<10月31日>
だが、翌々日。午前中に新商品発売会議と説明会があって、みんなで休日出勤させられていた時にもっと大変なことが起こった。
「桐野さん、受付にお客様が見えているそうです」
ミーティングが終わって席に戻った途端、そんな言葉をかけられて。
「客?」
手帳を確認したがアポなんて入ってなかった。
「受付の子の話だとものすっごい美人らしいです」
しかも、『受付を通る人間が全員振り向く』とか、『睫毛が長くてすらっとしてて涼しげで』などという形容詞が並べられて。ついでに。
「にっこり微笑まれると眩暈がするんだそうです」
そんなことまで言われたんだが。
「……俺にそんな知り合いがいるわけないだろ」
それでも、「親会社の秘書課の子か、それとも……」なんてあれこれ思い巡らせながら、
「髪はロング? ショート?」
そんな質問をしてみた。
が。
「ショートです。というか、男性だそうです」
まったく予期していなかった言葉がつけ足され、
「えっ……」
俺は即座にそれに反応した。
約一名、それにぴったりと当てはまるヤツが浮かんだからだ。
―――……まさか
慌ててフロアを出て、エレベーターを待ちきれずに走って階段を降りていった。
そしたら。
「お疲れさまです」
笑顔で俺を迎えたのはやっぱり片嶋で。
「おまえ、なんで―――」
しかも、今日は人型だった。
……そりゃあ、通るやつが振り返るわけだよな。
ため息をつく俺に片嶋は不思議そうな顔で尋ねた。
「どうかしましたか?」
そんな遣り取りを受付の女の子たちが興味津々な表情でじっと見ていて、俺は思わず声を潜めた。
「……なんでその格好なんだよ?」
いや、服装は俺の普段着を着てきただけだから、特に変わってるわけじゃないんだが。
「人型だからってことですか?」
「……そう」
自分のことだから片嶋はよくわかってないだろうけど。
片嶋の人間バージョンはネコのときより可愛い。
それについては決して親バカ発言ではないと思う。
なのに片嶋ときたら。
「ハロウィンなので」
涼しい顔でそう答えたのだった。
……っつーか、人型になるのは仮装の一種なのか?
「あのな―――」
なんて言ったらいいのかわからなくて、言葉に詰まってしまったが、片嶋はやっぱりキリリとした顔で俺を見上げたまま、
「たまには外で食事をしたかったんですけど」
ついでに「ダメですか?」と少し落胆した顔をされてしまって。
「……じゃあ、10分だけ待ってろ。帰り支度してくるから」
結局、そんな返事をした俺だった。
……俺、甘いよな。
「宮野、急用ができたから先に帰るけどあと頼むな」
フロアに戻って5分で全てを片付けて。
「悪いな」
そう言い残して一階に戻った。
受付の斜め前にある来客用の長椅子。
そこに腰かけて、ドアの外に視線を投げている片嶋は、こう言ってはなんだが受付嬢たちよりもずっと人目を引いていた。
たとえ5分でも一人にしておくのは危ないんじゃないかと思うほど。
まあ、それはいくらなんでも親バカ発言かもしれないが。
「片嶋」
呼んだ瞬間に振り返った時の穏やかな微笑みも、毎日一緒に暮らしているはずの俺がドキッとするほどだ。
……というか、人間バージョンの片嶋をまだ見慣れてないだけかもしれない。
夕飯には少し早い時間だったので、この機会に片嶋の衣服を買いに行った。
靴だけはどうしても俺のが合わなくて、ネット通販で自分サイズのものを手に入れたらしいんだが、なぜか服は買ってなかったのだ。
「服は桐野さんのでいいですから」
片嶋の言うように、家にあるものでも一応は間に合うんだけど。
「ダメだって」
大き目の服を着ていると華奢に見えるせいなのか可愛らしさが三割り増しなんだよな。
そんなわけで。
「絶対にダメ」
強く反対してみた。
今一歩納得していない片嶋を連れてデパートを歩き回り、必要なものをまとめて購入。結構な荷物になったが、片嶋はなんだか楽しそうにしていた。
「片嶋、重かったら俺が持つから」
一応、「自分で持つ」と言い張った片嶋に半分は渡してあったけど、重いものなんて持ち慣れていないから大変だろうと思ったのに。
「いいんです。ネコの時は持てませんから」
確かにそうだけど。
「たまにしかできないことだから楽しいです」
そう言われると「そうか」と返すしかない。
だったら、週末ごとに人型になればいいと思うんだが、片嶋はなかなかこの姿になってくれない。
本人曰く、「練習中なのでうまく行かない」のだそうだ。
「今日は大丈夫なのか?」
街中で突然ネコに戻ったりしたらどうしようと思ったけど。
「大丈夫です」
なぜか余裕の微笑み。
……じゃあ、なんで週末に限って失敗するんだ??
などという俺の疑問など知る由もなく。
「桐野さん、何が食べたいですか?」
ネコの時と同じキリリとした瞳が問いかける。
そして、そんな片嶋を見ながら、俺は自分の脳内だけで微笑んだ。
とにかく今日は大丈夫なんだな、と。
そんなわけで。
「ワインの飲めるところがいいんだろ?」
片嶋とまるっきり恋人同士のデートのような雰囲気で夕食を済ませたあと、仲良く電車で家に帰った。
マンションの通路に人影はなく、こんな場所でもなんだかいい雰囲気に思えてしまう俺の脳内はもうこれからのことで一杯だ。
しかも、
「楽しかったです。また一緒に出かけましょうね」
片嶋がそんな可愛いことを言うものだから、思わず抱き寄せておでこにキスをしてしまった。
ネコじゃない時は人目をはばからなければならないということなどコロっと忘れ切っていた。
くすぐったそうにしている片嶋がまた可愛くて、頬に唇を当てた時、突然我に返った。
慌てて辺りを見回して、誰も見ていなかったことを確かめてから、片嶋を部屋に押し込んだ。
夜はまだまだこれからで。
しかも、隣にはほろ酔い加減の人型片嶋。
……と思ったら。
『ぽむっ』という音がして。
振り返ってみたら、脱いだ靴をそろえていたのはネコの手だった。
「なんでそこでネコに戻るんだよ??」
これから二人でワインでも飲みながら、ゆっくり過ごそうと思っていたのに。
なんとなく片嶋の故意を感じるタイミングだ。
……まあ、それがどうっていうんじゃないけど。
「すみません。自分で思っていたより疲れたみたいで」
家に帰ったら気が抜けたようだと説明する片嶋はちょっとシュンとしてた。
なんというか、それはそれで可愛かったもんで。
「そっか。じゃあ、早く寝ような」
まだ申し訳なさそうな顔をしている片嶋をそっと抱き上げてベッドに運んだ。
片嶋だってきっと本当は人間のままでいたかったんだろうけど。
慣れない姿でいることが疲れるんだったら、それはそれで可哀想だ。
「週末にでもまたゆっくり外で食事ができるといいけどな」
今度は家の近くで軽く済ませて、それから……
なんてことを考えながら、ふっと口元に笑みが浮かんでしまったその瞬間。
「もう眠いです。おやすみなさい」
片嶋からは妙に素っ気ない返事が。
なんとなくサラッと流されたような気がするんだけど。
気のせい……だよな?
end
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