パーフェクト・ダイヤモンド





片嶋はどんなにちやほやされても恐縮する様子はない。
おそらく、どこにいてもそんな待遇なんだろう。
どんどん酒を勧められ、勧めたヤツには遠慮なく返杯する。
おかげで俺たちの一行は昨日以上に酔っ払いの集まりになってしまった。
誰かがお開きと言わなければ朝まで続きそうな気配だ。
これだから金曜日は困る。
みんなエンドレスになっても困らないのか?
明日は何の予定もないのか?
……まあ、俺も予定なんてなかったが。
けど、転勤のバタバタもあって結構疲れていた。
こういう時は早めにフェイドアウトするに限る。
「片嶋、俺、帰るけど」
「じゃあ、俺も桐野さんについて行きます。っていうか、置いていかないでください」
本当に心細そうに言うもんだから、俺も思わず笑ってしまった。
「俺に置いていかれても誰か泊めてくれるだろ」
「泊めてくれる相手によりますよ。いくら俺でも面と向かって口説かれた相手の部屋には泊りにいけないです」
困った顔で俺のシャツを掴んでいる。
「宮野と速見と石村さん?」
「聞いてたんですか? ひたすら飲んでるから俺たちの話なんて聞いてないかと思ってたのに」
ちょっと拗ねて見せたり。
「聞いてなかったよ。けど、俺、そーゆーの敏感な方」
「あはっ、なるほど。でも連れて帰ってください。タクシー拾うまででいいですから」
明るく笑って見せたり。
「ああ、いいよ。もともと誘ったの、俺だしな」
片嶋の良く出来た百面相。
実は作りものだと見抜けるヤツなんてここにはいないだろう。
「昨日、俺を拾ってくれたのが桐野さんでホント良かったですよ。結構へこんでたし。絡まれて、ちょっとヤバイなって思ってたんです」
そんな風には全然見えなかったが。
「何かあったのか?」
「遠慮なく聞きますね」
笑ってるくせに急にシラフな目になった。実は酔ってなんかないってか?
「そういう性格なんだ」
片嶋はにっこり微笑むと話を逸らした。
「俺、桐野さんのそういうところ好きですよ」
「そりゃあ、どうも」
こんなに見え見えにはぐらかされたら、この話はこれでおしまいにするしかない。
俺は大あくびをしながら立ち上がった。
「桐野さん、帰るんすか?」
引き止める飯島を振り切って俺はカバンと上着を掴んだ。
「ああ、じゃあな。月曜に精算してくれ」
「片嶋クンは置いてってくださいね」
宮野の頼みを無視して店を出る。
片嶋は慌てた様子もなく、「お先に失礼します」と言って俺の後に続いた。
「片嶋くぅ〜んっ!!」
酔っ払いの宮野が叫んでるが、俺は聞こえない振り。
片嶋も聞こえない振り。
「片嶋、振り向くなよ。こっち見てろ」
「え?」
何のことか分かっていないようだったが、片嶋は言われた通りに俺の顔だけを見ていた。
石村主任の険のある目が俺たちを追いかけてくる。
けど、知らん顔、知らん顔。
遊び人のプライドにかけて片嶋を落とそうってことらしいが。
片嶋は意外に食えないヤツだ。そう簡単には引っ掛かるまい。
少なくとも俺はそう思った。
昼間の切れそうな顔が本物で、今のはお付き合いのネコかぶり。
多分、そうなんだ。
俺の勘は当たる。



だが、そのわずか数分後。食えないヤツなんて言葉をあっけなく撤回した。
「ったく、しっかりしろよ」
自分の家の方が遠いから俺のマンション経由で帰ろうと言ったのは片嶋だった。
なのに、またしてもタクシーに乗った途端に爆睡しやがった。
「片嶋? おい、起きろよ。おまえんち、どこだよ?」
先に聞いておけば良かった。
片嶋は俺に凭れかかったまま、幸せそうに眠っている。
……まあ、いいか。また泊めたところで、どうってこともない。
俺は昨日と同じように片嶋をお姫様だっこで部屋に運び入れた。
自分ちだというのに、俺はまたしてもソファで寝なければならないのか…?
仕方ない。
飲ませたのは俺じゃないが、飲ませるようなヤツを連れていったのは俺だ。
でも、もとはと言えば片嶋がこの顔だからいけないんだよな。
……まあ、それはコイツのせいじゃないけど。

