パーフェクト・ダイヤモンド

12




玄関から動こうとしない片嶋の手を掴んで、無理やりベッドまで連れていった。
抱き寄せようとしたら、片嶋の手が俺の体を押し留めた。
「……桐野さん……俺、さっきまで中野さんに……」
苦しそうに俯いたまま。
俺の胸に当てられた片嶋の手が震えていた。
「分かってるよ、そんなこと」

シャワーも浴びずに誰かを抱いたことなんて今までに一度もなかったけれど、それでさえ俺を現実に引き戻すことはなかった。
「……身体、冷たいな……」
もう上着なしでは肌寒い季節だと言うのに、片嶋はワイシャツ一枚だった。
アイツが眠ってから、こっそり出てきたんだろうか。
俺が、あの時、片嶋から鍵を受け取らなかったから。

―――――ごめんな……

片嶋の身体が温まるまで抱き締めていた。
熱が戻ったのを確認してから身体に纏わりついたシャツの胸元を開いた。
嫌でも目に付く。
首筋にアイツの唇の痕。
これが片嶋の現実だ。
宮野たちの噂話を聞いているのとはわけが違う。
赤く浮き出たその痕は、あたかも今付けたばかりのような生々しい色だった。
それを視界に捕える度に、眩暈を覚えた。
無意識のうちにシャツを脱がせる手が乱暴になる。
肌を伝って背中に手を回すと不意に片嶋の顔が歪んだ。
指先に妙にザラついた感触があった。
ズキンという嫌な鼓動が耳の奥で響く。
慌てて背中を向けさせた。
滑らかな肌に爪の痕。
浅い引っ掻き傷だったが、血が滲んで固まっていた。
何のために、こんなことまで……?
傷を見て、俺は急に冷静になった。
「片嶋、先に手当てを……」
先にも何も、片嶋がこの行為を承諾したわけじゃないのに。
「手当てしたら……帰してくれますか?」
それさえも無表情に問う。
片嶋の心中が推し測れない。
「そんなに、」
俺が嫌か、と言いかけて言葉を変えた。
抱かれるのが嫌だと言うなら、無理にするつもりはなかった。
けど、拒まれているのはそんなことが理由じゃない。
「……そんなに……アイツがいいか?」
分かりきっていることなのに。何故、今更聞きたくなるのか。
その問いにYesもNoも言わない片嶋を、俺はもう一度抱き締めた。
深く、キツく、口付けて。肌を吸って、髪を梳いて。
片嶋はその間も言葉は発しなかった。
無表情で、されるままになっていた。
身体は反応しても、目はどこか遠い所を見ていた。
背中に触れないように片嶋の身体をうつ伏せにして、そっと肩に口付けた。
ピクンと背中が震えて、手のひらからその感触が伝わる。
気が急くのをなんとか自分で宥めながら、できるだけ丁寧に体を解す。
傷に触れないよう肌を擦り、舌を這わせて。
「……っ、」
クリームを塗った指を埋めた時、片嶋が息を詰めた。
その場所は少し赤くなってはいたが、腫れてはいないように見えた。
もっとも、マジマジと見たことなどないから、それが正常な状態なのかは判断出来なかったけれど。
「痛むのか?」
声をかけても片嶋は枕に顔を埋めたままだった。
ごめん……と心の中で謝って、ゆっくりと片嶋の中に押し入った。
時折、呼吸を詰まらせて身体を硬くしたものの、予想していたよりずっとスムーズに俺を受け入れてくれた。
激しい拒絶など感じなかったのに。
「大丈夫か?」
何を聞いても答えは返らない。
惚れている相手にすることじゃないってことくらい俺にも分かっていた。
けど。
首筋の赤い斑や背中の傷が俺を煽って。
止めることができなかった。

