夏。



-1-


エアコン必須の季節になると、俺の居場所はもれなく宮添の部屋。
そんでもって。
「話がある」
昨夜の酒盛りの途中、思いっきり真顔でそんなことを言われたような気がする。
でも、例によって俺も宮添も酔っ払いだったもんで、あるいはただの夢だったかもしれない。
そんな頼りない選択肢をぼやけた頭に過ぎらせながら、心地よく布団の感触を満喫していたその時、軽やかにインターホンが鳴った。
「……んー……」
その音でやっと起きた俺。
窓からは眩いほどの光。
だが、ベッドにはもちろん、部屋のどこにも宮添の姿はない。
トイレからもバスからも何の音もしない。
ということはコンビニにでも行ってるんだろう。
「……人んちだから出ることないんだけど」
どうせ新聞の勧誘か宅配便だろう。
そう思ったので玄関のドアを開けた。
だが、予想に反してそこには同い年くらいの女子が2名。
俺を見てフリーズしていた。
「ああ、ごめん……」
上半身裸だってことをすっかり忘れていた。
身につけているものといえば短パン一枚だけだ。
でも、まるっきり下着というわけではないし、一応ルームウエアの範囲には入ってるだろう。
まあ、今さら気にしても仕方ない。
「宮添なら出かけてるみたいだけど」
半目のままそう告げると、半歩後ろに立っていた子が質問をしてきた。
「あの……宮添さんのお友達……ですか?」
「うん」
口調と表情から「まさかこんなヤツが」的ニュアンスがダダ漏れだが、まあ、思いっきり寝ぐせ付きの髪で、しかもこの服装ではムリもない。
『高校ン時に同じクラスで、今は同じ大学で』というような説明をしたほうがいいんだろうかと迷っていたら、次の質問が。
「あの、今日、お友達さんと宮添さんはどこかへ出かける予定とかあったりしますか?」
そんなに恐縮ながら聞いてくれなくてもいいのに。
「ないよ。酒飲んでゴロゴロしてるだけ」
小さな紙袋を持って前に立っている子はぜんぜんしゃべらない。
というか、俺を正視できないのか、ずっとうつむいている。
「あの……だったらちょっとお願いが……えっと、もし約束とかないんでしたら、少しの間だけでいいんですけど―――」
つまり、話があるから宮添をちょっと貸して欲しいってことなんだろう。
「あー、いーよ。ぜんぜんOK。俺、自分ち帰るし。つか、近くだから」
我が家のように入り浸っている宮添の部屋だが、女子が訪ねてきたのは初めてだ。
こんな時くらい快く協力してやろう。
……と思っていたら。
「あー、おかえり」
宮添がコンビニの袋を提げて戻ってきた。
とりあえずさっさと支度をして自分のアパートに―――と言ってもTシャツを装着するだけなので簡単だ。
ドアを全開にしたまま中に戻って衣服を掴んで靴を突っかけて「じゃあな」と言いかけたが、その瞬間、宮添にグッと腕を掴まれた。
しかも。
「遊びに来ている友人を追い払うようなヤツと話をしようとは思わねェな」
真正面から思いっきりそんなことを。
「ちょっと待て。せっかく来てくれたのに、その言い方ってないだろ?」
宮添を好きなのがどっちの子なのかは判らないが、友達に付き添いまで頼んで、勇気を振り絞ってここまで足を運んできたんだろう。
しかもムリやり俺を追い払ったわけではなく、ちゃんとお願いして承諾をもらってるんだから怒るのは間違ってる。
そうじゃなかったとしても、男の部屋に、いかにも「告白しにきました」という女子に向かって言うセリフではないだろう。
こんなことだからモテるわりに彼女ができないんだ。
付き合っても長続きしないのだって、きっとこのあたりが敗因だろう。


