<子猫を拾った> 前編
片嶋がネコを拾ってきた。
「コンビニの隣で震えてたんです。最初は埃の塊かと思いました」
真面目な顔で俺に説明する片嶋の横に、ちょこんと座っていたのは小さな猫。
ネコと言ってもまだ子猫だ。片嶋の半分くらいの大きさしかない。
「母親とか兄弟はいないのか?」
聞いてみたんだけど。
「なんでみんな母さんのこと聞くのー?」
子猫は首を傾げていた。
「家族が心配するだろ?」
そう言ってみても。
「母さんは死んじゃった。兄弟はいなくて、父さんは最初からいないんだー」
そんな返事だったので途方に暮れた。
だからと言って、こんなにチビじゃ一人でノラ生活はできないだろう。
「小さくても一応はしゃべれるんだな」
意思の疎通に苦労はしなくていいらしいということにはホッとしたけど。
……さて、どうしよう。
子猫の一匹くらい飼えなくもないが、この様子だと片嶋は大変だ。
チビ猫はさっきからずっと片嶋に向かって「お兄ちゃん、あのね」状態で話し続けていて、子供があまり得意でない片嶋はちょっと困った顔をしている。
「まあ、いいか」
とにかく、まずは今日明日の心配だ。
片嶋を拾った時にはすでにすっかり大人のネコで、しかも食べる物は俺とまったく同じだったから困ることもなかったが、これだけ小さいと何をあげればいいのか分からない。
「いつも何食ってるんだ?」
チビ猫にストレートに聞いてみたら、
「コンビニごはん」
という答えが。
「……それって、コンビニで買ってきたキャットフードってことか?」
「ううん。コンビニのごはん」
ちゃんと言葉はしゃべるんだけど。
十分に理解できないのは、こいつがまだ子供だからなんだろう。
これ以上聞いても無駄なようだったので、とりあえず冷蔵庫の前に連れていってドアを開け、中を見せて何なら食えるか聞いてみた。
「えっとね、ぜんぶ」
中にはニンジンとか缶ビールなんかも入ってたんだが。
ちゃんと見てないのか、見ても分からないのか……とにかく、これも確認にはならないようだった。
「……昨日は何食べた?」
角度を変えて質問してみても。
「食べてない」
「おとといは?」
「食べてない」
「その前は?」
「えっとねー、忘れちゃった」
……言葉が話せればいいってもんじゃないってことが良く分かった。
少なくとも一昨日から何も食べてないのは本当だろうから、すぐに牛乳を人肌に温めてやった。
「わー、おいしいかも」
片嶋はあんまり牛乳なんて飲まないから、口の周りをびちゃびちゃにして飲んでる姿は本当に子猫って感じで微笑ましかったけど。
「こぼさずに飲めよ。ほら、顔拭いて」
笑いながら見ていたら、片嶋が部屋の隅に行ってしまった。
「……片嶋??」
自分で拾ってきたくせに。
俺が子猫の世話を焼いたくらいで拗ねるとは思わなかった。
でも、片嶋でもヤキモチは妬くんだなと思ったら、なんだか妙に可愛く思えた。
「片嶋はワインでいいか?」
お気に入りの赤ワインとチーズを用意して片嶋の分と自分の分をグラスに入れたら、やっと機嫌が直って俺の隣に座ったけど。
今度はチビネコが、「欲しいー」と言い出して。
「チーズはいいけどワインはダメだって」
チーズを細かくちぎって皿の上においてやったら、チビ猫はまた首をかしげた。
「もうそんなに小さくないんだけどなぁ……」
ちょっと不満そうなんだけど。
「……実際、小さいだろ」
ほかに言いようもなく。
「大きくならなかっただけなんだけどなぁ……」
いろいろと言いたいことはあるらしいが、その後は黙ってチーズを食べていた。
まあ、なんというか。
性格はかなり素直らしい。
「名前は?」
「マモル」
なんだか人間っぽいけど……『片嶋』よりは若干ネコらしいか。
「母親が死んでから、ずっとコンビニの前で生活してたのか?」
念のため聞いてみたら、「ううん」の返事。
「公園で寝てたら知らない人が来て、箱に入れられて車に乗せられて、そのままずっと走ってきて、あそこに置かれたんだ」
どうやらここがどこなのか全く分かっていないらしい。
「どこの公園?」
あるいはチビ猫が「公園」と思ってるだけで、他人の家の庭だったりしたのかもしれないと思って聞いてみたら、
「しんじゅくのデパートの近く」
わりとまともな返事が返って来た。
新宿のデパートの近くで個人の庭ってことはまずないだろう。
これなら近くまで連れて行けば自分のいたところくらいは分かるかもしれない。
だとしたら、そこを探して帰してやるべきなのか。
それとも心機一転新しい飼い主を見つけてやったほうがいいのか。
「そうだよな……」
特別器量よしってわけでもないし、いかにも雑種って感じだけど。
なんと言ってもまだまだ子猫だし、週明けに会社に連れて行って飼い主になってくれそうなヤツを見つけてやることにしよう。
そう決めて、
「新しい家族を探してみようと思ってるんだけど、もらわれていくならどんな家がいい?」
できるだけ好みは尊重してやろうと思いつつ聞いたら、
「好きな人がいるから、公園に帰る」
チビ猫はそう答えた。
「今の家族なのか?」
「ううん、違うけど」
でもたまにポケットに入れてくれるんだよ、って言われて。
「……ポケットに入れてもらうのはいいことなのか?」
チビ猫の答えは面白いけど理解に苦しむ。
「一緒に帰れるんだー」
まだ小さいから、仕方ないんだろうけど。
