パーフェクト・ダイヤモンド





片嶋から受け取った提案書はカンペキだった。
あとは自分次第。
こういう状況が一番好きだ。
「速見ももっと勉強しとけよ。決算書読むのが苦手なら教えてやるから」
「お願いします」
さすがにヘコんだのか妙に素直な返事だった。
課長もいそいそと知り合いにアポ入れてるし。
まあ、いい傾向かな。
「課長、できれば営業企画部の部課長クラスにアポ入れてください。あそこのネタが一番デカいですから」
「そうだね。そうするよ」
これでよし。
やっと一息ついた時、事務の今井さんがコーヒーを入れて来てくれた。
「お疲れ様です、桐野さん」
面倒臭いだろうにわざわざアイスにしたのは俺がネクタイを緩めて腕まくりなんかしてるからだろう。
「ああ、どうも。悪いな」
ちゃんと俺のコーヒー好きを知っていて濃い目のブラックにしてあった。
気の利かない速見より、今井さんの方がよほど頼りになりそうだ。
「いいんですよ。これでうちの数字が行かないと事務職のボーナスなんて簡単に減っちゃうんですから。根回し、根回し」
ペロリと舌を出した。
『根回し』って自分で言うからイヤらしさがないんだよな。
言い方一つで印象は随分変わる。
アイツらにも口の利き方教えてやってくれよ。
「けど、これを取り込んでも足りないんだよな」
残りを何で埋めるかだ。
「いいですよ。ちょっと足りないくらいなら評価に『B』つけてもらえますもん」
本当に可哀想だと思うんだが、事務部門の子は所属している部の数字が行かないと『A』は貰えない。
それだけでボーナスも10万は違うと思うのに。
「で、俺がこれを落したら『C』になっちゃうんだな」
「そうで〜す」
他の子まで顔を出した。
「契約書なんて半分くらいしか埋まってなくても受付で何とかしますから。宜しくお願いします。不備なんて絶対に出しませんから」
普段なら一マスでも書き漏れていたら営業に突っ返すのに。
女の子は世渡り上手だ。
少しは見習え、速見、宮野。
「でもさ、」
コーヒーが美味かったからなんて気障なことを言うつもりはないけど。
俺は負けず嫌いだ。
数字を落すなんて論外なんだよ。
面倒に思うこともあるけれど、頼られるのは嫌いじゃない。
「せっかくだから、部長が堂々と『A』をつけられるようにしてやるよ。ただし、最終日までみんなには内緒な。仕事しなくなるから」
「もちろんです!」
「さっすが、桐野さん、カッコイイ〜」
この辺で俺も根回ししておかないと。
締めまでは時間もない。事務の子にはかなり便宜を計ってもらわないと間に合わない。
「締めまで少しワガママ言うかもしれないけど」
「そんなことくらいぜんぜん構いません!」
これでOK。
少しは焦ればいいんだ。
課長も他の連中も。
行き詰まったら何をしなきゃいけないのか、考えて努力しなければ数字にはならないんだから。



6時からの『ミーティング』は社長と人事部長とうちの部長と俺。
内容の割には大袈裟な『ミーティング』だった。
「うちもそろそろ能力重視をアピールしようと思ってね」
人事部長の作り笑いが怖い。
「それで、適当な生贄を探してるわけですね」
俺ときたら社長を目の前にしてトゲだらけ。
「生贄なんていうつもりはないんだよ。桐野君なら周りも認めざるを得ないと思ってね」
「どうだか」
しかも、投げやり。
「標準より五年ほど早いが、君なら大丈夫だから。困ったことがあったら直接私に相談してくれれば配慮するよ」
社長まで作り笑いかよ。
けど、妙な人間関係のゴタゴタに巻き込まれるのは真っ平なんだけど。
「断われるんですか?」
うちの部長と人事部長が慌てる中で社長だけが穏やかに、でも有無を言わさない口調で答えた。
「断わって欲しくないと思っているがね」
社長の手から渡されたのは俺の名刺。
『主任』の肩書きが刷り込まれていた。
「早ぇ……」
さすがの俺も笑うしかなくて。
「承知して貰えて良かったよ」
ミーティングは和やかに終わった。
「これから軽くどうだね?」
社長に誘われたけど。
「この後アポがありますから。それより少し予算をください。取り敢えず明日の接待費。それから決まった後の打ち上げ分」
今ならNOとは言わないだろう。
「ああ、いいよ。領収証は私に回しなさい」
よしよし。
遠慮なくそうさせて貰おう。
「少な目に抑えますから」
そう言ったら笑われたけど。



