パーフェクト・ダイヤモンド





研修終了後は自由解散。
俺と片嶋は約束通りK社に行くことになっていたが、もちろん他の連中には内緒だった。
「桐野さんも名古屋支社に寄っていきませんか?」
飯島の誘いを適当に断って荷物をまとめる。
「片嶋クンは?」
「ちょっと用があるので」
片嶋もニッコリ笑いながらはぐらかす。
営業部の連中に疑われると面倒なので片嶋とは別行動でK社に向かった。

K社までは電車で3駅。名古屋支社とは反対方向だ。
うちの取引先の親会社だから、一人くらいは偵察に来るんじゃないかと思っていたが、東京組は俺を除いて全員支社に挨拶に行ってしまった。
片嶋といる所を見られたら面倒だと思っていた俺にとっては喜ぶべき事だが、アイツら、営業マンとしては失格だな。
「うわ、別館って言っても大きいビルなんですね」
メガネを外してビルを見上げている片嶋はなんだか無邪気で微笑ましい。
広い会場内は素人でも楽しめるよう趣向を凝らしていて、俺たちは偵察とは名ばかりの楽しい時間を過ごした。
おかげで会場を出た時には辺りはすっかり暗くなっていた。
「思ったより遅くなっちゃいましたね。……桐野さん、明日、予定あります?」
別に何が理由と言うわけでもないが、俺は一日中ずっとぼんやりしていた。こんな事を含めて今日は終始片嶋のペースだった。
「いや……別に」
「じゃあ、もう1泊しませんか?」
「俺はいいけど。おまえ、明日会社じゃないのか?」
企画室は木曜の役員会まで忙しいはずなのに。
「実は俺も休みなんです」
「こんな時期によく休めたな」
「たまには忙しい時に休みたいなぁって駄々を捏ねてみました」
片嶋はにっこり笑うとさっさとビジネスホテルに予約を入れた。
「ホテルの番号まで控えてきたのか?」
訝しげに顔を顰める俺に片嶋が涼しい顔で答えた。
「実は次回の案件、K社がターゲットなんです」
なるほどな。
休みもそれを理由にOKを貰ったのか。
ってことは、もしかして研修もついでだったのか?
「あ、でも内緒にしてください。まだ社内でもオフレコです」
「ああ」
……もちろん俺を誘ったのもついでなんだろうな。
何、期待してたんだろう、俺。
「じゃ、夕飯食べに行きましょう」
さっきまであんなに楽しかったのに。
突然全てが色褪せた。
「あのな、」
片嶋の笑顔を見ても気分が晴れなくて、言葉も途中で溜息に摩り替わる。
「あ、桐野さん、もしかしてあんまり腹減ってないです?」
「そういう事じゃなくて……おまえって意外と強引なんだな」
だからどうというわけでもないのに、気持ちが片嶋のペースについていけない。
「そうですか? あんまり言われたことないですけど……桐野さん、何、食べたいですか?」
片嶋は普段通り。
必要な事をさっさと済ませていくだけだ。
「とりあえず、ホテル行って着替えませんか? スーツっていうのもなんですから」
なんとなく気は晴れなかったけれど。
「そうだな」
曖昧な返事だけしてホテルに向かった。



ホテルまで駅から徒歩3分。
そんな短い距離でさえ片嶋の隣を歩いていると落ち着かない。
すれ違う女どもが振り返るからだ。
片嶋は慣れているのか気にする様子もない。
「一緒にごはん食べに行こうよ〜。ねぇ〜」
そんなことを言いながら高校生くらいの女の子が二人、片嶋にまとわりついてきた。
代わりに断わってやろうかと思っていたら、片嶋が真面目な顔で口を開いた。
「悪いけど、俺、女の子に興味ないんだ」
聞き間違いでも冗談でもなく、きっぱりとそう告げた。
俺は思いっきり引いていたが、女の子の方はあっけらかんと笑った。
「キレイな男の人には多いんだよね。おにいさんはノンケなのぉ?」
いきなり俺を振り返る。
……どうだろう?
片嶋が気になる身としては、『ノンケ』とは言えないんだろうな。
固まっていたら、「カワイイ」と笑われた。
「じゃあね、バイバイ、キレイなお兄さん」
女の子たちは手を振って、投げキスをした後であっさりと次のターゲットを探し始めた。
「おまえなぁ……」
「いいじゃないですか。嘘じゃないんだし」
「そういうこと言うから宮野たちに狙われるんだぞ??」
それでさえ片嶋は迷惑そうにはしていない。当然のようにちやほやされているだけだ。
「いいですよ。俺、会社でも隠してないし」
確かにあの様子では会社の大半のヤツらは知ってるんだろう。
「まあ、いいんだけどな」
本当はいいなんて思ってなかったが。
他に言う言葉もなかったから、にっこり笑う片嶋の横顔を見ながら色んな気持ちを飲み込んだ。



