パーフェクト・ダイヤモンド

19




そんなわけで。家に帰るなり、また飲んだくれた。
しかも、過去最高のハイペース。
コイツのせいで俺もここ数ヶ月の間にまた酒が強くなった気がする。
片嶋が言っていた通り、アイツの家から持ち帰った物の中には高そうなワインなんかも入っていた。
それが何本も空になった。
三時間、飲み続けて俺が二日酔いを覚悟した頃だった。
「桐野さん、」
氷を取りにいくために立ち上がった俺の腕を片嶋は不意に掴んだ。
「なんだ? ついでに酒も持ってきてやるよ」
片嶋はそれでも俺の腕を放さなかった。
「ね、ここ、座ってください」
片嶋にしては珍しくわかりやすい酔っ払いモードな口調だった。
はいはいと答えて隣りに座ると、片嶋はにっこりと俺に笑いかけた。
それから俺の首に腕を回した。
「ちょっと、片嶋……?」
なんとなくという軽い気持ちで肩を抱き締めたが、その感触は俺の理性を激減させた。
片嶋の腕が首筋に絡みつく。
戸惑ったが昂ぶる気持ちは抑えられなかった。
片嶋の余裕さえ感じる仕種に気後れする冷静さも、もはや俺にはなかった。
細い身体をギュッと抱き締めた。
唇を合わせると、甘く、柔らかく、されるがままに俺の舌を迎え入れた。
急に呼吸を阻まれたせいか、少しだけ眉間に皺を寄せるその表情がまた色っぽくて、体温が上昇する。
塞がれた唇の間から漏れる喘ぎ声。
それだけでイッてしまいそうなほど、いい声だった。
「ね、桐野さん、」
酔ってなくても、こんな風に誘うんだろうか。
……まあ、そんなことも、そのうち分かるんだろうけどな。
「なんだよ?」
俺が答えた時には、片嶋はもう眠っていた。
「……おまえ、何でこういう絶妙なタイミングで寝られるんだ?」
屈託のない寝顔を見ながら。
片嶋になら、こうやって何度でも騙されてしまうんだろうなと苦笑した。




月曜日。
部長に資料閲覧の許可を貰った片嶋は半日がかりでデータを集めていた。
明日はいよいよ先方への提案の日。
なのに片嶋は悠々としていた。
「おまえ、自分の仕事は?」
「午後、半休もらいましたから」
徹底している。
仕事の資料集めのために半休だと?
「考えられませんね」
宮野の目が点になっていた。
「君たちも少し見習った方がいいな」
部長があながち冗談でもなさそうな声で宮野を諭した。
「二日酔いで半休するヤツもいるってのになぁ……」
俺の言葉に俯いたヤツがチラホラ。
「自覚してるなら、学習しろよな。毎回毎回同じことをしやがって」
そんな冗談に笑いながらも、片嶋は着々と資料をまとめていた。
いつもすっきりと要点をまとめる片嶋にしては随分な量の資料だった。
「すごい量だな」
片嶋は上目に俺を見て、小声で「質疑応答用です」と囁いた。
「って? まさか質問されるたびにここから探すわけじゃ……」
「まさか。覚えていくに決まってるじゃないですか。これから帰って勉強です」
ここまでくると驚くしかない。
「無理……するなよ」
勝てなくて当たり前の勝負だったのに、たかが1プロジェクトのためにここまでするかよ。
「そう言えば、名刺ありがとうございました。たまたま一人学生時代の知り合いがいて、いろいろ情報を貰えました」
片嶋が手にしていた名刺は、俺がごく最近貰ったヤツだった。
そう言えば若造なのに関連会社の役員って言ってた。
確か、親会社の社長の三男坊。見るからにボンボンなヤツだった。
片嶋なら手玉に取れるだろう。
……けど、それだけは止めてくれ。
「まあ、ほどほどにしろよ」
片嶋の口元に浮かんだ笑みはどこまでも余裕を感じさせた。


