パーフェクト・ダイヤモンド

その後―7




「やめ……桐野さ……も、駄目……」
片嶋がギブアップを告げたのは、俺もそろそろ限界と言う時だった。
潤んだ目から涙が零れたけれど、身体はまだ熱を持って収縮していた。
「じゃあ、これで最後」
見せかけの余裕で笑って見せてから、手と腰の動きを早めた。
「あ、っ……んんっっ!!」
絶叫と共に震える身体が吐き出した最後の熱を手のひらで受け止めながら、俺も片嶋の中で達った。
口も利けないほどぐったりした身体を抱き寄せて、半開きの唇に舌を這わせた。
「……ん、くふっ、」
呼吸が整わなくて抱き締めた肩が上下する。
「大丈夫か?」
念のため、聞いてみたけど。
しばらくは返事もなくて。
10分くらい経ってからやっと、
「……駄目です……」
小さな返事が返ってきた。
「おまえがそうしろって言ったんだろ?」
「……そうです、けど」
セックスで愛情なんか測るからだ。
「なんであんなこと聞いたんだ?」
片嶋が落ち着くのを待って、抱き締めていた手を緩めた。
「なんとなく気になって。……桐野さんは気にならないですか?」
熱も少しは醒めて来たらしい。
ようやく、いつもの口調になった。
「気にしても仕方ないだろ?」
まあ、面と向かって「ヘタ」とか言われたら考えるかもしれないけど。
「桐野さんらしいですね」
いつもより少しハスキーな声が耳の奥を擽る。
変に艶めかしく聞こえた。
「そんなの別にたいしたことじゃないだろ?」
「……そう…ですか……」
含みのある疑問符。
「アイツは毎回感想を言ってくれたのか」
意味のない質問。
なのに、なんでそれを聞かずには居られないんだろう。
「……いいえ……何も……」
答えた片嶋の憂鬱そうな横顔。
相当、無反応なヤツだったんだろうな。
「で? 俺から感想が聞きたいのか?」
片嶋は返事をしなかった。
だから、言ってやった。
「すっげー良かったよ。あと3回くらい……」
そこまで言ったら口を抑えられた。
「おかしいですよ、桐野さん。絶対」
「そうかな」
三回は無理かもしれないけど、あと1、2回ならって思うんだけど。
片嶋の視線はまだ俺を咎めていたけど、顔は赤かった。
「おまえってさ、ホント、変なとこが可愛いよな」
抱き寄せたら顔を伏せた。
無理やり覗き込んだら、ちょっと複雑な表情で瞬きをした。
「なんだよ?」
「そんなこと言うの、桐野さんだけです」
そりゃあ、会社の連中なら『可愛くない』と言うことはあっても『可愛い』と言う勇気はないだろうな。
どう考えても自分より格段に仕事ができる後輩だもんな。
「いいじゃねーか。可愛くないことにしておけよ。じゃないと俺が心配だろ?」
目の届かないところにいる片嶋の心配なんて、しはじめたらキリがないんだけど。
岸田って奴のことだって、溝口のバカが周りを煽ることだって、片嶋と同じフロアに戻る石村さんのことだって……。
そんなことを考えてたら、片嶋を抱いてた手に不要な力がこもった。
「桐野さん、」
片嶋が不意に俺を呼んだ。
それが妙に色っぽい声で。
俺の耳には誘い以外の何ものでもなく。
「そういう声を出すとまたヤリたくなるんだけどな」
ポツリと言ったら、
「止めてください」
冷静に、しかもキッパリと拒否された。
「じゃあ、代わり」
手のひらで片嶋の頬を包む。
片嶋はまたしても妙にぎこちないキスをしてから、はにかんだように微笑んだ。
「……桐野さん、」
いつまで経っても会社と同じ、苗字にさん付け。色気のない呼び方なんだけど。
それでも俺の身体の奥が反応する。
「なんだ?」
落ち着くために何度も片嶋の頬を擦ってみたりしながら。
「……いつも、手、温かいんですね」
「そりゃあ、な」
涼しそうな瞳が俺を見上げていた。
相変わらず片嶋の言葉の意味は掴めないけど。
「なんか……すごく安心します」
俯く長い睫毛を見つめているとまた抱きたくなりそうで、気を紛らわすために煙草に手を伸ばした。
もともと家では滅多に吸わないけれど。
抱いた後って、煙草が美味いんだよな。
ぼんやりとそんなことを考えながら。
けど、口に咥えた途端に片嶋に取り上げられた。
「なんだよ? 片嶋だって、たまに吸ってるだろ?」
そうだよ。
俺んちでも吸ってたことがある。
「でも、終わった後は止めてもらえませんか?」
「なんで?」
そんな、女の子みたいなことを。
「なんとなく嫌なんです」
アイツが吸ってたのか。
それとも、他に嫌な思い出でもあるのか。
「いいけど。それって多分、おまえのためにならないと思うけどな」
せっかく気を紛らわせようと思ってたのに。
片嶋は俺の言った意味がわからなくてキョトンとしていた。
説明するのも面倒なので、煙草をテーブルに戻すと片嶋を抱き寄せた。
「手持ち無沙汰だから、なんか他のことしたくなるだろ?」
「桐野さん??」
片嶋の頬に朱が差して、普段は見せないような慌てた表情になった。
「ちょっ……と、待っ……」
「なら、煙草吸ってもいいか?」
「嫌です」
意外と強情。
それも片嶋らしいけど。
「じゃあ、もう一回やってもいいか?」
「駄目です」
「どっちかって言ったら?」
ちょっと意地悪い質問に片嶋は間髪入れずにこう答えた。
「俺のこと好きなら、両方我慢してください」
……素晴らしい姫っぷり。
そう言われたら、「はい」って言うしかない。
「じゃあ、両方我慢するから、その代わり」
そう言ってまたキスをねだる。
片嶋は仕方ないなって顔をして。
それでもそっと唇を合わせる。
その仕草が愛しくて。
何度もキスをして。
何度も好きだと言う。
そのたびにすごく困ったように見上げるから。
「なんで笑うんですか?」
「いーや、別に。なんでもないけどな」
ギュッと抱き締めたら。
「……引っ越し、楽しみです」
片嶋がまた妙に可愛いことを言うから。


