パーフェクト・ダイヤモンド

11




「大丈夫ですか?」
翌日、俺は酷い二日酔いだった。
なのに片嶋はぜんぜん平気な顔をしていた。
「普通に寝られる時は大丈夫なんですよ、俺」
羨ましい体質だ。
「昨日のことですか? ああ、中野さんに会って、店を出て、桐野さんとコンビニに行ったことくらいは……」
覚えていたのもそんな程度で。
「すみません。俺、もしかして桐野さんに何かしたんですか?」
本当に心配そうに聞かれて、俺は落胆した。
「……いや。次の企画会議のこととか、それで出向したいんだって話とかはしてたけどな」
「え? 俺、そんなことまで喋ったんですか?」
どこまでも一方通行だな、と朝から溜息をついた。
軽く昼食を取った後もソファに沈んでいた。
まあ、ホントのことを言うと、片嶋が「寝ていた方がいいですよ」とか言いながら甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるのを楽しみたかっただけなんだけど。


そんなわけで。
その後も、俺と片嶋の間はナンの進展もなかった。
片嶋の気持ちも変わってはいないようで、相変わらず飲み会を早めに抜け出して、駅とは反対方向に消えていった。
「桐野さん、桐野さんってば。どうしたんですか、ぼんやりして。片嶋クンが帰っちゃってつまんないとかですか?」
「別に」
冷静にそれを見送る事が出来なくなるのも時間の問題。
そんな気がした。



快晴で、キリッと体が引き締まるような爽やかな金曜日。
一仕事終えて、そこそこ気分良く戻ってきた。
「桐野。ちょっと」
帰社してすぐに部長と課長に呼ばれる時はいつも同じ用件。
こんなに締めが間近なら100%間違いない。
「……いくら足りないんですか?」
「察しがいいな」
部長が笑って指を3本立てる。
「3千とか言わないですよね??」
「心配しなくても300だよ」
揃いも揃って、ちょっとくらいのショートなら俺に言えば埋まると思ってるんだからな。
たまには涼しい顔して落としてやろうかと思ったが、それもなんだか気分が悪い。
「これを入れたら、来週の事務研修の講師、他のヤツに代わってもらえますか?」
女の子ばっかりの研修の講師なんてやりたくないんだよな。
だいたい事務研修なのに、なんで営業が書類の書き方を説明するんだよ。
「なら、速見か宮野にでもやらせるよ」
「わかりました」
最初からそうしろって。
でも、側で聞いていた業務課の女の子が文句を言った。
「え〜、桐野さんがいいですぅ」
「あたしも」
そう言ってくれるのは嬉しいが。俺は嫌なんだ。我慢してくれ。
「まあ、そう言わず。そろそろ速見、宮野もそういうポジションに育ってもらわないとね」
部長も女の子には強く言えないんだよな。
何も言い返せない課長よりはちょっとマシだが。
「じゃあ、俺、出かけるから。あと頼むな。あ、ボード、書いといてくれ。行き先はT代理店でノーリターン。俺、そのまま接待だから。よろしくな」
俺たちの会話に聞き耳を立てていた宮野に言い渡してさっさとフロアを出た。
これ以上ここにいるとロクなことがなさそうだ。
ブチブチ切れまくりながら、エレベーターのボタンを押した。
「ご機嫌斜めですね」
振り返るまでもない。片嶋の声だった。
「いつものことだけどな。片嶋もあんまり油を売ってるなよ」
こんなキツイ言葉とは裏腹に俺の口元は勝手に緩む。
片嶋もちょっと意味ありげに微笑んだ。
「桐野さん、今日、飲みに行きませんか?」
片嶋から俺を誘うのなんて、アイツに会ったあの日以来だけど。
「悪いな。今日は接待なんだ。来週で良ければ……」
ホントにロクなことがないな。自分の日頃の行いを省みてしまいそうだ。
「なら、今日、桐野さんちに泊まりに行ってもいいですか?」
飲みに行けなくても泊まりにくるのか??
相変わらずその思考回路についていけず。
「そりゃあ、構わないけど。マジに何時に終わるかわかんないぜ?」
「いいです。近くで待ってますから。終わったら電話ください」
片嶋が電話番号を書いた紙を渡した。
そこまで用意して誘いに来てるってことは、なんかあるんだろう。
今すぐ聞きたかったが、会社でしたくない話だからこそうちに来るって言うんだろうしな。
まあ、帰ってから聞けばいいか。
「俺んちの場所わかるだろ? 先に帰ってろよ」
待たせるのも悪いと思って鍵を渡した。
多少散らかってるかもしれないが、今更どうってことはないし。
鍵は受け取ったものの、片嶋は困ったように俺を見上げていた。
「鍵、それしかないから絶対俺より先に行ってろよ。俺も10時半か11時くらいには帰るから」
「……はい」
初めて見せるはにかんだような笑顔に鼓動が早くなった。
夜、片嶋と二人の時にこれを思い出したらヤバいよ、俺。
いつもと同じだと思って簡単に承諾したけど。
我慢できなくなったりしたらどうするんだ??