片嶋は資料集めが終わると俺の家に帰った。
もちろん一人静かに勉強するためだ。
『桐野さんに聞きたいことがあるので早めに帰ってください』
そんなメールが来たから、メシだけ食って酒は飲まずに帰った。
「聞きたいことって?」
家に帰るなり片嶋に尋ねた。
てっきり会社では聞けないような資料の裏話だと思ったのに。
「俺が桐野さんのところに入り浸っていることは内緒なんですよね?」
いきなり見当ハズレで面食らう。
別に今すぐ聞かなきゃならないことでもないし。
相変わらず、片嶋の思考回路は謎だった。
……まあ、いいけど。
「そりゃあ、な」
冷やかされるとか仕事がやりにくくなるとか、そういう理由ももちろんあった。
でも、それよりも。
片嶋は将来有望だ。妙な噂なんて立てたくなかった。
「……社内って何かと面倒ですね」
「ま、そういうことだな」
不満そうな顔で頷く片嶋の腰に手を回して夕刊を読む。
片嶋は俺にもたれかかったまま集めた資料に目を通していた。
うんざりするほどの量なのに、平然と読み進める。
しかも、早い。
「おまえ、休みの日とか、いつも何してるんだ?」
片嶋が一息ついた時になんとなく聞いてみた。
テレビもつけてなかったから、部屋があまりに静かだったせいもある。
「別に何にも。言われれば母親の買い物の運転手とか、父親のゴルフの相手とかもしますけど」
本当になんにもしてなさそうな口調で返してきた。
まあ、家族と同居してればそんなこともするだろうけど。
「一人暮ししようと思わないのか?」
「思いますよ。会社から近い方が何かと便利だし」
そんな会話の合間にまた資料に目を落とす。
俺、もしかして片嶋の邪魔をしてるかもしれないな。
でも、どうせなら片嶋が一人暮しをしてくれればいいなんて思ったもんだから、ついそんな話に持っていってしまう。
「だったら、なんでしないんだ? それだけ遠ければ住宅手当ても出るだろ?」
万一出なかったとしても、そんなに高いところに住まなきゃ十分やっていけるはずだ。
顔を上げた片嶋が遠くを見ながら呟いた。
「……俺、一人暮しできるかな」
「へ?」
なんだか不安そうに聞こえたから、俺は首を傾げた。
朝が弱いわけじゃない。どちらかと言えば寝起きはいい方だろう。
今でも家でメシを食ってるわけじゃなさそうだから、自炊の心配でもないはずだ。
「それは、何を心配してるんだ?」
俺にはそれ以上の理由は思い浮かばなかった。
「一人で部屋にいるの、あんまり好きじゃないんです」
そりゃあ、一人暮しだと部屋には自分しかいないし、休みの日だって誰とも口を利かないなんてこともあるだろうけど。
それはそれでいいもんだと思うんだが。
「片嶋って、意外と甘えん坊か?」
冗談のつもりだった。
でも、片嶋はちょっと考えてから真面目に返事をした。
「……そうなのかな」
開いていた資料がバサリと床に落ちた。
「なら、近くに越して来いよ。一人でいたくなかったら、ここへ来ればいいだろ?」
資料を拾ってやって、片嶋に渡す。
ペコリと頭を下げてそれを受け取ってから、片嶋はやっぱり真面目に返事をした。
「そんなことしたら、俺、自分の部屋に帰らなくなりますよ。前もそうだったから」
「前?」
ちょっと考えればわかりそうなことを、俺は口に出して聞いてしまった。
「学生の時、家から通うの面倒で、そのまま義則のところに転がり込んだんです」
