パーフェクト・ダイヤモンド

17




日々は慌しく過ぎていく。
片嶋の案件も先方の都合で延び延びになっていた。
うちから提案した案がどちらも流れた場合は、出向者一名は役員会の投票で決まるらしい。
牧原主任は既に出向の準備をしているようだった。
一方の片嶋は相変わらずだ。
涼しい顔で今日も営業ツールのヒアリングをしていた。
「片嶋クン、たまには飲みに行こうよ」
宮野たちが誘っても、適当に流す。
「すみません。なんだかバタバタしていて。ぜんぜん終わらなくて家に仕事を持ち帰ってるくらいなんです」
にっこり笑われたら宮野も引き下がるしかない。
「そっかぁ。大変だね」
片嶋がヒアリングを終えて企画室に戻るまで、宮野は「残念だなぁ」を繰り返していた。
「企画会議も役員会も終わったのに。まだ忙しいんでしょうか?」
飯島が首を傾げる。
「アホな営業でもセールストークに困らないようなツールを作るのは並大抵のことじゃないんだろ?」
「僕たちのせいですか?」
「分かってんじゃねーか」
「他社に余裕で勝てるような商品を考えてくれたら、もっと数字も行くんですけど」
最近、阿部が宮野化してきたような気がする。
アホまっしぐらな発言を普通にするようになった。
「だよね〜」
まあ、アホの度合いを言うなら常に宮野は一番だが。
「バーカ。放っておいても売れるもんだったら営業マンなんて要らねーんだよ」
自分らの存在意義ってヤツが分かってないな、コイツらは。
「おまえらクビにしてその分を開発コストに回した方がいいかもな」
宮野も飯島も阿部もバタバタと仕事に戻った。
……気付くのが遅いんだよ。


片嶋が宮野たちの誘いを断わり続けるのも、俺とのことが原因なんだろう。
飲み好きなのに。
ストレスだって溜まってるだろうに、俺に気を遣うことなんてないのにな。
そういうところは要領が悪いんだから。
片嶋もバカだよな。
そんなことを考え始めたら放っておけなくなって、ついつい宮野をそそのかしてしまった。
「そんなに行きたかったら、宮野と飯島と阿部くらいの小人数で誘ってみたらどうだ? さっさと切り上げれば片嶋の負担にもならないだろう?」
「桐野さんは行かないんですか?」
「俺、今日は接待だからな」
それを聞くと同時に宮野がいそいそと内線をかけ始めた。
「そう。僕と飯島と阿部。うん。一時間くらいで軽くどう? え? 桐野さんは接待だからダメなんだけど……うん、うん。いいよ、じゃあ、後でね」
宮野に粘られて片嶋もOKしたらしい。
「えへへっ〜。いいって言ってくれました」
「営業の時もそれくらいの粘りとトークが欲しいもんだ」
「そうですか? 頑張ります〜」
俺の厭味も前向きに受け止めやがって。
宮野ってホント、いい性格だと思うよ。
まあ、「いい人ね」で終わるタイプだとは思うけど。
……それについては俺も宮野と一緒かな。



