パーフェクト・ダイヤモンド

St.Valentine's Day(中編)




仕事は予想していたよりもあっさり片付いて、クリスマスの二の舞いにならなくて良かったと思いながら席を立った。
「わ〜、桐野さん、もしかしてデートなんですね〜。いいなぁ」
宮野の間の抜けた声を思いきり聞き流して。
「月曜もキスマークつきですかぁ?」
女の子たちに冷やかされながら会社を出た。
なんか随分と面白がられてるよな。


約束の時間の5分前。
デパートの食品売り場に続く階段の手前に片嶋がぼんやり立っていた。
クリスマスに俺がプレゼントしたマフラーを緩く巻いて、ポケットに手を突っ込んで。
俺と同じように会社の紙袋を脇に抱えている。
こんな時の片嶋は、何故か少し緊張した顔をしている。
普段は、役員が居並ぶ会議だろうが社員を集めての企画説明会だろうが余裕綽々で、およそ緊張することなんてなさそうなヤツだけど。
何度も周りを確かめて、たまに溜め息をついて。
まるで付き合って初めてのデートみたいな、初々しい顔で。
片嶋が人ごみから探してるのが自分だと思うと、また口元が緩んでしまう。
「片嶋、」
後ろから声をかけるとすぐに笑顔になった。
「お疲れさまです」
相変わらず、会社の続きのような受け答え。
それでも、片嶋が思いきりほっとしたような顔をするのが微笑ましい。
連れ立って階段を降りて、すぐ近くにあるワイン売り場に直行した。
片嶋が店員と話をしながら選んだワインは、それほど高い物ではなかった。
俺の懐を心配しているのかと思ったが、どうやらそういうわけではなさそうだ。
「じゃあ、これとこれとこれ」
いきなり3本。しかも。
「これだけで足りると思いますか?」
片嶋はものすごく真剣なんだけど。
……それは俺じゃなくて、おまえの腹に聞けよ。
「家にもまだあるから大丈夫ですよね」
やはり真剣な面持ちで呟いてからレジに向かった。
金額を言われて金を出したら、片嶋が慌てていた。
「いいよ。片嶋へのプレゼントなんだから」
「だったら、1本で……」
「あとで俺にもプレゼントくれるんだろ?」
片嶋はそれでも困った顔をしてたけど。
「俺も遠慮なくねだるから、心配するなって。な?」
そう言ったら華やかに笑った。
「はい」
相変わらずの素直な返事。
「片嶋ってさ、」
店員が聞いてたけど。そんなことはこの際どうでもいい。
「はい?」
「そういうところが可愛いんだよな」
「……どういうところですか?」
キョトンとした目が見つめている。
「そういうところ」
少し首を傾げてワインの入った袋を持とうとしたが。
「片嶋はこっち」
チョコの入った紙袋を渡して、代わりにワインの包みを受け取った。
「え、でも、いいです。どうせ俺が飲むんだし……」
「いいから、ほら」
「でも、重くないですか?」
ワイン3本。確かに軽くはないけど。
「大丈夫だって、これくらい。酔っ払った片嶋よりはずっと軽いしな」
何気なく言ったら、片嶋はちょっとだけ口をへの字に曲げた。
でも、抗議はしなかった。
「今日は潰れるなよ?」
「大丈夫です」
「ならいいけど」
とか言っておきながら。
実は片嶋を酔わせる気満々な俺だった。
……性格悪いかもな。


