パーフェクト・ダイヤモンド

--内緒の約束--


-3-


土曜は朝からよく晴れた気持ちのいい日で。
なのに片嶋はやはり気乗りがしないらしく、出かける準備をしている間ずっと「本当に行くんですか」と何度も尋ねていた。
もちろんそんなことくらいで怯む俺ではないわけで。
約束の時間のきっちり五分過ぎにインターフォンを押していた。
「おじゃまします」
姉さんの家は電車で二駅。駅から徒歩5分足らず。
こんなに近いんだから、片嶋だってもっとちょくちょく顔を出したらよさそうなものなのに……と言ってみたが。
「彰は家族が少し鬱陶しいみたいなんですよね」
苦笑する姉さんが少し寂しそうに見えて、なんだか墓穴って感じだった。
「まあ、世間一般的に言って男はそんなもんなんでしょうけどね」
そんな言葉が慰めになると思えなかったが、姉さんは「そうですね」と言って片嶋と良く似た笑顔を返した。


その日、他の家族は買い物に出かけたとかで、家には姉さん一人きり。
出された料理も家庭的と言うよりはどこかの小洒落た店のイタリアンって感じで。ついでにバラのアレンジメントと片嶋が選んだワインが並ぶ華麗な食卓。
「片嶋んちって実家もこんな?」
一般家庭って雰囲気じゃないよなと思ったが、片嶋はあっさりと肯定した。
「ええ、まあ。……ワイン、赤の方がよかったかな」
相変わらず酒以外のものはどうでもよさそうだったけど。
「ふうん。なんかすげーな」
料理の豪華さも然ることながら、それに対する片嶋の無関心ぶりがすごい。
「桐野さん、白でいいですか?」
こんなことだから片嶋はいつまで経ってもキャベツが幅一センチ以下に切れないんだろう。
「俺はどっちでもいいよ」
ちょっと笑ってしまうんだけど、それだけはとても納得した。


和やかな昼食と世間話と。
やっぱり姉さんの一語一句にチェックを入れる片嶋と。
「だから、子供の頃の話はするなって言ってるだろ?」
「あら、どうして?」
「嫌なんだよ」
「どうして嫌なのかを聞いてるんでしょう?」
「……理由なんてどうでもいいだろ」
姉さんが話す片嶋の少年時代は、やんちゃで少し生意気でとびきり優秀な自慢の弟。
年の離れた片嶋が本当に可愛くてしかたない様子だった。
……まあ、俺が姉さんだったとしてもやっぱり同じだったと思うけど。
「写真とか、ないんですか?」
何気なく聞いたら、片嶋から速攻で「実家じゃありませんから」という返事が。
なのに。
「ちょっと待っててくださいね」
姉さんは極普通に席を立った。
「あっても持ってくるなよっ!!」
片嶋が目一杯怒っても、彼女はにっこりと華やかな笑顔だけを残して隣の部屋に消えていった。


その三十秒後。
「なんで姉貴が俺の写真なんて持ってるんだよ」
既にムッとしている片嶋を押しのけて彼女がテーブルに置いたのは皮の表紙のアルバム。
まるでゴージャスな本のような装丁だった。
「ロフトの床下に隠していたでしょう? こっちに持ってきて貼り直してみたの」
にっこり笑ってアルバムを広げる姉さんとは対照的に片嶋は思いっきり表情を曇らせた。
「……せっかく封印してたのに」
自分の写真を、ロフトの、しかも床下に隠すってどうなんだろう。
「なんかマズイ写真でもあるのか?」
隠しておくくらいだから、親にも見られたくないようなものなんだろうと思ったのに。
「……別に」
片嶋からの返事はこんな素っ気ないもので。
「だったらなんで渋ってるわけ?」
そりゃあ、子供の頃だったら、いたずらして怒られて泣いてるのとか、パンツ一枚で寝てるのとか、そういうのがあったりしてちょっと照れくさいって可能性は十分にあるけど。
それにしたって床下に隠すほどのものではあるまい。
「……だって」
『でも』とか『だって』は片嶋がグズる時の口癖だけど。
理由はやけに可愛いものだった。
「俺、小さい頃、女の子みたいなんです」
「……そっか」
そう言われると余計に見たくなるってことを片嶋は分かっていないらしい。