メシを食ってホテルに戻り、さっさとシャワーを浴びてベッドに横になった。
魔が差さないうちに寝てしまおう。そしたらすぐに朝になるはずだ。
良くない事に、このホテルは研修所よりもさらに隣りのベッドが近い気がする。
「桐野さんて早寝早起きなんですね」
人の気も知らないで片嶋は笑っていた。
「眠いんだよ。おまえと一緒だとついつい飲み過ぎるしな」
それほど酔ってはいなかったが、それでも相当量を飲んだはずだ。
なのに片嶋は普段と同じ涼しい顔をしていた。
「おまえって、ホントに酒好きだよな」
目を閉じるとすぐに眠気が襲ってきた。
笑いながらバスルームに向かう片嶋の後ろ姿が瞼に残った。
薄い記憶の中で片嶋の声が響いた。
「桐野さん、ベッドの中に入らないと風邪引きますよ」
シトラス系のボディーシャンプーの匂いが辺りに漂う。
ふんわりとベッドスプレッドがかけられ、温かいものが身体に押し当てられた。
眠気に流されながら、その心地よい温もりを無意識のうちに抱き締めていた。


夜明け前に眠りが浅くなり、ふと夢から覚めた。
真っ暗な部屋で、柔らかいものが頬をくすぐっている。
―――シャンプーの匂い……だ
寝ぼけ眼を開くと腕の中で片嶋が眠っていた。
「……!!」
俺は思いっきり飛び起きたが、片嶋は目を覚ます気配もない。
俺の心臓がバクバク言う音と、片嶋のすやすやという寝息が妙に大きく感じられた。
それにしても。
エアコンはちゃんと回っているのになんだか肌寒い。
隣のベッドから剥がしたベッドスプレッドと毛布が俺と片嶋の上にかけられており、片嶋が俺のベッドに入ってきた理由もすぐにわかったけれど。
……隣のベッドに移すべきだろうか?
俺が飛び起きてもピクリともしないくらいだから、そっと運べば大丈夫だろう。
そう思って静かに手を差し出した時、片嶋が薄く目を開いた。
「悪い、起こしちまったな」
長い睫から潤んだような瞳が覗いた。
片嶋の事だから、いつものように堂々と冗談を言うだろうと思ったのに。
「……すみません、あの……ちょっと、涼しかったので……」
きわめて普通の返事だった。
片嶋はかなり眠そうに目を擦りながらも、自力で起き上がって隣りのベッドに移った。
毛布とベッドスプレッドを掛けながら、クシュンと小さなくしゃみをして丸くなった。
エアコンを強くしてみたが部屋の温度は変わらない。
「片嶋、」
「……はい……?」
「風邪引くなよ」
「あ、……はい、大丈夫です」
眠りかけていたせいなのか寒いせいなのかは分からないが、声が掠れていた。
「……おやすみなさい」
掴み所がないヤツだと思っていたけれど、こうしていると全く普通だ。
そんなことを考えながら妙な安堵感と共に眠り落ちた。



朝方、寝返りを打とうとした時、腕に妙な重みを感じて目を覚ました。
目の前に片嶋の顔。
しかも俺の腕の上。
「おまえなー……」
なんでここにいるんだよ、と言いかけて、自分の手がしっかりと片嶋の背中に回っていることに気づいた。
シャツが捲れているせいで直接背中に触れている。
しかも、滑らかな手触りがなんとも言えなく気持ちいい。
片嶋はぐっすり眠っていた。
かすかに開いている唇は艶やかで見るからに柔らかそうだった。
……こんなことを考えるからいけないんだよな。
変な気を起こさないうちにさっさと寝直そうと思ったのに。

―――寝られねーじゃん……

既に手遅れ。
隣りのベッドで眠ろうかとも思ったが、片嶋の頭を退けて起き上がるのは面倒に思えた。
だからと言ってこの状況で魔が差さないはずもなく。
ほんの出来心で片嶋の背中に触れていた手を少しだけ動かした。
パッと見は冷たそうに見えるけれど、片嶋の肌はずいぶん滑らかで温かだった。
薄く開いた唇をそろりと指でなぞり、緩く口付けた。
それでも規則正しい寝息が乱れることはない。
唇の隙間から舌を差し入れると舌先が前歯に当たる。
片嶋の温かい呼吸が俺の唇に触れた。
「……はぁ……」
身体の熱を逃がすように、深く息を吐いた。
苦しくて愛しい時間は長くて短い。
結局、片嶋が起きるまでそうしていた。



