パーフェクト・ダイヤモンド

その後―10




バスルームのドアの前に立ってもまだ自分が解放されないことを確認した時、片嶋は急に慌て始めた。
「俺、後でいいですから……」
シラフの片嶋は察しがいい。
すぐに遠回しの拒否をしたけど。
「ダメ。部屋があったまるまで一緒にシャワー浴びような」
「絶対、嫌です」
「なんで?」
「なんでって……」
理由なんて言ってくれなくても、その真っ赤な顔を見れば分かるんだけど。
「とにかく……ダメです」
首を振り続ける片嶋があまりにも可愛くて、その場で押し倒そうかと思ったんだが……さすがにそこまでは、な。
けど。
そんなに嫌がらなくてもいいと思うんだけどな……
「じゃあ、先にシャワーを浴びて来いよ。手足があったまるまで出てくるなよ」
片嶋はとても分かりやすくホッとした顔で頷いた。
それから着替えを取ってきて、バタンと勢いよくドアを閉めて。
……中から鍵を掛けた。
俺って、信用されてないんだな。
「おまえ、二日酔いとかねーのかぁ?」
ドア越しに声を掛けたら、シャワーの水音に交じって返事が返ってきた。
「今日は大丈夫です」
本当に片嶋は不思議なほど普通だった。
あれだけ飲めば俺なら200%二日酔いだと思うんだけど。
「でも、記憶がありません」
……だよな。
片嶋が平然としてるから、おかしいと思ったんだ。
夕べ自分がしたことを覚えていたら、俺と普通に会話なんて出来ないと思うのに。

片嶋がシャワーを浴びている間にベッドを整えて、自分の着替えを用意した。
片嶋は15分ほどで風呂から出てきた。
やっぱり短パンとTシャツ姿で。
「一応、あったかくなったな」
仄かにピンク色になった片嶋の頬の温度を確認しながらも風邪を引くんじゃないかと心配で。
冷めないように片嶋の身体を毛布で包んでから、ソファに座らせて、ついでに髪にドライヤーをかけてやった。
「自分で出来ます」
片嶋はそう言って、やっぱり困ったように首を振ったけど。
俺だってそんなことは分かってる。
けど、なんか構いたくなるんだよな。
「いいよ。もう乾いた」
髪がサラサラになったのを確かめてから、手を引いてベッドに連れて行った。
「なんですか?」
「俺がシャワーを浴びて出てくるまで、ここで大人しく寝てろよ?」
「でも、俺、食事の準備……しますから」
「それは、後」
片嶋は本当に察しがいいから、俺の下心くらいは見抜いたらしい。
その上。
「嫌ですからね、俺」
きっぱりと拒否されてしまった。
まあ、いいか。
これから毎日一緒なんだから。
「俺がシャワー浴び終わったら、おまえの部屋から着替えを持って来てやるから。大人しく待ってろよ?」
「着替えなら、桐野さんちにだって置いてあります」
「でも、せいぜい長袖のTシャツくらいしかないだろ?」
先週だって俺の服を着てたくせに。
片嶋は毛布に包まったままベッドを抜け出して、自分の持ち物が固まっている一角に座り込んだ。
そこからジーンズと薄いTシャツを取り出して。
「後はセーターがあればいいですから」
言いながら、勝手に俺のクローゼットを開けた。
まあ、別にいいんだけどな。
「ほら。これ」
俺の持ち物の中では比較的小さめのセーターを出して着せたが、やっぱり片嶋には少し大きかった。
緩くて長めのハイネックなんだけど。
「片嶋って首も細いんだな」
首がゆるゆるで、しかも顎にまでかかってる。
折り返してやっても良かったんだが、あんまり可愛いからそのままにしておいた。
けど。
「う〜ん……」
でも、午後は買い物に行くしなぁ。
あんまり可愛いのも……どうなんだろ。
「なんですか?」
まあ、いいか。
出掛ける時に折り返してやれば。
「なんでもない。食事の用意は俺がシャワーから戻るまでしなくていいからな」
「どうしてですか?」
「どうしても」
それだけ言ってバスルームに向かう。
「コーヒーだけでも先にドリップしておいた方が……桐野さんって、そんなにシャワー長くないですよね?」
「長くないけど、駄目」
「え、でも、その方が早く食べられますよ?」
俺はまだ諦めてなかった。
「シャワー浴びたら、おまえを抱くから。用意はそのあと」
片嶋からソレについての返事はなくて。
振り向いたら、やっぱり固まってた。
なんでもいいけど、ホントにすぐ赤くなるヤツだよな。
会社では顔色一つ変えないくせに。
だからと言って会社で無理してるようにも見えないところが不思議だけど。
……片嶋って二重人格か?


