-1-
休みに突入した。
一週間のうち5日はバイトがあるからまるっきり暇というわけでもないが、終わった後はどうしてもぼーっとしてしまう。
やるべきことはたくさんあるが、やる気は起きない。
春休みとは名ばかりの2月中旬。体も頭も動きは鈍るのだ。
「あー、冬眠してぇよー」
「すれば? 止めねェよ」
暖かいところでぬくぬくと寝て過ごし、目覚めると春。
空には桜が舞い、大学に行けば新入生の可愛い女の子たち。
なんて素晴らしい人生だろう……なんてことを今日もまた宮添の部屋でうだうだ考える。
それももはや日課だ。
「うあああ酒が切れてるぅぅぅ」
「おまえが飲みすぎなんだ」
会話が不毛なのもいつものこと。
むしろ有意義な話なんて天変地異の予感。
「今からコンビニとか行ってみる?」
「気をつけて行ってこいよ」
「俺一人で行くのかよー」
「だったら、他のもん飲んで我慢しろ」
仕方なくコーヒーを入れようとしたが、宮添に止められた。
俺がやるより宮添が淹れたほうが美味いというのがその理由だ。
まあ、バイト先でみっちり指導された宮添に勝とうなんて思わないから、ありがたく飲ませてもらうだけなんだが。
「なー。なんか俺らってクリスマスもバレンタインも春休みも夏休みも何にも変わンねーって感じだよな?」
雑誌を広げ、大きなマグカップに顔を突っ込む勢いで熱いコーヒーをすすりながら呟いてみる。
「そうか?」
「そうだよ」
宮添はちょっとだけ何かを考えるように天井を見上げていたが、しばらくしてからボソリと漏らした。
「俺としてはビゾーってところだな」
ビゾー? ビゾウ?
それというのは。
「びゅーてぃほー・えれふぁんと?」
「……なんだ、それは」
「『美しい象』と書いてビゾウ」
その答えに思いっきり眉を寄せた宮添は、俺が読んでた雑誌の真ん中に太マジックで『微増』と書きやがった。
「なにすンだよ! あーもう読めなくなったっつーの」
つか、漢字が分かったところで、さっきのセリフが意味するところは分からないわけだが。
宮添としてはもうその話は終わったらしい。
「久乃木。さっきから読んでるこれ、なんの記事だか分かってるか? 経済論評だぞ?」
「だったらナンだよ? 俺だってそのうち就活すンだから、ヒマな時はこーゆーのも読んでおかないといけねンだよ」
同じ立場のはずの宮添は腹立たしいほど暢気な声で「ああ、そうだったな」と答えた。
どうしていつもいつもコイツは余裕シャクシャクなんだ。
「いいよな、おまえは。どうせ就職もあっという間に決まるんだろ。それに比べてどーせ俺はどーせどーせ」
『どうせ』と言ってるわりに危機感はまったくないんだよな、と自分でも思うが。
まだ二年の春休み。
就職なんてピンと来ないのもむしろ当然だ。
だが、そんな暢気さを宮添は「余裕」と勘違いしたようで。
「いきなり地方勤務になりそうな会社には行くなよ、久乃木」
誰でもさらっと就職先が決まると思ってるのがアリアリと窺える発言はちょっとムカつく。
「職場選べるほど余裕ねーし」
それ以前に、スーツを着てる自分が想像できない。
「俺でもできそうなチャラい仕事ってねーかなぁ……」
世の中そんなに甘くない。一般知識としてそれは分かっていても、一年の大半は遊んでいる状態から一週間みっちり朝から晩まで働く立場に変わるというのは相当キツい。
堕落生活が体の芯まで染み込んだ俺にはどうにも憂鬱な事態だ。
ちょっと考えただけで人生が終わったような気分になる。
「一生フリーターってのもなぁ。けど、大学出てニートなんて親が許すはずねーし。女子だったら箱入り娘的家事手伝いも許してもらえたかなぁ」
それなら実家に帰って家の仕事でも手伝えばいいんだが。
それはそれでダルいし。