上着、ネクタイ、ワイシャツ、靴下、ベルト。今日もここまで。
速見や石村主任と一緒にされたくないしな。
赴任のドタバタや昨日の歓迎会、今日の飲み会で疲れていた俺はあっという間に眠り落ちた。



だが。
あっという間に起こされた。
「……ん? なんだよ……?」
暗闇で片嶋が俺の顔を覗き込んでいる。めちゃくちゃ酒臭い。
「洗面所って、どこでしたっけ?」
朝は説明なしでも洗面所を探し当ててたから、まだ酔っ払ってるってことなんだろう。
だいたいそんな広い部屋でもない。
俺はしぶしぶ起き上がって、片嶋の肩を支えながら連れていってやった。
「顔でも洗う気か?」
「……気持ち悪い……」
ユニットバスではないため、トイレと洗面所は別々だ。
「吐くならトイレに行けよ」
背中を支えつつ廊下に出て、トイレのドアを開けると片嶋は床に座り込んだ。
顔色は酷く悪かったがそのまま動く気配がない。
「もしかして吐き方を知らないとか?」
吐き方ってナンノコト?という心細げな顔の片嶋の上半身を抱きかかえ、トイレに向かって逆さまにした。
世話が焼けるったら……。
「……桐野さん、気持ち悪……」
涙目で訴えられてもどうしようもない。
「口、開けてみろ」
もう何も考える気力がないのか、素直に言う通りにした。
「噛むなよ」
俺は遠慮なく片嶋の喉に指を入れた。
その後どれだけ盛大に吐いたかなんてことは説明しないが、とにかくなんとか眠れるくらいにはアルコールを体外に出すことが出来た。