その日の7時過ぎ。
昇格辞令が全社に配信された。
定例の昇格人事とはかけ離れた時期で。
しかも昇格者はたった一名という強烈な通知。
俺はアポ先に行っていたから詳しい事は知る由もなかったが、社内が騒然となるほど物凄いインパクトだったらしい。
まったく、迷惑な話だよな。



翌日、擦れ違う同僚たちの「おめでとうございます」攻撃の中、俺は新しい名刺を持って外出した。
Dコーポレーションに出向いてもう一度提案の概要を説明したが、経理部長の反応は悪くない。
「少しお待ち頂けますか。社長が戻った頃だと思いますので」
恭しく頭を下げると片嶋が作った提案書を握り締めて部屋を出ていった。
「なんか、反応いいですね」
速見が驚いたように呟いた。
「当たり前だろ? おまえ、今まで何してたんだよ?」
そこそこ普通に説明していたら、きっぱり断わられたりしなかっただろう。
もともと土壇場で流れるような案件じゃないんだから。
「お待たせしました」
20分くらいしてから社長が一緒に顔を出した。その手に提案書が握られているのを見て、行ける、と思った。
なんと言っても片嶋の自信作。外すはずがない。
そこそこ世間話や社長からの質問を受けた後で、昼のチャイムに水を差された。
あと少しだって言うのに。
内心いまいましく思いながらも笑顔で尋ねた。
「ご都合がよろしければお昼をご一緒にいかがですか?」
ダメもとで誘ってみたが、返事はOKだった。
「いい店があるんだ。少し歩くがね」
社長自らの案内で高級そうな店に入る。
「夜は高いがランチは庶民的な値段なんだよ」
まあ、サラリーマンの感覚からすると、それでもちょっと高いんだが。
ランチミーティングという名目で接待をするならここは使える。
個室だから落ち着いて話せるし、資料を広げるスペースもある。しかも3、4人分なら課長決裁で落とせる金額。
でも今回は約束通り、社長に領収証を回してやろうと思ったのに。
「今日は実になる話を沢山聞かせてもらったからね」
提案は拍子抜けするほどあっさりとOK。その上、奢ってもらってしまった。
「金額についてはもう少し相談させてくれないか。明日には返事をするから」
「宜しくお願いします」
帰り際に経理部長が会計を済ませる傍らで、店の名刺をポケットに入れて入るところを社長に見られて笑われた。
「いい店なのでまた使わせて頂こうと思いまして」
俺も笑い返したら、いきなり「うちに転職しないか?」と誘われた。
営業なら一度や二度は言われるセリフだから今更驚きはしないけど。
「ありがとうございます。ですが、この仕事に命懸けてますから」
できるだけ冗談ぽく、笑ったままで告げた。
社長は2、3度頷いた後、真顔に戻って「気が変わったらいつでも電話してくれよ」と言って名刺を差し出した。
速見はその間、少し離れた所から俺たちの話を聞いていた。


