パーフェクト・ダイヤモンド





今回のボーナス査定から能力重視という噂がまことしやかに流れて社内はなんとなく妙なムードに包まれていた。
おかげで、社内各部署は木曜の役員会にかけるプロジェクトの立案で大盛り上がり。
なのに、うちの課ときたら。
「ここまで落ちるとはな」
案件表を見ながら課長と部長が真剣な顔で話していた。
新規プロジェクトどころか、今月の数字に四苦八苦。
俺以外、誰も働いてないんじゃないかと思うほど惨憺たる有り様らしい。
で、俺は……と言えば。
余計な事を考えないようにしているせいか、仕事だけは絶好調だった。
プライベートが行き詰まると仕事に逃げるっていう典型的なパターンだっていうのが笑えないが。
「桐野、ちょっと」
帰社するなり課長に手招きされて、営業カバンを椅子の上に放り投げた。
言われることなんて分かってる。
どうせ誰かがコケて数字が足りなくなったんだ。
今月は大きな案件を取り込むだけで、余裕でクリアできるはずだったのに。
「なんですか?」
俺も不機嫌丸出し。
「H社が先送り、Dコーポレーションが駄目になった」
宮野と速見だ。
ったく。詰めが甘いんだよな。
よりによって一番大きな案件二つ。
「それじゃあ全然足りないじゃないですか」
なんで平社員の俺が他の奴らのネタまで把握してなきゃならないんだ。
「そうなんだよ。……桐野、隠しネタはないかな?」
課長の笑みも引きつっていた。
「課長こそ、ボーッと座ってないでもう一回Dコーポレーションに出向いたらどうですか?」
既にブチ切れ状態。
どうしていつもいつもこうやって俺に頼るんだ。
それでも部長は笑ってた。
部全体では100%消化しているから余裕が見える。
気楽なもんだな。
「まあ、そう言うな、桐野。林田課長が行くよりも君が行った方がいいだろうと思ってな。待っていたんだ。代わりを頼むよ。駄目でもともとだから気楽にやってくれればいい」
気持ち的には「なんで俺が?」って感じなんだけど。
「わかりました。速見、詳細を教えろよ」
課長の隣りに立ってうなだれていた速見が慌てて案件ファイルを持ってきた。
「本当に頼むよ、桐野」
課長は真剣だった。
今月でボーナスの査定期間は終わりだもんな。
課の数字が行かなければ課長はモロに響く。
……まあ、俺には関係ないけど。
と思っていたら。
「頼んだよ、桐野君。興味はないだろうけど、君も次は主任だから」
部長からもイヤな念押しが入り、俺を更に憂鬱にさせた。
「30前で主任になるわけないじゃないですか」
ストレートに昇格して33歳が主任の昇格年齢なんだ。
33より前で主任なんて肩書きがついているのは、石村さんのように親会社から出向で来ている奴だけだ。
「だいたい偉くなんてなりたくないですよ。面倒臭いし」
今だって十分面倒なのに。
まったく、何なんだよ。
速見から受け取った案件ファイルを見ながら、提案の練り直しをする。
それにしても。
「速見、先方の最終決定者に話したのか? 社長なり、専務なり……」
「いえ、経理部長だけです。部長の方から社長には話してくれるって言うので……」
アホか。よく考えろ。
ああいう会社でそんな簡単にコトが進むか。
「経理部長にアポ入れて。今すぐ。締めまで時間ないから」
だいたい元から話がデカすぎる。
担当者レベルじゃ怯んで当たり前だ。
「シミュレーションはこの3分の2で作り直し。それから、経理担当者が話を持っていきやすいように税効果の説明入れて。パッと見で社長が興味を持つように作れよ」
「はあ……」
この上なくイライラしている俺にこの頼りない返事をする速見の神経がわからない。
「直接社長に話すのが目的だから、できれば色々質問したくなるようなのがいい」
あそこの社長はワンマンだから、彼からOKが出れば鶴の一声。後は簡単なはずだ。
「でも、桐野さん。社長はこういうのもかなり詳しいらしいですよ」
ここでグズグズ言っても仕方ないのに。
こんなことだから取りこぼすんだ。
「だからなんだよ。突っ込まれるのが怖いなら、ちゃんと勉強しておけ」
「でも、俺、社長に説明する自信が……」
あー、もう。おまえ何年営業やってんだよ??
「なら、黙って俺の横で聞いてろ。とにかくアポ取れよ」
自信のなさは相手に伝わるんだ。こんな有り様じゃ引かれて当然だ。
「案の3分の2で取り込めたとしても少し足りないな」
課長がガッカリしたように言うから。
俺はまたブチ切れた。
「課長も外回りした方がいいんじゃないですか? 座ってても数字にはなりませんよ」
だいたいこの人が呑気だから部下に伝染するんだ。
人間、楽な方に流れるに決まってる。
「顔見知りのところを回って近況を聞くとか。親会社の営業課長に貰えるネタがないか探りを入れるとか」
もともと親会社の人事部にいたんだ。知り合いだけなら腐るほどいるだろう。
「いや、でも、親会社って言ってもね。ほら、私がいたのは随分前のことだしね」
ここに出向になってからもう十年くらい経つが、この人は未だにうちの取扱商品の説明が出来ない。
「俺を連れていく気があるなら課長は世間話だけしてくれればいいですよ。後は俺が適当に話しますから」
仕事はできないが、のんびり屋で人は良いから敵は少ないと思うんだよな。
人脈だけ貰えれば十分だ。
「でもグループ会社から案件貰ってもね」
評価が低いとでも?
うちの取引先よりずっとまともな会社ばっかりなんだぜ?
「どこから貰っても数字は数字ですよ」
呆れ果ててそれ以上会話をする気になれなかった。
「桐野君の言う通りだな」
さすがに部長も苦笑いだ。
部のトップだけでもまともで良かったよ、ほんと。
こんなことだから50近くなってもまだ課長なんだ。
まあ、本人は気にしてないみたいだけど。