混雑した階段をすり抜けながら上って、表に出た。
「じゃあ、今度は桐野さんへのプレゼント、買いに行きましょう」
って片嶋が言うんだけど。
「ワインとチョコを持ったままじゃ大変だろ?」
っていうか、買わなくていいんだよ。
家に帰ってから頼めば済むことなんだから。
「でも、クリスマスの時のお詫びもしないといけませんし……あの時、すごく冷やかされたんじゃないですか?」
「ああ、少しだけな」
実はそれも結構楽しいんだってことは、この際内緒にしておこう。
そのまま二人で駅に向かい、電車に乗った。
ドア近くに立って窓の外を見る片嶋の整った顔は少しだけ微笑んでいる。
「じゃあ、明日一緒に買いに来ましょうね。何がいいか考えておいてください」
片嶋と一緒に買い物するのも楽しいだろうけど。
せっかくのチャンスだ。金で買えるものじゃ面白くない。
「プレゼントって、なんでもいいのか?」
朝からいろいろ考えていたから、いいと言われたら遠慮なくねだろうと思ってたが。
「……桐野さん、もしかして何か企んでます?」
俺の下心なんて片嶋はとっくにお見通しらしい。
まあ、顔に出やすい性質だから仕方ないか。
「企んでるってほどでもないけどな。物じゃなくて、頼みがあるんだけど」
「いいですよ。服を着ていてもできるようなことなら」
非常に明確な条件付きだった。
温泉でよほど懲りたんだろう。
そう言えば、あの後、しばらくヤラせてもらえなかったんだよな。今日は気をつけないと。
「服は着たままでいいし、時間も金もかからないから」
「簡単なことなんですか?」
「ああ。所用時間もほんの数分」
片嶋は真面目に首を傾げていた。
「だったら、なにも頼みごとにしなくても、普通に言ってくれればよくないですか? 俺が嫌がるようなことなんですか?」
いい読みだ。さすがは片嶋。
「どうだろ? 片嶋に嫌がられたら、俺はショックだけどな」
それを聞いて「ふうん」という顔で頷く。
でも、しばらくすると首を傾げる。
それから、また考える。
でも、やっぱり首を傾げる。
そんな仕種を繰り返す片嶋が可愛くて、電車を降りるまでずっと見とれていた。



マンションの近くで夕飯を食べて、家に帰って。
ワイングラスと自称義理チョコをテーブルに並べた。
「うわ、桐野さん、すごいチョコ貰って来たんですね」
「そうか?」
「高いんですよ。こんなに小さいのに1粒1500円するんですから」
「え??」
ってことは、2個で3千円?
「本当に義理なんですか?」
いきなり片嶋に疑われた。まあ、無理もないが。
「……って、言ってたけど」
そんな返事をしたところで、やっぱバレバレだよな。
でも、義理チョコという前提でもらってきたから、俺に疚しい気持ちはない。
「好きですとか、付き合ってくださいとか言われませんでした?」
「言われてねーよ」
それは嘘じゃないから、自信満々の返事。
「なら、いいんですけど」
そういう片嶋の紙袋にだって、結構な量のチョコが入っていた。
「チョコじゃないものまで入ってるみたいだけど?」
今度は俺がちょっと焼きもち。
「それは、企画会議の根回しのお礼です」
「ふうん。……手紙つきとかもあるんだな」
「それは捨てていいです」
よくないだろ??
封も開けてないのに。
「せっかく書いてくれたのに、読まずに捨てるのか??」
「いいんです。岸田さん、字汚いですから。読むと疲れるんです」
ああ、アイツな。
まだ諦めてなかったのか。
「男にチョコもらってくるんだもんなぁ……」
俺の無意識の呟きに、片嶋は静かに答えた。
「リボンがかかってるヤツは全部男からです」
「はぁ??」
「でも、ただの義理ですよ」
……そんなはずはあるまい。
男が男にわざわざチョコを渡すってことの異常さが片嶋にはわからないんだろうか?
「っていうか、チョコじゃないだろ、これ」
軽いし、デカイ。
「開けてもいいですよ。ジョークだから笑って済ませるようにって言われましたから、きっとふざけた物だと思います」
片嶋の言う通り、中味は下着だった。
色は普通に黒だけど、超ビキニ。
「しかも、微妙に透けてないか??」
しかも、後ろだけはカンペキにスケスケだ。
「だから、ジョークなんですって」
「ふ〜ん」
……片嶋に似合うかな?
ちょっと想像する。それだけで怒られそうだけど。
「捨てていいですよ」
そんなもったいないことをするわけには行かない。
でも、とりあえずは捨てたフリをしてどこかに隠しておこう。
今日の目的が第一優先だ。こんなことで機嫌を損ねられても困る。
こっそり、それをしまい込んでから、コルクスクリューを持って来た。
楽しいバレンタインの始まり。
でも。
その前に頼みごとをしないと。
「な、片嶋」
小さなチョコを一つ口に放り込んでから片嶋を引き寄せた。
「はい?」
「キスしてくれよ」
「え?」
「だから、片嶋からのプレゼント。簡単だろ? 服も脱がなくていいし。数分で終わるし」
なるべくサラッと進めないと。片嶋が警戒する。
「いいですけど。今すぐにですか?」
「そう」
「ワイン、飲む前に?」
酔った片嶋なら勢いで簡単にしてくれそうだけど。それじゃあ、つまらないもんな。
せっかくだから、シラフの片嶋に目いっぱい照れながらしてもらわないと。
「嫌か?」
いつもなら、片嶋の許可も取らず一方的にさせてもらうんだけど。
「嫌じゃないんですけど。でも、」
片嶋がグズりはじめた。
でも、そんなのはいつものことだし、俺の予想の範囲内。
「嫌なら断わっていいぞ?」
そう言われて断われる片嶋じゃない。
「嫌じゃないです、けど……」
目を泳がせてるところも可愛くて。
俺の紳士のフリは長続きしない。
「それは、OKってことだよな?」
つい、先を急がせる。
「ええ、まあ」
よし、オッケー。
「じゃ、俺の膝に乗って」
「えっ??」
「ほら。早く」
腕を取られて、思い切り困った表情になる。すでに顔も赤い。
「なんで膝なんですか?」
「俺の趣味」
他に何があるよ?
片嶋はしばらくグズっていたが、それでもソファに座っていた俺の膝に横座りした。
「そうじゃなくて、正面向き」
「え??」
「やる時みたいに、跨いでってことだよ」
言った瞬間に片嶋に怒られた。
「桐野さん、その言い方、なんとかならないんですか」
「悪かったな」
他に適当な言葉が思いつかなかったんだよ。
それでも対面座位とか言うよりはいいと思ったんだが。
……どっちもどっちか。


