<昔の男>
片嶋と二人でデパートに行った。
お気に入りクッションの替えカバーを買ってから、片嶋ご指定のワインを調達しに行こうとしたんだけど。
「お客様、申し訳ありませんがペットはご遠慮ください」
俺にとって片嶋はコイビトなんだけど。
他人から見たらやっぱりネコだから、食品売り場には入れてもらえない。
いや、寝具売り場に入れたことがそもそも間違っているような気もするが。
「じゃあ、言われたとおり買ってくるからおとなしく待ってろよ?」
一度駐車場に戻ってクッションカバーと片嶋を車に置き、一人で手早く買い物を済ませた。
その間、片嶋はクッションカバーを広げて手触りを確かめていたらしい。
真面目な顔でうなずいていた。
本人は真剣なんだろうけど、そんな仕草はやっぱり可愛かった。
このまま帰るのがもったいないように思えて、
「せっかくだから、ちょっとドライブして帰ろうか?」
そんなふうに誘ったら、片嶋は助手席に行儀よく座ったままキリリと俺を見上げてわずかに頷いた。
薄暗い駐車場を出て、ぐるりと周辺を走る。
道は混んでいたけど、その分ゆっくりと周りを見ることができたので片嶋はご機嫌だった。
「ここが俺の会社」
ビルの前で車を道路脇に寄せて説明したら。
「けっこう大きいんですね。駅からはちょっと離れてますけど、場所もいいですし。自社ビルなんですか?」
とても片嶋らしい返事があった。
「親会社の不良物件を格安で買い取ったって噂だけどな」
片嶋はすべてにおいてネコらしくはないんだけど、そこがいいところだと思う。
「バブル期のものなんですか? ムダに造りが凝ってるみたいですけど」
会社のボケ〜っとした後輩連中よりもずっと気の利いた話をするもんな。
「ああ、そうらしい。造りはどうでもいいいんだけど、地震があると異常に揺れるんだよな」
笑いながらゆっくりと車を出して、また説明をする。
「いつもこの辺で飲んでるんだ。今度一緒に来ような?」
そんな誘いにも、片嶋はこれ以上はないほどの返事をしてくれる。
「家で桐野さんと二人で飲む方がいいです」
それも、あまりに真面目な顔で言うから、運転中だということも忘れて抱き締めてしまいそうになった。
「桐野さん、ちゃんと前を見て運転してください。シートベルトはしてないんですから」
真顔で怒られて、また笑った。
休日の新宿は車も人も溢れていて、どうしてもノロノロ運転になるんだけど、急がない時はそれも楽しい。
せっかくだから、ちょっとだけ思い出の場所に寄ってみた。
「ほら、ここ」
そこは片嶋と最初に会ったビルの前。
「片嶋ってこの辺が遊び場だったのか?」
なんとなくそんなことを聞いてみたけど、返事はなかった。
「……どうしたんだ?」
片嶋は助手席に座ったまま、身動き一つせずに窓の外を見つめていた。
その視線の先に、30代前半くらいの男が立っていた。
「知り合いなのか?」
本当はなんとなく分かってた。
助手席の窓からあまりにも真剣に見つめていたから。
片嶋が『ヨシノリ』と呼ぶ例の男なんだろう。
「……前に、付き合ってた人です」
片嶋からはやっぱりそんな返事があって。
見るからにまともな職業じゃない雰囲気のそいつは、隣に派手な女を連れていた。
女が話しかけても見向きもしなくて、ただ不機嫌な顔で歩きはじめる。
片嶋はそれを黙って見送っていたけれど。
すっかりヤツの背中が消える前に車を出した。
そいつにライバル意識があったとか、何となく気に入らなかったとか、そういうことじゃない。
片嶋が少しだけつらそうに見えたからだ。
アイツとの間に、どんな思い出があるんだろう。
今さら考えても仕方ないことを少しだけ推し量ってみたりもした。
どんなに振り返ってももうすっかり見えなくなった時、片嶋はようやく口を開いた。
「……本当は分かっていたんです」
片嶋が言うところによれば、そいつは相当な遊び人で、とっかえひっかえいろんなヤツを部屋に連れこんでいたらしい。
片嶋がどんな気持ちでそれを見てたかなんてお構いなしで。
『こんなところで遊んでないで、さっさと家に帰れ』
「……いつもそんな風に言われていました」
10年間、ずっと。
片嶋は自分だけを好きになってくれるのを待ってたんだろう。
「本当はコイビトなんかじゃなかったんです」
静かにそう言った。
やっぱり『そんなの全然平気です』って顔をしてたけど。
「ばーか。なんとも思ってない相手と10年も一緒にいられるわけないだろ」
そいつがなんでそんなことをしたのかは分からないけど。
いつでも捨てられる相手を10年も側に置いておいたんだ。
嫌いなはずなんてない。
ただ、片嶋はちょっとだけ素直じゃないから、遊んで欲しい時も淋しい時も、やっぱり今日みたいに『そんなの全然平気です』って顔をしてたんだろう。
だから、『仕方ないな』って顔で構ってやることができなかったのかもしれない。
言えなかっただけで、本当はそいつから欲しかった言葉もたくさんあったんだろう。 「片嶋、」
また、車を止めて。
抱き締めておでこにそっとキスをした。
「俺には何でも言えよ。できることは全部してやるからな?」
そんな言葉に、片嶋は首を振った。
「……もう十分ですから」
少しだけ顔を上げて。
俺をじっとみつめて。
「今のままで十分ですから」
もう一度、そう言った。
10年も一緒にいた相手だから。
多分、片嶋はこの先もずっとそいつのことを忘れないだろうけど。
「……そっか……なら、いいんだけどな」
それでも片嶋はここにいてくれるんだから。
ずっと、ずっとそばにいてくれるんだから。
そいつにしてもらえなかった分まで、俺が大切にしようと思った。
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