運命とか、未来とか

-9-




十河が刺されたと連絡があったのは、それから数日後。
夜遊びの真っ最中だった俺を、迎えにきた羽成は何も言わずに車に押し込んだ。
命に別状はないことは最初に聞いていたけれど。
病院へ駆け込んだ時、俺の手からは血の気がすっかり引いていた。

個室の前で一瞬立ち尽くしたが、そっと背中を押されてドアを開けた。
俺が中に入るのを見届けると羽成はいつの間にか姿を消した。
「……ケガ、大丈夫なのかよ」
恐る恐る声をかける。来ることを聞かされていなかったのか、十河は少し意外そうな表情を見せた。
「どうした? まだ街をうろついている時間だろう?」
声も顔色もいつもとどこも変わらない。
ベッドに浅く腰かけて。
病院なのに煙草を咥えたまま。
灰皿には吸殻が山のようになっていて、テーブルには酒まで置いてあって。
大丈夫なんだ、と思った瞬間、体から力が抜けた。
「そうだよ……せっかく楽しく遊んでたのに、羽成が―――」
平静を装ったつもりだったが声は掠れていた。
「そういう泣き顔は初めてだな」
いつになく優しく響く十河の声。
そのまま抱き寄せられ、唇を塞がれて。
ようやく自分の体が震えていることに気付いた。
「……泣いてなんて――――」
頬を押し当てたシャツの胸元から、包帯が覗く。
俺が怖かったのは、十河が死ぬことじゃなくて、一人でここに残されること。
きっと、そうなんだろうとぼんやり思った。
「……バカじゃねーの。ケガなんて……刺される前に避けろよ」
「ああ、そうだな」
少し笑いながら、俺の髪に触れた手が滑り降りて頬を包む。
それから。
「おまえには似合わないから、最後まで生意気な顔をしてろ」
そう言ってまた深いキスを与えた。


その後、客が来て。
俺は病室を追い払われた。
慌しい様子で十河の側近連中が出入りするのを少し離れた場所から眺める。
俺がここにいることをよく思っていない人間が大勢いるということも分かっていたけれど。
いつまで経っても帰る気になれずに、人気のない廊下で真っ暗な中庭を見下ろしていた。
見舞い客がいなくなった病院は静まり返っていて、まるで時間が止まったような錯覚に陥る。
疲れは感じているのに、神経だけがやけにピリピリと尖っていて。
まともな思考を保つことさえできない頭で、同じ言葉を噛みしめていた。
「……『最後まで』って、なんだよ」
今まで、十河のことなど一度だって心配したことはなかったはず。
それどころか、突然いなくなったとしても自分の生活には何の影響もないと信じていた。
なのに―――
いつから変わっていったのだろう。
気がつくと、しばらくぶりで顔を出すたび「留守の間何をしていた」と毎回飽きもせず尋ねる十河に、何曜日は学校をさぼったとか、小遣いがなくなって部屋にあったものを勝手に売ったとか、そんなどうでもいいような話をするのが楽しみになっていた。
「……俺の話なんて、まともに聞いちゃいなかったけどな」
それでも。
嫌な顔もせず隣にいた十河が、今になってひどく大事なものに思えた。

失う覚悟をしてから気づいても遅いのに――――




窓枠に手をついて。
真っ黒なガラスに額を押し付けていると、不意に後ろから声をかけられた。
「様子を見てくるように、と」
自分の上着を脱ぎ、そっと俺の肩にかける。
羽成の表情は普段と変わりなくて、何故だかそれが不安を煽った。
「ふうん……じゃあ、『また夜遊びに出かけた』って伝えておけよ」
強がりを吐き捨てながら。
でも、羽成の顔を見たら涙がこみ上げるのを止められなかった。
「―――羽成」
十河に対する俺の気持ちは、今でも恋愛感情ではないかもしれない。
けれど、なくした後の自分が想像できないほど大きな存在であることには変わりはなかった。
「俺が死んだら、できるだけ十河の近くに埋めてくれないか」

十河には嫌がられるだろうけど。
どうしてもそうしたいのだ、と―――

俺にしては丁寧に頼んだつもりだったが、答えはもらえなかった。
ただ、「病室の隣を空けてもらっているので、泊まっていくつもりならそこで休んでください」と言い残して去っていった。



