Haruasumi



-4-


どっぷり夢の中だったのに宿の前でブンブンゆすられて起こされた。
「寝るな。しっかりしろ」
「ふあー……ねみー、さみー、風呂入るー。ってか、遭難ごっこみてぇ」
廊下をスキップしながら、もう一回露天風呂に行くと言い張ってみたが、宮添に「酔っ払いの入浴は迷惑だ」と怒られたので、部屋についてるシャワーでガマンすることにした。
「明日、宿出る前にもう一回温泉入らないとな」
パンツ一枚で部屋に戻り、浴衣を羽織りながら「右手が入るように着るんだからー」と合わせ目の確認をしていると、後ろから宮添が覗き込んだ。
「酔い、もう醒めたか?」
「ぜんっぜん平気だっつーの」
店に居た時と違って足取りもしっかりしていたし、宮添の言葉もちゃんと一度でしっかり脳に留まる。
何の問題もないぞと思いながら返事をしたが、眠くて目の開き具合が半分程度だったせいか、あるいは若干口が回ってなかったせいか、宮添は少しも信用してなかったようで。
「ああ、はいはいはい」
あからさまに酔っ払いへの態度だった。
「三回も『はい』言うなあああ」
上がったテンションのまま叫んだらいっそう冷たい視線が。
「……まったく、おまえのせいでちっともタイミング掴めねェ」
そんなつぶやきの後はいつもの「ふうぅ」。
「何で俺のせいよ? つか、何のタイミングよ?」
聞いても何も答えない。
それどころか目からなんとなくトゲトゲしい光線を発していた。
「なー、宮添。今日なんか機嫌悪くね?」
溜め息をついたり呆れ果てたりすることはしょっちゅうだが、こういうピリッとした空気を流すことは滅多にない。
というか、今まで一度もなかったかもしれない。
「宮添ってばー。俺のこと嫌いになったのかああああ」
顔を覗き込んだらちょっとだけ眉がつり上がった。
で。
「おまえが隣に座ったヤツとキスなんかしてるからだろ」
返ってきた言葉もトゲトゲ。
「つか、それって宮添にはなんも関係ねーし」
多少酔いは残ってたかもしれないが、今のセリフは暴言ではなかったはず。
と思ったが。
「うわっ?!」
少し間を置いて並べられた布団の片方。
なぜかそこにいきなり押し倒されて。
「宮添?」
まだ着付けの途中だった浴衣の下には、しっかりと宮添の手が滑り込んでいた。
触れた指がちょっとひんやり感じるのは飲酒効果で俺の体があったまってるせいなんだろうけど。
……などと、宮添を通り越して天井を見ながらぼんやり考えていたその時。
「う、あっふ」
妙な声を発してしまったのは、宮添の手が胸部の一箇所をカリッと引っかいたからだ。
「久乃木って乳首感じるのな」
「ばっ……おまえが変な触り方するからだっつの」
会話の間も刺激は止まらず、あっという間にそこだけポツッと硬くなる。
自分でもそれが分かってしまい、なんだか居たたまれない。
しかも宮添は俺の体に乗っかるような形でじっとこちらを見下ろしたまま、手だけを動かすもんで。
「あー、もう、やめろって……うあっ」
恥ずかしいような悔しいような微妙な気分で体を捩ったが、今度はピンとそこを爪弾かれ、また声を上げてしまう。
「やめろっつーの!」
ちょっと怒った素振りで睨んでみたが、宮添は聞こえない振りを決め込んだらしく、手が止まる気配はない。
仕方なく浴衣の中でもぞもぞ動く指をぎゅっと握って肌から引き離そうとしたが、その瞬間、俺の手は逆に宮添に掴まれてしまった。
しかも。
「他のヤツとキスなんかするな」
唐突にそんな注文が。
「あー……あれは俺も焦ったけど……つか、してないって」
なんか誤解してるぞと返しながらも、宮添がさっきのことだけを言ってるわけじゃないってのはなんとなく判ったんだけど。
「『他のヤツ』ってのは、相手が俺の理想ど真ん中でもダメってことなのかよ?」
目の前で揺れる巨乳の魅力に抗えるはずはない。
そう力説するつもりだったが、宮添はすべてわかった顔で溜め息をついた。
「……相手が女なら仕方ないけどな」
言葉とは裏腹に顔に浮かんだ不機嫌はひどくなる。
「じゃあ、飲み会の罰ゲームは?」
「それも除外」
「じゃあ、後は……もう、それくらいか? なら、その話は終わりってことで」
そんなどーでもいい返事に今度は「はあぁ」。
どうも最近の宮添はよく分からない。
昔は一年中「悩みなんて遠い世界のこと」みたいな感じだったのに。
とりあえず話題を変えようと思って、押し倒されたまま周囲を見回すと、ちょうど俺の頭上あたりに気になるものが。
「なんでこんなところにローションやコンドーム?」
こういうのってラブホだけじゃなくて一般的な宿泊施設にも置かれているものなのか?
などという疑問にも俺を見下ろす顔はまたちょっと顰められる。
「この間も使っただろ。また『覚えてない』とか言うなよ」
宮添が不機嫌なせいなのか、なんか会話が微妙に食い違ってるような気もするが。
「あー……そうだっけ?」
覚えてない。
というか、今この瞬間に起きてることも三秒で忘れる気がする。
その場を流すために意味なく傍らのローションを手に取ったが、すでに四分の三くらいしか入っていないことに気付き、実は宮添が持参したものだということがわかった。
「膝立てて腰浮かせろ」
「あ?」
言ってる間に強引に腰の下に枕を入れられ、なんだかまた酔いが回った。
一度立ち上がった宮添はおもむろに電気を消し、戻るとすぐに中途半端に巻かれていた俺の帯を解いた。
部屋は暖房が効きすぎだと思うほどあったかかったけど。
「なんで俺だけ脱がせるんだよ?」
我ながらツッコミどころ満載な抗議の言葉だったが、宮添は何も言わずに自分の浴衣を脱いだ。
「あー、やっぱ着てていい」
二人とも裸という状況はむしろ何かがヤバいんじゃないかと本能が告げたが、もはや手遅れ。
隅にある灯篭状のライトしか明かりと呼べるものがない部屋で、宮添の指は遠慮なく腿の内側をすべり、問題の場所にタラリとした液体を塗りこめた。