自分の机に戻ったら、宮野の席に片嶋が座っていた。
「大変ですね。桐野さん」
「まあな」
もう慣れたけど。
「相変わらずですね」
「何が?」
片嶋が含みのある笑いをこぼした。
「俺たちの入社時研修の時、講師でいらしてたでしょう?」
新入社員の研修には毎年ほどほどの年次のヤツが各部署から講師として呼ばれる。
「ああ、そうだっけな」
そんなわけで、俺はなぜか片嶋の期以降、毎年呼びつけられていた。
普通は主任クラスが行くもんなんだが。
いや、それ以前にそんなもん研修課でやれって。
「俺、自分の仕事だけしてたいんだけどな」
振り回されるのは好きじゃない。なのに社歴が長くなるに連れて雑務が増える。
「あの頃の桐野さん、もっと髪が短かかったですよね」
「片嶋の入社の頃はツンツン頭だったんだっけ?」
若気の至り。
ゴルフ焼けして真っ黒で、しかもド短い髪だったんだ。
見た目がそんなだったから、社内だけでも今の10倍は敵がいた。
「そうです。なんかすっかり落ち着きましたね。見た目だけは」
だけ、ってな。
「片嶋、なんか一言多くないか?」
今日の俺の機嫌は近年稀に見るほど最悪だったが、不思議と片嶋にだけは何を言われても苛つかない。
それどころか、少しでも長くこの時間を続けたくて次の言葉を捜してしまうほど。
なのに、こんな時に限ってなんで何にも思いつかないんだろうな。
片嶋が笑って聞いてくれるような、単純な話でいいのに。
「すみません。でも、こちらに戻っていらした時、同一人物とは思わなかったんです」
そんな他愛もないことを話しながら片嶋が笑う。
俺が見たいと思っていた華やかな笑顔で。
それが自分に向けられていることで淡い期待が生まれる。
都合のいい感情だと思うけど。
「……で、片嶋は何しに来たんだ?」
現実に戻るために、わざと素っ気なく尋ねた。
片嶋はそんな会話の合間にも持ち込んだ自分のノートパソコンで、何やらまとめている。
「営業部で使っている提案ツールの見直しとヒアリングだったんですけど。Dコーポレーションの話、なんだか面白そうで」
悪戯な笑みを口元に覗かせた。
「よかったら俺が昨日作った税法の提案書を流しますよ。案件ファイルを貸して頂けるなら、決算書を読んでシミュレートしたものも添付します」
自分の仕事よりも速見がコケた案件に興味があるようだった。
「おまえ、忙しくないわけ?」
そんなはずはないだろうけど。
「それほど忙しくないので他部署でヒアリングなんかしてるんですよ。それに提案書ならすぐに出来ますし」
片嶋の『すぐ』は本当に早いからな。
「じゃあ、頼む。見た目重視で」
速見の気の利かない提案書を何度もチェックして、何度も作り直させる時間なんてない。
遠慮なく片嶋の言葉に甘えることにした。
「わかりました。任せてください」
にっこりと笑って席を立つ。
その一挙一動に周囲の視線が貼りついている。
ウザいだろうと思うのに。片嶋は一向に気にする様子もなく精巧な作り笑いと共に去っていった。
「出来る者同士は匂いでわかるものなのかな」
いつの間にか部長が後ろに立っていた。
「へ? 片嶋ですか?」
そういう理由で俺に懐いてるわけじゃないと思うんだが。
「片嶋君のいる企画室は今まで営業部とは全然接点がなかったんだがね」
今回のツールの見直しも片嶋が発案したらしい。
ヒアリングも自分でやるからと言って。
それだって、ただ宮野たちがあんまりアホだから、見兼ねただけだと思うんだが。
「たまたま飲み会の帰りに知り合って、それ以来たまに飲みに行くだけなんですけどね」
だから、なんだって言うんだ。このクソ忙しい時に。
「いや、うちの会社の未来も安泰だなという光景だったよ」
「そりゃあ、どうも」
冗談か? 厭味か?
安泰なら俺がこんなことで苦労はしてないんだよ。
「桐野さん。明日の11時、ご都合は如何ですか?」
速見が電話を保留にしたままで聞いてきた。
「いいに決まってるだろ。『何があっても空けるから大丈夫です』くらいのことスッパリと言えよ」
ホントに取り込む気があるのかな、コイツ。
「ったく、やってらんねーな」
部長が隣りに居ることをすっかり忘れて呟いた。
笑い声で我に返る。
「桐野。夕方、時間を貰えるかね?」
「5時半過ぎなら」
「6時に人事フロアの第3応接でミーティングだ。出席してくれ。何も持たなくていいから」
「はあ」
なんだ、なんだ?
人事の応接って。
俺、また異動になるのか??
「勿体つけずに今話して貰えませんか?」
「心配しなくても異動じゃない。世間的にはいい話だ」
そしたら残りは一つだけだ。
「昇格なんてさせてくれなくていいですからね」
部長は苦笑いをしながら俺の肩をポンポンと叩いた。
「そう言うと思ったからね。社長も同席だ。断われないよ」
ちっ。性格悪いな。
「そうじゃなくても敵が多いのに。勘弁してくださいよ」
やりにくくなるだけでいいことなんて一つもないだろ。
「まあ、桐野なら大丈夫だ」
笑いながら言うな。他人事だと思って。
くそっ。