どうやら正しい日本語をマスターしていないようだった。
「その場合は、『ポケットに入れてもらえる』んじゃなくて、『部屋に連れていってもらえる』って言うべきなんじゃないのか?」
「ふうん。そうなんだ」
ある意味可愛いんだけど。
なんだか保育士になった気分だな。
一方、片嶋はといえば、一人静かにこの遣り取りを眺めていたけど。
チビ猫のほっぺをちょいちょいつついてホコリを落としてやりながら、俺を見上げた。
「話は後にして、お風呂に入れたほうがいいんじゃないですか?」
言われて見たら、ホワホワした毛先はすっかりすすけていて、なんだかひどく可哀想な感じだった。
片嶋は人間の子供が苦手だから、ネコの子もあんまり得意ではなさそうな感じだったけど。
それでもワインを置いて、子猫のためにいそいそとタオルとブラシを用意してくれた。
意外と面倒見もよかったりするのかなと思って笑っていたら。
「一緒に入るー」
チビ猫がはしゃぐんだけど。
「……片嶋と?」
片嶋、今日は大変だなと思っていたら。
「みんなでー」
どうやら俺も一緒らしかった。
片嶋は困った顔をしていたけど、チビがはしゃいでどうしようもなかったので、結局3人で風呂に入った。
まずチビ猫を洗面器の中で洗ってやって。
その間に片嶋はちゃんと自分で洗って。
その後、片嶋用に買ってきたプラスチックケースの風呂にチビを入れた。
「……足、つかないかも」
つい、いつものクセで片嶋分量にお湯を入れてしまったら、チビ猫には多すぎたらしくて、のんきにそんなことを言いながらも溺れかけていた。
慌てて少し汲み出してやったら、やっと普通に立てた。
サイズが違うとなにかと大変だ。
安易にチビ猫を飼おうなんて思わなくてよかった。
「でも、それだと片嶋は身体半分しかあったまらないよな」
仕方がないので片嶋は抱っこして人間用の風呂に入れてやったんだけど。
「……俺もそっちがいいなぁ」
今度はチビが妙に寂しそうにそんなことを言うので、結局ネコ2匹を抱いて一緒に風呂に浸かることになった。
「おとなしくしてろよ?」
もちろんチビに言ったんだけど。
チビは「うん、大丈夫」と言ってから、「大丈夫だよね?」と片嶋にも同意を求めた。
片嶋は一瞬、「え?」という顔をしてたけど、苦笑いしながら頷いていた。
でも、結局、大はしゃぎしていたチビがあっという間にのぼせて、慌しく風呂を出るハメに。
子供がいると何かと慌しいもんだなとしみじみ思った。
「ほら、できあがり」
二人をフワフワに乾かしてから、ベッドに入れた。
チビはあっという間にスヤスヤ寝始めて、俺と片嶋はホッとしながら顔を見合わせた。
片嶋がチビの面倒を見るのが嫌じゃないなら、ここにおいてやるのもいいかなと思っていたけど。
まだ半日も経ってないのに、片嶋は微妙にヤキモチを焼くし。
チビはチビで、ちょっとでも片嶋と違う待遇をすると自分だけ仲間外れだと思うようだし。
片嶋は大人だし、聞き分けもいいからそのうちに慣れてくれるだろうけど、そのせいで我慢させることになった可哀想だし。
やっぱり、何かと気を遣う。
「でさ、元いたところに帰してやろうと思ってるんだけど、どう思う?」
片嶋に相談してみたら、
「とりあえずその公園に行って、飼い主らしき人を探してみましょう」
相変わらずキリリした頼もしい答えが返ってきた。
「けど、公園にチビがいるのが気に入らないヤツがいるんだろ? じゃなかったら、わざわざ遠くまで捨てに来ないよな」
戻したところで、また捨てられないとも限らない。
そしたら、今度こそ間違いなくどこかで凍えてしまうだろう。
でも、片嶋はキリッとしたまま「大丈夫です」と答えた。
「飼い主に話して首輪をつけてもらえばいいんです。飼い猫だったら、むやみに捨てられないでしょう?」
そう言って、自分の首についてる指輪をちょいちょいとつついた。
「……まあ、そうだろうけどな」
ちょっと何かが足りていない感じのする子猫だが、素直な性格だから首輪くらい嫌がらずにつけるだろう。
でも。
「そいつ、飼い主じゃないって言ってたよな?」
だとすると首輪なんて買ってつけてくれるかどうか分からないわけで……。
そんなふうにちょっと考え込んでいたら。
「だって、好きな人がいるって言ってたんです」
片嶋が俺を見上げて。
それから。
「みんな好きな人のそばがいいと思うんです」
大真面目な顔でそんなことを言うから。
「……そうだな」
わざわざポケットに入れて部屋に連れ帰るくらいだから、そいつだってきっと可愛く思ってはいるんだろう。
チビ猫はきっと毎日公園でそいつのことを待っていて、そいつの気が向いた時には連れて帰ってもらって。
そんなことを繰り返しているんだろう。
なのに突然いなくなったら心配しているに違いない。
「こんなに小さくて、しかもヨレヨレしてる子猫がどこかで一人で暮らしていけるとは思えないしな」
そんな言葉に片嶋は寂しそうに笑って俯いた。
片嶋が何を思ったのかなんて考えるまでもないんだけど。
「片嶋も気をつけろよ」
もう俺には片嶋がいない生活なんて考えられないから。
そう言ったら、片嶋はちょっとはにかんだような顔でコクンとひとつだけ頷いた。
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