それからどれくらい経ったのか。
「あ……ちょ、待て……そこ、ヤバい……」
俺のつぶやきを無視して、「指が奥まで楽に入るようになった」という旨を伝える抑揚のない声が降る。
そんな報告しなくていいからと思いながらも「何本?」と聞き返す俺も俺だけど。
「三本。……自分では分からないもんなんだな」
そんなしょーもない独り言を聞き流した直後、また不意に宮添の声が。
「久乃木」
そのあとで「いいか?」と許可を求められたが、ぐるぐる巡るアルコールのせいで意図を理解できず。
「あーもう、なんでも」
ものすごく投げやりな返事をしたが、宮添はいつにも増して優しい声で、
「痛かったら言えよ」
そのままゆっくりと俺の体をうつ伏せにした。
腹の下には枕二つと丸めた毛布。
さらに宮添の手が俺の腰を持ち上げる。
「え、何……?」
さっきまで指があったそこにやけに熱いものが宛がわれ、ゆっくりと入り込んできた。
「ぅ……あ……あっ……」
比べ物にならないくらいの熱を持ったそれは、さきほど「一番奥」だった場所をあっさりと通過し、いっそう深く身体を穿つ。
「熱い」とか「苦しい」とか文句を言ってやろうと思ったが妙な圧迫感のせいでまともに声が出ず、ただ一生懸命空気を摂取していると、そっと背中を撫でられた。
「久乃木。おまえ、やけに身体が熱いんだけど……気分悪くないだろうな?」
ひどく心配そうで、しかもなんだか甘い感じだったけど。
俺の脳はもはや何も理解できず、意味を成さない文字列が通り過ぎていくだけ。
「おい、久乃木。大丈夫なのか?」
斜め後ろから顔を覗き込まれている気配がする。
けど、目が開かない。
「ん……も、話しかけん……な」
「気分悪かったら言えって―――」
悪くない。
ただそう答えればよかったんだ。
でも。
「……あ……は……気……持ちい、い……っ」
息が上がって普通に会話することもできなくて。
「ヤ……バく……ね? これ、気持ちイイの、って―――」
マジでヤバイだろ。
ヤバイってば。
うわ言のようにつぶやいたけれど。
「別に、い……んじゃねェ、の?」
宮添の返事も、らしくないほど切れ切れで。
それがさらにヤバさを煽った。
「けど……あ、あっ」
残り少なくなったマトモな判断力を快感という名の堕落がぎゅうううっと押し退けていく。
「……あっ、宮……添……っ」
名前を呼ぶ自分の声がなんだか別人のようで。
でも、もはやそれに対する羞恥心さえ感じる余裕はなかった。
「うん、何?」
宮添はわりと抑えた口調のまま適当な返事をした。
けど、体はその間も遠慮なく突き上げて俺を追い詰める。
そのたびにビリビリと痺れるような快感があって。
もう長くはもたないってことは明白だった。
「う……あ……気、持ちイ……イッ」
叫んだ俺も、後ろにいる宮添も。
どんな顔をしてるかなんて見当もつかなかったけど。
「俺も、だ」
少し上ずったその声が耳に流れ込んだ瞬間、体中の血液が沸騰して。
バクンッと心臓が裏返りそうなほどの衝撃が走り抜けた後、俺はあっけなく射精した。



