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別に連絡はしてなかったのに、マンションのエレベーターを降りたら目的地であるドアの前に宮添が立っているのが見えた。
「あー、宮添。なにしてんの? ってか、久しぶり」
ちょうど帰ってきたところなのかと思ったが、それにしては外出着とは言えそうにないTシャツと短パンという服装で、手に持ってるのも携帯だけ。
「たかが二週間で『久しぶり』とか言うな」
宮添は相変わらずだった。
でも、飾り気のないストラップを指に絡めながら、どこか照れくさそうに俺を迎えた。
「まあ、そーだけどー。すっげー久しぶりって感じなんだもんよー」
宮添だって俺がいなくてつまんなかっただろという気持ちを込めて外国人並みの大袈裟なハグをすると、宮添も「まあ、そうだな」という言葉と共に携帯を持っていないほうの手を俺の背中に回した。
その時、小さな「ふぅ」が耳を抜けて、いつもの微妙な空気が通り過ぎていった。
「つか、なんで廊下に立ってんの?」
外の風に当たるならベランダのほうがいいだろうに。
なんて思っていたら。
「さっきメールが来た」
差出人は板橋さんで、内容は俺が宮添のマンションに向かったという連絡。
女に冷たい宮添にしては珍しくすぐにお礼の言葉を返したらしい。
「なんで俺には返事くれねーんだよ。つか、何十回出したと思ってんだよおおお」
携帯に黒ヤギと白ヤギが100匹くらい住んでんのかと詰め寄ったら、「全部ちゃんと読んだ」と返事があった。
「だったら一言くらい送ってこいよ。なにも返ってこないと寂しーだろ」
あんまり無視すると泣くぞと脅したら、一応「わりぃ」と謝罪があったが、そのあとで「久乃木が女に甘いからだ」と不満を述べた。
「それは関係ねえだろーよ? つか、おまえと違って俺の算式は『女子=女神様』なんだから仕方ねーだろ」
カワイイ子ならなおさらだ。
巨乳なら一層いい。
……という気持ちも顔に出たんだろう。
宮添が思いっきり眉間にシワを寄せた。
とりあえず、そのまま部屋に入れてもらった。
ビールでも買ってくればよかったと思ったが、キッチンには酒はもちろん未開封のつまみや菓子類が山のように積まれていて、今すぐにでも酒盛りに突入できそうな雰囲気だった。
どうやら俺がいなかったために消費されなかったものらしい。
まあ、一人で飲むのは面白くもなんともないから、なるべくしてなった結果だろう。
今日も素晴らしく片付いている部屋の真ん中にどかっと腰を下ろして、読みもしない新聞を広げていると、宮添がアイスコーヒーを持ってきた。
「久乃木」
「んー?」
手を伸ばすとカランと心地よい氷の音がして、指先からひんやりとした感触が広がる。
すっかりいつものようにバカ話をするつもりだったが、宮添のほうはなんだかちょっと「反省会」的な真面目ムードで。
「あの前の日、『話がある』って言ったこと覚えてるか?」
口調もやけにシリアスだった。
一週間も口を利かないケンカなどしたことがないからムリもないと思いつつ、おぼろげな記憶を遡っていく。
「……あー、なんかちょっとそんな気もしなくもないかも」
あいまいに笑うと宮添がまた「ふう」。
とりあえず俺の記憶を当てにするのはムダだと悟ったらしい。
その後の説明は以下のとおり。
『明日の朝メシ食ったら聞く』と言ってさっさと寝てしまったくせに、翌昼、宮添がコンビニから戻るとドアの前には彼女たちがいて、俺はヘラヘラとその頼みを聞きまくりだったというわけだ。