その夜は予定通り接待だった。終始いい雰囲気で、飲んでいる間に良い話が持ち上がった。
「じゃあ、桐野君、頼むよ」
そんなわけで急に月曜のアポを変更しなければならなくなった。
「わかりました」
そう答えたものの、どうしても時間が合わない。ならば角度の低い方の案件を宮野に変わってもらおうと思って接待の後すぐに電話をした。
まだ9時過ぎだ。
いくら宮野でもこの時間ならまだ酔ってはいないだろう。
「俺、月曜に急用が入ってH社に行けないんだ。おまえ、代わりに行ってくれないか? 2時に本社。代理店と一緒だ」
『いいですよ〜』
片嶋と飲んでいるはずなのに、宮野はあんまり楽しそうじゃなかった。
「なんだよ、暗い声出して」
『片嶋クンが帰っちゃいました』
この時間に飲み会を抜けるってことは、アイツの家にでも行ったんだろう。
「いいじゃねーか。最初から軽くって前提だったんだろ?」
『そうですけどぉ……』
「おまえも、金曜だからってあんまり深酒すんなよ」
『はっぁ〜い』
って。既に酔っ払ってるじゃねーかよ。
月曜のアポの件、大丈夫なんだろうか。
「……ったく」
電話を切って駅に向かった。
この方向なら片嶋に会うこともないだろう。
そう思っていたのに。
ふと顔を上げると、片嶋の後ろ姿があった。
どうやら駅に向かっているらしい。
……アイツの家じゃなかったのか。
ホントに今から帰って仕事をする気か?
「片嶋!」
意識するより前に呼び止めていた。
驚いて振り返る片嶋は、ほんの一瞬笑顔を見せた。
でも、すぐに困ったような表情に変わった。
「……接待じゃなかったんですか?」
「さっき終わったんだ。もう帰るのか?」
「はい」
「まだ仕事、残ってんのか?」
「そういうわけじゃ……」
それ以上は言わなかった。
「なら、一杯だけ付き合えよ」
片嶋は返事を躊躇っていた。
「嫌なら断われよ。気なんか遣わなくていい」
俺は無理に笑って言ったけど。
「……嫌じゃないから、迷っているんです」
片嶋の返事を聞いて、笑えなくなった。
俺はそんな言葉にも簡単に振り回されてしまう。
何度振られても諦めきれないから。
「なら、付き合えよ。15分だけ」
片嶋の腕を引いて、近くの店に入った。
約束通りビールを一杯だけ飲んで、店を出るまでにかかった時間は20分。
「悪かったな。無理につき合わせて」
「いえ。俺こそ……すみません」
片嶋が妙なタイミングで謝った。
その声は、アイツと話していた時よりもずっと苦しそうで。
だから、片嶋を困らせているのはアイツじゃなくて俺なんだって気づいた。
もう限界なんだろう。
自分に言い聞かせるけど。
目の前で困ったような顔をしている片嶋が、やっぱり愛しい。
「どうした? 帰るぜ?」
俯いて突っ立っている片嶋を促して歩き出した。
近道をして一緒に駅まで行こうとした時、不意に後ろから声をかけられた。
「ショウ」
店を出た裏通りにアイツが立っていた。
今日もスーツ姿だったが、どうやっても勤め人には見えない。
俺から見れば軽薄そのものなのに、擦れ違う女が振り返る。
「同じ店にいたのに気付かなかったのか?」
当たり前のように片嶋の腰に手を回す。
相変わらず俺の存在は無視だ。
条件反射で体を引いた片嶋をソイツはわざと強く抱き寄せた。
「またそいつか。そんな関係じゃないと言っていたのは、おまえだろう?」
片嶋は俺から目を逸らして背を向けた。
そのままアイツに抱きすくめられてキスを受けた。
直視する気力はなかったけど。
片嶋がその行為を歓迎していないような素振りを見せたことが救いだった。
コートの上からでも分かるほど体が強張っている。
そんなことくらい男だって承知しているはずなのに、気にする様子もなく片嶋の肩を抱いたまま歩き出す。
遠ざかる片嶋の背中。
いつだってこうしてアイツを選ぶのに。
俺はまだ。
引き止める言葉を欲しがっていた。
「片嶋、」
呼びかけても振り返らなかったけれど。
それでも静かに足を止めた。
何を言っても無駄かもしれないと思わなかったわけじゃない。
でも、俺が心配してるって事だけは伝えたかった。
「……もう、殴られて来んなよ」
気持ちだけじゃなくて身体まで傷つけられて、それでもそんな奴がいいなんて、本当にバカだと思うけど。
半分はアイツに向けて。
俺の大事な片嶋を傷つけるなって。
頼むから、もう2度と傷つけるなって。
それだけはどうしても言いたかった。


