カーテンを引いたものの、部屋は十分に明るかった。
「やっぱり、止めませんか？」
「ダメ。今更」
「だって、俺、こんな、」
「『だって』は禁止」
「でも、」
「『でも』も禁止」
片嶋はこうやって毎回グズるんだけど。
身体はちゃんと熱くなってた。
「セックス、嫌いなのか？」
そっと片嶋のものを握り込みながら尋ねたけど。
片嶋はそれについての返事はしなかった。
代わりに。
「……俺……桐野さん、キライです」
プイッと顔を背けてしまった。
けど、そんな態度とは裏腹に、手の中のものは十分に高まっていた。
先端から溢れるもので手のひらが濡れるほど。
「そっか」
笑いを堪えながら、キスを落す。
唇から、顎、首筋、胸……
「俺は、おまえが好きだよ」
胸の突起に舌先を押しつけるとピクンと身体が跳ねる。
少し、意地悪が過ぎるかと思ったけど。
片嶋の困った顔が見たくて、つい、余計な事を言う。
「おまえが、俺のこと、嫌いでも」
片嶋はちゃんと俺の期待に応えて、可愛い返事をしてくれた。
「……キライなんて……嘘、です」
笑いを堪えている事を悟られないようにって、思ってはいたんだけど。
「ああ。わかってる」
返事をしたら声が思いっきり笑ってて。
片嶋にバレてしまった。
「……怒りますよ」
「わりい」
別に、怒ってくれてもいいんだが。
不謹慎だけど、片嶋は怒った顔も可愛いから。

キスをしながら後ろを解す。
キュッと目を瞑ったまま漏れる吐息交じりの声。
「あ……んっ、」
奥を擦られると指を締め付ける。
緩く開いた唇が続きをねだる。
「……桐野、さ……」
相変わらず、俺の名前を呼ぶだけなのに。
俺はしっかり誘惑される。
「もう、大丈夫か？」
目を閉じたまま頷く。
上気した頬に口付けてから、体勢を変えてゆっくりと腰を沈める。
片嶋のかすかに苦しそうな表情と痛いほどの締め付けを感じると、少しだけ心配になる。
「ホントに大丈夫なのか？」
挿れたままの状態で確認するようなことでもないんだが。
「……桐野さ…ん、過保……護です」
目を瞑ったまま。
声も切れ切れで。
既にキスマークのついた喉を晒して。
片嶋のこの返事って……俺、煽られてんのかな。
「おまえ、この状況でそう答えるのって、自分の首を締めてるって分かってるか？」
片嶋はまた一瞬考えてから、頬を染めた。
繋がっていた部分が同時にキュッと締めつけられた。
それが、また、なんと言うか。
……正直なヤツ。
おかげで予想していたよりもずっと長い時間、俺たちはベッドで過ごすことになった。
「桐野さんのせいです」
片嶋は俺のせいにするんだけど。
……俺は違うと思うけどな。



そんなこんなで。
朝飯は食い損ねて、１時に昼食。
その後、ダンボールを開けて収納場所を考え、部屋に必要なものをメモした。
「じゃあ、買い物に行くか」
ゴルフの時以外はほとんど活用されていない俺の車で、郊外の量販店までドライブ。
電気屋とか大型スーパーマーケットとかを回るのがこんなに楽しかった事はない。
必要な物はすぐに揃い、パソコンデスクと収納ケースは明日届けてもらうことになった。
「おまえ、ホントにベッドはいらないわけ？」
片嶋は寝具売り場に来てもぜんぜん関係ないものを見てるだけで、ベッドにも布団にも見向きもしない。
「桐野さんは俺と一緒に寝るの、嫌ですか？」
「んなわけねーじゃん」
なんだか随分と強気だし。
「おまえさ、俺とケンカしたらどこで寝るんだろうとかって考えたりしないのか？」
「考えましたよ」
片嶋は当然のようにサラリと答えた。
「それでも、布団は要らないのか？」
「桐野さんちにはソファもありますし。……ケンカしてもスペアの布団ぐらいは貸してもらえるんですよね？」
片嶋はケンカをしても同じ部屋で寝るつもりなんだな。
「けど、顔も見たくなくなることだってあるかもしれないだろ？」
毛布の一枚さえもない自分の部屋で過ごさなきゃならなくなったら可哀想だと思ったんだけど。
片嶋はめいっぱい不満そうに俺を見上げた。
