運命とか、未来とか

-6-




翌日の夜、十河の所有する店の一つで飲んでいるとマスターから声をかけられた。
「氷上さん、お迎えでは?」
「……もう来たのか」
今日はやけに早いな、と思いながら。
振り返った先に立っていた羽成を見た時も、懐かしいという気はしなかった。
ほとんど一年ぶりの再会だというのに、お互い特別な挨拶などしないまま。
「生きてたんだな」
俺の問いにも「はい」と答えただけ。
呆れるほど何も変わっていないようで。
なのに、どこかが違っていて。
不機嫌を顔に出していた頃は十河や他の連中よりも自分に近いと感じたのに、今はなんだかひどく遠い存在に思えた。
「……もう帰れって?」
「後ほど社長がお見えになりますので」
「ふうん」
会話はそれだけ。
マンションにつくまでの間、車の中にはずっと沈黙が流れていた。




ドアを半開きにしたまま羽成の背中を見送り、一人溜め息を吐いた。
一年という時間は多分俺が思っていたよりもずっと長くて、表面的にはまったく同じようなのに、実際はとても重要な部分を変えているのだという気がした。
「本心が見えてた頃の方がよほど楽だったな……」
どんなに俺を嫌っていても態度に出ないというなら、これからは何を判断材料にすればいいんだろう。
「―――それじゃ、アイツらと同じだ」
家族のふりをして俺や母親を疎ましく思い続けてきた男と。
そいつを引き止めるためだけに、子供の世話を焼いて優しい母親を演じてきた女と。
大人の嘘は巧妙で。
絶対に見破ることなどできない。
嫌というほど思い知ったこと。
それと同じように、羽成が心の底では今でも絞め殺したいほど嫌っていたとしても、俺は最後までそれに気付かずにいるのかもしれないと思うと寒気がした。