結局、紙袋を持っていた子が泣きそうな顔で「すみません」と言って踵を返し、半歩下がって俺に質問をしていた子がペコリと頭を下げてから追いかけていった。
「ゼミの子?」
「いや。バイトの」
「ああ、そっかぁ。そんな感じだな」
フロアスタッフは顔採用。美人揃いで有名なカフェなのだ。
二人ともまさにそれで、しかもちょっと年下だろう。
なんたって呼び方が「宮添さん」だ。
「それにしても、おまえ、アレはひでーよ。かわいそーじゃん」
手に持っていた小さな紙袋だって、宮添へのプレゼントだったんだろう。
あるいは手作りの朝ご飯とかお菓子とか。まあ、そんな感じ。
なのに、なんでこんな態度が取れるのか俺にはまったく分からない。
でも、宮添はやけに機嫌が悪かった。
「久乃木が文句言うようなことじゃねェだろ」
「文句じゃねーよ。けど、どう考えてもカワイソーだって」
「興味ねェんだよ。つか、わざわざ休みの日に友達付き添わせて押しかけてくんなっての」
しかも、住所を教えたことはないらしい。
バイト先でこっそり調べたのか、あるいは宮添の後をつけてきたのか。
じゃなかったら、バイト先にたまたま同じ大学のヤツがいて、そいつから聞いたとか、まあ、そんな感じだろう。
何にしてもかなり本気だ。
「おとなしそうな子だったし、一人で来る勇気はなかったんだろ。冷てーよ、おまえ」
冷てー、冷てー、冷てー。
何度も言ったら宮添が一層ひんやりした視線を飛ばしてきた。
「久乃木に関係ないだろ。女だとすぐに肩持ちやがって。それより、昨日『話がある』って言ったの覚えてんだろうな?」
珍しく口調までトゲトゲしている。
というか、なんか俺を責めてるみたいな感じなんだけど。
「あー、あれかぁ。けど、俺らなんていつでも話せるンだから―――」
今はそんなことどうでもよくないかと言ったら、宮添が思いっきり切れた。
「もういい。今すぐ帰れ。しばらく顔出すな」
なんでこんなに機嫌が悪いのかわからないが、俺は絶対に悪くないんだから八つ当たりされるのは不愉快だ。
「あー、わかったよ。帰ればいいんだろ。てか、もう来ねーよ」
珍しくケンカのようになってしまい、頭に血が上った俺は捨てゼリフだけ残し、サクサク自分の部屋に戻ってきてしまった。
「怒るようなことかよ。つか、宮添ってすげー冷たいヤツ」
バイト先の女子にあんまり興味がなさそうなのは薄々感じてたけど、外面だけはもっといいかと思ってたのにちょっと意外だ。


