パーフェクト・ダイヤモンド

15




よくわからない片嶋と、曖昧な日々。
最近はアイツのところにも行ってないようだけど。
まあ、俺んちに来ていない時の片嶋がホントにちゃんと自分の家に帰っているかなんて分からないんだけどな。


8時に会社に戻ってくると、周囲が帰り支度を始めていた。
「おまえら、もう帰るのか??」
「飲みに行くんです。いつもの店にいますから桐野さんも終わったら来てください」
聞けば今日で今月の数字が埋まったとかで、打ち上げも兼ねての飲み会らしい。
「片嶋クンも来ますよ〜」
宮野は相変わらず片嶋がいいらしい。
その片嶋に毎回思いっきり潰されて二日酔いになってるくせにめでたいヤツだ。

そんなわけで。
散々飲み散らかした後、宮野はやっぱり片嶋に潰されていた。
「じゃあな、ちゃんと家まで辿り着けよ」
酔っ払いを見送った後、通りには俺と片嶋が残された。
片嶋は当然のように一緒にタクシーに乗り込んできた。
「西荻と吉祥寺の間なんですけど」
行き先を告げたのも片嶋で、俺はちょっと首を傾げる。
「おまえさ……これって、世間じゃ二股って言うんじゃないか?」
また言わなくていいことを口にしていた。
「そうですか? でも……」
片嶋はその先を言わなかった。
―――でも。
俺たちはそういう関係じゃない。
そういうことなんだろう。
「……別に、いいけどな」
理由なんてなんであれ、片嶋も一緒に居たいと思ってくれているんだろうから。
今はそれ以上を望んでも仕方ない。


片嶋のキーケースには相変わらず鍵が3つ。
当たり前のように取り出してドアを開ける。
「どうぞ……って、桐野さんの部屋ですけど」
ドアを押さえて俺を先に部屋に入れた。
俺がシャワーを浴びて戻ってくると、片嶋が寒いと言ってベッドに入ってきた。
「おまえ、そうやって遠慮なく入ってくるけどな……アイツのこと、ちゃんと忘れたのか?」
そんなはずは無いと思いつつも聞いてしまう。
片嶋は気まずそうに首を振った。
「そっか……俺、未だに片嶋を殴るようなヤツに勝てないんだな」
「桐野さんの方がいいってことくらい分かってます」
あまりにサラッと言うもんで。
「そのセリフも全然心が隠ってないもんな」
「俺なんかに好かれなくても桐野さんなら、いくらでも……」
その上、こんなことまで言うんだから。
「……冷たいよな、おまえ」
愚痴っても仕方ないが。
「だって、そんなすぐには……」
真面目な顔で言い訳をする片嶋がやっぱり可愛くて。
俺も大概甘いとは思ったけれど。
「別に今すぐじゃなくてもいいんだけどな」
見上げていた涼しげな瞳が閉じられた。
長い睫が目の前で揺れて、そっと唇が重なった。
こういう思わせぶりは良くないぞ、と言うべきなんだろうけど。
「片嶋、少しは俺のこと好きなのか?」
代わりにそんなことを聞いてしまった。
「好きですよ」
そんな言葉をいやにあっさりと答えられて落胆した。その言い方からして、俺が期待するような意味からは程遠い。
……まあ、いいんだけど。
もう一度、キスを落とす。
最初に抱いた日が嘘のように、ちゃんと応えてくれた。
唇が離れて目を開けたら、片嶋は何故か笑っていたけど。
「なんで笑ってんだ?」
「別にたいしたことじゃないんですけど」
そこで言葉を区切って。
「どの辺から、本気っていうのかなと思って」
俺が見たこともないような穏やかな笑顔で。
「……そんなこと……俺に分かるかよ」

わずかな可能性がこれほど嬉しかった事はない。


何度もキスをして、長い時間抱き締めて。
片嶋の気持ちを確かめてから……と思っていたのに。
「片嶋、」
呼びかけた時、腕の中から柔らかな寝息が聞こえてきて苦笑した。
覗き込むと何だか随分と安心した顔で眠っていて、今度は本当に笑ってしまった。
こんな風にここにいることが、俺に対する片嶋の甘えなんだろうと思って。
焦っていたことがバカらしくなった。