「羽成が迎えにいっただろう?」
日付が変わる頃にやってきた十河は俺の顔を見るなりそんなことを尋ねた。
「来たよ」
どうだったと問われたが、これといって返す言葉も思い浮かばず、
「別に。相変わらず」
素っ気ない返事ですべてを済ませた。
「そうか」
十河がどんな顔でそう返したのかは分からなかったが、二日連続でここへ来た理由は羽成と普通にやっていけるかを確かめるためなんだろう。
「何を話した?」
いつもは俺が勝手に話すのを聞いているだけなのに、今夜に限って問いただすような口調で投げかける。
「別に……『生きてたのか』って聞いたら、『はい』って言ってた程度」
答えながら、本当にそれだけだったなと心の中で呟き、無意識のうちに視線を落とした。
この一年何をしていたのかとか、怪我は大丈夫だったのかとか、それくらい聞いておけばよかったのに。
後悔にも似た気分を噛みしめながら突っ立っていたら、背中に視線を感じた。
「……何?」
振り返った時、十河は少しだけ笑っていた。
そして。
「背が伸びた、と」
煙草に火をつけながら、そんな言葉を口にした。
「え?」
同じことを尋ねた時、羽成から返ってきたのがそんな言葉だったのだと聞いて、なぜか急に血が上った。
それだって十河が口元を緩めなかったら、さらりと流せただろう。
けれど、あまりに可笑しそうに笑い続けるから、弁解せずにいられなくなった。
「なんだよ、一年前の俺の背丈なんて絶対に覚えてなかっただろ。だいたいアイツの方がずっとデカイくせに―――」
むやみに言葉を並べたのも、多分照れくさかったせい。
それでもごまかしきれなくて、その話を無理矢理打ち切った。
「ああ、もう……羽成の話なんてどうでもいいって。今日、泊まってくのかよ?」
尋ねた時にはもう俺はベッドの上で、十河の手の中だったけど。
「今度はむやみに突っかからないことだな」
俺の話など聞いてない様子で十河がまたフッと笑いに似た呼吸を漏らす。
「俺が嫌ってるわけじゃなくて、羽成が―――」
まるっきり言い訳のようだと自分で思ったくらいだから、十河だって同じことを感じたに違いない。
薄ら笑いを浮かべたまま、俺の髪を少し乱暴に掴んだ。
「どこが気に入ってるんだ?」
「気に入ってない。『嫌いじゃない』って言っただけだ」
「素直じゃないな」
そう言って、また笑いながら同じ質問をするから。
仕方なく、でも、正直に答えた。
「……なんとなく十河に似てる」
視界の片隅。
チラリと映ったのは複雑な表情。
気分を害したのだろうかと思ってちゃんと顔を上げようとしたが、すぐに抱きすくめられてしまい、どんなに首を動かしても口元しか見えなかった。
「似ている、か」
今夜のように口数の多い時、十河の機嫌が良いことは分かっていたけれど。
「どこが?」と問われた時には少し動揺した。
「……だから、なんとなくだって。人の話なんてぜんぜん聞いてなさそうなところとか、どこにいてもまわりに溶け込まない感じとか、まともなスーツ着ても絶対にカタギには見えないところとか―――」
答えている途中で、どれも褒め言葉ではないことに気付いて口を閉ざす。
その後は十河の顔色を確認する勇気もないまま俯いていたけれど、
「おまえはいつまで経ってもここに馴染まないな」
返ってきたのはそんな言葉だけ。
自分が浮いていることは十分自覚していたけれど、十河の傍が不似合いだと言われたような気がして、少し落胆した。
「……ヤクザなんて俺には別世界だからな」
ボソリと答えながら思う。
今まで暮らしてきた家だって自分の居場所ではなかった。
偽物の家族を入れる、作り物の箱。
それに比べたら、ここはどんなに居心地がいいだろう。
「どんな世界になら興味がある?」
いつになく口数の多い十河から出される問い。
そこにどんな意図があるのか分からないまま。
ただ、今の自分には『世界』なんて言葉自体がひどく大袈裟なものに思えた。
「別にどこにも興味なんてない。……でも、この部屋は気に入ってるよ」
必要なものがあって。
余計なものは見えない。
そんな場所だけがあればいい。
「随分と狭いな」
「……狭い方が居心地いいんだよ」
どんな言葉を返しても、十河はアイツらのように冷たく呆れたりはしない。
少し笑って、煙の向こうを眺めるだけ。
何か言いたげに見えて。
けれど、何も言わないのもいつものこと。
「……でも、十河のことなら興味あるよ。今度はいつ来るんだろうとか、俺に欲しいものを聞いた後はしばらく来ないんだよな、とか」
そう言うと、十河は口の端で笑って、また新しい煙草を取り出した。
「余計な仕事が増えた。しばらくは顔を出せないだろう」
その後、フーッと思い切り俺に煙を吐きかけて、宙を仰いだ。
「弁護士がうるさくてな。明日、遺言を作る。欲しいものがあればくれてやるから、今のうちに言っておけ」
俺に欲しいものがないことくらい、何度も確認して知っているくせに。
どうして飽きもせず同じ問いを繰り返すのだろう。
「じゃあ……死ぬ時は俺も一緒に連れてって」
十河の煙草を勝手に取り出して火をつけながら、ぼんやりとそんな言葉を口にした。
「それは『欲しいもの』じゃないだろう?」
確かに『物』ではないし、金で買うこともできない。
でも。
「形がないだけで俺が欲しいと思ってることにかわりないだろ」
そんな言い分も「屁理屈だな」とさっくり片付けられてしまったけれど。
「だって……死んだ後なら、もういいだろ? 仕事だってないんだし、一緒に埋めても邪魔にはならないんだから」
そんなことを言いながら。
でも、その時の俺には何一つ具体的には想像できなかった。
十河がいなくなるというのがどういうことなのかなんて、考えたくなかっただけかもしれない。
こんな遣り取りだって、ただの悪ふざけだ。
「馬鹿だな」と笑われて、あとはいつもどおりに明日の天気の話。
そう思っていたのに。
「それは無理だな」
真面目な顔で返されて、ズキッと胸が鳴った。
「……分かってるよ。ちょっと言ってみたかっただけ」
十河らしくない、とどこかで思いながら。
「子供だな」
そんな言葉に、思い出すのはあの日羽成に抱かせた相手。
十河に愛人が何人いるのかなんて知らなかったけど、多分、全部があの女みたいなヤツなんだろう。
文句なしに綺麗で。
十河の隣にいても不自然じゃない、大人の女。
「どうせ俺はガキくさいよ」
ふてくされてもどうにもならないと分かっていながら、態度に出してしまう。
そんな俺を見て、十河はまた笑ったけれど。
「それで、欲しいものはないのか?」
遺言なんて面倒な話じゃなくても、何かあるなら今度来る時に持ってきてやると言われたけれど。
「だったら、朝までここにいろよ」
そんな願いだけを口にして、十河の首に腕を回した。

十河は頷くことも、断ることもしなかったけれど、その後は何度も俺を抱いた。
そして、空が白んできた頃、眠っている俺に声をかけることもないまま、そっと部屋を出ていった。



Home   ■Novels   ■運命 MENU     << Back     Next >>