シャワーを浴びて戻ってきたら、片嶋はソファで新聞を読んでいた。
セーターの中に顎がすっかり入っていた。
って言うか、寒いのか、わざと鼻までずり上げてた。
「おまえ、セーターを伸ばすなよ」
でも片嶋は知らん顔だった。
「片嶋、」
ちょっと厳しい声で呼んでみたら、目線だけ上げて俺を見た。
「桐野さんの匂いがするんです」
だからって、何もセーターの匂いを嗅がなくってもな。
「俺本人じゃ、駄目なわけ?」
「なんか、全体的にだるいので」
それっていうのは。
いきなり拒否反応らしい。
「それは酒のせいだろ」
片嶋の顔をこっちに向けて。
セーターから鼻と口を出させた。
「そうかもしれませんけど」
既に身構えてる片嶋の唇に柔らかくキスをする。
「で、それって言うのはホントに嫌ってことなのか?」
「っていうか、今、昼前ですよ?」
嫌なわけじゃないんだな。
「だったら?」
「だったら……って……えっと、」
酔ってる時のお姫様状態も可愛くて笑えるけど。
こんな他愛もないことで赤くなってる片嶋はそれ以上だ。
「ダンボールの中味ってすぐに出さないとマズイものはないのか?」
こんな普通の会話なら。
「いえ。別に。スーツ類さえしわにならなければ。月曜にすぐ使う物は分かり易いようにまとめてありますし」
歯切れのいい答えが返って来るのに。
「じゃあ、片付けは明日でもいいよな?」
「え?」
「きょうはゆっくり、夕べの続き」
こういう話になると。
「……え。嫌、ですって……」
口篭もるし。
目が泳いでるし。
どう見ても遊んでそうなアイツと付き合ってて、この純情な反応はなんなんだろうと思うんだけど。
「まあ、時間には拘るな。朝でも昼でもしたい時にすればいいだろ?」
「……そうですけど、明るいじゃないですか……」
「カーテンは閉めるよ」
「でも、」
「『でも』とか『だって』じゃなくて、嫌なら『嫌』って言えよ。そうじゃなかったら文句は言うなって」
何故か毎回、前置きみたいにこういうやり取りがあるんだけど。
「……文句じゃ、ないんですけど……」
なんで今更抵抗するんだろうな。
まあ、これはこれで面白いからいいんだけど。
「じゃあ、なんだ? 怒らねーからハッキリ言ってみろよ」
言いながら、どうしても堪え切れなくて。つい、笑ってしまう。
「桐野さん、俺の事、バカにしてますよね」
「してないって。いいから、昨日の続き、な?」
笑いながらの返事に眉を顰めた。
「桐野さん、趣味、悪いですよ。俺が覚えてないと思って『昨日の続き』とか言うんですから」
拗ねてプイッと顔を背けたけど。
「覚えてた方がキツかったと思うんだけど?」
「どういう意味ですか?」
「いいよ。説明しても信じないだろうからな」
思い出してくれないかな……と思ったけど、どうやら記憶は完全にぶっ飛んでるらしい。
片嶋は俺のその返事も不満だったらしくて、少し口を尖らせた。
そして。
「……桐野さんも、溝口さんたちと一緒に潰しておけば良かったな」
とても可愛くないことを言ったけど。
こんな片嶋も俺は結構好きなんだよな。
それでも、一応釘はさしておいた。
「それはやめておいた方がいいんじゃないか?」
「何故ですか?」
「おまえのためにならないと思うぜ? 俺、酔うと理性が激減するから」
案の定、片嶋は言い返しては来なかった。
と言うか。
またしても固まってた。
「ってことで。続きな」
片嶋はやっぱり困ったような顔をしたけど、抱き寄せたらちゃんと自分から身体を預けた。
俺と二人でいる事に、本当はまだ慣れてないんだろうって思ったら。
可笑しくて。
愛しくて。
「まあ、買い物も行かないといけないし、軽くするだけだから心配するなって」
「……桐野さんって、実はデリカシーないですよね」
そう言われても。
「そういう性格なんだ」
「……知ってますけど」
まだ少し眉が寄ってるけど。
俺を見上げるそのその目も、口元も、全てが。
「……いい感じだな」
「何がですか?」
片嶋が、こんな風に俺の腕の中にいるってことが。
「桐野さん?」
俺のものだってことが。
「桐野さん??」
片嶋は目をぱちくりしながら俺を見上げてたけど。
俺は返事をせずにそのまま押し倒した。
けど。
キスをしながらセーターとジーンズを脱がせたところで、片嶋からクレームが。
「カーテン閉めるって言いましたよね?」
はいはい、なんて思いながら、ついでに片嶋を抱き上げてベッドに運んだが、それでさえ文句を言われた。
「自分で歩けます」
だから、そんなことは分かってるんだって。
カーテンを閉めて、エアコンを強めにして。
片嶋の隣りに滑り込む。
「な、昨日みたいに俺の服、脱がせてくれないのか?」
「……え?」
「それとも、また途中で止めて『自分で脱いで』とか言う?」
「……え??」
その後の数秒間で、片嶋の脳はフル回転して、すっかり昨日の記憶を拾い集めてきたらしい。
俺の目の前でぶわっと一気に真っ赤になった。
相当酔っ払った時だってここまで赤くならないのに。
つくづく不思議な奴だよな。
「で? 脱がせてくれないのか?」
俺が笑い転げるその横で、片嶋はその後も硬直していたけど。
キスをしたら、やっと口を開いた。
「……桐野さん、性格悪いです」
「ああ、知ってる」
片嶋の手を取って、シャツのボタンまで誘導した。
細い指がそれを外す間、片嶋の頬から熱は引かなかった。



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