片嶋はそれから一時間後に説明資料とシミュレーションを持って来た。
言うまでもなく、カンペキな出来。
「すっげーなぁ……」
俺も溜息モノの提案書。
「これが決まったら、桐野さんにお願いがあるんですけど」
「なんだ?」
「林田課長と親会社にご挨拶に行かれたら、営業企画部の上の方にコネを作って頂けませんか?」
片嶋は親会社に出向したいんだろうか。
そういえばグループ会社内で出向者を募集するって噂もあったな。
「ああ、いいよ。あそこが一番大ネタありそうだから、俺もできるだけ早く行くつもりだ」
まあ、コイツならうちの会社を辞めて中途入社試験を受けても通りそうだけど。
それよりは出向の後で転籍の方がやり易い。
周囲と上手くいかない場合は戻って来られるしな。
「まあ、課長か部長か分からないが、そのうち一回飲みに行くから。そん時に声かけるよ」
「宜しくお願いします」
笑顔も以前ほど不安定そうに見えなくなったが、本当のところはわからない。
なんせ片嶋だ。
「提案書、助かったよ。サンキュな」
俺はもう一度片嶋に礼を言った。
無意識だったけど。
笑顔が見たかったから。

電話が鳴り響き、人が慌しく出入りする営業部のフロアの隅に突っ立ったまま。
俺の目にはほんのりと微笑む片嶋だけが映っていた。
それ以上話すことも思いつかなくて。
ただ、片嶋を見つめたまま立ちつくしていた。


社内恋愛って感じだなぁ……とか、くだらないことを考えながら。



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