パーフェクト・ダイヤモンド

その後―3




こんな調子で気付かないうちに周りも煽ってないといいんだが。
「頼むから、大人しくしててくれよ?」
「俺、大人しい方だと思いますけど」
それはそうなんだが。
「物静かにしてるかとかそういうことじゃなくってな、」
何て説明すればいいんだ?
目立たないようにしろっていうのもなんか変だ。
あんまり周りのヤツと親しくするなっていうのもなんだかな。
馴れ馴れしくする奴には気をつけろとか。
う〜ん……
「……周りを煽るようなことはするなっていうか……」
それも自覚はないんだろうしな。
だいたい片嶋が煽らなくても溝口みたいな奴がいたら同じだよな。
「それは仕事のことじゃないんですよね?」
「俺がおまえの仕事に口を出すと思うか?」
「会社では品行方正ですし、飲みに行っても羽目を外したりはしていませんけど」
「でも、面白がってみんなで潰す気でいるって……溝口が……」
俺がこんなに心配しているのに。
「大丈夫ですよ」
ワインを開ける片嶋は余裕の微笑み。
「その前に潰しますから」
そのセリフを涼しい顔で言うんだよな、コイツ。
まあ、俺が口を出すようなことじゃないんだろうけど。
「桐野さんもワインどうですか?」
「……ああ」
店でも散々飲んだくせに。
確かに、片嶋を潰せるヤツなんてそうそういない。
チラリと目をやるとコンビニのビニール袋に空き缶の山。
3分の2は片嶋だ。
体、壊さないといいけどな。
それよりも、片嶋の給料ってほとんど飲み代とタクシー代に消えてるんじゃないだろうか。

……俺って、意外といろんな心配をするヤツだったんだな。


そして、数時間。
他愛もない話と、空き缶と、空きビン。
見慣れた光景だが。
「片嶋、大丈夫か?」
珍しく眠そうだった。
「さすがに飲み過ぎですね。ちょっと酔ったみたいです」
自分の状態が分かる程度なら、それほどではないんだろうけど。
桜色の頬は見ているだけで熱が伝わってきそうだった。
なによりも柔らかで美味そうだった。
噛みついたら……やっぱ、怒られるよな。
「久しぶりに桐野さんと一緒なので、なんだか安心したみたいで。すみません」
でも、俺は未だに保護者の域を出ていないらしい。
頼られるのは嫌いじゃない。片嶋にもそう言ったけど、そればっかりってのもな。
「桐野さん、」
色っぽく呼んでおきながら、差し出された手に空のワイングラス。
……注げってか?
「どうぞ、お姫様」
溜息交じり。しかも投げやり。
今日は片嶋の気持ちを優先するって決めたのは誰だよ。
「嫌だな。桐野さんまで、そういうこと言うんですか?」
片嶋は半分冗談で、半分本気で苦笑して見せた。
「会社でも言われるのか?」
「同じ課の二個上の先輩なんですけど」
そいつだな。片嶋を狙ってるのは。
「名前は?」
俺のブラックリストに載せておかなければ。
「え? その人ですか? えっと……なんだっけ」
……っていうか。
一ヶ月も経ってるのに名前さえロクに覚えられていないようなヤツなら、心配する必要はないな。
「ああ、岸田さんです。……俺、酔ってます?」
「俺に聞かれてもな」
酔ってると思うけど。
まあ、それは言わなくてもいいだろう。
この分ならどうせすぐに寝ちまうだろうし。
せっかくの週末。一ヶ月ぶりの片嶋。
俺の部屋に二人きり。
なのに、離れて飲んだくれてるだけっていうのもな。
そう思って。
「片嶋、隣りに座れよ」
冗談で返すなら十分シラフ。素直に座るなら少し酔ってる。
さて、どうするだろうと思って見ていたが、どっちも外れだった。
「桐野さんが、こっちに、来てください」
いきなりお姫様っぷりを発揮。
言葉は切れ切れだが、目を見る限り、酔ってるのかシラフなのか分からない。
俺はグラスを持って移動した。
相変わらず、飲む時はカーペットの上に座る片嶋の隣りに。
で、俺が座ると同時に片嶋がしたのは。
「じゃあ、もう一本開けますね」
楽しそうにコルクスクリューを回すことだった。
「片嶋、もしかして俺を潰そうと思ってんのか?」
怪訝そうな俺にいきなりニッカリ笑って。
「桐野さんを潰せるなら、誰が相手でも大丈夫なんじゃないかと思って」
……どうやらシラフらしい。
ってことは。
今夜はダメだ。
延々と飲み明かす気なのは間違いない。
「会社では誰も最後まで付き合ってくれないんですよね」
「……当たり前だろ」
俺は早々に諦めた。


