「ご用件はなんですか?」
片嶋は冷静だったが、まったく慇懃無礼を絵に描いたような態度で。
「桐野に用事なんだけどさ。いないの?」
「あいにく外出中です。ご伝言があればお伝えしますが」
ニコリともせずに対応したらしい。
しかも。
「彰ちゃん、もしかして俺を追い返そうと思ってる?」
溝口の言葉にしっかり頷いた。
「冷たいなぁ。でも、桐野はすぐ戻るんだろ? 入れてよ。コーヒー飲みたいなんて言わないからさ」
仕方なさそうに溝口を部屋に迎えてから、コーヒーを入れにキッチンへ行った。
俺はそのすぐ後に部屋に戻った。
「で? 何しに来たんだよ?」
俺も決して歓迎はしなかった。
夕飯まで片嶋とのんびり過ごそうと思ってたのに。
「ちょっと用事があってさ、仕事のことで」
それをなんで休みの日に自宅に聞きに来るんだよ?
「電話しろよ。留守だったらどうするつもりだったんだ?」
溝口はそれには答えず、コーヒーを入れている片嶋を目で追っていた。
「あの彰ちゃんがコーヒー入れてくれるなんてさ」
「片嶋って、会社ではコーヒー入れたりしないのか?」
溝口がそんなこと知ってるはずないか。
片嶋とは部署もフロアも違うんだもんな。
って思ったのに。
「そうだな。ペットボトルの水くらいしか飲んでるの見たことないかも」
なんでそんなことまで知ってるんだ??
「俺、企画にいる時間の方が長いんだよな〜。合同会議はいつも俺が出るし。稟議の根回しも俺の仕事だし」
「だからって、片嶋がナニしてるかなんて……」
「用もないのに俺にくっついて企画に来る岸田がいちいち言うからなぁ。水飲んでる彰ちゃんの口が色っぽいとか、『あのペットボトルになりたい』とか言って。なんか絶対やらしいこと考えてるぞ、アイツ」
岸田も岸田だけど、溝口もなぁ……
「そりゃあ、おまえの考え過ぎだろ?」
「岸田はムッツリなんだよ。絶対」
よく分からんが。
まあ、片嶋に害がなければそんなことはどうでもいい。
「それにしてもさ、桐野」
「なんだよ」
溝口、目が三角だ。
「いいねえ、新妻ってカンジ」
片嶋の後姿を見ながらニヤニヤしてるのが、ちょっとムカつくけど。
「アホか。なんでいきなりそうなるんだ」
そういう目で見るなよな。
ったく。エロオヤジだな。
「会社の後輩なら部屋に遊びに来ることくらいあるけどさ。彰ちゃん、何故か桐野のセーターを着てるんだもんなぁ。それ見ちゃったら疑いようがないよ。やられたなぁ」
何がだよ??
「金曜に酔っ払って泊まりに来て、そのまま今日まで居るだけだろ。良く遊びに来るから片嶋の着替えも少しは置いてあるけど、冬物がなかったからセーターを貸してやったんだよ」
一つも嘘はついてない。
「でも、彰ちゃん、まるっきり自分ちにいるみたいだぞ?」
「何度も来てるからな」
何を言っても溝口のニヤニヤは一向に収まらない。
「桐野のセーター、彰ちゃんにはちょっと大きいんだなぁ。なんか、色っぽいよ」
「おまえのを着せても片嶋にはデカイだろ」
っつーか。「色っぽい」は余計だ。
「だってさ、彰ちゃんの首にキスマーク。二つ折りとはいえ、ハイネックのセーターから見えるってことは、ワイシャツでも隠れないと思うぞ?」
俺はギョッとしたが、コーヒーを持って戻ってきた片嶋はさらっと聞き流した。
キスマークを指摘されたくらいではぜんぜん動じないらしい。
人前ではカンペキなポーカーフェイスなんだよな、コイツ。
まあ、キスマークだって俺がつけたかどうかはわからないんだから、言い訳の余地はあるけど。
でも、溝口はちゃんと他のところも見ていた。
「しかも、シングルベッドに枕が二つ。パジャマも2つ。ただの後輩なら泊まりにきても同じベッドで一緒には寝ないよな?」
片嶋は否定する気もないらしく、黙ってコーヒーを飲んでいた。
こんな状況じゃ、どう弁解してもダメよな。
俺もそれ以上は何も言わなかった。
「隠すことないだろ。いいよ、おまえら似合ってるし」
溝口がそう言ったら、それまで無表情だった片嶋がニッコリ笑った。
「ほら、桐野も。そんな顔しなくたって、誰かに言ったりしないから大丈夫だぞ?」
「おまえに言われても安心できねーよ」
溝口はにへへと笑って。
「絶対、言わないって。だってさ、バラさない方が楽しめそうだもんなぁ。ほら、岸田なんて桐野がライバルだって知ったらすぐに諦めちゃいそうだしさ、安藤だって……」
そこまで言ったら片嶋が視線で咎めたので、溝口も慌てて口を噤んだ。
今更、遅いよ。
けど。
安藤って、誰だ??
