パーフェクト・ダイヤモンド

18




せっかくの土曜日を俺たちはほとんど無駄にしてしまった。
「おまえ、元気だな」
昨夜の酒は妙に回りが良くて俺はカンペキに二日酔いだったが、片嶋はサクサク起きてコーヒーを淹れた。
「いつものことなので、復活するのは早いです。それに桐野さんと飲むようになってから酒、強くなっちゃって」
……俺のせいにするとは思わなかったが。


二人で何をするでもなくぼんやりと一日を過ごした。
一人でそんな休日を過ごそうものなら激しい後悔に苛まれたりするのだが、片嶋と一緒だと、それはそれで結構いいものだな、なんてしみじみ思うあたり、自分の単純さに苦笑する。
けど、片嶋はただぼんやりしているわけではなさそうだった。
「何考えてんだ? 眉間に皺なんか寄せて」
「え? ああ……先方への提案のことですけど」
含みのある返事だった。
「何か手伝えることあるか? 必要ならもっと極秘の資料もあるけど」
なんでこの穏やかな休日に仕事の話かな。
……まあ、いいんだけど。
「そう言えばファイルにグループ情報、載ってましたよね?」
「未確認でアテにならないものもあるけどな。あそこの関連は一応全部あるよ」
俺の言葉に急に閃いたように顔を輝かせた。
「いいですよ。確認は自分でしますから」
「そんなんで役に立つのか?」
「充分です」
楽しくて楽しくて仕方ない。そういう顔をしてみせた。
訝しむ俺に片嶋は不敵な笑みを見せた。
「……俺、勝てると思いますよ」
それも、怖いほどに自信たっぷりで。
「けど、もう専務が提案書を置いてきたんだろう?」
「やっぱり差し替えることにしました」
「どうやって?」
「桐野さんから頂いた名刺の方に話をつけてあるので」
「なんて言い訳したんだ??」
「英語の提案書を作ったので、ついでに差し替えさせてくださいって」
「けど、内容までは変えられないだろう??」
「内容は変わってませんよ。ただ、言い回しをちょっと変えただけで……まあ、牧原さんの突っ込みは全部無効になりますけどね」
「よくそんな都合のいい提案書に変えられたな」
その言葉に片嶋が笑いを漏らした。
「最初からそのつもりで作ってましたから」
「はあ?」
「企画会議に懸けた方はダミーです。わざと牧原さんが突っ込みやすいように作っておきました」
そこでようやく分かった。
あんなに幾つも提案書を作っていた理由。
ダミーと本物と英語版。
「おまえなぁ……」
それって性格悪くないか??
いや、そのくらいのことはしないと勝てないとは思うけど。
「でも、わざわざ英語の提案書まで用意したら、社外取締役だって口を出すだろう??」
俺の心配などまったくの無用だった。
「ええ。会議にも出席されるそうですよ」
当然のように情報収集済み。
「英語で質問が来たらどうするんだ??」
「それを狙っているんですけど」
それも笑顔で。
「だって。牧原さん、英語しゃべれないでしょう?」
専門用語を駆使してペラペラと説明できるヤツなんて、うちの会社には数えるほどしかいないだろう。
「けど、差し替えなんてさ。後で始末書モンだぞ? タラタラ3時間くらい説教食らうぞ??」
「それも大丈夫だと思います」
その余裕の微笑みを見て。
片嶋だけは敵には回すまいと心の中で固く誓った。



二人でまったりと一日を過ごして、晩飯を食いに行こうと着替え始めた時、片嶋の携帯が鳴った。
片嶋が取ろうか無視しようか迷っていた時点でアイツだってことは分かったけど。
片嶋は仕方なさそうに溜息を一つ吐いてから電話を取った。
「荷物?……捨てていいから」
昨日の迷いが嘘のように、落ち着いた声ではっきりと答えた。
それほど動揺もしていないように見えた。
「俺、もう会いたくないよ」
言いながらチラリと俺の顔を見る。
電話の内容が気にならなかったと言えば嘘になるが、片嶋があまりに話しにくそうなので顔を洗いに行くことにした。
それにしても。
気になったのは、片嶋の言葉遣い。
やっぱりアイツにはタメ口なんだな。
そうだよな。
当たり前だ。
……でも、面白くない。
置いてある荷物を取りに来いなんて見え透いた手口。
このまま男の家に行ったら、猫なで声でアイツに言い包められて。
ついでに押し倒されて……
あの様子だと、アイツはそれくらいはするだろう。
ナンだかんだ言って片嶋は押しに弱いから、もしかしたら……なんてこともあるかもしれない。
そう考えたら何だか急に落ち着かなくなってきた。
片嶋が男の所に荷物を取りにいくと言ったら……?
止めた方がいいのだろうか?
それとも、そのまま見送るべきか?