規則正しい呼吸に誘われて、笑いながら眠り落ちた。
大丈夫。
後、もう少しだ。
そんな気持ちで見る夢は楽しかった。



こうやって一緒にいる時間が長くなって、せっかくいい雰囲気になってきたと思ったのに、最近の片嶋はあの件にかかりきりだった。
俺といてもその話ばかり。
今日も俺の部屋にパソコンを持ち込んで資料作りだ。
「家に帰ると家族がうるさくてできないんです」
「おまえがたまにしか帰らないからだろ?」
「そうですけど」
どうやら片嶋は両親と今でもピンピンしているという祖父母に溺愛されているらしかった。
「兄弟はいないのか?」
「姉が。でも結婚して家を出てますから。それに俺よりずっと年上だし」
待望の男の子。しかも両親が40近くになっての子だったというから、その可愛がられようは相当なものだったんだろうと推測される。
……どことなくマイペースなのもそれが原因かもな。
出来上がった資料のレイアウトを確認しながら、片嶋にしては珍しく仕事の愚痴をこぼしていた。
「俺、絶対、牧原さんには勝ってると思うんですけど。役員の投票だけで決まるっておかしくないですか?」
牧原主任は専務の息子で、そういった事情からわりと優遇されていた。
毎回彼の稟議が採用されるので、役員会にかけられるライバルたちの稟議書を専務が事前にこっそり回して対策を練っているんじゃないかという噂まで流れていた。
真偽の程はわからないけれど。
「でも、牧原さんの対抗相手が毎回潰されるって変ですよね」
片嶋の言い方が大袈裟なわけじゃない。
もちろん牧原さんの稟議もそれなりに良い出来なんだが。
前回もまるで片嶋が事前に上げた稟議の内容を知っていたかのように弱い部分を抉ってきた。
それでも意見は別れて、次回の役員会に持ち越しとなったらしいが。
「しかも、常務以下は稟議の内容じゃなくて専務の顔色を見てるんですから」
役員の中では牧原専務が一番年上だ。
社長は親会社から来た人間だが、役員の中では一番若い。
常務も他の取締役連中も専務派ということになるのだろう。
よほどのことがない限り、牧原主任の案に投票するはずだ。
「じゃあ、能力重視って嘘じゃないですか」
「おまえにしては青臭いこと言ってんな。会社なんてタテマエで動いてんだよ。そういうもんだ」
「分かってますけど」
でも、悔しいんだろうな。こんなにムキになる片嶋は見たことがない。
いつも涼しい顔をしてるのに。
「うちの会社で決めるからそんなことになるんだろ? 先方に決めさせるような稟議にしたらどうだ?」
それなら、専務派閥の役員も専務に逆らわずに、しかも社員を裏切らずに決定が出来る。
「そんなこと出来ますか?」
そりゃあ、先方からは一社一案でと言われているんだろうけど。
「あそこってさ、来週、社外取締役を何人か迎える手はずになってるらしいぜ」
「今頃?」
「半分はアメリカ人だと」
米国の企業に買収されるいう噂は随分前から出ていた。
「例の会社からですか?」
「多分な。けど、買収じゃなくって提携って名目になってるらしい。まあ、少なくとも今回の件には口を出すんじゃないか」
先方にとっても決して少なくはない金が動くんだ。当然、契約そのものをイチから見直される可能性も出てくるだろう。
「うかうかしてると総流れってことも有り得るって状況だ」
「情報の出所は?」
「思いっきりインサイダーだからそれは言えないけど。まあ、金曜にはプレス発表らしいからどうせすぐに分かる」
企画会議は火曜日、最終決定をするはずの役員会は木曜日。
一日くらいなら結論を延ばせるはずだ。
「いい情報ですね」
片嶋の目は何かを思案していた。
「けど、どうせ資料は事前提出なんだから、いつものように潰しにかかられたら一発アウトだぜ?」
みんなそれでヤラれてるんだ。今回だって同じだろう。
なのに片嶋は余裕の微笑みを見せた。
「そんなことは、どうにでもなりますけど」
……どうにでも?
なるもんか??
相変わらず、片嶋の考えていることは俺には分からないけど。
まあ、コイツがそう言うんだから、そうなんだろう。
「じゃあ、張り切って稟議書作らないと」
「そんなにいくつも作ってどうするんだ? 全部使うわけじゃないんだろ??」
「全部使いますよ。……内緒ですけど」
口止めなんてしなくても誰かに言うつもりはないけどな。
それよりも。
「桐野さん、俺に気を使わなくていいですから先に休んでください」
ずっとこの調子なもんで。
片嶋の承諾をもらって抱いたことは未だに一度もなかった。
っていうか、あれからはそういう雰囲気にさえならない。
「おやすみなさい」
片嶋はにっこり笑って俺をベッドに追いやった。
「……あんまり無理するなよ」
少し淋しい気もしたが、それ以上は強く言えない俺だった。
片嶋が出向したらもうこんな風にちょくちょく遊びに来ることもなくなる。
そう思うと気持ちはかなり焦るんだけど。
まあ、無理強いはいけないよなと自分に言い聞かせて、我慢して大人しく寝ることにした。
あの日以来、俺は何度も反省したから。