「後で説明しますから」
片嶋が小さな声で俺に告げた。
まあ、溝口に説明させるよりは自分でした方が誤解は少なそうだけど。
「いいよ、別に。おまえを疑う気なんてないから」
どうせ親会社のヤツなんだから。岸田と変わんないだろ。
俺と片嶋でしばし見つめ合ってたら。
「あちち。やられた」
溝口はソファに座ったまま倒れた振りをした。
「そのまま死んでろ」
じゃなかったら、さっさと帰れ。
まったく邪魔なヤツだ。
と思ってたら、またムックリと起き上がった。
「冷た過ぎるよな、桐野。誰にもしゃべらないって言ってるのにさ」
けど、本人の意志とは関係ない所で口が滑るってこともあるもんな。
「酒の席でうっかりってことはないか?」
「それは大丈夫だ。俺は酔ってる時の方が口は固いから」
……それは大丈夫とは言わないだろ。
まあ、ゴシップ好きだが秘密を守れないような奴ではないからな。
って言うか。
とりあえずは信じるしかない。
「で、用事ってなんだ?」
さっさと帰そうと思って話を前に進めようとしたのに。
溝口は無視して勝手に話し続けていた。
「それにしても、桐野が彰ちゃんを一人占めかぁ。やるなぁ。どうやって口説いたんだ?」
どうしてもその話がしたいらしい。
けど、そんなことまで話せるか。バカ。
「いいだろ、なんでも」
「ふうん。じゃあ、彰ちゃんに聞いちゃおうかな?」
溝口はすっかりオヤジな空気を漂わせていた。
そのまま首根っこを掴まえて玄関まで引き摺って行こうかとも思ったんだが、片嶋がどうってことない様子でそれに答えるから、俺も黙って聞いていた。
「酔っ払って絡まれてるところを拾われて。それからちょくちょく泊まりに来るようになって。その後、なんとなく」
適当な返事のようだが、片嶋は本当にそう思っているんだろう。
「マジ? 桐野ってラッキーなヤツだな」
片嶋は俺の隣に少し離れて腰掛けてたけど。
俺の方を見てニッコリ笑った。
「そんなことないですよ。桐野さん、もてるから心配で」
心配しているようには見えないんだが。
「んー、まあ、桐野はうちのアシスタントの女の子にも人気があるからなあ」
嫌な予感がした。
こいつは決しておしゃべりじゃないが、タチの悪い冗談は大好きだ。
「有ること無いことしゃべるなよ」
「いいじゃないか。おまえが来るとうちの女子社員が化粧直しに行くとか、結婚するならナンバーワンって言われてるとかそんな他愛もないことなんだし。片嶋だってそれくらいじゃヤキモチは焼かないだろ?」
片嶋は普通に頷いて、
「桐野さんはどこにいてもそうですから」
そう答えた。
彼氏が浮気しても許すヤツだから、その程度じゃヤキモチなんて妬かないだろうけど。
「とにかく、尾ヒレをつけた話は止めろよ」
「そこまで言うなら、この先は内緒ってことで」
その先なんてナンにもないくせに、煽るようなことばっかり言うんだからな。
「桐野さん、俺、コーヒーのお代わり持ってきます」
俺のマグカップを持って席を立つ。
「彰ちゃん、俺も」
カップを差し出す溝口に、片嶋は笑顔で言い放った。
「これ飲んだら帰ってくださいね」
……片嶋。溝口だって一応、先輩なんだから。
まさか、会社でいつもこんなじゃないよな?