まあ、なんというか。
全面的に俺が悪い。
「んじゃ、その話って何だったんだ?」
いいぞ、今からいくらでも聞いてやるぞ……と思ったのに。
「今日はやめておく」
宮添はまたしても保留にする気らしい。
「なんか、おまえっていつもそれな」
実は話す気なんてないんじゃないかとまで思ったのだが。
「ものにはタイミングってもんがあんだよ」
本日もやっぱりいつもと同じセリフだけが返ってきた。
「絶好のチャンスってどんな時だよ?」
「おまえの頭の中に巨乳女のイメージ図がないときだな」
「じゃあ、その話は一生ムリだな。巨乳は俺の頭の片隅に常駐してるンだ。座右の銘ってやつだな」
「なんか違わねェか、それ」
とにかくその後は何もなかったようにいつもの週末。
そして、いつの間にやら酔っ払い。
「宮添、コンビニ行こー。アイス買いにー。あとビールと素麺とゆでたまごとドラ焼きとキャベツ」
「どういう組み合わせだよ。つか、食いすぎだろ」
「大丈夫、大丈夫。俺、おまえと違って半分肉体労働だから腹筋だってちびっと割れてっぞー」
「……それは知ってるけどな」
そんなわけで。
俺はその夜の飲み会をすっかり忘れ、後で幹事に思いっきり怒られたのだった。
それからしばらくして、板橋さんに彼氏ができたことを知った。
それと同時に、彼女が俺のことを「ちょっといいかも」と思ってくれていたことも知った。
どっちも宮添から聞いたんだが。
「そーゆーことはもっと早く教えろよおおお」
予めわかっていたら、もっとうまくイイ感じになってたかもしれないのに。
「自業自得だ。タイプの子を聞かれて『胸が大きい子』とか堂々と答えるバカが悪い」
俺はまったく気にしてなかったんだが、板橋さんは間違っても「大きな胸」ではないらしい。
ということは。
「あれって引いてたんじゃなくて、俺の返事にがっかりしてくれてたってことなのか?」
なんてことだ。
あんな可愛い子なら、胸なんてどうでもよかったのに。
「つか、せめて彼氏ができる前に教えてくれよおおおお」
もっと早ければ挽回のチャンスがあったかもしれないのに。
けど。
その時、宮添はニヤリと笑った。
「忘れたのか。おまえには『一生彼女ができない呪い』をかけてあんだよ」
「今すぐ取り消せっ!!」
ってか、頼むから取り消してください。
いや、マジで深刻な問題だから。
目の前には夏休みが迫っているというのに、今年もまた色気なしの虚しい日々になってしまう。
「そんなもん別にどうってことないだろ。俺だっていないんだから」
「とか言って、どうせすぐに『悪ィ、カノジョできたから』とかあっさり言うんだろ? 絶対そうに決まってる!」
今日までいったい何度そんな経験をしただろう。
最近はそうでもないが、高校のときなんて、夏、学祭、クリスマス、正月、春休み、その他イベントごとに宮添は女とフェイドアウト。取り残された俺は男ばっかりのむさ苦しい集団の中で寂しく過ごしたのだ。
「安心しろ。今年は絶対にない」
「嘘だああああ」
「嘘じゃないって。約束する」
「信じねーぞ。俺は騙されねええええ」
散々叫び散らしたが、「約束を破ったら巨乳DVD百枚プレゼント」という宮添の言葉で、ひとまず信じることに。
……まあ、たとえもらったとしてもあの狭苦しい部屋に並べる勇気はないんだけど。
それから数日。
テキトーに試験を終わらせ、テキトーなレポートを書き、これを明日のゼミで先生に手渡せば明後日から楽しい夏休みだ!