ベッドに入ってから、キスくらいはしても良かったかなと思ったけれど。
パソコンを叩いている真剣な横顔を見て、それも諦めた。



企画会議は予想した通り、牧原主任が片嶋の稟議を潰しにいく格好となった。
「先方で? それは無理だ。一社一案と言われているんだぞ」
専務は激怒したらしいけど、社外取締役を迎えて体制の見直しを図るらしいと言う噂を流しておいたおかげで、頭ごなしに却下されることはなかった。
休憩時間になると社長と専務がうちのフロアに下りてきて部長に確認を入れた。
「噂は本当かね?」
部長に尋ねられて、担当の宮野はいかにも自信がなさそうに小さな声で返事をした。
「……聞いたところによると、そんな感じです」
社長と専務が顔を見合わせた。
部長が溜息をつきながら俺を呼びつけた。
「本当ですよ。詳細までは分かりませんが、金曜にプレスを集めて発表するらしいです」
なんで俺が……といつもなら思うところだが。
今回は片嶋のためだ。
どうしてもと言うなら、向こうの担当者を裏切って名前を明かしてもいいとさえ思ったが、さすがに社長もそこまでは聞かなかった。


会議が終わったその日、片嶋は律儀にも俺の家まで礼を言いに来た。
「会議の席で、信憑性がないって言われなかったのか?」
「社長が、『桐野君が言うのだから間違いはないだろう』って言うから。それでおしまいでした。出所が桐野さんじゃなかったら適当に流されて終わってましたよ」
片嶋は呆れ半分で肩を竦めた。
「本当に適当だな。うちの会社」
俺も呆れたけど。
とにかく、俺たちの目論見通りに先方の動向を見てから最終決定をすることになったらしい。
「まあ、良かったんじゃないか?」
「はい。ありがとうございます」
……他人行儀も相変わらずだ。
「業務提携と社外取締役の件が本当なら、再交渉して2案同時提出で決定です」
けど、その先は難しいだろう。
牧原主任は間違いなく片嶋潰しの提案を練ってくる。
後で差し替えればいいかもしれないが、だからと言って役員会にかけたものと全く違う提案書を提出するわけにもいかない。
だいたい、専務がそんなことをさせてくれないだろう。
先方へは彼が資料を届ける事になっているんだ。
ならば、先方に渡ってから、こっそり差し替えるか?
……ダメだよな。
そんなことしたら会社の信用問題だ。
そういったことまで考えれば、牧原主任の優勢は変わらない。
だからなのか、牧原主任は2案同時提出にもあっさりと賛成したらしい。
まあ、親の権力でって言われてることくらい自分でもわかっているだろうし。
それで片嶋に勝った方が聞こえがいいからなんだろう。
「片嶋、今回の件、勝てると思うか?」
既に牧原主任の手には片嶋の最終稟議が渡っているのだろう。
「勝ちたいとは思ってますよ」
余裕の笑みと共に片嶋の目がキラリと光った。
本当のことを言うと、俺はそれよりも片嶋と一緒に寝ることの方が大事だったのだが。
「先に寝てくださいね。俺、今日は本当に遅くなりますから」
どうやら今日も資料作りをするらしい。
振り向きもしないでそう言われて。
こんなツレないヤツを好きになったのは俺なんだから仕方ないよな……と心の中で愚痴をこぼしながら、今日も俺は一人でベッドに入った。



薄明るくなった頃、目を覚ました。
腕の中で気持ち良さそうに眠っている片嶋を見て、また眠れなくなった。
柔らかい髪を撫でて、頬に口付ける。
くすぐったそうに身じろぎする体を抱き締めて、熱を逃がすために深呼吸した。
まだ、アイツのことは忘れていないだろうけど。
ゆっくりでいい。
このまま、少しずつ。
上手くやっていけるはず。



――――そう思っていた。



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