「……さすがに違いますよね。俺、社長に会ったのも今日が初めてです」
帰り道、速見が重苦しい声で呟くから思わず笑ってしまった。
「押しが弱いんだよ、おまえは」
「俺、この会社でやっていけるんでしょうか」
「あのなぁ……」
だったらもっと努力しろよ。
「桐野さんにはわからないですよ。あの昇格通知が配信された後、みんな青ざめてたんですから」
出かけていて良かったと思った。会社に残っていたら、さぞかし居心地が悪かっただろう。
幸い今のところ風当たりも強くはない。
擦れ違うたびに言われる「おめでとうございます」はちょっと面倒くさいと思うけど。
「そう思うなら、頑張ればいいんじゃねーか?」
っていうか、普段からもっとしっかりやっとけばいいんだよ。
「そうなんですけどね」
また深い溜息。
まあ、これだけの反応があるってことは人事の目論見通りなんだろうな。
ちょっと効果があり過ぎって気もするが。
「なんなら仕事の後、勉強会してやるぜ? おまえが苦手な税法とか」
「ありがとうございます。宜しくお願いします」
って言う割には暗い顔。
「嫌なら嫌って言えよ」
「そうじゃないんです」
「なら、なんだよ。その暗い顔は」
「桐野さん、凄すぎますよ。普通ならライバル増やすようなことはしないでしょう? 器が違うって言うか……」
税法を教えたくらいで速見がライバルになるなんて思えないもんな。
10年早いんだよ。
「おまえらが頑張ってくれないと会社が伸びないだろ。そしたら俺だけどんなに頑張ってもボーナスだって増えないんだよ」
アホばっかになって会社が潰れたらどうするんだ。
現状を深刻に受け止めているのは俺くらいなんだろうか。
「桐野さんなら、いくらでも転職できますよ」
「まあ、そうだけどな」
そんな面倒なこと誰がするか。
新しい会社で新しい仕事を一からなんてさ。
だいたい、そんなことしたら片嶋にだって……
「とにかく今は目先のことを考えろ。これを取り込まなきゃ話にならないんだ。今度はちゃんと数字を詰めろよ」
落ち込みモードの速見にコーヒーを奢って、少し落ち着いてから会社に戻った。


会社に戻ると部長と課長に出迎えられた。
「ご苦労だったな」
二人とも満面の笑みだ。
俺、まだ何の報告もしてないのに。
「電話があったんですよ」
今井さんが説明してくれた。
机に残されたメモを見て笑顔の理由を納得した。
「速見、数字が決まった。設計書作り直しだ。気を付けろよ。一番最初の提案より数字がデカいからな」
これが間に合えば今月は終わりだ。
「三回は数字の読み直しをしろよ。おまえがやるんじゃなくて事務の子に手伝ってもらえ。今井さん、悪いけどお願いね」
もちろん笑顔でOKだった。
「じゃ、俺、出かけるから」
万が一、これが締めに間に合わなかった時のことを考えて、俺はまた外に出た。
滑り止めを確保するためだ。
無事にあれが取り込めたら翌月に回せばいい。
少し余分に資料を持ってフロアを出ようとした時、ドアの前で片嶋が笑ってた。
「なんだ、片嶋。また来てたのか」
嬉しいくせにわざと素っ気なくそんなことを言う自分を子供みたいだと思った。
片嶋は外したメガネをワイシャツのポケットにしまいながら、惜しげなく笑顔を向けた。
「どうなったかなと思って」
片嶋と約束したんだっけ。これが決まったら……って。
「大丈夫だ。ちゃんとセッティングするよ」
言葉は返さなくても、至上の微笑み。
「片嶋君も桐野のファンか?」
課長が呑気に声をかけてきた。すでにすっかり上機嫌だ。
「もちろんです。仕事ができる人には憧れますから」
片嶋がにっこり笑ってそんなことを言うもんで、にわかに営業部は活気付いた。
……そうか。
最初から片嶋を使えばよかったんだな。
もっとも、片嶋のそんなセリフは社交辞令に決まってるんだけど。
―――…仕事なら、どんなに落し難い相手でもなんとかする自信があるんだけどな。
片嶋は掴み所がない。
俺の予想通りだとして、片嶋がもう出向希望を出しているなら、間違いなく次の定例異動で辞令が出るだろう。
会えなくなったらチャンスだって激減する。

大きく一つ溜息をついて。
いそいそと働く宮野たちを見ながら、俺はフロアを出た。



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