その呼吸が俺の首筋にかかり、熱に浮かされて境界線を越える。
明日の引っ越しの心配をしていた自分はあっという間に遠くなって、折れそうなほど強くその体を抱き締めていた。
「……んっ、」
苦しかったのか。
キスを繰り返す俺の身体を押し戻して、何か言いたそうな視線が見上げていた。
「どうした?」
手を止めて尋ねたが、片嶋は首を振るだけ。
「嫌なら嫌って言えよ」
「そうじゃないです」
「明日の心配か?」
あんまり身体に負担はかけられないもんな。
腰なんて絶対ダメだろう。
そう思っていながら、返事を聞くよりも先にシャツを脱がせた。
「心配しなくても引っ越しは俺が全部やるから、な?」
そういう結論が正しくない事は分かっていたが。
片嶋は今でもまだ少し俺に遠慮しているみたいで。
「大丈夫です。桐野さんに、そんなことまで」
変な所で他人行儀が直らない。
「いいから、」
軌道修正のつもりでそっと唇を合わせて。
そっと離す。
その間ずっと片嶋の素直そうな目が言葉の続きを待ってたけど。
「とりあえず、抱いてもいいか?……俺、もう限界なんだけど」
片嶋は少しだけ困った顔をしたけれど、頷いてキスを返した。
深くなるほどに片嶋の表情が歪む。
「……ん、っ、」
不自然に呼吸が荒いのも酒のせいなんだろう。
酔いが回って熱を持った身体は思うようには動かないらしくて、もどかしそうに喘ぐのが堪らなく俺の劣情を刺激する。
だから、わざと長いキスをして呼吸を阻んだ。
「んっ、」
何か告げようとするその唇も、うまく言葉を吐き出せない。
唇を離してやるとホッとしたように空気を吸い込んだ。
緩く開けられた口から舌先が覗いている。
「片嶋、ちゃんとキスして」
片嶋はもう完全に酔っていて焦点もイマイチ合ってなかった。
たどたどしくキスをしてくれるが、俺の頬に伸ばされた手にはあまり力も入っていなかった。
「ダメ。もう一回やり直し」
可愛いと虐めたくなるって言うけど、ホントだな。
俺が笑っていることにも気付かずに、片嶋は一生懸命舌を絡めてくる。
片嶋の事だから、今はよく分かってなくても翌日にはちゃんと思い出すんだろうけど。
まあ、それでも、ちょっと拗ねるか、ちょっと怒る程度だろう。
……それも可愛いに違いない。
どうせなら思い出した時に思いっきり可愛いリアクションを取ってくれるようなことをしたいと思って。
片嶋の服だけ先に全部脱がせて、愛撫を続けた。
けれど、欲しい所には触れてやらない。
身体の熱に耐えられなくなって片嶋からねだって来るまで。
……俺って性格悪いかも。
案の定、途中でじれったくなった片嶋が口を開いた。
「……なんで、ですか?」
「何が?」
分かっていたけど、わざと首を傾げて見せたら困った顔をした。
「だって……す、るん…でしょ?」
酷く言い難そうな様子に思わず口元が緩みそうになったけれど。
次の質問をするために辛うじて堪えた。
「何を?」
いくら酔ってても片嶋がストレートに言うはずはないと思ったけど。
「……ほんとに、分かってないの?」
そんなわけないだろ??