……というハイテンションモードの真っ只中。
俺は相変わらず宮添の部屋にいた。
「なー、なー、夏休み何するっ!?」
『友達』からかかってきた電話を、なぜかわざわざベランダに出て取った宮添に向かって、ガラス越しに思いっきり叫んでみる。
結構、防音はしっかりしているマンションだが、さすがにこれなら聞こえるだろうという大音量で、だ。
「まずはバイトの調整だろー? 休みが合わなかったら海も行けねーもんなっ!」
夏はなんといっても海だ。
ビキニからこぼれそうな胸。あははうふふと笑いながら戯れ、砂に足を取られてよろめいた彼女を抱きとめようとしてうっかり……などと膨らむばかりの妄想を大音量のひとりごととして語っていたら。
「『うっかり』の続きはなんだよ」
宮添が呆れながら戻ってきた。
「うっかりその谷間に指先がとか、うっかり肩ヒモに手がかかってとか、ついでにハプニングでポロリとか」
飛び散る水しぶき。降り注ぐ太陽。
夏はやっぱりコレだろう。
などとはしゃいでいたのだが、宮添はいつにも増して素っ気なかった。
「予定は後でな。明日とつぜん彼女ができるかもしれねェし」
しかも、なぜか苦い表情でベッドの上に携帯を放り投げた。
「あー、そう」
この態度からしても間違いなく電話の相手は女の子。
んでもって、『明日ちょっと時間もらえる?』みたいなヤツだったんだろう。
「もてるヤツはいーよなあああ」
これで宮添がラブラブいちゃいちゃ状態になって、バイト以外の日はずっと二人で過ごすから……なんていわれた日には、俺はいったいどうすれば?
丸々二ヶ月以上の空白。
みっちりバイトか?
実家に帰ってゴロゴロ不貞寝?
そんな恐ろしい夏休みは絶対に嫌だ。
「なー、彼女できても海は行こうな? 一日だけでいいんだから」
猫なで声で誘ってみたが、宮添は何も言わなかった。
ということは。
きっともう彼女ができることは確定なんだろうか。
「みーやーぞーえー。なんか言えよー」
「うるせェ」
「……冷てーよ」
さっきまでパンパンに膨れ上がっていた楽しい夏休み妄想も一気にシューッとしぼんでしまった。
翌日、なんとかゼミのレポートを出し、ホッと一息ついたものの。
「……今日は宮添ンちでパーッと開放感を味わおうと思ってたからなぁ」
バイトはないのに、遊びの約束もない。
宮添の予定も不明。
というか。
今頃はもう彼女と夏休みの計画でも立てているかもしれない。
「あーあ……」
ため息をついたその時、
「久乃木君」
背後から女子の声が。
「ちわ。もう講義全部終わり?」
ゼミで一緒の子だった。
名前は確か、北畠さん。
とりあえず「レポートのテーマはどれにした?」とか、そういう話なんだろうと予想を立てていたんだが、聞かれたのはぜんぜん違うことだった。
「久乃木君、夏休みはバイト?」
さすがに試験のヤマをことごとく外しただけあって、俺の勘は鈍い。
「そう。週五日」
「すっごい働き者だなぁ」
「北畠さんは? 実家帰ったりすンだよな?」
「うん。お盆にちょっとだけね。やることないから、あんまり長くはいないつもりなんだけど」
サークルの合宿もあんまり気乗りがしないとか、夏休みの間だけの短期家庭教師のバイトはあるけど、とか。
一通り予定を話した後でまた俺に振る。
「久乃木君、バイトない日は何するの?」
何にもしねー。
正直にそう答えようとしたが、条件反射でちょっと見栄を張ってしまう。
「友達と海行こうかと思ってンだけど、まだ休み合わせてないんだ」
まあ、それは嘘ではないし。
「それって宮添君だよね?」
「あー、うん。そう」
宮添とは一年のときに一般教養で一緒だったらしい。
そんな昔のことをよく覚えてるなと感心したが、宮添の場合、女子の記憶には残りやすい見た目なので、それほど不思議なことではないのかもしれない。
「海以外はどこか行く? サークルで……とか、バイト先の子と一緒にとか」