どこまで好きになれば止まるんだろう……
そう思った。




そして一週間。
明日が片嶋の引っ越しという金曜日。
溝口との同行を終えた俺は少なからず浮かれていた。
だって、明日からずっと3つ隣りの部屋に片嶋がいるんだ。
サクサク終わらせて直帰してやろうと思っていたのに、溝口がまたよからぬ事を口走る。
「桐野、今日ヒマか?」
「そうでもない」
我ながら曖昧な返事。
「それって忙しいってことなのか?」
「……この後、アポが入るかもしれないんだ。先方の返事待ち」
そんなのはもちろん嘘だ。今日は片嶋との約束もない。
でも、なんとなく早く帰りたかった。
多分、片嶋が俺んちに泊まりに来るから。
「じゃあ、アポが入らなかったらでいいからさ。彰ちゃんを誘って『岸田を励ます会』をやるんだけどさ。おまえもどう?」
「岸田?」
どっかで聞いたことが……
「彰ちゃんを狙ってるって奴だよ」
そう言えば片嶋からその名前を聞いたんだ。
「なんでそんなヤツを励ますんだよ?」
ついムキになってしまってハッとした。
溝口が変に思わないだろうかと顔色を窺ったが、別に気に留めた様子はなかった。
あっけらかんと状況を説明する。
「岸田さ、今日、彰ちゃんに怒られたんだ。で、どんより真っ暗になっちまって。見てられないから俺が一肌脱いでやろうかと思ってさ」
へ??
「岸田ってヤツ……片嶋より年上なんだろ? そういう相手を片嶋が怒ることなんてあるのか?」
って言うか、そもそも片嶋が怒ったところなんて見たことないな、俺。
「うん、ま、あの二人、普段は仲いいし。痴話ゲンカみたいなもんだと思うけどさ」
それって、なんか……嫌な言い方だな。
「だったら、なんでまた?」
物凄く気になったけど、関心なさそうな返事をしなければ。
「岸田が彰ちゃんのコートのポケットに入ってたガムを食ったんだ」
「は? なんだ、それ??」
そんなことで片嶋が怒るとは思えないんだが。
「可愛いだろ? ガムでケンカ」
「可愛いっつーか……それって、ケンカにならんだろ?」
25にもなってガムを食われたくらいで怒るか、普通?
「でも、片嶋はマジに怒ってたぞ。まあ、コートのポケットを勝手に探られたのも気に入らなかったみたいだけど」
「まあ、普通は他人のポケットに手なんて入れねーからな」
いくら先輩だからって失礼な奴だ。
「同行した時、彰ちゃんが大事そうにポケットの中で何かを握ってるから、岸田がどうしても気になっちゃったらしいんだよな。で、会社に戻って片嶋がコートを掛けた途端に手を入れた」
なんだ。片嶋がコートを着てる時に手を入れたんじゃないのか。
てっきり、手を握るための口実なのかと思った。
……だったら、なんで怒ったんだろう。
それくらいなら別にたいしたことないと思うんだけど。
「他に見られてマズイものでも入ってたのか?」
「いいや。ガム一個だけ」
「それで怒るか??」
「う〜ん。ポケットに手を入れた所までは片嶋も許したんだけど、岸田がおもむろにガムの封を開けて食った瞬間に激怒したんだよな」
「……激怒??」
片嶋には似合わない言葉だ。
会社では冷静沈着で怒ることはもちろん、楽しそうに笑ったりもしないっていうのに。
「そう。あの彰ちゃんが。ガムを一枚食べちゃっただけの岸田に」
「相変わらず、わけ分かんねーな」
こんなに全く分からないリアクションも久々だ。
「岸田の手からガムをひったくって奪い返してから、『俺、岸田さん、キライです』ってさ。真正面から真顔で言われて岸田は蒼白。慌てて謝ったんだけど口も利いてもらえない」
それはちょっと可哀想な気もするが。
悪い虫に同情する必要はないか。
「で、今夜なんとか仲直りさせてやろうという企画」
飲みに行く口実としては面白いだろうけど。
「まあ、そんなくだらないことで仕事に支障があってもマズイからな」
溝口は「うんうん」と頷いてから、俺の肩に手を回した。
「というわけで本日7時半。うちの正面玄関受付の斜め前に集合。遅刻厳禁」
「だから、なんで俺なんだよ??」
「彰ちゃん、桐野の言うことならなんでも聞くって。バカボンが言ってたから」
……宮野、帰ったら覚えてろ。
「岸田、ホントに奈落の底って感じでさ。可哀想で見てられないんだ。頼む。彰ちゃんのこと宥めてくれよ、な〜?」
そんな気はカケラもなかったけど。
溝口があんまり俺をしつこく誘うから仕方なくOKした。
一人になってから、飲み会に誘われたことだけを片嶋にメールしたら、『俺も強制参加させられそうですから終わったら一緒に帰りましょう』と返事が来た。
どうやら片嶋はこの飲み会の主旨を知らないらしい。
教えてやった方がいいんだろうか……?

まったく。
心配事ばっかり増えて行くんだから。



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