俺の場合、女に生まれてもスムーズに嫁に行けるとは思えない。
などと考えていたら。
「いつでも来い。家事はしなくていいから。いや、むしろするな。かえって散らかる」
そんなことを真顔で言われても。
「あー、自宅警備ってヤツ?」
笑いながら、「自宅じゃねーよな」と自分で突っ込んでおいたが、宮添が笑う気配はなく。
しかも。
「来るか?」
なぜかひどく真顔で言われて。
それもあながち冗談じゃなさそうな感じだったもンでちょっと戸惑う。
「いや、それはさすがに……」
宮添のベッドの上、朝から晩まで部屋着で過ごす自分が見える。
ひきこもりとかニートとかならまだしも、ヒトとして機能しなくなりそうな予感。
「おまえは放っておくとどこまでも楽な方向へ流れる性格だからな」
「……よくご存知で」
だからと言って具体的な未来のビジョンがあるわけでなし。
うだうだとあれこれ考えてみたが、どこを目指しても行き止まりって感じで、あっという間に現実逃避だ。
いざという時は宮添の部屋に居候もありか。
とりあえずバイトで食いつなげばいい。
いや、それ以前に就活なんてまだ先の話。
そうだ。そうでなくても今はせっかくの春休み。
こんなことに悩んでいる時間がもったいない。
「な、バイト休みの日にどっか行かね?」
その瞬間に宮添の冷たい視線が飛んできて、ついでに「もう楽な方へ流れたか」という呟きが聞こえたが、それは無視だ。
「都内でもいいから『お泊り気分』ってヤツを味わってみるとか」
彼女さえいない俺には縁のない言葉。
だが、それも宮添に即座に「馬鹿か」と却下された。
理由は簡単だ。
この時期、都内のホテルの混みようはハンパじゃないからだ。
「受験シーズンだぞ」
「……あー、そうだった」
目を血走らせた高校生に交じって楽しい気分になれるはずがない。
それどころかいかにもお気楽大学生って空気を垂れ流してキャッキャしてたら後ろから刺されるかもしれない。
いや、俺と宮添で「キャッキャ」はありえないが。
そんなこんなで。
というか、いつの間にやら。
「運転は交代だからな」
受験生の気分を逆撫でしないようにと、気がついたら一泊二日湯けむりの旅。
手配はすべて宮添が終わらせ、今まさに出発という状況だった。
「都内でいいって言ったじゃんよ?」
「おまえ、いつでも無駄に楽しそうだからな」
受験生に申し訳ないだろと言いながら当然のようにレンタカーを運転する宮添と、ぼへーっと助手席でみかんを剥く俺。
「どーせ毎日能天気だっつーの。ってか、俺に相談してから行き先決めろよ」
「何言ってんだよ。予定も行き先もちゃんと確認しただろ。また酔ってて覚えてないってパターンなのか?」
「あー……そうなのか?」
「自分の胸に聞け」
聞いたところで思い出せるはずはない。
多分そうなんだろうってことでその場を流す。
高速道路は単調なので賑やかにしていないと眠くなる。
いつもなら音楽でもかけて二人して勝手にガンガン歌いながら走ったりするところなんだけど。
「せっかくシラフなんだから少し真面目な話をするか」
いきなりガラにもないことを言い出した宮添は、唐突にこの間の続きを始めた。
つまり就活だ。
「まあ、まだ先のことだけど……おまえの能天気さを活かせる会社がいんじゃないかって思うんだ」
そのほうが長続きするだろうとか、社風ってのもあるしなとか、やけに真剣な顔で言う。
「そんな心配までしてくれンの? 実は案外いいヤツだよな、宮添って」
さすがにちょっと感動だ。
というか、俺はそんなことすっかり忘却の彼方だったわけだが。
「おとといバイト先に去年卒業した先輩が来たんだけど、おまえが子供の頃好きだったっていう玩具のメーカーで働いてるんだ。会社自体は大手ってわけじゃないが、その分アットホームな感じで居心地はいいらしい。出張は多いが転勤もないっていうし」