「それよか、な、桐野」
片嶋がキッチンに行った隙に溝口が呟いた。
コイツもコイツで片嶋がどんなに無愛想でも全然気にしてないんだから。
打たれ強いと言うのか、鈍感と言うのか。
「片嶋って普通に笑うとえらく可愛いんだな。ちょっとびっくりだ」
「頼むから、それは会社で言うなよ」
俺の心配事はどんどん増えて行く。
「なんでだぁ? 可愛がられた方がいいだろ? 彰ちゃんは一番年下なんだし」
「これ以上、オオカミを増やしたくないんだよ」
「ああ、そうか。……けど、」
それから溝口はゲラゲラ笑った。
「おまえ、完璧に彰ちゃんにヤラれてんな」
「いいんだよ、そんなことは」
おまえには分かるまい。
片嶋はしっかりしてるように見えて、実はちょっと天然なんだ。
押しに弱いし。意外と人懐こいし。
誰かに付け込まれるようなことがあったら、俺が困る。
「で、どうよ?」
「何が?」
「プライベートの彰ちゃん」
「……どうって、別に。あんなだけど」
コーヒーを入れている片嶋にチラリと目を遣った。
「甘えちゃったりもするんだろ?」
「いや」
それは、あんまりしてくれないんだよな。
酔ってなければ隣りに座るのだって少し離れるくらいだ。
まあ、女の子じゃないんだし。片嶋はもともとそういう性格なんだろうけど。
「未だに丁寧語が抜けないし」
「なに? アレが普通の話し方なのか?」
溝口が笑うんだけど。
そうなんだから仕方ない。
アイツにはタメ口だったし、酔うと部分的に砕けた口調になるから、あれが普通なわけじゃないってことは分かってるんだが。
「俺には、常にあの状態だな」
「色気ないねぇ」
まったく。
俺もそう思う。
「もしかしてベッドでも丁寧語?」
「おまえにそんなことまで話さねーよ」
俺が言ってる側から。
戻ってきた片嶋が「そうです」って答えやがった。
普通、そんなことに答えるか?
「なんか、慣れちゃって。抜けないんですよね」
抜けないどころか、もはや定着してる。
この先も見通しは暗い。
なのに、溝口はまたしてもエロい笑いを浮かべて言った。
「いいんじゃないか? かえって色っぽくて」
「どこがだよ??」
「ですます調って、ものすご〜くイケナイことをしてる気分になるだろ?」
コイツの思考回路も、俺には分からん。
「にしても、彰ちゃんって切り替え早そうなのにな」
俺もそう思うんだけど。
「でも、桐野さんですから」
片嶋は、またしてもよく分からない理由を述べた。
当然、溝口も疑問に思ったらしくて。
「この理由って、桐野は意味が分かってんのか?」
「いや」
俺に片嶋の思考回路が分かるはずないだろ。
けど。
「いいんだよ。わかんなくても。ぜんぜん困ってないんだから」
「ふうん。……って、もしかしてノロけられてんのか、俺?」
なんでそうなるんだよ。
「違うって」
……違わないか?
まあ、どうでもいいけど。
「嫌なら帰れ」
「冷たいなぁ、桐野」
おまえが無粋なんだ。
まず、それに気付け。
片嶋は自分のコーヒーカップをテーブルに置くと、俺の隣りに座った。
やっぱり、少し距離を置いて。
「彰ちゃん、俺に遠慮せずにピッタリくっついて座っていいんだぞ?」
溝口がニヤニヤするのをキツく一瞥して。
「溝口さんが帰ったらそうします」
とか言って。普段からしてピッタリくっついて座ったりはしないくせに。
「彰ちゃんまで俺に『帰れ』って言うのか?」
「長居されるといろいろネタを仕込まれそうで怖いですから。もう帰ってください」
何が怖いって、片嶋がそれを真顔で返すのが怖いよ、俺は。
「ネタは仕込むけど、一人で楽しむからさ。他の連中には言わないって。ショックのあまり仕事をしなくなるヤツもいたりすると、いろいろ滞るだろ?
ほら、岸田とか井口とかさ、」
そう言いながら指を折る溝口の右手が気になった。
岸田だけじゃないっていうのは何となくわかったけど。
井口は誰だ?
さっき出て来た名前と違うよな?
ってことは、オオカミ予備軍は何人いるってことなんだ?
「止めてください。本当に、怒りますよ」
片嶋の目がマジになってきた。
「まあ、いいじゃん、な?」
なのに溝口は含み笑いなんてしやがって。
やっぱり、さっさと追い返そう。
せっかくの週末なのに。
これから二人で楽しく過ごそうとしてたのに。
なんでこんなヤツに邪魔されなきゃならないんだ??
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