少ししてバスルームに遠慮がちなノックがあった。
「なんだよ。会うことにしたのかよ」
知らず知らずのうちに冷たい口調になっていた。
俺が妬いているのが分かったんだろう。
片嶋はコクッと一つ頷いて、ちょっとだけ笑った。
……ったく。人の気も知らないで。
「それで、頼みがあるんですけど」
しばらくニコニコした後、片嶋は会社とあんまり変わらないキリッとした顔になった。
「なんだよ」
「車で送ってもらえませんか? 彼のマンションに忘れてきたカバンとか着替えとかを持って帰ることになったんですけど結構たくさんあると思うので……それと、」
「早く言えよ」
自分でもはっきり分かるほど俺はイラついていた。
それでも片嶋は真面目な顔のままだった。
「一緒に来て彼氏の振りをしてもらえませんか?」
そのことそのものがどうと言うわけじゃないんだが。
『彼氏の振り』という言葉が引っ掛かった。
俺は昨日OKを貰ったつもりでいたんだけど。
片嶋はそうじゃないんだな。
……まあ、いいんだけど。
「仕方ねーなぁ……」
などと言いながらも、あからさまにホッとしてたけど。
「良かった。正直なところ一人で行く勇気がなくて、断られたらどうしようかと思いました」
片嶋も安堵しながら微笑んだ。
そんなこと、俺が断わるはずないだろ。



軽く食事をしてから、車でアイツのマンションへ向かった。
「中野ってヤツ、何して食ってんの?」
片嶋は助手席で首を傾げた。
「なんか、いろいろ。今はあの人に貢いでもらってんじゃないですか?」
「おまえも貢いでたのか?」
「ときどきは奢ったりすることもありましたけど……いつもは本当に羽振りが良くて、何をするにも俺が金を出すなんてことはなかったです」
「へえ……」
それも、なんか。
ちょっと意外。
「昔はもう少しまともでしたよ。あんな怪しい感じでもなくて」
ふうっとため息とも深呼吸ともつかない息を吐いて、片嶋は赤信号を見つめている。
昨日の今日じゃ、な。
まだ引き摺ってても仕方ないか。
「アイツと一緒にいたヤツって、いくつくらいなんだろうな?」
顔はもう覚えていなかったけど、随分若く見えたことだけは記憶していた。
片嶋よりも年下だろう。
もしかしたら10代かもしれない。
「桐野さんも興味あるんですか?」
片嶋がショックを隠し切れない顔で俺を見たから、笑いそうになった。
「俺は片嶋の方がいいよ」
考えたセリフじゃなくて、ごく自然に出てきた言葉だったが、片嶋は苦笑した。
「桐野さんだって」
「なに?」
「心、こもってませんよ」
ちょっと拗ねたようなその言い方が片嶋らしくなくて、変に可愛く思えた。
「あのな、そういう深読みは可愛くないぞ。俺は思ったことをそのまんま言ってるだけなんだから」
ムキになって言ったら、片嶋はなんだか急にほんわかした顔で笑った。
「なんだよ」
「いいです、桐野さんのそういうところ」
「何がだよ」
「力、入ってなくて」
自分に対する誉め言葉は、はぐらかす癖がついているようだった。
まあ、あんな口先だけのヤツに慣れたら、そうなるのも無理はないんだろうけどな。



片嶋の指示で交差点を右折すると、グレーの建物が見えた。
「ここです」
本当に会社のすぐ近くだった。
こんな都心に住めるっていうのは、すごくないか??
「きっと他にも貢いでいる人がいるんですよ。二股とか当たり前だから」
別れた男とはいえ、よくまあ、あっけらかんとそういうことを言うよな。
切り替えが早過ぎないか、片嶋……?
俺は溜息を隠して空きスペースに車を止めた。
「行ってきます。遅かったら迎えに来てもらえますか? この時間なら暗証番号だけで中に入れますから」
「ああ」
それでも片嶋の表情は心なしか固かった。
オートロックの暗証番号と部屋番号を告げると車の窓越しににっこり笑って、建物の中に消えた。
それにしても、『遅かったら』って、どのくらいだろうな……?
片嶋に確認しておけば良かった。
荷物を取ってくるだけなら10分もあれば充分だろう。
少なくとも今は他の男と付き合っているんだ。片嶋の持ち物なんて運良く捨てられてなかったとしても、一まとめにされてどこかに追いやられているに違いない。
う〜ん……。
時計を見たが、まだ10分も経っていない。
けど、落ち着かない。
余裕かまして車にふんぞり返っているつもりだったが、駄目だった。
俺は口の中で暗証番号と部屋番号を唱えながら車を降りた。
エレベーターから一番遠い東南角部屋。表札なし。
インターフォンを押すとピンポーンとかすかな音がしたが、返事はない。
部屋番号は合っている。
もう一度鳴らすとやっとブチっという音がしてインターフォンが繋がった。
「……桐野と申しますが」
なんか、変な感じだ。
『今、行きます』
片嶋の声だった。バタバタという騒々しい音の後にドアが開いて片嶋が顔を出した。
シャツがはだけている。
何をしていたんだろうかと一瞬不安になったが、片嶋はごく普通の顔で俺を出迎えた。
「すみません。荷物、思ったよりたくさんあって……」
薄暗い玄関で顔を上げ、そこで急に黙り込んだ。
ドア口に突っ立っている俺をまじまじと見つめている。
「どうした?」
「え、あ、なんでも……」
「じゃ、早くしろよ。帰るぞ」
心配でそわそわしている俺に、片嶋は無言で極上の笑顔を返した。
それから足元に置いてあった紙袋を抱え上げた。
袋が3つもあったので、そのうち2つを持ってやったら片嶋がまたにっこり笑った。
片嶋は後ろに立っているアイツにチラッと目を遣ってから、俺の腕に触れた。
そっか、彼氏のフリをするんだった。
俺も軽く片嶋を抱き寄せて、額に口付けた。
彼氏の振りにしたらヌルいんだろうけど、まあ、あんまりこれ見よがしなのもどうかと思うしな。
「お世話様でした」
余裕の笑みで挨拶をして、軽く会釈をした。
片嶋はまだ少し複雑な表情だったが、それでも俺の腕の中からちょこっと頭を下げた。
その間、アイツは一言も発することなく立ち尽くしていた。