写真は全部友達やその親が撮って送ってくれたものらしくて。
「自分の両親や祖父母が撮ったものは実家で保管してますから」
とにかくすべてにおいて過保護っぷりが伝わってきて、片嶋が鬱陶しく思う気持ちもなんとなく分かる。
「あ、これ、おまえだな」
そして、片嶋が言ってた「小さい頃」は本当に幼稚園くらいの時の話で。
「ふーん……ちゃんと男の子の格好してるのにな」
集合写真なのに真っ先に目が言ってしまうほど本当に可愛らしかった。
女の子というよりは、外国の子供みたいだ。
子供なのに目鼻がハッキリしている。
そう思いながらよく見てみたら、
「……あれ? これってどこだ?」
片嶋の周りは本当に欧米人の子だった。
「アメリカらしいですよ」
「ああ、そういえばおまえ帰国子女だったっけ」
そう言えば、以前手伝いに行ったパーティーでそんな噂を聞いたな。
「そうみたいです。この頃のことはあんまり覚えてないんですけど」
そりゃあ、英語も話せるか。
その後にも海外在住写真がいくつかあった。
オヤジの海外勤務は合計三箇所で、そのうち二箇所には片嶋もついて行ったらしい。
「へー……」
海外でも見劣りしない目鼻立ちと足の長さ、顔の小ささ。
さすがは片嶋って感じだけど。
「えらく可愛いよな」
「だから見せるの嫌だったんです」
二十五の男としては「可愛い」と言われるのは不本意なんだろうけど、可愛いものは可愛いんだから仕方あるまい。
「子供の頃なんだから、可愛い方がいいんじゃないか?」
まあ、俺は子供の頃から少しも可愛くなかったから、それを嫌がる片嶋の気持ちはわからないけどな。


その後も、不機嫌なままの片嶋を宥めすかしつつアルバムをめくって。
その間、姉さんはニコニコ笑いながら、なぜかずっと俺の顔を見ていた。
「これくらいになるともうすっかり片嶋って感じだな」
高校に入ってからは、ちょっと雰囲気が違ってた。
大人っぽくなったってこともあって、今と比べても顔の作りはあまり変わらない。
でも、やけに遊んでいそうな雰囲気だった。
「実際、夜遊びがひどかった頃ですし」
そんな言葉を聞きながら、めくった次のページにアイツの写真。
その瞬間に片嶋の冷たい視線が姉さんの方に飛んだけど。
彼女はやっぱりニッコリ笑っただけだった。
「意外と普通っぽいな」
たぶん隠し撮りなんだろう。
アイツはまったくよそ見をしているけど、隣にいる片嶋は楽しそうに笑ってる、そんな写真で。
俺の目には本当にごく普通に見えた。
当然だけどアイツも若くて。
もっとオヤジなのかと思ってたけど、実は俺とそんなに変わらないのかもしれない。
「昔はわりと普通だったんです」
「……そうみたいだな」
十年という月日は人が変わるには十分な時間だろう。
以前、片嶋はアイツとはずっと別れないと思ってたと言ったけど。
今はこうして当たり前のように俺の隣にいて。
その横顔と比べると、高校生の片嶋はやっぱりどこかで無理をしているように見えた。
「けど、これ一枚しかないんだな」
「彼も写真を撮られるのは嫌いだったので」
今よりも楽しそうに見えたなら、もしかしたら俺もショックだったかもしれない。
けど。
「そんな感じだよな」
隣で少し困ったような顔をしている片嶋を見てたら、結局、これでよかったんだと素直に思えた。


「写真、もういいですよね」
俺がちょっとボーッとしていたら、片嶋がさっさとアルバムを片付け始めて。
「そんなに嫌がることないと思うけどな」
何度そう言っても片嶋は嫌そうな顔をするんだけど。
「じゃあ、今度桐野さんの子供の頃の写真を見せてください」
「……別にいいけど」
子供の頃の写真はまだ実家にあるよなと考えながら。
ついでに、自分の子供時代の顔を思い出して。
「俺、マジでぜんぜん可愛くないぜ? おかげで親があんまり写真を撮らなかったくらいだし」
家には妹のアルバムばっかりで、俺のは半分くらいしかない。
「落ち着きがなさすぎてシャッターを押す時にはフレームアウトしてたからだって母親は言うんだけどな」
本当なのかどうかは疑わしい。
「だってあまりにも言い訳っぽいだろ?」
そう話したら、片嶋と姉さんが同時に良く似た華やかな笑顔を見せた。



片嶋の写真披露会の後、
「じゃあ、ダイニングテーブルを片付けてお茶にするから……彰、よろしくね」
姉さんはニッコリ笑って片嶋に片づけを頼んでた。
片嶋の説明によれば、彼女の家では休日の食事については料理を作った人間は後片付けをしなくていいのだそうで。
「じゃあ、さっさと片付けるか」
当然、俺も手伝うつもりで立ち上がったけど。
「桐野さんはダメなんです」
片嶋にきつく止められた。
これまた姉さんちの家訓により、客人は座ってもてなしを受けなければならないらしく、俺だけ再びソファに座らされた。
「すぐに終わりますから」
そう言い残してキッチンに向かう前に、「余計なことをしゃべるな」とか、「変なものを出してくるな」とかいろいろと注意していったのだけはかなり笑えた。
片嶋的には、ここはマズイものがたくさん隠されている場所なんだろう。
姉さんの家に俺を連れてきたくなかった理由がそんなことだと思うとなんだか微笑ましかった。



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