「……カラダ痛ぇー」
全ての後片付けを終えた後。
汚れていないほうの布団の真ん中でだらりと手足を投げ出し、こっちに背中を向けている宮添に問いかける。
「なー。俺ら、なんか間違ってね? つか、このゴミ箱片付けられンの恥ずかしくね?」
宮添なら理路整然と、あるいはあっさりと俺が納得できる言葉を返してくれるもんだと信じていたのに。
「……まあ、深く考えるな」
どうやらすっかりうやむやにする気らしく、「気になるならゴミは持ち帰ればいい」というコメント以外は何もなかった。
その後、例の「ふうぅ」と、それよりももっと重苦しい「はあぁ」が聞こえたけれど。
「朝飯、8時だからな」
背中を向けたままそうつぶやいた後はぷっつりと静かになった。
俺は……といえば、「なんか変な感じだな」と思いながらも襲ってくる睡魔と疲労感に勝てず、
「朝はやっぱり鮭とご飯と味噌汁と漬物だよなー」
日本の伝統的朝食風景を思い描きながら、すべてを忘れて気持ちよく爆睡したのだった。



そして、翌朝も絶好のドライブ日和。
予想していたよりもかなり豪華な朝食と優雅な朝風呂を堪能して帰路につく。
若干の眠気はあったものの、車窓からの風景はかなり爽やかで寝るには惜しい感じだった。
「すげーいい天気だなー。帰るのもったいねぇー」
助手席のシートに沈み込んだまま、あくび交じりに運転席の宮添に問いかける。
結局、帰りもこのポジションだが、まあそれは仕方ない。
全身がバキバキで言うことを聞いてくれないのだ。
「けど、気持ちイイとなんか眠いよなー」
昨夜に関して言えば、俺にしてはわりとまともに記憶が残っていた。
そう、できれば消し去りたい映像までしっかりと。
今までにも二人でエロい動画とか見て盛り上がることはあったが、さすがにあれは。
マズくね?
マズくね?
マズくね?
自問自答がエコーとなって頭の中を何度も通り過ぎていく。
俺、何しに温泉行ったんだろ。
ってか、宮添もなにやってンだ。
いや、風呂には思う存分入ったし、美味いものも食ったし、旅行気分は満喫したけど。
それ以外は宮添の部屋にいる時となンにも変わってないような。
むしろ家にいる時以上にヘンタイまっしぐらっていうか。
「なー、宮添。旅行楽しかったか?」
不意に「これでいいのか?」という不安に襲われて隣に向かって問いかけてみた。
当然、「別にいつもと変わらないな」というような若干冷めた答えが来ると予想していたんだけど。
「……そりゃあな」
宮添からはいつになく全面的な肯定が。
「また『ビゾウ』ってヤツ?」
「いや……大幅増」
何がどう違ってそうなるのかサッパリ分からない。
ってか、そんな楽しそうな顔してたか?
「ふうう」とか「はああ」とか言ってなかったか?
まあ、宮添に限って社交辞令なんてことはありえないから、きっとホントのことなんだろうけど。
まあそれならそれでいいかと思って、
「そっかー。俺も」
とりあえずそう答えておいた。


流れていた風景がゆっくりと静止する。
目の前の信号が黄色から赤に変わったのだ。
「久乃木」
ヒマ潰しのつもりなのか、宮添の指先が俺の頬に触れ、そのまま手のひらが頬を包んだ。
「……あ?」
ちょっと間の抜けた返事をしたが、それほどぼーっとしてなかったので意図はすぐに理解できた。
「な、すげーぷりぷりつやつやだろ? さすが朝っぱらから温泉入った甲斐があるよなー。おまえは?」
にゅっと手を伸ばし、宮添の頬部の肉を思いっきり掴むとやはりすべすべつやつやでいい感じだった。
「人の顔引っ張るな。ったく、おまえはどうしてそうガキみたいなことばっか……」
その後も宮添はものすごーく何か言いたそうだったけど。
「なンだよ?」
「……もういい」
結局、何も言わないまま。
ただやけにギュッと固く唇を結んで、斜め前にある歩行者用の信号に目を遣った。
そのまま黙り込むだけならまだしも、また「ふうう」とか言われそうな予感がしたので。
「とりあえずビール買って帰らねーとな。それと、つまみ。あと、雑誌。なんか面白いテレビとかあったっけ?」
仕方なくしゃべり続けるサービス精神旺盛な俺。
宮添の部屋でロクに見もしないテレビをつけっぱなしにして、うだうだゴロゴロする自分の姿が目に浮かぶ。
不毛な時間と言われたらそれまでなんだが、まあ、それはそれで楽しいからいいんじゃないかと心の中でぐーたら生活の擁護などしながら。
「なー、あれって桜?」
垣根の向こうから覗く白い花を指差して尋ねると、隣から思いっきり呆れ声が。
「どう見ても梅だろ」
「あー、梅な。ってか、桜とあんま変わらなくね?」
「おまえ、ほんっとに小学生以下だな」
「ンなことねーよ」
クリッと首を回して隣りを見ると宮添がいつもと同じ顔で笑っていて。
そんなことにちょっとだけホッとするのもなんだかくすぐったいような変な感じだったけど。
「次回は絶対俺が運転するからな」
夏は海だな、なんて。
青に変わった信号をくぐりながら、ものすごく張り切ってそんな先の話をしてみたのだった。


                                            - 春休み end -

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