そんなわけで。一応、俺のリクエスト通りに座ってくれたんだけど。
「なあ、片嶋、まだなのか?」
この体勢になってから、かれこれ15分は経っている。
けど、片嶋は赤くなったまま固まっていた。
キスなんて何度もしてるっていうのに。なんでここまで照れるんだか。
「片嶋ぁ?」
2度目の催促に片嶋がちょっと口を尖らせた。
「なんで桐野さんからするんじゃダメなんですか?」
往生際が悪い。
まあ、こんな風にグズグズ言う片嶋が可愛いんだけど。
「そりゃあ、片嶋にして欲しいからだろ」
だから、俺の趣味だって言ってんのに。
「でも、」
それでもまだ困った顔をしている片嶋の頬にそっと手で触れて。
「片嶋が好きだから、して欲しいと思っただけなんだけどな」
そう言ったら、困ったように目を伏せてしまった。
「嫌なら、そう言えよ。怒らないから」
サラサラの髪が揺れて、甘い香りが鼻先をくすぐる。
「……嫌じゃ、ないです」
こんな時の片嶋は誰が何を頼んでもOKしそうな雰囲気で、俺はちょっと心配になる。
他のヤツにどんな甘い言葉を言われても、こんな簡単に騙されちゃダメだぞ。
頼むから、俺だけにしろよ?
あ、もちろん、俺の言葉は嘘なんかじゃないけどな。
「片嶋、」
片嶋の腰を抱いていた手にそっと力を込めると、片嶋は俯いたまま口を開いた。
「……少しだけ、目を瞑っていてもらえますか?」
言われた通りに目を瞑ったんだけど。
「桐野さん、笑うの止めてください」
片嶋にまた怒られた。
「だって、な……」
「何がおかしいんですか?」
「いや、何がっていうわけじゃないんだけど。片嶋がさ、」
目を開けたら、またまたムクれてて。
「俺のせいみたいじゃないですか」
「そうだよ」
どう考えても片嶋のせいだろ。
「俺、おかしいことなんて何もしてません」
してないけど。
「おかしいからじゃなくてさ、」
ムッとしている頬を撫でて、また笑ってしまった。
「片嶋が、あんまり可愛いから」
その言葉の後、片嶋がそっと目を閉じた。
「……可愛くなんて、ないです」
柔らかな吐息が口元にかかる。
何度繰り返しても、飽きることなんてない。
遠慮がちに重なる唇の感触が甘く広がった。


唇が離れた時、片嶋は何故か少しだけ微笑んでいた。
まだ顔は赤かったけど。
「どうしたんだ?」
笑ったままの口元が、囁くように答える。
「桐野さん、チョコの味がします」
そう告げた後で唇がまたそっと触れる。目を閉じた片嶋の長い睫毛とちろちろと覗く舌先が、妙に色っぽく見えてキレそうになったけど。
今のところは我慢して、甘いキスを楽しむことにした。



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