用意された部屋には小さな窓とベッドが一つ。
テレビもパソコンも何にもない。
静かな場所が嫌いなわけではなかったが、できることなら今は騒音に紛れて眠ってしまいたかった。
ベッドに横になって何度も目を閉じたけれど、気持ちに反して意識は冴えていく。
持て余したものが、どうしようもないほど重く感じられて。
怒られるのを覚悟でこっそり十河の部屋をノックした。
警備のつもりなのか、入り口に部下が二人いたけど。
「十河、もう寝た?」
そう尋ねると、わざわざ本人に確認してから俺を中に通し、その場を立ち去った。


「おまえか」
さっきまでいた客と飲んでいたんだろう。
十河はワイシャツ姿で、たった今ネクタイを緩めたばかりという様子だった。
部屋は最初に足を踏み入れた時よりもさらに酷い状態で、テーブルの酒は既に何本も空になり、吸殻は灰皿から溢れそうになっている。
こんな殺風景な内装でなければ病室だということさえ忘れそうな有様に、さすがの俺も苦笑いした。
「ちょっと顔見にきた」
見た目よりたいした怪我ではないのだろう。
安堵の裏側で、話すことくらい考えてくればよかったと後悔している自分がいた。
突っ立っていたら、十河が酒を注いだグラスを俺に差し出した。
「遊び足りないんだろう?」
口元に浮かんだ笑みは相変わらず。この後のことも簡単に予測できたけれど。
「いいのかよ、ケガ人が酒なんて」
そう言いながらも、一気にそれを飲み干した。

ベッドは隣にあったものに比べたらずいぶん広く感じたけれど。
それでも一人用ということに変わりはない。否応なしに十河との体の距離も近くなった。
だからなのか、いつもより控えめに思えた愛撫にさえ、頭がすっかり空白になるほど全ての意識を奪われた。
「……う、っ……ぁ……んんっ」
縋るものを求めた手が何度も傷に触れてしまいそうになっても、十河がそれを止めることはなく、狭いベッドで繋がれた体はあっけなく絶頂を迎えた。
脳が麻痺したように快感以外の全てが消えて。
「あ……ああ……っ、っ―――」
息を詰めた瞬間、放ったものが十河のシャツを汚した。
その後も俺の意識が完全に飛ぶまで、行為が終わることはなかった。




どれくらい眠ったのだろう。
まぶたに映る外の世界が白んで、人の動く気配がして。
十河が出ていくんだな、と薄い意識の中で思った。
いつだって目覚めた時にいないのが当たり前だから、それを寂しく思ったりはしない。
見送ったことなど数えるほどしかなかった。
それでも今日くらいは起きなければ、と。
どこにあるかもわからない意識を揺さぶろうとしたが、体のあちこちに残る鈍い痛みと疲労のせいで目を開けることさえできない。
感じるのはただ、温かく、柔らかく、肌に触れる指。
それから、耳元で吐き出された声。
「……を、頼む」
聞こえたのは断片だけ。
そのまま、また深く眠り落ちた。

『タカキ ヲ タノム』

――……いや、『タカシ』だったか?
ぼんやりとした疑問と共に目を開けた時には、もう部屋は綺麗に片付いていて、当然のように十河の姿もなくなっていた。
殺風景な部屋の真ん中、グチャグチャになったシーツの上に寝ている俺の他には、入り口付近に無造作に置かれたパイプ椅子に座っている羽成だけ。
「……十河、仕事行ったのか?」
頭が痛いのは酒のせいなんだろうか。
それとも、また風邪でも引いたのだろうか。
「もう10時ですから」
淡々とした口調が俺を現実に引き戻す。
端々に呆れ果てていることがにじみ出ていた。
「やばっ、遅刻―――」
ガバッと上半身を起こした途端、「日曜です」と冷たい声で告げられた。
ここは病院で。
今日は日曜日で。
そんなことすら忘れている俺をどう思ったのかは分からない。
「廊下にいますので、着替えたら来てください」
羽成はチラリともこちらを見ることなく、さっさと病室から出ていった。
「……まあ、呆れるのも無理ないか」
シャワー付きの個室だったが、これ以上険悪な空気を流すのもどうかと思い、手早く衣服を身につけて廊下に出た。



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