……義則、ね。
アイツの名前なんだろう。
まあ、苗字でなんか呼んでないとは思ってたけど。
なんだか面白くない。
「中野ってヤツのことか?」
わざと聞いてみたりして。
すっごい大人げないな、俺。
「そうです。4LDKのマンションで部屋も空いてたから、ほとんど家に帰らない時期もありました」
泊まりにいくだけならともかく、他の男と暮らしたことがあるってことを考えたことはなかった。
「……アイツとさ、どうやって知り合ったんだよ?」
妙なことが気になった。
「高校の時、親がいろいろうるさくて。たまたま友達とあの辺で遊んでて……酔っ払って倒れた時に拾われたんです」
「……高校??……って、何年前だよ??」
「一年の時だから、もう10年くらいかな」
さすがに固まった。
高校の時にあんな場所で遊び呆けて酔っ払って倒れたこともだけど。
それよりも。
「おまえって、意外と一途??」
もちろん誰彼構わず遊んでいるようには見えないんだけど。
それにしても10年だぜ??
「そういうわけじゃないと思いますけど」
10年同じヤツと付き合ってたってだけで十分だと思うけどな。
片嶋が遠くを見ている一瞬の間に、俺はいろんなことを考えた。
どんなに冷たくしても、他のヤツと二股かけても、自分を追いかけてきた片嶋。
アイツは安心してたに違いない。
他の男に取られるなんて思ってもみなかったんだろう。
俺に鍵を渡しに来る時に殴ったことも、キスマークも、爪痕も。
なんとなく理由が分かったような気がした。
アイツだって、本当は引き止めたかったんだ。
片嶋が迷った時も、荷物を取りにいった時も。
どうしてこんなことになったんだろうって、今頃思っているかもしれない。
年だって片嶋より10歳くらい上で、カッコつけたい気持ちもわかるんだけどな。
「桐野さん? どうしたんですか?」
不安そうな目が俺を覗きこんでいた。
「いや、」
アイツも、反省すればいい。
これに懲りて次の恋人を大事にしてやれるように。
「おまえのこと、大事にするから」
俺になら取られても仕方なかったんだってアイツが思うように。
いつかまたバッタリ会うようなことがあっても、片嶋がほんの少しも後悔なんかしないように。
そう思った。
けど、片嶋は首を振った。
「もう、十分です」
前にも聞いたセリフだけど。
「本当に、今のままで十分ですから」
俺の腕の中で、にっこり笑って言うから。
「片嶋、俺のこと好きか?」
思わずまた、そんな質問をした。
「好きですよ」
間髪入れずに帰ってきた素っ気ない返事も相変わらずで、俺はちょっとガッカリしたけど。
「何、笑ってるんだよ」
「桐野さんでも、そういうこと聞くんだなって思って」
「聞かれて何度も答えてるうちにその気になるんじゃないかと思ってさ……甘いかな、俺」
「さあ……どうでしょう?」
そんな返事も相変わらずで。
でも。
「桐野さん、」
俺を呼んだ後、片嶋は自分から唇を重ねてきた。
ふざけ半分じゃないキス。
その仕草が意外なほど遠慮がちで。
「おまえって、いつもそんな?」
「……え? 何がですか?」
「キスの仕方」
急速に赤くなる片嶋の頬に手を当てると手のひらに熱が伝わってきた。
「……何か……変ですか?」
「変じゃないけどな」
『可愛い』って言ったら、怒るだろうか。
「桐野さん?」
「……なんでもない」

