運命とか、未来とか

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その翌々日。
真昼の繁華街で十河は射殺された。
羽成から知らせを聞いた時、涙は出なかった。

学校の正門からすぐの場所。
見慣れた車が視界に入った時、既に薄っすらと感じていたのかもしれない。
ああ、十河が逝ったのだ、と。

「だったら、事務所も大変なんじゃないのか? わざわざ言いに来なくてもよかったのに―――」
今日に限っていかにもヤクザに見える羽成と制服姿の俺。
そして、それを振り返る視線。
そういえば今まで一度も人目につく場所で待っていたことはなかったな、と。
こんな時にそんなどうでもいいことを考える自分は、案外冷静なのかもしれないと思った。
「この間、俺に欲しい物がないかって聞いたんだ」
だから、またしばらく会えないのだろうと思っていたけど。
この世から消えるということは、それとは違う。
けれど、あの時は多分心のどこかにあった。
これが最後かもしれない、と。
だからこそ、いつもは「いらない」と流すだけなのに、「考えておく」と答えたのだと思う。
「……まあ、この方が十河らしいよな」
病院のベッドが似合わなかったから、なんて言いながら。
無理に少し笑ってみせた。
「とにかく―――」

これで、もう。
全部終わり。
この先は自由という名前の、何もない時間。
でも、そんなものを欲しいとは思わなかった。
待ちたい相手も。
自分を必要としてくれる人も。
もう、いない。

「じゃあ、部屋に戻って学校で使う物だけ―――」
最初に自宅から運んだものだけを持ってマンションを出よう。
そう決めた時、羽成が口を開いた。
「今はあの部屋にも会社側の調査が入っていますので、荷物はのちほど。今夜はホテルで、その後は新しく用意したマンションにお泊りください」
必要なものがあればこちらで手配するからと、事務的とも取れるほと冷静な声が告げる。
「いや……あとで学校の物だけ持ってきてくれればいい。……新しい部屋なんていらない。金も、着替えも」
全部忘れると決めたのだから。
何も残さないほうがいい。
「だから、おまえも俺のお守りは―――」
もう必要ない、と言いかけたけれど。
返ってきたのはいつもより穏やかな、けれど、どこか強い口調だった。
「貴方が成人するまでの間は、と言い付かっていますので」
十河の遺した命(めい)だから、それだけは譲れない、と。
そう告げた羽成は真っ直ぐに俺の顔を見ていた。

少し厳しい表情で。
でも、なんだか酷く真剣で。

「……なら、勝手にすればいい」
それは羽成と十河との約束で。
俺には関係のないこと。
自分の行方を、誰かに許可してもらう必要などないのだから。
「どけよ」
けれど、前に立ちふさがる羽成は道を譲る気など少しもないらしくて。
全てを見透かしたように次の言葉を投げる。
「安全を考慮して今後しばらくの間は貴方に自由はありません。勝手な行動はできないと思ってください」

耳を抜けていく落ち着いた声を流しながら。
財布にはいくら入っていただろう。
このまま何も持たずに。
どこまで行けるだろう。
そんなことも考えたけれど。

「……ふうん」

本当は立っているだけで精一杯で。
そんな気力は残っていなかった。



連れていかれたのは高層マンション。
備え付けの家具以外はまだ何も置かれていないガランとした空間。
あまりにも静かで。
自分の足音がはっきりと耳に届くほど。

「何にも、ないんだな」

大きな窓の前。
仰いだ空はやけに晴れ渡っていて。
作り物のようだと思った。

「今夜はホテルを手配します。必要なものが揃いましたら、こちらで生活を―――」
羽成の落ち着いた声が響くたび、忘れていた感情が蘇る。
苛立ちのような、焦りのような。
ひどく曖昧で、ぶつける先のない気持ち。
「いらないって言ってるだろ」
ここで噛み付いたところで、もう十河はいない。
息子と言ってもおかしくない年齢の俺を愛人として囲った奴。
けど。
ただ一人俺の存在を認めてくれた相手。
生きている時は、俺のことなんて生意気を言うペットくらいにしか思っていないんだろうと信じていた。
なのに。
「なんで……こんなこと、覚えてるんだよ」
記憶の片隅。
『ベッドから大きな空が見える部屋が欲しい』
そんな駄々を捏ねたのはいつだったろう。
少しでも空に近い、地上の喧騒が届かない場所。
大きな窓があって。
手を伸ばせば星に届くような錯覚の中で眠りたい。
それだって、思いつきに過ぎなかったのに。
「そういう条件で探しましたから」
それがどうというわけじゃない。
けれど。

『ここで空を見ながら眠るように言ってくれ』

それが俺に残した言葉だと知って。
後を追って逝くことができなくなった。
「十河の最後のわがままですから」
羽成の声が遠く聞こえて。
やっと言えたのは、意思のない言葉。
「……別に、それでもいいけど」

何もない床の上に頬を当てて。
十河が遺したこの場所に横たわる。
心のどこかでは、まだ。
死んだことを信じられないまま。

「ここに埋めたことにしてくれよ。体は残ってるけど、俺はもう死んだってことに―――」

だから、おまえは俺のことなんて忘れろよ、と。
床を見つめたまま、そう伝えた。
その時、窓辺に立っていた羽成がどんな顔をしていたのか。
見ることはできなかった。



毛布を一枚買って、その日からそこに移り住んだ。
まだカーテンさえついていない窓からは、東京の鈍い星空が好きなだけ見られたけど。
手が届くなんて錯覚に陥ることはできなかった。
「では、明日の朝お迎えに上がります」

おやすみなさい、という穏やかな声の後、ドアは閉まって。
それから、やっと。
「ガキのわがままなんて真に受けてんじゃねーよ。自分だけさっさと死にやがって。俺はどうしたらいいんだよ。おまえが勝手に囲ってたくせに―――」
本当は自分の未来など少しも気にしていなかったけど。
ただ十河に文句を言いたくて、思いつく限りの悪態を吐いた。
それから、毛布に包まって、冷たい床の上で泣き続けた。


窓はすぐ近くにあったけれど。
涙のせいで星なんて一つも見えなかった。



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