アイツはただ薄ら笑いを浮かべているだけ。
片嶋は背中を向けたまま、動こうとしない。
コートのポケットに手を突っ込んだまま、何かを握り締めていた。

今、どんな顔をしているんだろう。
会社にいる時の涼しい表情も、時々見せるはにかんだ様子も好きだけど。
苦しそうなところは、もう見たくない。

立ち尽くしたまま背中を見つめていたら、片嶋が不意に振り返った。
何か言いたそうに少しだけ唇を開いて。
でも、すぐにギュッと結んで。

だから。
今なら言えると思った。
「片嶋、」
この先、ずっと口にすることはないと思っていたけど。
「俺、おまえが好きだよ」
やっとそれだけ告げて、少しだけ微笑む。
「そんなヤツに渡したくないけど、おまえが傷つかないって言うなら止めないから」
俺のものじゃないんだけど。
でも。
俺は絶対そいつより片嶋を大事にしているはず。
「ショウ」
俺の言葉を打ち消すように片嶋の名前を呼んで。
男が乱暴に片嶋の肩を引き寄せた。
手が届く位置にいたら、俺は条件反射で殴っていただろう。
けど。
その手を払ったのは、片嶋だった。
そのあとも俺の顔なんかチラリとも見なかった。
だからと言ってアイツの顔も見てなかった。
また両手をポケットに突っ込んで、冷たそうな道路に視線を落とした。
普段なら絶対に見せないような不安定な横顔。
時折り、少し揺れる視線。
「片嶋っ!」
迷っているんだって分かったから。
呼んで、すぐに走っていった。
ポケットに入れられていた片嶋の手を取って、そっと俺の方に向ける。
それでも片嶋は俯いたままだったけれど、緩く掴まれた手を払いはしなかった。
簡単に振り解けるのに。
払わなかった。
「おまえが少しでも迷うなら、アイツのところには行かせない」
これで駄目なら本当に最後にしよう。
しばらくは諦められないだろうけど、これ以上引き摺ったら片嶋も辛い。
「ショウ、帰るぞ」
アイツの苛ついた声が聞こえても、片嶋は応えなかった。
「……桐野さん、」
続ける言葉を捜して唇が震える。
「なんだ?」
続きを急かす俺に、やっと告げた。
「本当に……俺で、いいですか……?」
多分、それが勝利の瞬間。
「おまえが、好きだよ」
片嶋がゆっくりと視線を上げた。
目が合うまでちゃんと待ってから。
握った手をそっと引き寄せて、抱き締めた。
夜の新宿。
裏通りでもそこそこ人はいたけど、そんなことも気にならなくて。
「ショウ!」
男の声が背中に降っても、片嶋は俺の胸に顔を埋めていた。
「悪いけど、片嶋は俺が貰ったから」
アイツに言い放って、腕に力を込めた。
片嶋は俺にギュッとしがみついたまま、ピクリとも動かなかった。
本当はまだアイツに気持ちが残っているから、頷くことも振り向くこともできなかったんだろう。
だから、アイツの後姿が見えなくなるまで、ずっと片嶋を抱き締めていた。
片嶋の気持ちが揺れないように。

例え揺れたとしても、離してなんかやらなかっただろうけど。



アイツの足音がすっかり聞こえなくなってから、片嶋はようやく顔を上げた。
「……もう、忘れますから」
まっすぐ俺を見て、それだけ告げた。
「100億決めた気分だな」
少しはしゃいで言う俺に、
「仕事に換算するんですか?」
ようやく片嶋らしい涼しげな微笑みを向けた。
「百億決めたら年度予算終わりだもんな。顧客端末見たら圧巻だぜ、きっと」
「見られないですよ。うちのシステム、1案件につき1億までしかケタがないですから」
「そうだっけ?」
「そうです」
なんかイマイチ、色気がないけど。
「まあ、いいか」
「酒買って帰りましょうね」
「俺は先に寝るからな」
「付き合ってくれないんですか? 冷たいな、桐野さん」
片嶋が真正面からにっこり笑った。
……俺が断わらないって分かってるんだな、コイツ。


けれど、そんな笑顔が可愛くて、もう一度片嶋を抱き締めた。
「桐野さん??」
酔っ払いに冷やかしの口笛を吹かれても、俺の耳には祝福にしか聞こえなかった。



Home    ■Novels    ■PDのMenu       << Back  ◇  Next >>