつもと一緒だった。怒っちゃいないけど笑ってもいない。そんな感じ。
また説教か??
ちゃんとそう思ってるのに、何故かまた顔が赤くなる。
「やぁだ、東騎クン。この間ので『お説教=うふふ』ってすり込まれちゃったんじゃない?」
そういうわけじゃ……ないと思う……けど。
「僕らも早々に自分の部屋に篭ろうね。寝られなくなるとイケないから〜」
二人の笑顔に身体まで赤くなりそうだった。

颯の用事は説教じゃなかった。
つまり、即、コトに及ばれた。
「会いたかったんだろ? だったら遠慮するなよ」
明日、俺のバイトは夜だけだ。けど、颯は普通に会社に行く。
なのに。
―――颯ちゃんはムッツリで鬼畜で疲れ知らずでねちっこいと思うわよ
佐伯さんの言葉が妙に鮮明に頭の中を過っていった。


空が白んできたところまでは、覚えていたけれど。
疲れも痛みも感じないほど、颯の腕の中は心地よかった。





けど。
安心したのはその日だけで、颯はまたマンションに顔を出さなくなった。
今日で10日目。
「颯、また出張なのかな」
無意識の溜息に佐伯さんからの返事はなかった。
ってことは、違うんだな。他に理由があってここに来ないんだ。
それも、俺には言えない理由で。
「佐伯さん、知ってるんじゃないの?」
問い詰めた時、部屋の電話が鳴った。
颯のマンションだから、誰も勝手に電話に出たりしない。
5回コールしたあとで留守番電話に切り替わる。
『秘書課の根本です。携帯をお忘れになったようですので、こちらにご連絡いたしました。調査の件、判りましたのでお戻りになりましたら社までご連絡ください。番号は……』
ってことは既に会社は出たあと。しかも、自宅には帰っていない。
「颯、仕事は早く切り上げているんだ……」
そんなこと言ったってどうしようもないのに。
「東騎クン……」
佐伯さんが辛そうな顔をしている。
だからこそ颯の気持ちは本当はもう俺から離れたんじゃないかって思ってしまう。
「……バイト増やさないとな」
無意識でそう呟いていた。
佐伯さんにも聞こえていたけど、「必要ない」とは言わなかった。
つまり、そういうことなんだ。
ここを出て一人で生活していくには今のバイト代ではぜんぜん足りない。
それよりも。
「部屋を借りるのにも仕事を増やすにも保証人がいるよな……」
これにブチ当たると行き止まる。
「そんなの、必要だったら僕かマチちゃんに頼めばいいじゃない。いくらでもなってあげるよ」
少し驚いて佐伯さんと待島さんを見比べる。
二人とも微笑んで頷いてくれた。
不覚にも涙が出そうになった。
「……ありがと」
「やだなぁ。東騎クン、可愛すぎる」
佐伯さんに抱き締められてる時、颯が帰ってきた。
「……お帰りなさい」
三人で声を揃えて言ったが、颯は聞いていなかった。
留守電を聞いて部屋に駆け込んだ。
「颯ちゃん、出掛けるの?」
佐伯さんが引き止めようとしたのも、俺に気を遣ってのことなんだろう。
「ああ。判ったらしい」
クリアファイルをヒラつかせて出ていった。それ以外のことはナンにも眼中にないって顔で。
佐伯さんと待島さんにはわかっているんだろう。
颯が慌てて出ていった理由。
それから、何が判ったのかってことも。
クリアファイルの中味も。

けど、二人とも俺には教えてくれなかった。
聞いてはいけないことなんだという気がした。
そして、それは当たっていた。




真夜中に颯が帰ってくると佐伯さんはそっと俺の部屋に来た。寝たフリをしていたら、そのまま布団を掛け直して出ていった。
佐伯さんの気配が遠くなったのを確認してから、ドアに近づいた。
耳を押し当てたがあまり聞こえない。
音がしないようそっとドアを開け、隙間から二人の会話を聞いた。
「東騎クン、もう寝てたよ」
颯は何の返事もしなかった。
「あの子、見つかったんだ?」
「ああ。まだはっきりしたことはわからないが」
「ふうん。そうなの」
佐伯さんの重苦しい溜め息まで伝わってきた。
対照的に颯は嬉しそうにしている。
それを見た時、はっきりとわかった。
そっか。アイツの消息が掴めたんだ。
「……東騎クン、どうするつもり?」
「東騎? 別に……」
なんでそんなことを聞くんだという言葉が続いた。
「どっちを取るのって聞いてるのよ」
「東騎を追い出すとでも思ってるのか?」
「だって、その子と会ったら、もう東騎クンの事は抱けなくなるよ。東騎クンより、一度しか会ったことのない子がいいの?」
颯は何も言わなかった。

それが、返事だ。

もう、ここにはいられないんだと思った。例え、颯に俺を追い出す気がなくても。
他のヤツに気持ちが行ってる颯なんて見たくなかった。
振られるってわかっているのに。
ここにいて何になる。

ベッドに入ったけど眠れなかった。
これからのことを考えようとして、でも、考えるのは颯のことばかりで。
ここに来てからは楽しいことばっかりだったから。
一人になって、いつか、夢みたいだったと思う日が来るんだろう。
あるいは生活に追われて思い出す余裕さえなくなるのかもしれない。
颯に会う前の生活に戻る事が、酷く冷たくて乾いたもののように感じられた。
荒んだ日々が苦く思い出されて朝まで眠る事ができなかった。



Home   ■Novels   ■らいとぶらうんMenu     ■Back   ■Next