「桐野さん、このまま飲みに行きましょう」
片嶋はいつもと同じアル中発言。
でも、やっぱり微妙な笑顔だった。
荷物を全部引き上げたら、会いにいく口実もなくなる。
つまり、アイツとはこれっきりってことだから。
「バカ、車で来てんだぞ」
「じゃあ、家で飲みます? まだビール残ってましたっけ?」
わざと明るく振る舞うのは、俺に対しての気遣いなんだろうか。
……とか思ったが。
「俺は二日酔いなんだけど」
「いいじゃないですか、迎え酒」
片嶋は妙に楽しそうだった。
マジで切り替えが早い。
それよりも、こいつ本当にザルだ。昨日の酒はいったいどこへ消えたんだろう。
半ば呆れつつも、ごく普通に笑う片嶋に心底ホッとしていた。
そんな気持ちで、信号待ちの間にそっと片嶋の頬に手を伸ばした。
触れたら少しくらいは俺に見せない部分も分かるんじゃないかと期待して。
……もちろん、そんなのは思い込みなんだけど。
でも、片嶋は言葉でそれに応えてくれた。
「俺、やっぱり桐野さんが好きかもしれないなって思いました」
『かも』っていうのは少し気になるが。
でも、それはいい傾向だと前向きに受けとめることにした。
「だって、まさか10分で迎えに来てくれると思わなくて」
俺がどれだけ心配したかなんて知らないくせに。
「10分あれば脱いで挿れるくらいのことは十分にできるだろ? 片嶋の身体の事なんか全然気遣わないヤツなんだから」
思わず本音を漏らしてしまったが。
言葉はもう少し選ぶべきだったかもしれない。
「まあ、そうですけどね」
片嶋が慌ててシャツのボタンを留め直した。
「何してたんだよ」
「別に何もしてませんけど」
「何もしなくてボタンが外れるか?」
俺の突っ込みに片嶋が小さく笑う。
「心配性なんですね」
「普通、心配するだろう? 10分でシャツのボタン全開にして、心配するなって言う方が……」
そこまで言うと今度は困ったような顔をした。
「全開って、ボタン3つだけですよ。上から2つは最初から外してたから、外されたのは一つだけなのに……」
「やっぱ、外されてんじゃねーか」
ムカつくヤツだ。
絶対、押し倒すつもりだったんだろう。
「けど、何もされていませんから」
「ボタンを外されただけで充分だ」
「桐野さん、誤解してますって」
「けど、なんかしようと思ったから外したんだろ?」
俺もたいがいしつこいという自覚はあるが。
「やだな、桐野さん」
笑っているが否定はしない片嶋もどうかと思う。
「……あ、コンビニ! 俺、ビール買ってきます」
「ホントにまた飲む気かぁ?」
「もちろん。いいじゃないですか。明日も休みだし。それとももっと大きな店に行って箱買いしますか?」
「おまえ、俺んちに住み込もうとしてないか?」
「大丈夫ですよ。もう着替えもたくさんあるし」
片嶋がリアシートの紙袋を指す。
「そういうこと言ってるんじゃねーだろ?」
「なら、宿泊料払いますけど」
「金の話してんじゃねーだろ」
「迷惑ですか?」
俺が『うん』なんて言うはずないって分かってて聞くんだからな。
「……おまえって、知能犯だな」
「そんなことないですよ」
ちょっと元気になるとすぐこれだ。
まったく。
可愛いんだか、可愛くないんだか。
「ついでにワインを貰ってきたので、後で飲みましょう」
作り笑いじゃないけれど、まだ少し無理をしている。
「普通、別れた男の家から物貰ってくるか?」
「いいじゃないですか。くれるって言うんだから」
「……まあ、そうだけどな」
片嶋が忘れることを決めたんだから、急かさずに待とう。
今までの事もこれからの事も、ちゃんと考えて、俺を好きになって欲しいから。



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