笑いながら。
もう一度唇を重ねた。

残念なことに、「まだそんな気分になれなくて」と、キスの先は止められてしまったけど。
「……すみません」
相変わらず他人行儀な丁寧語で。
「真面目に謝るなよ」
アイツのことも、少しずつ気持ちの整理をしないといけないんだろう。
そんなわけで、俺はまだ正式に『彼氏』にはして貰えそうにないんだけれど。
片嶋がちゃんと好きだと言ってくれるまで待つと決めたんだから。
「片嶋、」
「……はい?」
「もう一回」
頬に手を添えて。
唇を合わせる。
片嶋は、ほんの少し微笑んで睫毛を伏せた。



翌々日の午後3時。
先方の担当者から社長室に連絡が入った。
それをうちのフロアに報せに来たのは秘書課の女の子だった。
「今井さ〜んっ! 決まりましたよ〜!!」
エレベーターのところから今井さんの席まで真っ直ぐ走ってきた。
「うわ〜、すごいですね〜っ!」
業務課の女の子が声を上げた。
「そっか。片嶋君が取ったのか」
部長にまで聞こえていた。
おかげで部内は公然と大騒ぎ。
俺が外回りから帰ってきた時にはもう収拾はつかなくなっていた。
「へえ。あの状況から? すごいなぁ」
「先方の英語の質疑応答にきっちり英語で答えたらしい。牧原さん、引き攣ってたって」
本人が狙ってしたことだから、当然なんだけど。
「さすが片嶋彰。後で提案書のサンプルが全社に回るらしいですよ。概算8億だってさ」
「億って……??」
さすがに俺も聞き返した。
「子会社まで口説いてグループ全社プロジェクトだって。驚くだろ?」
石村さんが乾いた笑いを浮かべていた。
「にしても、敵を増やしたよな。専務の息子相手に案件掻っ攫うんだからさ」
「怖い物知らず〜」
噂話は終わりを知らない。
それにしても8億。
そりゃあ、提案書を黙って差し替えたって、役員も文句なんか言わないはずだ。
まったく、片嶋には参るよな。
「で、実際のプロジェクト進行はうちに降りてくるらしいよ。片嶋は明日付けで親会社に出向。すぐに向こうで仕事だって」
「数字、こっちで丸抱えらしいよ」
「マジ……??」
十万、百万単位を地道に稼ぐ営業部からしてみれば1千万だって大拍手なのに。
いきなり8億だもんな。
「絶対、どこかおかしいよ、片嶋。なんでうちの会社に勤めてるんだろうな」
本当にそうだ。
転職すれば今の倍以上の報酬が約束されるだろう。
なんでここにいるのか。
聞いたら、何て答えるのだろう。
「とにかく送別会ですね」
阿部と飯島が席を立つ。
そういうところだけは手回しがいいんだよな、うちって。
まあ、それはそれで取り柄には違いないんだろうけど。




そしてその日の夜。
俺たちの疑問に片嶋は送別会の席であっさり答えた。
「転職しない理由ですか?……ここが好きだから、かな」
みんなの視線を一身に集めたまま。
眩暈がするほどの鮮やかな笑顔で。
「出向しても戻ってきますから」
敵なんてどれだけ作っても、片嶋はいつも自信たっぷりで。
渾身の一撃をモロに食らっても掠り傷さえ付きはしない。
「まあ、とにかく良かったな。おめでとう」
「ありがとうございます」
片嶋と他人行儀な挨拶をして、溜息をついた。
宮野たちにちやほやされている片嶋を眺めながら、夕方に営業部に回付された片嶋の提案書をペラペラとめくった。
さすが、競合他社の追随を許さず一発OKを出させた提案書。
企画会議に懸けたダミーの方だって凄いと思ったのに、あれよりも更に数倍良い出来だった。
まったく片嶋には驚かされてばかりで。
「さすが、って言うべきなのかな」
驚きを通り越して呆れる俺の顔を見たまま。片嶋はにっこり笑うと付け足した。
「契約の取り込みには桐野さんを指名させていただきましたから。ちょっと面倒な案件になっちゃったんですが、宜しくお願いします」
「楽しみにしてるよ。……明日から、向こうに行くんだろ?」
「ええ。挨拶だけだと思っていたんですが、すぐに仕事が待ってるみたいですから」
そっか……。
もうちょくちょく会うこともなくなるんだな。
わかっていた事だけど。
「いろいろありがとうございました」
まったく別れの言葉みたいで。
無意識のうちに溜息をついていた。
そんな俺を見て、片嶋はまたニッコリと笑った。
それから、携帯を取り出すと、いきなりメールを始めた。
なんだろうと思っていたら胸ポケットに入れていた携帯が震えた。
『来月、引っ越すことにしました。桐野さんの部屋の前から徒歩15秒です』
メールを見て思わず吹き出しそうになった。
それって、どう考えても同じマンション内だろ??
引っ越しの話をしたのだって一昨日の夜なのに。
いつの間にそんな手配までしたんだか。
片嶋はそんな俺を真正面から見つめていた。
「本当はもっと早く引っ越したかったんですけど。来月にならないと空かないって言われてしまって」
そりゃあ、そんなタイミング良くはいかないだろうけど。
「引っ越しの日にちが決まったら教えろよ」
相変わらずどこまでが本気かわからないけれど。
「迷惑なら今のうちにそう言ってください」
「んなこと、言うわけねーだろ??」
その言葉に、少し冷たくも見えるその顔を翻して。
向けられたのは至上の微笑み。


My Perfect Diamond―――――




                                        end



Home    ■Novels    ■PDのMenu       << Back  ◇  Next >>