――――……後悔、するだろうな……

片嶋を抱きながら、何度もそう思った。


枕に顔を埋めたまま、片嶋は最後まで声を殺していた。
耐えかねて、ときどき喉から漏れる声が余計に俺を煽るのだとは知らずに。
「片嶋、」
答えるはずなどないと分かっていても。
ほんの少しでも気持ちの反応が欲しくて、何度も名前を呼んだ。
「……もう……止めてください……」
片嶋は一度だけそう答えたが、後は一言も話さなかった。
その言葉に見合った反応しか返って来なかったら、あるいは途中で冷めていたかも知れない。
けれど。
気持ちなどなくても、触れられれば身体は応える。
「う……ん…っ…」
体を揺すられて片嶋の息遣いが荒くなる。
背中の筋肉や俺を受け入れた場所がヒクヒクと収縮して、身体と気持ちを高めていく。
手で刺激を与えた片嶋の部分は硬く立ち上がり、今にも熱を吐き出しそうだった。
「……っっ!!」
声にならない呻きと共に、片嶋の体が緊張した。
同時に片嶋の中に埋めていたものが強く締めつけられ、俺もそのまま達した。
俺の手の中に放たれた白い液は一度アイツに抱かれた後とは思えないほどドロリとしていて、妙な安堵感をもたらした。



手と体を拭き終えた後も、片嶋は呼吸が整わないままグッタリとうつ伏せていた。
「大丈夫か?」
相変わらず返事は無かった。
それでも俺は熱の引いた片嶋の体を離すことができずに、背中から抱き締めたまま何度も首筋にキスを落とした。
その間、片嶋はずっと苦しそうに目を閉じていた。
無理やり身体を自分に向けて、赤く色づいた唇を塞ぐ。
片嶋は俺の顔など一度も見ずに、ただきゅっと口を結んでいた。
これ以上はない拒絶に、唇を合わせたまま溜息をつく。

―――どうやっても、アイツに勝てないんだな……

後悔し始めた時、触れていた唇が少しだけ開いた。
そっと舌を這わせると柔らかく反応が返ってくる。
諦めなのかもしれない。
あるいは同情だろうか。
けれど、それさえ真正面から問う余裕もなくて、俺は再び片嶋の体を抱いた。
許されたわけじゃない。
そんなことは百も承知で。
「……あんなヤツ、さっさと忘ちまえよ」
何度もそう言って。

本当は、好きだと言って抱きたかったけれど。
今の片嶋には、そんな言葉も聞こえないだろう。
ずっと目を伏せたまま。
俺から背けられた片嶋の横顔は、耐えているようにしか見えなかった。


応えない相手を抱くことの苦さを初めて知った。
体だけ高まっても、達けないってことも。



時間だけが過ぎていく。なんとか2度目を放った後、急に眠気に襲われた。
よく考えたら昨夜からロクに眠っていない。
「……桐野さん……少し休んでください」
ようやく口を開いた片嶋は、ベッドの中でも会社と同じ丁寧語。
距離を感じてしまうのは気のせいなんかじゃない。
「寝て起きたら、おまえ、いなくなってるだろ?」
アイツにはどんな口調で話すんだろう。
こんな他人行儀な口調じゃなくて、甘えたり笑ったりするんだろうな。
「ここに、いますから」
「信用できるかよ」
俺には本当の気持ちなんて見せない片嶋が。
「でも、本当に、いますから……」
愛しくて堪らない。

俺を慰めるように片嶋の手が背中に回った。
繋げるものなら、鎖で繋いでおきたい。
でも、そんなことをしても俺のものになるわけじゃない。
「……背中、痛くないか?」
「大丈夫です」
答えたのはいつもと変わりない落ち着いた声。
「……そっか……」
そっと抱き寄せて片嶋の髪に顔を埋めた。
眠っている間にアイツのところに戻らないように、片嶋の背中でしっかりと手を組んで。
なのに、うとうとしかけても片嶋が動くと目が覚める。
「やだな、桐野さん。これじゃ俺、寝返りも打てないじゃないですか」
片嶋はまるで何もなかったように普通に言葉を返して俺の腕の中にいた。
見慣れた作り笑いが浮かぶ口元にまたキスを落す。
「寝てください……本当に、どこへも行きませんから」
俺も無理に笑って、少しだけ頷いた。