って、酔ってなかったら思うんだろうけど。
今の片嶋にはその程度の思考も働いていないようだ。
しかも、微妙にタメぐちなのが、また可愛い。
「えっと……じゃあ、ヒント。ね?」
片嶋がそう言って俺の服のボタンを外し始めた。
けど、酔っ払ってるから上手く外せないらしくて途中で手を止めた。
しかも。
「ね、桐野さん、」
「なんだ?」
「自分で脱いで」
面倒くさくなって、放棄した。
「……いいけど」
俺は笑いを堪えるのが精一杯で、それ以上の言葉は返せなかった。
上半身だけ脱ぎ終わった状態で、片嶋に向き直った。
「で?」
「……まだ、わかんないの?」
「わかんないよ」
なんて答えるかなと思ってたら。
「……そんなこと言われると、俺、桐野さん、嫌いになるかも」
いきなり、姫っぷり発揮。
「嘘だって。ごめん、ごめん」
俺って、ホントに片嶋に弱い。
慌てておでこに唇を押し当てて、髪を撫でる。
片嶋はしばらくおとなしく撫でられていたが、不意に顔を見上げてニッコリ笑った。
「今の、嘘です」
あ、そう。
酔っ払いにからかわれてどうするんだろ、俺。
でも、片嶋の機嫌は直ったらしく、俺の首筋にキスマークを付けようとしていた。
「ね、下も脱いで」
それも自分でやろうなんて気は少しもないらしかった。
片嶋に抱きつかれた状態のままゴソゴソと服を脱いだ。
「桐野さん、」
俺が期待してた展開とはちょっと違ったんだけど。
「ん?」
ちゃんとおねだりはしてもらった。
「……するんだよね?」
それも真っ赤な顔で全然俺の方を見ずに言うから。
なんだか可笑しくて。
「ああ」
抱き締めると身体の熱が伝わってきた。
高まった部分が腹に当たる。
堅く張り詰めたものに手を伸ばすと、濡れているのがわかった。
「ごめん……ガマンさせたんだな」
頬がいっそう赤く染まった。
肌を滑るわずかな手の動きにさえ敏感に反応する。
片嶋は相変わらず声を殺す努力をしていたけれど。
「な、声、出していいって」
言いながら、堅く結ばれていた唇を舌先で舐める。
それを受け入れて薄っすらと開かれる柔らかい感触。
「……ん、っくふっ、あ…っ……」
堪えられなくなった声は唇を通してダイレクトに俺の身体の奥まで響いた。
時間をかけて楽しむだけの余裕なんて、俺にも片嶋にもなかったから。
力の入らない身体を膝に抱き上げて、下から突き上げた。
「う、んっ、ああっ……っ……!!」
達く瞬間のその表情に煽られて、俺も早々に一度目を放った。
「片嶋……?」
本当はこのままずっと抱いていたいと思ったけど、腕の中でぐったりしている片嶋を見て、それは諦めた。
「ちょっと無理だったか?」
気持ち悪そうではなかったんだけど。
一回しかしてないのに、こんなにぐったりされちゃ心配にもなる。
「ううん」
「なら、いいけど。嫌なら嫌ってちゃんと言えよ?」
「うん、」
その後、片嶋は聞き捨てならないセリフを残した。
「……嫌なら、とっくに寝た振り、してるから」
そうか。
付き合う前から何度も二人で過ごしたけれど、何度かはそういうことだったんだろうな。
絶対、本当に寝てると思ったのに。
俺って、甘い。
もっとも、それを俺に言ってしまう片嶋も、どうかと思うけど。
それでも俺なら許してくれるってことも、きっとコイツはわかってるんだろう。
まったく。
可愛いんだか、可愛くないんだか。
いつの間にか無邪気にすぅすぅと寝息を立てはじめたその耳元に唇を当てる。
「片嶋、」
「う……ん……」
もう眠ってしまっているくせに、返事なんてするし。
「頼むから、俺のいない所で酔っ払うなよ?」
こうやって100回くらい言い続けたら、寝ている間に脳に染み込むんじゃないかなんてバカげたことを考えながら。
「続きは、明日。引っ越しが終わってからゆっくりやろうな」
それも脳に染み込めばいいなんて思って。
楽しい気分で俺も眠った。
焦らなくても時間はたくさんある。
そして、片嶋は俺のものだ。
……そんな感じで。
翌日、まだ8時だと言うのに片嶋の携帯が鳴った。
最初は無視していたが、何度も何度も鳴るので片嶋を起そうとした。
けど、片嶋はピクリとも動かない。
昨日、あれだけ飲んで、しかも眠ったのが3時過ぎじゃ、無理もないんだろうけど。
これって引っ越し業者じゃないのか?
5回目に鳴った時、さすがに無視しきれなくて代わりに電話を取った。
やっぱり、荷物の到着時刻の連絡だった。
「あ、はい。わかりました」
しかも、あと10分くらいで着くらしい。
慌てて着替えて、顔を洗って、片嶋の持ち物から鍵を探した。
「……どこだ??」
不動産屋の封筒の中に鍵は入っていない。
ってことはキーケースだよな……
中には鍵が4つ。
一番右のが俺んちのだってことは分かってるけど。
残りの3つのうち、1つは片嶋の実家の鍵。
1つは新居の鍵で。
残りの1つは……
―――アイツの家の鍵、まだ持ってるのか??