「ったく、飲む時はちゃんと食えよ。そんなことしてるから悪酔いするんだ」
小言を言いながら、ようやく落ち着いた片嶋をベッドに寝かしつける。
「ほら、水飲めよ」
差し出されたグラスを空ろな目で見ているが、手に取ろうとはしなかった。
「飲んどいた方が後で楽だぞ」
グラスを口元に当てても無反応。
ぼんやりしている。
俺は片嶋の隣に座り、とにかく水を飲ませてやろうと思った。
つまりは、口移しで。
こうなると、もうほとんど俺の趣味だが。これだけぼんやりしてたらどうせ記憶なんてないだろう。後で文句を言われることもあるまい。
そっと頬を支え、唇を合わせる。
けど、不思議と妙な気分にはならない。
強いて言うならヒナにエサをやっている親鳥の心境だ。
そのあとも片嶋はちゃんと俺の口から水を飲んだ。
そうそう、素直が一番。
口の端から水がこぼれて、俺って口がデカかったっけ…と思わず確認したくなる。
いや、片嶋の口が小さいのか。
なんてことを考えつつグラス一杯分を飲ませて寝かしつけようとしたら、すらりとした指が俺のTシャツを握った。
「……もっと」
しゃべれるなら水くらい飲めるだろう。
しかも、シャツがこんだけしっかり掴めるならグラスだって持てるはずだ。
だが、片嶋はグラスに口をつけてやっても唇を開かない。
酔うと甘えるタチなのか?
「仕方ねーなぁ」
……ホントに、仕方ないんだろうか?
一瞬の疑問も酔っ払いの俺は軽く流した。
「まあ、いいや。明日にはちゃんと忘れてろよ」
俺はその後もせっせと口移しで水を飲ませてやった。
片嶋はニコニコしながら、美味そうに水を飲んだ。
その間、片嶋の手はずっと俺のシャツを握り締めていた。
可愛いよなぁ。男のくせに。
しかも会社にいる時とはえらい違いだ。
「もう、いいのか?」
「……ん」
そう言った瞬間から爆睡した。
勝手なヤツだ。
あれだけ飲んだんだから確かに酒は強いんだろう。
それにしても、限界くらいは自分で分ってろよな。
おまえ社会人何年やってんだ?
って、考えてみたら片嶋の歳を知らなかった。
俺よりは、年下……だよな?
宮野は「片嶋クン」と呼ぶ。
飯島もだ。
ってことはそれより年下のはず。同期なら呼び捨てだろうしな。
ってことは、23、4か。
……まあ、そんなことはどうでもいいか。俺より年下だってことだけで十分だ。
それより、眠い。
限界だ。
欠伸をしながらヘッドボードのライトを消した。
立ち上がろうとした時、寝ているはずの片嶋が俺を呼んだ。
「……桐野さん、」
「なんだよ、まだなんか」
片嶋の手が俺のシャツの裾を掴んだ。
「……俺、昨日、振られたんです」
ったく。
なんでこんな夜中にそんなこと話すんだよ?
「あ、そう。そりゃあ大変だったな。ゆっくり寝て早く忘れろ。じゃあな」
俺は無理やり話を切り上げてリビングに戻ろうとした。
だが、片嶋に呼び止められてしまった。
「桐野さん」
「なんだよ」
「……俺の話、聞いてます?」
しかもこの時間から絡む気かぁ……?
もう三時半だ。
頼む。寝かせてくれ。
「明日、聞いてやるから。今日は寝ろよ」
俺は多分とっても困った顔をしていたんだと思う。
「……すみませんでした」
片嶋は俺から目を逸らしてそう言った。
そんなに淋しそうな顔をされると立ち去りにくい。
なんだか可哀想に思えて、ついジッと片嶋を見つめてしまった。
それに気づくと片嶋は視線を上げて俺を見返した。
さっきまでの焦点の合わない目が嘘のような、真っ直ぐな瞳で。
やっぱり酔ってないのか?
俺の疑いの気持ちとは関係ないところで、片嶋はまた遠い目をした。
それから、いきなり涙をこぼした。
「か、片嶋……?」
「……すみません、なんでもないです……」
慌てて肩で涙を拭く。
「今度は泣き上戸か?」
「そういうことにしておいてください」
妙に悟ったような、その言い方。
絶対、酔ってねェよ。
俺は確信した。
にしても、泣かれるとなんか、な……と思う。
いや、これも演技かも。
あれこれ考えた挙句、「まあ、なんでもいいか」という結論にしてしまった。
「聞いてやってもいいけど、途中で寝ても怒るなよ」
片嶋は涙の溢れる瞳のまま、少し笑って俺の腕を引き寄せた。
俺はされるがままベッドに倒れ込んだ。
唇が重なる。
温かくて、ふんわり柔らかい。
片嶋の指が俺の髪に絡みつく。
それ以上、何をするでもなく、何かを言うでもなく。
ただ、そっと俺の髪に触れて、目を閉じていた。
規則正しい呼吸がすぐ近くで聞こえて。


その先は、俺も覚えていなかった。




朝。といってもまだ薄明るい程度。
俺は片嶋より先に目を覚ました。
隣にすやすやと眠っている片嶋の顔があった。まだ、酒臭い。
俺も片嶋もちゃんと服は着ているから、あの先は何もなかったんだろう。
少しホッとした。
朝日がカーテンを透かして淡いブルーの光になる。
まだすやすやと眠っている片嶋。ベッドに寝転がったまま片肘をついて、しばらくそれを眺めていた。
身体には程よく筋肉がついている。顔は綺麗だが特別女っぽいわけでもない。
……けど。
何を思って俺を抱き寄せたんだろう。

昨日触れた柔らかい唇が目の前にあった。
首筋も鎖骨も唇もまつげも何もかも、もう自分の物のような気がした。
まだ、まともなキスだってしてないのに。


―――……振られたって、誰にだよ……?


俺は起き上がってシャワーを浴びた。それからソファで寝直した。
浅い夢の中で、片嶋が淋しそうに笑ってた。



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