運命とか、未来とか

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それから数日後の夕方。
突然かかってきた電話は羽成からのものだった。
十河が呼んでいるので事務所に来いと言う。
電話の一本くらいさほど面倒なものではない。自分で直接呼び出した方がよほど早いのに、いつも羽成を通すのが不思議だった。
「俺には番号を教えたくないってことなのか? 心配しなくてもこっちからかけたりしないのに」
どうでもいいけど……と呟きながら、靴をつっかけて外に出た。


事務所は同じマンションの下の階。
いつだって十河の気分で不意に呼ばれる。
おかげで制服のままヤクザばかりの場所に出入りすることも多かった。
連中だって、もういい加減こちらの顔を見慣れた頃。
出向いたところで誰も気にも留めないだろうと思っていたが、周囲の目は日を追うごとに特別なものに変わっていくようだった。
「俺とそんなに変わらない年の奴だっているんだろ? なのに、なんで珍しそうに見るわけ?」
手近な相手を片っ端から捕まえて尋ねたが、みな一様に言葉を濁す。
「あの部屋におまえさんを住まわせるようになってから社長の運が急に上向いたとかって噂があってな。注目されてんのはそのせいだろう」
やっと答えてくれたのは十河の所有する店で働いている柿田という男。
「なんだよ、それ。バカらしい」
ようやく聞き出した答えがそれかと呆れ果てたが、柿田は気を悪くした様子もなく、真面目な顔で付け足した。
「まあ、とにかく迂闊な態度は取らない方がいい。そうでなくてもおまえはアレコレ言われてるんだからな」
そんな忠告にどれほどの意味があるのか。
言うだけ言ってさっさといなくなってしまった男の、やけに神妙な顔を思い出しながら、一人溜め息をついた。
「……『迂闊な態度』ってなんだよ」
大きな顔をするなということだろうか。
「あれこれ」がどんな内容なのかは分からなかったが、少なくとも羽成はそんなくだらない噂が流れるたびにますます俺への嫌悪を深めているのだろう。
「羽成も羽成だ。仕事だっていうならいちいち態度に出すなっての」
先ほど受けた電話の不機嫌な声が過ぎり、思わず眉を寄せる。
苛立ちと溜め息と、少しの失望。
嫌なものを追い払うように強く首を振った後、俺を呼びつけた男の部屋に向かった。
「で、十河はどこ?」
事務所の中にある社長室では秘書が忙しそうに書類を片付けていたが、俺の顔を見るとすぐに手を止めた。そして、「あちらでお待ちです」とだけ伝えたあとはそそくさと姿を消した。
愛人を呼びつけてすることなんて秘書じゃなくても見当はつく。
だとしても、まるで「見てはいけないものを目撃してしまった」というあからさまな態度に、良い感情が持てないのも事実だった。
「なんか用?」
開け放された隣の部屋のドアの前。
不機嫌を隠せないまま問いかけると、十河の口元に薄く笑みが浮かんだ。


誰もいなくなった部屋で俺はいきなり服を剥ぎ取られてデスクに体を押し付けられた。
「待っ……て、あ、ああっ」
場所だけはソファに移動してくれたものの、ロクに準備もせずにいきなり入れられて体のあちこちが軋んだ。
手荒な扱いは今日に限ったことではないし、俺もそれを不満に思ったことはない。ただ、「こんなものだ」と自分に言い聞かせて飲み込むだけだ。
「……あっ、う……っん」
ここでこうしていることは羽成だって分かっている。
だからこそ不愉快なんだろう。
普通の会社ならまだ就業中という時間に愛人を呼びつける。
主人の堕落は俺のせいだと決めつけているのかもしれない。
痛みと快楽がないまぜになった意識の片隅で羽成の刺々しい口調を思い浮かべながら、まだ薄明るい部屋で十河に抱かれた。
「いつまで経っても慣れないな」
何が面白いのか、そんなことを言いながら口元を緩める。
「そん……な、早く、慣れ……るかって……あ、っく」
「生意気な口も相変わらずか。こちらを向け」
その時だって後ろから突っ込まれていたのに。
「あっ……ああっ、んんっっ」
達く時に無理矢理顔を後ろに向けられ、唇を塞がれた。
いつもより長い絶頂は、過ぎたあと容赦なく力を奪う。
熱を放った後、ぐったりと手足を投げ出していたら、また抱き寄せられて、半開きの口元から舌先が入り込む。
乱暴なのに、深く、甘く。手の届かない場所が痛んで、息苦しくなるような。
「……なんで、こんな―――」
「不満か?」
出会って何日で。
これが何度目の情事で。
そんなことはもう覚えてもいなかった。
でも。
「……そうじゃ……ない、けど」
今までこんなキスをすることはなかったはず。
それに。
「欲しい物はないのか?」
そんな問いが増えてきたのもここ数日のこと。
「別に。くれるものなら何でももらっとくけど」
本当は一つもなかったけれど。
そう答えるのが愛人の義務だろうと勝手に思っていたから、自分でも分かるほど気持ちのこもらない言葉を返した。
十河はそんなことは疾うにお見通しで、煙草に火をつけながらそう呟くと、また少し笑った。
「つまらない返事をするな」
何かを試されているようなその言い方も気に入らなかったし、笑われている理由もさっぱり分からなくて不愉快だった。
そんなことなら、次に同じ質問をされた時は正直に『欲しい物なんてない』と答えるから、と予告するつもりでいたのに。
口から出た言葉はいつの間にか他のものに摩り替わっていた。
「だったら……俺を……必要だって言ってくれる人」
何故そんな返事をしたのか、自分でもわからなかった。
十河は笑うことも呆れる事もなく、次の問いを投げた。
「何人いれば気が済むんだ?」
「……あんただったら、一人でいいよ」
十河に対する気持ちは恋愛感情ではなかったかもしれない。
それでも。
その頃にはもう俺にとって必要な人間に変わっていた。
「他には?」
いつもなら抱いた後はすぐにいなくなるのに。
いつになく饒舌な男が発するいくつもの問いにどんな意味があるのか、俺に分かるはずはなかった。
ただ、こんな時間は不思議なほど心地よくて。
「じゃあ―――」
子供の頃憧れたものとか、今でも時々思い出すものとか。
今まで誰にも言わなかったようなくだらないことを、俺はいつまでも話し続けた。
「―――で、それから、ベッドから大きな空が見える部屋。手を伸ばしたら、星に届く夢が見られるような―――」
壁に囲まれた部屋はどんなに広くても息がつまる。
目を覚ましたらどこにいるのか分からなくなるような場所は嫌だ。
そう告げた時も十河は何も言わずに聞いていた。
「普通の空でいいんだ。東京の鈍い星空でもぜんぜん構わない」
それだけあれば、きっと穏やかな気持ちで眠ることができる。
少しなら明日を楽しいと思えるかもしれない。
そんな感情が過ぎった時、じっとこちらに向けられている視線に気付いた。
「……頭、おかしいかな、俺」
「いや」
ただ、それだけの会話。