かなり疑問に思いながらも、それを持って片嶋の部屋の前に行った。
シールが貼ってある鍵が不動産屋から渡されたものだろう。
俺の時もそうだったから、まず間違いはない。
案の定、ドアは一発で開いた。
とりあえず、ホッとしていると引っ越し屋のトラックが着いた。
荷物は着替えと生活雑貨が少々、テレビとステレオと本とCDとパソコンが2台。姿見一枚。絵が2枚。
手伝う必要さえなさそうな簡単な引っ越しだった。
それにしても。
「パソコンデスクもテレビを置く台もナンにもないのか??」
レイアウトなんて考えもせずに、俺んちと同じ並びでチェストの上にテレビとステレオを勝手に置いた。
パソコンはとりあえず放置。
スーツ類は先にクローゼットに掛けたが、その他のダンボールの中味はそのままにした。
こんなに少ない荷物なのに、小さ目のダンボール2つに「酒」って書いてあるのが気になるんだが。
「まあ、こんなもんでいいか」
後は片嶋が起きてから一緒にやればいい。そう思って部屋に戻った。
そっと部屋に戻ると片嶋が短パン一枚という色っぽい格好でバスルームを覗いていた。
シャワーでも浴びるんだろうと思って見ていたが、どうやらそうではないらしい。
俺が戻った事にも気付かずに、なんだかソワソワしていた。
「片嶋?」
呼んだらビクンと身体が跳ねた。
「どうしたんだ?」
俺に呼ばれたくらいで驚くなよ。
「桐野さんこそ、どこ行って……」
どうやら片嶋は俺のことを探していたらしい。
「コンビニじゃないですよね」
財布もビニール袋も持ってない俺を不審そうに見ていた。
「内緒」
さすがにちょっと汗ばんだのでシャワーを浴びようとしたら、片嶋に止められた。
「……どこ、行ってたんですか?」
本気で俺の行方を気にしてるらしかった。
「おまえも一緒にシャワー浴びる?」
「……後でいいです」
見上げたまま固まってるのはきっと返事を待ってるからなんだろう。
「何の心配してんだ?」
って言うか。
引っ越しだってことを忘れてるらしい。
「心配って言うか……起きたら、いなかったので……」
自分がどんなカッコで俺の前に立ってるかなんて自覚してないんだろうな。
上半身裸。
下は下着と変わらないような短パンだけ。
片嶋の腰に腕を回して抱き寄せた。
「よく寝てたから。無理に起すのも可哀想だと思っただけなんだけど」
キスをして、ご機嫌を窺って。
「……ね、どこに……」
「おまえさ、なんか忘れてない?」
「何をですか?」
「今日、引っ越しだろ?」
「……でも、事前に電話してくれるって……」
言いながら時計を見て目を丸くして、慌てて携帯を取りにベッドに走って。
着信履歴を見て呆然としていた。
「一応、起したんだけど。おまえがあまりに無反応だったから勝手に電話取ったよ。荷物は適当に部屋に入れてもらったから後で片付けような」
片嶋は俺を放っておいて、靴を突っかけて自分の部屋に向かおうとして、鍵がないことに気付いた。
「桐野さん、鍵……」
「ってか、先に服着ろよ」
片嶋にシャツを放り投げてから、笑いながらついていった。
「すみません」
部屋を見回してから、申し訳なさそうに謝った。
「いいよ。別に。大変なのはダンボールを開けてからだろうし。……それにしても、本当に机もベッドもないんだな」
「少しずつ揃えればいいかなと思ってるんですけど。最初はパソコンデスクかな…」
ベッドじゃないのか??
それって、仕事を持ち帰った時以外は一人で部屋に居る気がないってことを全面的に押し出してるよな。
「掃除機くらいはあった方がいいだろ? 部屋ではメシなんて食わないとしてもコップくらいはあった方が……あ、カーテンがいるよな」
どう見ても俺の方が真剣に心配してるような気がする。
「あと……マジで、寝るところ、どうするんだ?」
片嶋はそれまで興味なさそうに俺の言葉を聞き流していたが、それにはすぐに反応した。
「桐野さんの部屋です」
その返事ってあんまりだろ?
だから、ちょっと意地悪い答えを返した。
「絶対、拒否しないって言うなら、それでもいいけど?」
片嶋はにっこり微笑んで余裕の返事。
「ソファもありますしね」
あ、そう。
まあ、いいか。
そんなことを言っても、片嶋はきっと一人でソファで寝たりはしないだろう。
それよりも、俺んちのベッドをもうちょっと大きいヤツに買い替えた方がいいかもしれない。
「とりあえず、俺の部屋に戻って朝飯を食ってから片付けような」
抱き寄せた片嶋の身体は冷たかった。
寒がりのクセに真冬に短パンと薄いシャツ一枚でふらふら歩いているからだ。
部屋に戻ってエアコンをつけて、片嶋を連れてバスルームに向かった。
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