カーテンも開けず、食事も摂らず、眠れないまま一日を過ごした。
何の感情も見せない片嶋に一方通行のキスをして。
一度も好きだと言えないまま。
何度も抱いた。



部屋が真っ暗になっても片嶋は俺の隣りにいた。
「さすがに腹減ったよな」
どんなに望んでも、ずっとこうしていられるわけじゃない。
のっそりと起き上がると、不自然に怠かった。
「寝過ぎかな……」
……っていうか、やり過ぎなんだろうな。
「片嶋、大丈夫か?」
「はい」
片嶋の返事なんて大半が嘘だ。
こんな時まで無理しなくていいのに。
「メシ食いに行くにしてもこんな時間だしな」
部屋も真っ暗で、足元さえ見えない。
手探りで風呂場まで行って明かりをつけた。
ベッドの中から片嶋が俺を見ていた。
「桐野さん、俺しかいないからって素っ裸で歩くのは止めてください」
こんな色気のない言葉に安堵する。
「見なきゃいいだろ? 布団でも被ってろよ」
腰にバスタオルを巻いただけの格好で脱ぎ散らかしたものを洗濯機に放り込んだ。
「俺もシャワー浴びたいです」
片嶋はベッドに寝転んだままでほとんど溜息のように呟いた。
「ああ。なら、先に行ってこいよ」
バスタオルと着替えを枕元に置いたが、片嶋は黙ってそれを目で追うだけで起きようとしない。
「どうした?」
「……なんか……起きられないみたいです」
「え??」
そんなに大変だったとは思わなかったから、思いきりうろたえた。
片嶋を抱き支えてバスルームに連れていき、シャワーを浴びさせている間中、俺は謝り続けていた。
「そんなに謝らなくてもいいです。ちょっと身体が重いだけで、怪我したわけじゃないんですから」
「けど、痛いだろ?」
「まあ、少しは。でも、いつもよりマシです」
そう言ってから、慌てて口を噤んだ。
一日中一緒にいた相手に向かって、他の男を思わせる返事。
そんなことを思う間もなく俺は言葉を返していた。
「背中に爪立てるような男だからな」
つい口を突いて出た俺の厭味に片嶋が溜息をついた。
「……いつもは、そんなことしないんですけど……」
抱き留められたまま身体を拭かれているこんな場面で、アイツの弁護をする。
それを俺がどんな気持ちで聞いているかなんて片嶋には分からないんだろうけど。
「……なら、いいんだけどな」
狭い脱衣所に投げやりに響く。
片嶋が顔を上げて言葉を足した。
「俺が桐野さんの所に行くって言ったから、わざとやったんです。いつもはキスマークだってつけません」
ヤキモチってことか。
「良かったじゃねーか。愛されてて」
投げやりもここまでいくと大人げない。
俺の言葉など聞き流して、片嶋はまた遠くを見ていた。
「桐野さんなら、」
ぼんやりとしたままで。
「なんだよ?」
俺の方なんか見てないくせに。
「……好きな相手を殴ったりしないですよね」
虚ろな視線をさ迷わせて問いかけた。
「俺じゃなくても普通はしねーよ」
片嶋はただ、「そうですね」と呟いて俯いた。
「大丈夫かよ?」
俺も人のことなんて言えないが。
なんであんなヤツに振り回されているんだろう。
「なんか、ダルいよなぁ……」
片嶋の肩を抱き寄せて、頬に手を添える。
ようやく顔だけはこちらに向けたが、視線は外したまま。
それでも唇を合わせるとそっと目を閉じた。
片嶋の気持ちは、100%がNOじゃない。
だったら。
今はまだ、これでいいと思うことにした。


……俺も大人になったもんだな。



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