その後、デスクに置かれた電話が鳴って。
「今夜は出歩くな」
そんな言葉だけを残して十河は出ていったけれど。
多分、周囲が言うとおり、この頃にはもう俺に対する十河の態度は変わりはじめていたのだろう。


寝転んだまま背中を見送った後、倦怠感と共に衣服を整えた。
ノックが響いたのは、すっかり支度を終えて靴を履いた時。
まるでどこかで見張っていたかのようなタイミングにドキリとした。
「部屋までお送りします」
送るも何も俺の部屋は同じマンションの中。
たったそれだけのために呼びつけられるのだから、不愉快になるもの当然だ。
溜め息をつきたくなるような重苦しい気持ちで、こちらを見下ろしている不機嫌な顔から目を逸らした。
「いちいち来るなよ。病人じゃないんだから」
そう言いながら立ち上がったけれど。
行為の後の体は音がしそうなほど軋んでいて、堪えたつもりがわずかにふらついてしまった。
「社長のご指示です」
少し乱暴に俺の腕を掴み、揺れそうになる体を止める。
その後は何も言わずに俺の背中を押し、ドアの方へ促した。
「なんだよ。うんざりって顔だな」
「別に」
「本当は嫌だって思ってるんだろ?」
「仕事ですから」
「それって『本当は嫌だけど仕事だから仕方ない』ってことだろ?」
十河の側近という地位がどれほどのものなのか俺には見当もつかなかったけど、少なくとも周囲は羽成に一目置いている。
どんな時でも十河は羽成の名前を呼ぶだけ。具体的な話などしなくても羽成には主旨が分かる。
命令に背くことも怒らせることもない。
だからこそ年に不似合いなポジションにつくことができたのだろうし、いずれは十河の所有する会社の全てを継ぐだろうと噂されるまでになったのだ。
今さら愛人のお守りなどやっていられるかと思うのも無理はないだろう。
自分よりずっと年下で、しかも男だというなら尚更だ。
「……十河って、なんでおまえを俺につけてんの?」
無言で歩く廊下がやけに長く感じられ、思ったことをそのまま口にした。
「社長にお聞きください」
「理由聞いてないのか?」
知りたい気持ちはあった。
だが、沈黙の間に自室のドアの前に着いてしまい、会話を続ける理由がなくなってしまった。
結局、答えはもらえないまま。
羽成は仏頂面のまま「おやすみなさい」と言い、こちらの返事も聞かずにドアを閉めた。
時間がたっぷりあったとしても結果は同じだったのだろうけど。
「露骨なヤツだな。っていうか、まだ夕飯も食ってないのに『おやすみなさい』とか言うなっての」
いかにも「子供はさっさと寝ろ」と言わんばかりの態度にささくれた気分になった。
「いくら仕事でも嫌々やるな。そんなに不機嫌になるくらいなら今からでも断ればいいんだ」
こんなことくらいで苛立つ自分もどうかしているとは思ったけれど。
周囲からも心配されるほど険悪なのに、十河はなぜ俺との連絡係を羽成に命じたのか。
それだけはどんなに考えても納得できる理由が思い浮かばなかった。



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