「ふーん」
おもちゃメーカーと言っても普通の会社だ。
特別何かが違うわけではないだろうと思ったんだけど。
さすがに宮添は俺のツボを心得ていた。
「面接受けにいくと自社製品を一つ土産にくれるらしい」
「え、マジ? 行く行く! 絶対行く!」
「……一年先の話だぞ」
子供の頃に欲しかったおもちゃ。宮添にいつそんな話をしたのかなんて全く思い出せなかったけど。
子供の小遣いで買うには高い。だが、親は買ってくれない。そんな事情で夢に見るほど憧れたのはホントのこと。
「とりあえず、それまでにどれもらうかだけは決めておかないとな!」
車の中で立ち上がる勢いでそう叫んだら、宮添がプッと笑った。
「そんな高いもんはくれないぞ、きっと」
「いんだよ、考えるのが楽しいんだから。つか、なんかバカにしてね?」
わりとお坊っちゃん育ちの宮添には、おもちゃなど滅多に買ってもらえなかった俺の情熱はわからないだろう。
「そんなつもりはねぇけどな。ま、おまえは何かと惜しいから、普段からその調子で下準備しておけばもうちょっといいとこ行くんじゃねーの」
「そっか?」
つか、『惜しい』ってなんだ?
突っ走る角度や速度をちょっと変えたらそこそこイケるってことか?
いかにもやわらかそうな大きな胸の子が「好きです」とか言ってきて、そのままがっつりラブホまたは小旅行でしっぽり、みたいな。
……いや、それはないな。
平日のドライブは意外とスムーズで、思ったよりも早く宿に着いた。
どうやら宮添の先輩の実家らしい。
おかげで格安料金だという。
「お礼くらいは言っとかないとなー」
「ああ、夜会うからその時にな」
先輩本人は親戚の会社で働いてるので、約束は仕事が終わった後だ。
「ふーん、そっか。じゃ、まずは風呂に入って旅の疲れを癒さねば!」
湯けむりの向こうに華奢な肩。
水滴を弾きまくるすべすべの肌。
そして、後ろから見ても背中のラインからはみ出す巨乳。
「久乃木」
「んー?」
「混浴の風呂なんてないぞ」
「えー、なんでだよー」
というか、宮添はなんで俺の頭の中が読めるんだろう。
「だいたい『旅の疲れ』とか言って、おまえ、みかん剥いて菓子食って、歌ってただけだろ?」
「まあなー」
確かに運転はずっと宮添がしてた。
久々のドライブで浮かれ気味だったため、『注意力散漫』の烙印を押され、ハンドルを握らせてもらえなかったのだ。
「あれ、宮添フロ行かないの?」
「後から行く」
先輩の母である女将に挨拶がてら菓子折りを届けてくると言うと、宮添はそそくさとフロント方向に消えていった。
「ふーん。ま、いっか。フロ、フロ、露天風呂ぉ」
まさに湯けむりモワモワの大浴場。
とはいっても、ぎりぎりクロールで泳げる程度の広さだったが。
退屈だったので銭湯代わりに来るという近所のオヤジたちと世間話。
「へー、東京から?」とか「春休み? 若いっていいねえ」みたいなヤツだ。
その後も大浴場とヒノキ風呂と露天風呂に浸かってのんびり過ごしたが、最後まで宮添が来ることはなかった。
「あちー」
すっかり茹で上がって戻ったら、なぜか宮添はテレビを見ていた。
「なんで来なかったんだ? 待ってたのに」
傍らに携帯。さっきまで電話してたってことなんだろうか。
「今から行くよ。ってか、おまえ、のぼせてないか?」
視線が飛んできたのは俺の胸元。
言われて見ると確かに全身が赤らんでいた。
「せっかく来たんだから張り切って浸かってみた。どう、ピンクの俺?」
だが、宮添はそんな質問もさらりと流したばかりか、着替えを用意して部屋を出るまでの間、チラリとさえ俺の顔を見ることはなかった。
|