「おはよう」
目が覚めてぼんやりしている片嶋に普通に挨拶をした。
コイツが俺のベッドに入ってきたんだから、驚いたりはしないだろうと思っていたのに。
いきなりガバッと飛び起きて、自分と俺を見比べた。
……俺って、実は信用されてないんだな。
「心配しなくてもナンにもしてねーよ」
抱き締めたくらいは何かしたうちに入らないはずだし。
第一、今は隣りにいるだけで身体のどの部分にも触れていない。
片嶋は素早く周囲を確認するとすぐに平静を取り戻した。
「いえ……俺が桐野さんに何かしたんじゃないかと思って。ちょっと焦っただけです」
服のめくれを直しながら落ち着いた声でそう答えた。



そんなこんなで結局ロクに寝られなかった。
新幹線に乗ったらすぐ寝ればいいと安易に考えていたが、片嶋のせいでそれも出来なかった。
「桐野さんも飲みますよね?」
結局、新幹線の中でも缶ビール。
「おまえ、絶対アル中になるぞ」
放っておくとずっと飲んでるもんな。
「一人の時は飲みませんよ。家には酒もないですし」
「片嶋、一人暮しじゃないんだろ?」
親がいるなら酒くらい置いてあるだろうと思ったからそう言った。
なのに、片嶋が「はい」という至極短い返事をするまでに妙な間があった。
「そんな短い返事になんで間ができるんだ?」
いつもの癖でストレートに聞いた。
片嶋はわずかに顔を曇らせて、言いにくそうに口を開いた。
「……あまり……自宅に帰ってないので」
その答えがズキンと俺を突き刺した。
「ああ、そうか……だからいつも駅とは反対方向に歩いていくんだな」
なんとかそれだけ答えて、片嶋から視線を外した。
口にしたビールの味さえ感じないほど俺は動揺していた。
「桐野さんがそんなことまでご存知とは思いませんでした」
片嶋は怖いくらいの無表情で窓の外に目を遣った。
「おまえが帰った後、追っかけてったヤツが報告してくれたんだよ」
最初に宮野からそれを聞いた時は、まだこれほど気にならなかったのに。
「どこまでご存知なんですか?」
片嶋の口元が微かに歪んだ。
「どこまでって?」
「俺の、行き先」
「ああ……彼氏んちなんだろ? 新宿に住んでるって聞いてる」
今更、隠しても仕方ない。
みんなが知っていることくらい片嶋だって分かっているはずだ。
「……そうです」
思った通り、片嶋も否定はしなかった。
「おまえが振られたって言ってた相手って、そいつじゃないのか?」
また『遠慮なく聞きますね』と言って軽く流すと思っていたのに。
「いえ……その人です」
片嶋は遠くを見たまま真正直に答えた。
普段の俺ならそれ以上立ち入ったことなど聞かなかっただろう。
けれど、その問いは気がついたら口から出ていた。
「より、戻したのか?」
あの日、エレベーターの前でダルそうに溜息をついてた片嶋が、どうしても俺の気持ちから離れなくて。
「……いいえ」
らしくないと思う。
そんな奴、笑って捨ててしまえばいいのに。
「そんな顔するくらいなら、さっさと忘れた方がいいんじゃないのか?」
それを告げた俺の気持ちの大半は嫉妬なんだろう。
片嶋の口元に諦めに似た笑みが浮かんだ。
「そしたら……桐野さんが代わりになってくれますか?」
その問いかけの後。
一瞬の間に俺は色々なことを考えた。
その言葉の真意。
それから、片嶋の気持ち。
迷ったけれど、あえて否定的な言葉を返した。
「……俺に惚れてない奴とは付き合えないよ」
片嶋は溜息の後で、「そうですか」と呟いた。


その後、どんなに飲んでも酔いは回らなくて、ただ当たり障りのない話を続けた。
片嶋がときどき窓の外に視線を投げて無意識の溜息をつくのを見ながら、俺はずっと同じことを考えていた。


あの時、片嶋が俺を好きだと答えたなら。
誰の代わりにでもなってやったのに。


たとえ、その言葉が嘘だったとしても……―――



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