少々うるさい先だったが接待の首尾は上々で、しかも予定より随分早く終わった。
「じゃあ、月曜に契約書を頂きに上がりますので。宜しくお願いします」
タクシーを見送ってから時計を見た。
まだ9時だ。
片嶋の仕事が普段通り8時過ぎに終わったとしたら、まだ外でメシを食ってるくらいの時間だろう。
もらった電話番号にかけてみたが、何度かけても繋がらない。
何かあったのなら連絡くらいしてくるはずなのに。
部屋にいるかもしれないと思って自宅にも電話してみた。
『片嶋、いたら出てくれないか』
留守電に切り替わった時、呼びかけてみたが応答はない。
どこで何をしてんだろうな。
まあ、ゆっくり帰ればいいか……
もしかしたら、もう俺んちに向かってるかもしれないし。

そんなことを考えながら駅に向かう途中にあの場所を通った。
最初会った日、片嶋が凭れかかっていたくすんだビルの前。
あの日、振られたと言っていたのに片嶋は今でもアイツのことを引き摺ってる。
ったく、バカだよなぁ……
その通り沿いに中野とかいう男とばったり会ったバーがある。
きっと片嶋はこの辺が遊び場なんだな。
いや。
片嶋じゃなくて中野って奴のテリトリーなんだろう。
「言うほどカッコよくねーじゃんよ」
一人でふて腐れながらビルの前を通り過ぎる。
ぼんやりと視線を前方に移した時、バーのドアが開いた。出てきたのは片嶋とアイツだった。
二人とも店の前で黙って突っ立っていた。
誰かを待っているんだろうか。
そう思った時、もう一人男が出てきた。
バーでアイツが連れていたヤツだった。
こんな組み合わせで仲良くメシでもあるまい。
どういう状況なのか見当もつかなくて、俺は少し離れた所から様子をうかがっていた。
浮かない顔でペコリと頭を下げて駅に向かおうとする片嶋の手首を、アイツがいきなり乱暴に掴んだ。
後ろに立っていた男は片嶋にチラリと冷たい視線を投げてからその場を立ち去った。
新しい恋人と別れて片嶋とよりを戻したって事か?
それにしては片嶋が複雑な表情を浮かべている。
どう見ても振り回されてるって感じで。
「片嶋、」
呼び止めると片嶋の身体がビクッと震えた。
「……桐……野、さん」
アイツはまだ片嶋の手を掴んだまま。傍らに立って薄笑いしていた。
「接待、思ってたより早く終わったんだ」
この状況に気付かないフリをして何気ない話をする。
「さっき電話したんだけど、おまえ、出ないしさ」
片嶋は何も言わず、凍り付いたように固まっていた。
俺を誘った時とは状況が変わったんだってことに気付いてなかったわけじゃない。
「帰るぞ」
すぐ近くまで行って告げた時、片嶋はうつむいてポケットから鍵を取り出した。
「……すみません」
それが意味するところはわかったけれど。
だからこそ、差し出された鍵を受け取らなかった。
「おまえが持ってこいよ」
「でも、俺……」
その言葉が片嶋の負担になることも分かってた。
けど、言わずにいられなかった。
「片嶋が来るまで待ってるから」
これがどんな状況だったとしても、諦めるつもりはないっていう意思表示だけしてから、薄く笑っている男の横を通り過ぎ、ゆっくりと駅に向かう。
心のどこかで、追いかけて来てくれるんじゃないかと期待した。
アイツを振り切って、俺の所に……


けど、片嶋は来なかった。
それどころか何時間経っても、連絡さえ寄越さなかった。
部屋のドアの前で煙草を吸いながら、曇った月を眺めていた。
それにも飽きた頃、ようやく空が白んできた。
今日が土曜じゃなかったら、このまま会社に行かなきゃならなかったんだな。
自分のバカさ加減にほとほと呆れながら、冷たいコンクリートに座り込んで、ドアに凭れたまま眠り落ちた。


あと何時間待てば、片嶋は来てくれるんだろう。
それとも。
もう2度とここへは来ないんだろうか。




体が冷えていた事にも気付かずに眠っていた。
同じ夢を何度も見ながら。
「……野……さ……桐野さん、」
すぐ近くで片嶋の声がして目が覚めた。
「……遅ぇよ」
薄っすらと笑う片嶋の口元には痣が出来ていて、唇も少し切れていた。
最初に会った日と同じ。
上着もネクタイもない。
ワイシャツにスーツのズボン姿。
その意味もようやく分かった。
アイツに抱かれた後、必要最低限の衣服だけ身につけて飛び出してきたんだ。
「これ、」
握り締めていた鍵は片嶋の手と同じ温度。
「ああ、サンキュ」
向けられた苦い表情を見て、俺のところに来てくれたわけじゃないことも悟った。
けど。
俺は差し出された鍵の上から片嶋の手を握った。
「桐野さん……俺、もう戻りますから」
俺の目を見ずに片嶋が呟く。
片手で片嶋の腕を掴んだまま、ドアを開けた。
「帰さねーよ」
片嶋をドアの隙間から部屋に押し込んで、後ろ手に鍵をかけると唇を塞いだ。
薄っすらと血の味がするキス。
「桐野さ……」
「おまえのこと殴るような奴の所に帰せるかよ」
靴も脱がないまま、玄関でワイシャツのボタンを外す。
片嶋はその間、然したる抵抗もしなかった。
なのに、キスを受ける唇は少しも応じてはくれなくて。
今更、あんな奴に勝てないんだと言うことを思い知った。
「片嶋、靴、脱いで」
「桐野さん、俺、ホントに……」
「脱がないなら、ここで抱く」
片嶋は目を伏せたまま、靴を脱いだ。
諦めたのか、不思議なほどの無表情で。
それが俺を拒んでいることを伝えた。
それでも、アイツのところに帰そうとは思わなかった。



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