夏。



-3-


最初は深く考えなかった。
むしろ条件反射的に「俺も」と答えそうになったほど。
けど、それより素早く宮添から「まだ何も言うな」と牽制された。
頷きながらムギュッと口をつぐんで見せるとちょっと呆れ顔になったけれど、それでもすぐに言葉を続けた。
抑揚のない声で、淡々と。
「最後まで茶化さずに聞けよ。俺が言ってるのは、おまえが『巨乳の女が好き』っていうのと同じ種類の『好き』って話だから」
友達に対するそれとは違うんだ、と告げた声もどこか乾いている。
「……エロ妄想のネタってこと?」
多分、そうじゃないとは思ったけど。
「じゃねェよ。つか、おまえのはそーゆー意味なのかよ」
時折り交じるいつものトーンに少しだけホッとしながら。
「あー、まあ、それもありで。っていうか、中学以降好きになった子は――」
すべて巨乳だったぞ、と言う前にそれも止められた。
「茶化さずに聞けっつってんだろーよ」
「……わりぃ」
俺の返事のあと、宮添はすっと息を吸った。
それから。
今度はゆっくりと、「ずっと好きだったんだ」と言った。
何度繰り返されても、いや、むしろ二度目のほうが頭の中のごちゃごちゃはひどくなっているみたいで。
自分のことなのにどうしたらいいのか分からないまま。
「あー……つか、宮添、確か去年の終わりくらいからずっと『好きな子がいて告白したい』とか言ってなかったか?」
散らかったものをあるべき場所に一つずつ片付けようと、宙ぶらりんだった謎を突きつけてみたけれど。
「だから。今、話してるんだろ?」
この流れで察しろとものすごく呆れた声で言われても、俺の頭上には大きなハテナマークが乗っかったまま。
事情を素早く察知したらしい宮添は即座にいつもの「ふうぅ」。
「だーかーら、それがおまえだってことだろ?」
「はあああ?」
妙な叫びになっていたのか、コンビニに向かう少年たちが俺らを振り返る。
「ちょっと考えたら分かるだろ? どこの世界にただの友達にエロいことするヤツがいるんだよ? 絶対おかしいだろ。ってか、今までマジで何にも気付いてなかったのかよ? なんの疑問も持ってなかったってことか?」
男同士だぞと言われ。
そりゃあ、まあ。
改めて問われると、そうだと思わなくもないわけだが。
「疑問は、あんま……つか、ぜんぜん」
咽喉まで出かかった溜め息をようやく押し留めた宮添と呆然としている俺の間に熱気を帯びた風がザッと吹きぬけていく。
今の話も。
不意にあさっての方向を向いてしまった横顔も。
俺にはなんだかひどく不思議なものに思えた。
告げるべき言葉を捜す。
でも、何もみつからない。
その間も宮添の話は切れ切れに続いていく。
「放課後、いつも……ここ通ってコンビニ行ったろ。……そん時、何度も言いそうになった」
でも。
さっきみたいに俺が驚いた顔をして。
当然返事なんてもらえないまま。
次の日からは口も利かなくなる。
それを思うと、どうしても言えなかったのだ、と。
「だったら、このままのほうがいい。誰だってそう思うだろ?」
ガマンできた分だけ高校の頃の自分のほうが偉かったな、なんて。
宮添には不似合いな言葉が続く。
「ここで……何度もそんなこと考えて、そのたびに頭ん中でフラれて。自分でも呆れるほど同じことを繰り返してきた。だから……他の場所で言うよりダメージ少なくて済むんじゃないかって思った」
日は少しずつ傾いて、足元にくっきりと影を作っていた光も弱くなっていく。
でも、俺と宮添は微妙な距離を開けたまま、一歩も動くことなく立っていた。
「……そんなこと、一生言わなきゃいいってことくらい、ちゃんと分かってんのにな」
ゆるくさまよっていた視線を一度瞼で遮断したあと、宮添は真正面から俺の顔を見た。
そして。
「おまえのこと、好きなんだ」
もう一度同じ言葉を告げた。