どんなに仲が良くても、たまにはこんなふうにちょっと行き違ってしまうことはある。
それだけのことだと思ってた。
けど。
「ありえねーっつの」
あれからずっとメールしても無反応、電話をかけても無視。
俺も意地になっていやがらせのように中身のないメールを送り続けた。
なのに状況は少しも変わらず、そのままサラッと半月が過ぎようとしていた。
「ったく、そっちがその気なら俺にも考えがあるからな」
……と息巻いてみたものの特別良い策があるわけではないので、普通に宮添のところに行ってみることにした。
「もう来ない」なんて捨てゼリフもその場の勢いだし、向こうだってそれは分かってるだろう。今さらどの面下げて……なんてことは少しも思わないのが俺のいいところだ。
まずは宮添のバイト先である顔採用カフェ。
だが、レジに立っていた可愛い女子はシフト表を見ることもなく即答した。
「宮添さんなら、今日は休みです」
「あー、そうなんだ。じゃあ、明日は?」
「明日も休みですね。次に来るのはあさってです」
そういえば、レポートが多めだからバイトの回数を減らしたようなことを言ってたっけ。
「ありがと。じゃあ、いいや」
本当なら今夜にでも部屋に押しかけてゆっくりと話をしたかったが、生憎とこんな時に限って飲み会の予定が入っている。
男女各6名。いつもならすっげー楽しみな感じなんだけど。
なんだか今日は気分が盛り上がらない。
ふう、と宮添のようなため息をついて店を出て、軒先に立ち尽くしていたら後ろから呼び止められた。
「あの、久乃木さん、ですよね?」
メイドのような制服姿でこっちを見ていたのは、付き添いで宮添の部屋に来た子だった。
「すみません。私、ここでバイトしてる板橋と言います」
俺の名前はあのあと宮添に聞いたんだろう。
「あの……ケンカさせてしまったみたいで……本当にすみません」
困り顔でものすごく申し訳なさそうに謝るところがなんだかとてもいい子っぽい雰囲気だ。
「あー、そんなの全然大丈夫だから」
言いながら、ケンカってほどもんじゃないよなと一人頷く。
なんかよく分からないが、宮添がちょっと不機嫌なだけだ。
「ホントですか?」
「うん。それに、たとえばこれがものすっごい大ゲンカだったとしても修復できないなんてことはないし」
なにしろ相手は宮添なんだから、そんなこと絶対にあるはずがない。
というか、そんな状態は想像もできない。
「途中でバカらしくなりそうだろ?」
そう告げると、彼女はちょっと驚いたような顔をした。
「信頼しあってるんですね。なんか羨ましいなぁ」
自分にはそういう友達がいないから……という彼女はちょっと寂しそうだが、そんな顔もまた可愛い。
「悩みとかあんまり相談しすぎると『面倒くさい』って思われそうで、なんでも話せる相手っていないんです」
伏し目にしている彼女の長い睫毛は、なんというか、隅々まで女の子だなって感じで。
毎日コレを見てるくせに、あそこまで無関心でいられる宮添は実はどこかがおかしいんだろうと思った。
「あー、女の子って俺らと違って悩むことたくさんありそうだもんなぁ。俺でよければいくらでも相談に乗るけど」
宮添にさえ「バカ」と言われるほどの頭脳構成なので、役には立たないかもしれないと言ったら、ぷっとかわいらしく吹き出された。
「久乃木さんっていい人ですね」
「そんなこともないけど。ってか、ぜんぜんフツー。むしろフツーすぎ」
お世辞だったとしても女子に褒めてもらうのはとても気分がいいものだ。
そんなことはめったにないので、しっかりと幸福感を味わっておいた。
深呼吸までしてイイ気分を満喫していたら、ふと見上げている板橋さんの視線に気付いた。
「あの……」
この子はたぶん、ちょっとでも言いにくいことだと出だしが全部「あの」になるんだろう。
そんな予測をしてみたんだけど。
「久乃木さんって……どんな子が好きだったりします?」
質問された内容は別にたいしたことではなく、なので、俺も即答した。
「胸のおっきい子」
それだけは譲れない。俺の永遠の理想だああああ!
……という気持ちが出すぎてしまったのか、彼女がちょっと引いたのが分かった。
「胸、ですか」
「あーごめん。女の子にこれ言うのって失礼だよな。『デリカシーなさすぎ』ってゼミのヤツにもいつも言われる」
「でも、おっきい子が好きなんですね……」
「そう!」
声が大きすぎるだろう俺。
と思ったのも、彼女がさらに引いたのが分かった後で、すっかり手遅れだった。
「あー、じゃあ、まあ、そういうことで。俺らのことはぜんぜん気にしなくていいから」
ヘンタイと思われる前にムリやり普通の会話に戻してみようなんてのも、もはや無駄な努力。
それでも彼女はちゃんとこっちの話に合わせてくれた。
「えと、宮添さんとは大学でばったり会ったりしないんですか?」
「あー、それはないかなぁ。専攻も違うし」
曜日も講義時間もバラバラだし、それぞれの学部棟も離れているので、約束してなければすれ違うことさえないわけだが、まあ、宮添相手に偶然を装って学内で待ち伏せするような小細工は不要だろう。
「そうなんですか……本当にすみません」
彼女が悪いわけじゃないんだから、そんなに謝られるとかえって申し訳ない気持ちになる。
というか、あれくらいのことで小学生並みのケンカをする俺らがバカだ。
「気にしなくていいって。今から宮添ンち行くつもりだし」
飲み会までには時間もあるし、ちょっと寄るくらいならいいだろう。
「家にいるんですか?」
「どうだろ。でも、レポート書くためにバイト休んでるはずだし、いるんじゃないかな。まあ、鍵も持ってるから、いなかったら勝手に入って中で待ってるし」
そのとき彼女は思いっきり「え?」という顔をした。
『いくら鍵をもらってても勝手に入るのは非常識じゃないの?』っていう感じなんだろう。
……と思ったが、そういうことじゃなかったらしい。
「合鍵渡しちゃうくらい仲いいんですか?」
今まで何の疑問も持っていなかったが、そりゃあやっぱり「え?」って思うか。
彼氏の家に遊びに行って、なんかちょっといい雰囲気って時に知らない男が突然入ってきたら……なんてことは考えたくないもんな。
「あー、まあ、今のところは。でも、宮添に彼女ができたら返すよ。マジで」
普通はそうだから安心していいよという気持ちでそれだけは付け足しておいた。
そんな世間話も交えつつ、和やかに話を終えて。
「じゃあ、あんまし遅くならないうちに宮添んとこ行ってみるから」
「はい。引き止めてすみませんでした」
ペコリと頭を下げる仕草までが女の子らしい板橋さんのサラサラの髪にしばし見とれたあと、明るい気分で宮添の部屋を目指したのだった。



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