「絶対、そんなことないです」
しかも、自信満々で。
そりゃあ、俺だって、そんな状況はピンとこないよ。
それどころか、片嶋のすることなら何でも許してしまいそうだなって思ってるくらいで。
「なら、いいんだけどな」
先回りして色々考えるのは止めた方が良さそうだ。
だから、その話は終わりにするつもりだったのに。
片嶋は気にしていた。
「でも、桐野さんが嫌なら……」
いったい、いつになったら俺に遠慮しなくなるんだろうって思って少し淋しくなったけど。
そんなことにもいつかは慣れて、『昔は可愛かったよな〜』とか言うようになるんだろうか。
「俺は、おまえとならケンカしても一緒にいたいよ」
ケンカしたからって、好きな気持ちは変わらない。
それに、どうせ次の日にはケンカしたことなんて忘れてしまうんだし。
「だからさ、おまえも遠慮なんてしないで何でも俺に言えよ？」
片嶋は目を伏せたまま静かに微笑んだ。
見慣れたはずなんだけど、俺はやっぱりしばらく見惚れてしまった。
寝具売り場を歩いていく家族連れが不思議そうに俺たちを見ていることに気付いて、慌てて普通の会話をはじめるまで。ずっと。
「……なあ、それよりさ」
片嶋に二つ聞きたい事があったんだ。それを不意に思い出して口を開いた。
俺にとってはわりと深刻な話なんだけど。
片嶋はムニムニした妙な手触りのビーズクッションを抱いたまま、ぼんやりしてた。
相当気に入ったんだろう。さっきからそれを手放さない。
引っ越し祝いに買ってやろうかと思ったが、どうせ俺んちに置く事になるだろうし。
それに。
こんなクッションに片嶋を取られるのも悔しいし。
……いや、さすがにそんな事はないか。
ぐるぐると思い巡らしていたら、片嶋が不思議そうに続きを促した。
「なんですか？ 話しかけた後で考え事なんて。やっぱり俺には言えないって思ったとか？」
「いや、そういうわけじゃ……」
言えないよ。
ビーズクッションに片嶋を取られるかもしれないと思ってたなんて。
とにかく話を元に戻すことにした。
「なんで一ヶ月、ずっと会ってくれなかったのか聞こうと思って」
別に俺に会いたくなかったわけじゃなさそうなのに。
かといって本当に用事があったとは思えない。
「え？ ああ……ちょっと、いろいろ、考えたくて」
少しだけ口篭もった。
まあ、そんなことだろうとは思ったけど。
「気持ちの整理ってヤツ？」
「まあ、それもあるんですけど。……桐野さんに会うと仕事の愚痴とか言ってしまいそうだったし」
「楽しそうにやってんじゃねーかよ？」
そうだよ。あんなに可愛がられて。
溝口だけかと思ってたのに、みんなに『彰ちゃん』とか呼ばれてるんだもんな。
岸田なんてずっと『彰ちゃん、彰ちゃん』って馴れ馴れしく……
思い出したらちょっと腹が立った。
「でも、いろいろありますから」
まあ、そうだろうけど。
違う会社で仕事も人間関係も一からやるんだ。呑気に過ごせるはずはない。
「たとえばどんなこと？」
大変だろうと思うのに、片嶋は会社のことは俺に全然相談してくれないんだよな。
まあ、話してくれても俺がどうにかしてやれるわけじゃないけど。
「稟議が通りにくいんですよ。手続きも面倒だし。時間もかかるし。決裁者が無駄に多いし」
それが一番の不満っていうのが片嶋らしいけど。
コイツがこれだけ言うって、相当なもんなんだろうな。
まあ、会社ってところは規模がデカくなればなるほど、余計な手順が増えるもんだけど。
「それに、ちょっとしたことでいちいち差し戻されるんです。内線で確認すれば済むようなことなのに」
「大変だな。まあ、うちみたいにすぐに役員と話せるって言うのは恵まれてるんだろうけどな」
愚痴でも何でも話して欲しいと思うんだけど。
片嶋は溜息と共に俯いた。
「すみません。こんなこと話すつもりじゃ……」
「別に、普通の会話だろ？」
相変わらず、変なところが他人行儀で。
その上。
「でも、甘えるようで嫌なんです」
俺は甘えて欲しいと思うんだけど。