片嶋は飲み続けながら、ずっと楽しそうに話をしていた。
「引っ越したら途中まで一緒に出勤できますね」
無邪気に笑いながら俺を見上げて。
「そうだな」
ワインを注ぎながら纏わりつく片嶋はもうアルコールが回っているのだろう。
触れる手が熱かった。
「俺、毎朝、桐野さんを迎えに来ますから」
なんだか不思議な感じだった。
アイツに振り回されていたのがついこの間のことに思えて。
なのに、片嶋は俺のすぐ側で笑っている。
「桐野さん?」
片嶋は、俺が少し沈黙するとその間を深読みして不安そうな顔をした。
俺が他のことでも考えてると思ってるんだろうか。
「引っ越し祝いは何がいい?」
俺の言葉に子供のように反応して、無邪気な笑顔に変わる。
「貰えるんですか?……じゃあ、桐野さん」
お約束ってヤツだな。
ってことは、まだシラフか。
「それは俺にどうしろってことなんだ?」
「予定がなければ日曜まで一緒にいさせてください」
なんというか。
可愛い返事だが。
「もっといいモンねだっておいた方がいいんじゃないか?」
俺としては、よほどのことがない限り毎週一緒にいるつもりだったんだけど。
片嶋は違うんだろうか。
「じゃあ、」
言葉はそこで突然に切れた。
「なんだ?」
「その次の週も」
「ああ」
「その次も?」
「いいよ」
「ずっと?」
何故か真ん丸い目になって。
「おまえの好きなだけ」
「本当ですか?」
なんでそこで疑うんだろうな。
「俺、信用できないか?」
「じゃなくて、」
「じゃあ、なんでだ?」
「ん〜……なんででしょう?」
実はお約束なんかじゃなくて、本気で酔ってるな、コイツ。
まあ、滅多に見られない姿だし。面白いっちゃ、面白いんだけど。
こうなると寝るのは時間の問題だ。
まあ、いいけど。
だったら、片嶋が眠るまでの間のこの時間を楽しむだけだ。
「でも、住宅手当ての申請にここの住所を正直に書いたら怪しまれるだろう? どうするんだ?」
そうでなくても、うちの総務部は噂好きが多いって言うのに。
「大丈夫です。ちゃんと別の住所にしましたから」
「別の?」
よくよく聞いたら、片嶋は住宅手当ての申請書に二つ先の駅にある姉のマンションの住所を書いたらしい。
「今は姉貴も実家に帰ってますし、単身赴任している義兄が戻ってくるまでは空き家なので、住民票もそこに移しました」
住宅手当ては世帯主じゃないと貰えないからな。
まったく、手回しがいいというのか。
「だって、会社の住所録って50音順だと桐野さんと俺、同じページに載るんですよ。同じマンションだと妙な勘ぐりをされるかもしれないし」
まあ、当然だな。
俺でも不思議に思うに違いない。
「そこなら2駅しか違わないですから、途中までは何かあっても労災の対象にもなるし」
っていうか、さすが片嶋。しっかりしてる。
俺ならそんなことまで気が回らない。
しかも酔っててもこういう話を普通にするんだな、コイツは。
「姉さんには話したのか?」
「もちろん」
「なんでって聞かれなかったのか?」
「ちゃんと理由も話しました」
「ちゃんと……?」
……って?
「彼氏が同じ会社だから、いろいろ疑われたくないって」
彼氏。
そっか。
一ヶ月の間に俺は正式な彼氏になったのか。
「それっていうのは、家族にカミングアウト済みってことか?」
「基本的なことは高校の時に」
ああ、それで。
家を出て新宿で遊び呆けて酔いつぶれてアイツに拾われて……って繋がって行くのか。
よく考えたらすごい思春期だな。
「で、姉さんは、なんて?」
「別に。喜んでましたけど」
「なんでだ?」
特に喜ぶ要素はなさそうだけどな。
「姉貴、中野さんのこと嫌いだったんです。初見で一発不合格」
アイツに会った事があるのか?
姉貴が?
……なんだか、謎の片嶋家。
普通はそんなことしないような気がするのは俺だけか?
いや、それよりも。
「俺もそんな風に言われるかな……」
歳の離れた弟なら姉さんだって可愛がってるはずだ。
恋人チェックも厳しいだろう。
まあ、俺が片嶋の姉貴でもアイツは絶対不合格にするが。
「桐野さんなら100点もらえますよ。ちゃんと働いてるし、真面目だし、仕事もできるし、カッコいいし」
それは誉めすぎだ。
「会わせろって言われて断るの大変だったんですから」
それは姉さんが片嶋の説明を信じてないだけだと思うんだが。
何しろ前の男がアレだもんな。
「なんなら挨拶に行ってやるよ。おまえが恥ずかしくなければの話だけど」
「恥ずかしいわけないよ。……でも、ホントにいいの?」
丁寧語とタメ口がごちゃ混ぜの片嶋はなんだか変に可愛らしかった。
「そんなに喜ぶようなことか?」
「喜ぶようなことです」
きっぱりと凛々しく返事をしたくせに、べったりと俺に貼り付いて胸に顔を埋めた。
こんな時でもグラスだけは手放さないっていうのは、なんなんだろうな。
その数十秒後。
嫌な予感がした。
「片嶋、寝るなよ?」
呼びかけは静かな部屋に響いて消えた。
もちろん、何分待っても返事はなかった。
片嶋の手にしっかりと握られたグラスを奪い取って、テーブルに置く。
それから、そっと抱き上げてベッドに運んだ。
俺ももう少し酔っておくべきだったと後悔したが、今更どうにかなるわけでもない。
「まあ、いいか」
先は長い。
酔ってたとは言え、片嶋もちゃんと俺を『彼氏』って言ってたしな。
「……はぁ……」
気が抜けたらなんだか酒が回ってきた。
だから、この勢いに乗じて眠ってしまう事にした。
さっさと朝になればいい。
俺の邪心が働く前に。


これはこれで楽しいけれど。
いつまでこんな状態でいればいいんだろうな?



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