何か言わないと……って思いながらも口を開くことさえできずに。
立ち尽くしていたら、「ごめんな」と謝られて。
その時、なぜか無性に悲しくなった。


謝るようなことじゃない。
むしろ謝って欲しくなんかない。
泣きたいような、怒りたいような。
けど、そんな気持ちさえ口から出ることはなく、半開きの唇が陽射しに焼かれて乾いていく。
「……返事、聞いていいか? はっきり言われとかないと諦めつかねェし」
催促されたあとでさえ俺は固まったきり。
再び逸らされた視線を追うこともできず、足元から上ってくるムッとした熱だけを感じていた。
「返事……するのも嫌か?」
頭の中で迷子みたいにうろうろしているだけの俺に、やっと届くくらいの頼りない声だった。
「……そう……じゃ……ねーけど」
答えながらも混乱は少しも整理されることなく、感情の断片がバラバラに飛んでいるだけ。
それをかき集めようとして、でも、掴んだと思ったらスルリと抜けて。
「なんでもいい。『気持ち悪ぃ』でも『ふざけんな』でも、久乃木が思ったことを正直に言ってくれていいから」
ところどころ掠れた音は、すぐにグラウンドの声に消されていく。
風に裏返る葉に弾き返された光がチラチラと瞼の奥を刺す。
傍目には変なヤツに見えるだろうなんて、頭の片隅でそんなことを考えながら。
「……あー……うん……っていうか」
言葉が詰まって出てこないならまだしも、浮かんでさえこない。
無理に何か出そうとすると、頭の中にコンビニのテーマソングが流れる。
こんな時でさえ能天気な自分を呪いたくなった。
「口、利く気もなくなったか?」
「え……いや……ぜんぜん、ンなことは―――」
全てが途切れ途切れでも、沈黙よりはいくらかマシかもしれない。
そう思って。
「あー、と」
「ちょっと待て」
「今、言うこと考えてるから」
という返事を文字通り三行で伝えてから、また立ち尽くした。
それでもまだ頭は空白のまま。
間を持たせるために浮かんだ言葉を端からダラダラと垂れ流すだけ。
「えーと……じゃあ、俺が返事したらどうなんの?」
OKだった場合とNOだった場合の今後をあらかじめ聞いてから答えようなんて、どこの世界にそんなムシのいい話がある?
自分ではそう思ったが、宮添はひどく真面目に答えを返した。
「久乃木がもう俺の顔見たくないって言うなら、友達としても終わり。大学で会っても俺から声をかけたりしない。そうじゃないなら―――」

これまでと変わりなく友達でいたい、と。
そう言って視線を落とした宮添はなんだか今にも泣きそうに見えた。

頭上にはうるさいほどの蝉の声。
時折り通り過ぎるジャージ姿の高校生。
太陽を思いきり反射させながら、コンビニの駐車場に滑り込む車。

「あー……そう、なのか」
無意味に髪をかきあげてみたりしながら頭の中身の整理を試みたけれど、どうやってもやっぱり少しもまとまらない。
「……なんか、あんまし分かんねーんだけど……おまえが言ってたその二択って、ちょっとおかしくねーか」
俺の質問に、宮添は心底意外そうな表情をした。
「どこが?」
「どこっていうか、普通は『好きだ』って言われた場合の答えは、『OK付き合おう』または『ごめんなさい』じゃね?」
俺もそのつもりで質問したし、返ってくる答えもその二パターンだと思ってた。
けど、宮添の言う「顔も見たくない」と「友達のままでいる」はどっちも「ごめんなさい」ってことじゃないんだろうか。
あんなに悩んで、何度も飲み込んで、今でも「言わなきゃいいのに」って思いながら告白してるくせに。
どうしてそんな結果しか用意してないんだろう。
絶対おかしいだろって問い詰めたかったが、目の前で困った顔をしている宮添を見ていたらそんな気は失せてしまった。
「……なんか、よくわかんねーな」
突然『好きだ』って言われて。
でも、どう答えればいいのか見当もつかなくて。
それどころか、どうしたいのかさえ少しも分からないなんて。
自分がどれだけダメなヤツだったのかをこれほど強く実感したことはなかった。
「なんていうか……俺は、今までどおりがいいよ。おまえんちでテレビ見て、バカ騒ぎして、酔っ払いになって……そういうのが」
当たり前の毎日がただ楽しくて。
あっという間に何年も流れた。
高一からずっといい思い出ばかりなのだって、きっと宮添のおかげだ。
なのに。
「何もなかったように、ってことか」
「……いや、そういうんじゃなくて……」
どう言えばこの気持ちがちゃんと伝わるのか、バカすぎる俺には分からなかった。

休憩時間なのか、気がつくとグラウンドの声は止んでいたけど。
セミはまだ大音量で、アスファルトは熱く、空も青い。

「なんか分かんねーから……家、帰ってからゆっくり考えていい?」
その場凌ぎの先送り。
けど、一番落ち着ける場所でなら、このごちゃごちゃも片付くかもしれない。
「どこの家だよ」
「もちろん、おまえンち。俺の部屋、今日も絶好調に散らかってるし」
片付いてる日などないんだからと言うまでもないことを口にしながら。
困った顔のまま少しだけ笑った宮添を見て、どこかホッとしていた。

