結局、延々と歩いた挙句、ようやく緑が途切れたと思ったら。
「いきなりコレなんだな」
「なんの脈絡もありませんね」
目の前に立ちはだかったのは、都心の裏にありがちな雑居ビルらしき建物。
けど、入り口に赤い十字のマークがついていた。
病院っぽくは見えないんだけど、でもそうなんだろう。
だとすると健康な俺と片嶋が中に入る必要はないのだが、回避するにしても他に道はない。
ついさっきまで後ろにあったはずの林はキレイさっぱり消え失せて、背後と左右に空まで続くかと思うような壁がそびえ立っていた。
どうやらこの建物を通り抜けないといけない空気が濃厚に漂っていたのだ。
「まあ、いいか」
仕方なく片嶋を抱いたままドアに手をかけようとした途端、視界が歪んで。
瞬きのあとにはもう建物の中にいた。
「……瞬間移動ってヤツか?」
何がなんだか分からないまま立ち尽くしてしまったのだが。
「ようこそ。ご一緒にお茶をいかがですか?」
笑顔で出迎えたのは白衣の若い男。
メガネをかけ、優しげな面差し。風体からするとマッドサイエンティストの類ではなさそうだけど。
「……お茶会って、妙な薬品とかがカップに注がれたりすんのかな」
こっそり片嶋に聞いてみたが、
「さあ」
とても冷たい返事しか戻ってこなかった。
どうやらさっきの「ネコを溺愛するってどうなんだ」発言をまだ根に持っているらしい。
この分だとしばらくはまともな返事をもらえないだろう。
さて、どうするか……
のどは渇いていたが、お茶の席に座ったらいきなり妙なものを飲まされるかもしれないという危機感もあり、俺はかなり躊躇していた。
だが。
「あー、お客さまかもー。ねー、今日誕生日の人いる?」
勢いよく廊下を走ってきた小さな猫があまりにも嬉しそうに尻尾を振るので、つい。
「いや。俺はもう過ぎた。片嶋は11月」
普通に返事をしてしまった。
子猫は壁にかかっていたカレンダーが5月なのを確認すると嬉しそうに笑って大はしゃぎ。
「じゃあ、今すぐお茶入れるねー」
スキップでまた奥の部屋に戻って行った。
「なんで『じゃあ』なんだろうな?」
それよりも、どこかで見たことのあるネコって気がするんだけど。
いや、そう言えば白衣の男も……――――
どうしても思い出せなくてうんうん唸っていたら、いつもより三割は冷たい片嶋の声が。
「誰の誕生日でもない日を祝うからじゃないですか?」
もっともらしくそんな返事をして。
ついでに。
「アリス、読んだことないんですか?」
少し呆れたような口調で問われたんだが。
「……ないよ」
あれって女の子が読むものじゃなかったのか?
片嶋にそんなことを聞いたなら、「偏見です」と答えることはわかっていたので、とりあえずその場は流しておくことにした。
「それで、お茶飲んで行くんですか?」
そんな質問をする声もめいっぱいご機嫌ナナメって感じで。
「子猫があんなに一生懸命誘ってくれてるのに、断わるのは悪いだろ?」
俺にしてみれば、「こんなチビが一緒にお茶会をするくらいなら、体に害はないだろう」という安易な気持ちだったんだが。
その直後、腕の中から漂う微妙な空気によって、俺はまたものすごくまずいことをしてしまったことに気付いた。
つまり。
「……桐野さんもやっぱり小さな猫がいいんですね」
片嶋がカンペキに拗ねてしまったのだ。
「違うって」
本当に妙なところに引っかかるんだから。
「片嶋以外のネコに興味はないよ」
そう言って抱きしめたら、「そんなこと言って機嫌を取ろうとしてもダメです」と答えていたけど。
そのあとでギュッとしがみついてくれたのは、きっとまだ修復の見込みがあるからなんだろう。
「早くうちに帰って一緒にテレビ見ような?」
それにはここでもうちょっと情報を得た方がいいと思うんだと説明したら、片嶋も今度はちゃんと頷いてくれた。
お茶会は予想以上に和やかなムード。
チビ猫が一人で「あのね、それでね」としゃべりまくって、白衣の青年は微笑んで聞いているだけ。
そんな中、時折りさっきのドアが普通に開いて、包帯をした人が白衣に会釈しながら部屋を横切っていくんだけど。
なぜかそれが全部そういう筋の人間って装いで。
「ここって病院ですよね?」
片嶋も疑問に思ったのか、白衣に遠回しな質問をしていた。
問われたメガネ青年は別に妙な勘ぐりもせず、お茶を注ぎながら穏やかに笑って。
「魔法研究所ですよ。怪我や病気を治す魔法が専門なんです。僕もこの子もまだ見習いの身ですけどね」
それは、いかにも危ない仕事に従事している風体の人間が通り抜ける理由にはならないんだが。
「そうですか」
それ以上は俺たちには関係なさそうなので、片嶋も突っ込むのはやめたらしい。
「君も魔法使えるんだ?」
チビ猫に聞いてみたけど。
「えっとね、まだあんまりかも」
こんなトロそうな子猫が魔法を使うのはなんだか危なっかしいよな……などと余計な心配までして。
ついでに、何がどうっていうんじゃないんだけど、ここの患者にはなりたくないなとなんとなく思った。
「それで、これからどちらへ行かれるのですか?」
白衣青年に聞かれて、正直にいきさつを話したら、
「それでは、お城へ行って出国許可をもらわないといけませんね」
そうすればご自宅に戻れますよ……という説明を聞いて、俺と片嶋は顔を見合わせてホッとした。
「じゃあ、城への道を教えていただけませんか?」
そう言って片嶋が○次元ポケットもどきから紙とペンを取り出したが、それを手に取った白衣の見習い魔法使いが書いたのはドアと真っ直ぐな道のみ。
「……これだけですか?」
「これだけです」
なんか、よくわからないんだけど。
現地の人間が言うんだから、それで間違いないんだろう。
どこをとっても全体的に妙な場所だから、こんなものなのかもしれない。
「それでねー、えっとねー、カギがあるんだー。それを持って向こうにいって、ドアがあってー」
チビ猫魔法使い見習いが説明をしてくれるんだけど、日本語があまり得意ではないらしく、イマイチ意味不明。
「それでね、これがカギでねー……あ、まちがっちゃった。これは自分ちのカギだった」
こんなチビ猫でもちゃんと鍵を開けて自分の家に入るんだなと思いつつ、「えらいな」と言ってみたけど。
「でも、カギを差し込むところまで手が届かないんだー」
結局、どうやって入っているのかは不明だった。
まあ、チビ猫のおもちゃなんだろうってことで、その話は流しておいたが。
「あそこのドアにね、これをね」
チビ猫の手には、おもちゃにしても小さいだろうと思うようなミニミニサイズの鍵。
そして、指し示された方向にその鍵に見合った大きさのドア。
「……あれじゃ片嶋だって通れないよな」
そう思ったけど。
「うさぎさんのポケットにクッキーが入っているでしょう?」
白衣の男はニッコリ笑ってそう言って、片嶋のベストを指し示したが。
「ネコです」
片嶋はクッキーの確認などせずにご機嫌ナナメな様子でそう答えた。
「それを食べると通れるようになるんですよ。さあ、お茶と一緒に召し上がれ」
とてもいい匂いのする紅茶が注がれて、俺と片嶋は半信半疑ながらも言われた通りにクッキーをつまんだ。
「……ここって準備万端なんだな」
「所詮はゲームですから」
『現実とは違うんですよ』なんて言葉を、片嶋はやけに悟った顔でつぶやいていた。
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