「あー、それは別に。宮添がヒマだったら他にもどっか行くかもだけど」
昨日の様子からして、今すぐにでも彼女ができそうな雰囲気だし。
そしたら当然俺と遊びに行ったりはしないだろう。男友達なんてどうせそんなポジションだ。
「ふうん……じゃあ、女の子誘ってどこかに行ったりとか……?」
って聞くんだけど。
そんな素晴らしい相手がいるなら是非ともそうしたいものだ。
だが、『いねーよ、悪かったな』と八つ当たりしても仕方ないので、とりあえず微妙に見栄を張っておいた。
「宮添と遊ぶほうが気楽だからなー」
「そっか……仲いいもんね」
掲示板の前で立ったまま。
その後もなんかいろいろ話したけど。
昨夜の『宮添に彼女疑惑?!』のせいでテンションが下がったままだったもんで。
「あー、俺ちょっと行くとこあるから。気をつけて実家帰れよ。んじゃ」
会話にあまり集中できず、うっかりアホ発言をしないうちに失礼させていただいたのだった。
大学を出て蒸し暑い道路をペタペタ歩いていたら、宮添から電話がかかってきた。
『今から、会えねェ?』
今日はお互いバイトもないし、開放感とともにメシでも食いに行くのかと思い、「おー」と元気よく答えたんだけど。
『んじゃ、5時に高校の裏手のコンビニの斜め前の駐車場で』
「はああ?」
なンだその意味不明な待ち合わせ場所は。
……という気持ちを思いっきり込めてみたが、そこでピッと切れた。
だが、なんだか思いつめた口調だったような気もしたので、言われた通りに母校方面へ向かう。
「つか、わざわざ家と間逆の方角指定すンのってどーよ?」
新手のいやがらせか。
いや、宮添に限ってそんなムダなことはしないか。
たらたら来たつもりだったのに、約束の時間よりずいぶん早く着いてしまった。
「まあ、いっか」
懐かしい校舎。グラウンドでは高校球児が暑苦しく汗を流しながら練習に励んでいる。
ボールを打つカキーンという音も爽快だし、季節が夏というのがまた格別いい感じだった。
「セイシュンってヤツだよなぁ」
すうっと自分の体温より高い空気を吸い込むと、突然「入道雲」という単語を思い出した。
いや、そんなもんはどこにも見えなかったけど。
「夏って感じだよなぁ」
懐かしい景色は休みの前の高揚感をいっそう盛り上げる。
ワクワクした気持ちでそのへんを少し歩き、再び駐車場に戻ると宮添の姿があった。
変な方向から歩いてきたせいか、俺を見ると少し驚いたような顔をしたが、「わりぃ。遅れた?」と声をかけるとすぐにいつもの表情に戻った
「そのへんちょっと散歩してきた。なーなー、すっげー懐かしくね?」 「……まあな」
大はしゃぎの俺と違って、宮添は笑いもしない。
世の中は夏全開なのにこのテンションの低さはなんだろう。
「そんな年違わねーのに、ガキって感じするよなぁ」
「おまえはフツーにあそこに交じれるだろ」
「ンじゃ、校舎入ってみねー?」
俺の提案について、宮添は「行こう」とも「ダメだ」とも言わなかった。
その代わり、やけに真剣な顔で「話がある」と告げた。
「あー、そだ。わり。忘れてた。なに?」
今度こそちゃんと聞こうって気持ちはあったのに。
聞き返した瞬間、例の「ふうう」が。
「いいから、俺が返事を求めるまでは黙って聞いとけ。つか、少し落ち着け」
「うん、わりぃ」
俺とはかなり精神的温度が違うようなので、一応宮添の言うとおりにすることにしたけれど。
「久乃木」
「おうっ」
「……合いの手みたいなタイミングで返事をするな」
まったく、という呟きとため息を押し殺したみたいな呼吸。
こっちを見ているようで微妙に外された視線の行きつく先がどこなのかを辿っている途中で。
いきなり、「おまえのことが好きなんだ」と言われた。
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