「おまえって、そういうところが可愛くないよな」
「分かってます」
片嶋は負けず嫌いだ。放って置くと一人でどこまでも頑張ろうとする。
少しくらい誰かに頼ることも覚えた方がいいのに。
自分のためにも、周りの人間のためにも。
「今までも話さなかったのか？ アイツに、仕事のこととか、会社のこととか」
「話しても聞いてくれませんでしたから」
まあな。アイツとは住む世界が違うんだ。
会社員の日常など理解しようとしなかったに違いない。
そんな面倒くさいことをしなくても、片嶋はずっと側にいたから。
なんの努力もしなくても、手に入ったから。
「まあ、アイツが甘やかしてたら、とんでもなくお姫様になっちまっただろうから、そんくらいでちょうど良かったのかもな」
それを聞いて、片嶋は意味ありげに笑って見せた。
「じゃあ、半年後くらいには俺、ものすごく嫌な性格になってるかもしれませんね」
一応、自覚はしてるのか。
自分の先輩に向かって堂々と「キライです」とか言ってるのに、周りは笑って見てるくらいだから、それ以外でも相当甘やかされてるんだろうな。
「おまえ、部署で一番年下で怒られないからって……」
可愛がられ過ぎてて、ちょっと心配っていうのが本音だが、なんとなく説教口調になってしまった。
なのに、片嶋は俺の気持ちなんか知らずにクスクスと笑い出した。
「俺を一番甘やかしてるのは、桐野さんだと思いますけど」
「え？……ああ……まあ、そうかもしれないけどな」
俺はつい構ってしまうだけで、甘やかしてるつもりじゃないんだけど。
「……他のヤツには甘やかされるなよ」
付け足したら、今度は声に出して笑い始めた。
「大丈夫ですよ、年下だから構われるだけで、ただの後輩なんですから」
言ってから、俺の肩に手を置いて、少し背伸びをした。
「桐野さん、」
「ん？」
「ちょっとだけ下向いて」
言われた通りにしたら、掠めるようにキスをした。
布団売り場の片隅で。
これって社会的に許されることなんだろうかと思いつつ。
「おまえ、こんな所で……」
そう言いながら、俺もキスを返した。
周囲に誰もいないかを確認するのは忘れていた。
もう、そんなことどうでもいいと思った。
「桐野さんでも、そういうことするんですね」
「俺も普通の男なんだよ」
「じゃあ、」
片嶋はそう言ってもう一度キスをねだった。
もう、誰に見られても構わないと思った。
これから先、ずっとこうやって二人で過ごすんだから。
隠したり、遠慮したりしないで付き合っていきたいと思ったから。

けど。
結局、クッションを買ってやって、家に帰ってから思った。
聞きたかったことの、残りの一つ。
『なんで鍵が４つなんだよ』って聞くの忘れたな……
「……まあ、いいか」
独り言の後、コーヒーでも入れようかと思って缶を開けたが、豆があと少ししかなかった。
ついでに買い物を済ませようと思って冷蔵庫を開けて足りない物を確認した。
夕飯は外で食うとしても、つまみくらいは買っておくか。
片嶋は自分の荷物のうち酒の入ったダンボールだけはちゃっかり俺の部屋に運んでいた。
またしても今日は宴会だ。
じゃあ、水もちょっと多めに買っておくか。あと、お茶と……明日の朝食のパンと。
「俺、コンビニ行って来るから。」
片嶋と一緒の生活に緩みまくっていたせいで、過去の経験値などというものはその日の俺には働いていなかった。
「すぐ戻るけど、念のため鍵はかけとけよ」
俺がそう言い残したから、インターホンが鳴った時も片嶋は相手を確認せずにドアを開けたんだろう。

「あれ？ 彰ちゃん？」
マズイことに、そこに立っていたのは溝口だった。
週末になると何度も俺をメシに誘った溝口の事だから、不意に家まで押しかけてくるなんてことは予想しておくべきだったんだ。
後から、そんなことを思って反省したが、もはや手遅れ。
「こんにちは」
片嶋は極めて会社的な口調で挨拶をしたが、溝口はあっさりと、
「おまえら、そういう関係なんだ」
そう言って満面の笑みを見せた。