その後もお互い口数は少なかったけど。
目の前のコンビニでアイスを買い、食べながら少し歩いてバスに乗った。
高校の頃、二人でよくそうしていたように。




宮添の部屋に当然のように上がり込み、ザッとシャワーを浴びて、さらりとしたTシャツに着替えた。
エアコンの効いた空間は、先月大騒ぎして模様替えしたばかりのアイスブルー。
静か過ぎるのが嫌だったのか、ローテーブルを挟んで斜め向かいに座ったとたん宮添が小音量でテレビをつけた。
「……で?」
俺に対する最初の問いかけがそれだったんだけど。
「そんないきなり『で?』って言われましても……」
言葉が続かない。
だって。
なンかイロイロと。
整理整頓が。
必要そうだから。
という思考も。
まだコマギレなのに。
「……ええと……とにかく俺はこのままがいいンだけど」
独り言のようにもごもごとつぶやくと、宮添はしばらく考えた後で「ふう」。
「なんだよ、その『ふう』は。だったら、俺が『よし、付き合おう!』って答えたらどうなるんだよ? 今までとなんか違くなるのか?」
不必要にエラソウな態度に出てみると、今度は宮添がちょっと困った顔をするので、俺も一緒にちょっと困ってしまった。
だけど。
「……まあ、それは……実質、何にも変わらねェな」
宮添から返ってきたのもそんな答えで。
その後、目の前の手は「ふう」の合間にやたらとリモコンを押しまくっていて。
一方、俺はなんか開き直った感じで。
「じゃあ、それでいーじゃんよ」
そう言い切った後は全部終わったような気になった。
「別に真剣に考えるのが面倒だからそう言ってンじゃないぞ。おまえと半月会わなかった時だってすっげーつまんなかったし、メールの返事もこないとか、もうホントやめてくれって感じだったし、こうやっておまえンちでダラダラするの好きだし、それに……なんか白黒ハッキリさせたせいで今までと違くなったらヤだし」
思いついた言葉を並べる間、宮添は黙って聞いてたけど。
やがて溜め息混じりに「まあ、そうだな」と呟いた。

夕方のテレビはニュースとひんやりデザートの特集。
大袈裟な感想が今日に限ってやけに白々しく聞こえた。

「……じゃあ、まあ、その話は終わりだな」
ようやく宮添が終了宣言をした時、外はうっすらと暗くなり始めていた。
夜に突入したことに気付くのと同時に空っぽの胃袋が遠慮のない音を響かせた。
「久乃木、おまえってホント緊張感ゼロだな」
「……だって腹減ったんだもんよ」
その後は「今までと同じ」というコンセプトに基づき、食事とビール。
そのまま宮添の部屋に泊まって適当に夜中まで酒盛り。
適当な時間にベッドに入って「おやすみ」と言ってみたが、やっぱりなんとなくぎこちなくて、ちょっと腕が当たっただけでも「わりぃ」とか謝ってしまうような状態だったけど。
まあ、これだって明日にはすっかり忘れて元通りになってるんだろう。
「なんか俺ら初々しくね?」
背中合わせに寝転んだまま、あはははと笑っていたら、宮添が急にクルッと振り返った。
「ったく、おまえは……」
「あっ! つか、夏休みの予定立てンの忘れてね!?」
とりあえず宮添に彼女ができる疑惑はなくなったわけだし、俺も安心して海の計画を……と飛び起きた直後。
昨日のような『巨乳ビキニ水しぶきキャッキャうふふ』な妄想全開で挑んではいけないことに気づいてしまった。
今までと同じようで、やっぱり微妙に違う俺の現実。
「……ま、いっか」
海は海だし。
妄想は口と顔に出さなければいいだけだし。
第一、俺がどんなに全開で行っても妄想が妄想以上になったこともないわけだし。
「なー、いつにする? バイトの休み、今から合わせられっかな?」
こうやって『いつも通り』に休みの計画を立てる。
決まったら、宮添ンちのカレンダーに予定を書き込む。
んで、「勝手に書くな」と怒られる。
そしたら「別にいいだろ」と言い返す。
どうやっても全部いつも通り。
というか、それ以外の流れはないだろう。
何にしてもこの状態は俺が最初に思い描いていた『正しい夏休み』だ。
なので、それ以上あれこれ考えるのはやめておくことにした。
まずは明日バイトに行って休みの調整をして。
日にちが決まったら詳細を決めて。
そのあとは夏休みを満喫すればいい。
「たっのしみー!」
「……夜中に騒ぐな。さっさと寝ろ」
宮添はまた背中を向けてしまったけど、その後いつもの「ふうう」が聞こえてくることはなかった。
そして、俺はといえば。
「海行ってー、花火見てー、ビアガーデン行ってー、アイスの食い放題してー」
明日からの休みのことで頭がいっぱい過ぎて、なかなか眠れないのだった。



                                            - 夏 end -

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