運命とか、未来とか

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応接室から出ると待っていたのは吉留一人で、羽成は急用で先に帰ったことを知った。
「今が一番お忙しい時期でしょうから、氷上さんもしばらくは外出を控えて、できるだけご自分のお部屋でお過ごしになったほうがいいかもしれません」
羽成側の内情にもかなり詳しいのだろうということは窺えたが、それにしてもまるっきりの駄々っ子扱いには苦い気持ちがこみ上げた。
「……忙しいなら、他人のことなんて放っとけばいいのに」
思わず呟いてしまった後にハッとしながら顔を上げたが、仕事柄突っかかられることには慣れているのか、吉留は先ほどと変わらない穏やかな口調で話を続けた。
「何かありましたら、ご遠慮なくおっしゃってください」
社交辞令のつもりはありませんからと笑顔で言われたものの、もとより相続のことなどどうでもいいのだから、話すことなどない。
もう世話になることもないだろうと思いながら、口をついて出たのは流れとはまったく無関係の問いだった。
「……十河の墓、どこにあるか知らないですか?」
どうしてそんなことを尋ねる気になったのか自分でも分からなかったし、吉留が知らないというならそれで構わなかった。
でも。
「存じていますが……氷上さんにはお教えしないように言い付かっていますので」
戻ってきた返事を聞いて、ピリピリと気持ちが尖るのを感じた。
「元々あちらに参るのは、事務所の関係の方ばかりですし……」
部外者である自分には立ち入る資格がないと言われたらそれまでのこと。
ここで吉留に当たっても仕方ないことくらい承知していた。
なのに。
「……墓参りもできないのかよ」
どうしても吐き出さずにはいられなくて。
苦々しく呟いた瞬間、吉留は困ったような顔で腕時計に視線を落とした。
次の仕事が入っているんだろう。
あるいは、これ以上駄々を捏ねるなという意思表示なのかもしれない。
吉留にしてみれば、相続するものを確認するだけで終わるはずの仕事だったのだから、こんな態度は迷惑以外の何物でもないということなんだろう。
そこまで分かっていながら、立ち去ることができない自分にまた苛立ち、気持ちごと全てを投げてしまうように「もういい」と言いかけたけれど。
その時、不意に尋ねられた。
「どうしてもお墓参りに行きたいですか?」
「……え?」
もう終わらせるはずだった会話。
だから、一瞬言葉に詰まったけれど。
「別に……ただ、なんかよく分からなくて」
何度泣いても。
心のどこかは、まだ。
十河が消えたことを理解していない気がして。
「死に顔も見てないし、ニュースでも現場が映ったわけじゃない。羽成だって、前と何にも変わらなくて……だから、全部何かの間違いで、またふらりとマンションに顔を出すんじゃないかって―――」
どうしてもそんな錯覚が拭えないままだから。
「墓とか見たら少しはピンと来るんじゃないかって」
それは、『気持ちの整理』じゃなく、ただの『諦め』なのかもしれないけれど。
十河はもういないのだ、と。
そう思えたら、少しは何かが変わるかもしれないという気がしただけ。
「だから―――」
そう告げると、吉留は少し気の毒そうな顔で俺を見た。
「無理もないですね。突然でしたから……。遺言だってこの間作ったばかりでしたのに――」
フッと遠くに視線を投げて、なんだか気が抜けたように言葉を返す。
そんな横顔を見ながら。
十河の死を受け止めきれていないのが自分だけでないことに気付いて、安堵が過ぎっていった。
そして、その時。
心のどこかで、羽成も同じだったらいいのにと、思ったような気がした。
「……もう、いいです。すみません、無理を言って」
我が侭を飲み込んで、というよりは、自分に言い聞かせるために。
そんな言葉で終わらせようとしたけれど。
吉留は急に何かを思いついたようにパッと顔を上げて、
「ちょっとお待ちいただけますか?」
そう言うと、そそくさと事務所の奥に消えていった。
どうかしたんだろうかと思う間もなく、戻ってきたその手には一枚の紙切れが握られていた。
「これでお気持ちが片付くとは思いませんが、気分転換にはなるかもしれませんから」
差し出されたメモは他県の住所。
少し癖のある、けれど、強くしっかりとした文字を見てなぜかドキリとした。
「これ……」
「ええ。十河社長が氷上さん宛てに遺したものですが……住所にお心当たりは?」
尋ねられて、思い切り首を振った。
「そうですか。てっきり氷上さんとの思い出の地だとばかり―――」
少し落胆したように見える初老の男を横目に、口をついて出たのは乾いた笑い。
「十河との思い出の地?……まさか」
吐き捨てながら。
考えていたのは別のこと。

十河の文字など見るのは初めてだったかもしれない。
いや、手帳くらいは見たことがあっただろうか――――

そう思った瞬間。
気持ちをかすめていったのは十河から最初に与えられた部屋。
あそこならメモの一枚や二枚くらい残っていただろう。
でも、今はもう事務所に全てを押さえられて、紙切れひとつ自分の手で探すことは叶わない。
今さらそんなことが悔やまれて胸がつかえた。

何も残さなくていいと言ったのは自分なのに―――

無意識のうちにメモを握る手に力がこもる。
こんなものでさえ愛しく感じるほど自分が弱っているとは思いたくなかったけれど、今は泣かないでいるのが精一杯だった。
「必ず羽成さんとご一緒に行ってください。場所を知っているのは彼だけですから」
住所がはっきり分かっているのだから、一人でも辿り着くはずなのに。
それも遺言なんだろうかと思いながら、適当な返事でそれを流した。



「それでは、氷上さん、今日はこれで。駐車場にタクシーを待たせてありますので」
事務所専用スペースに止めてあるので少し分かりにくいだろうから、と。
わざわざ受付嬢を案内につけてくれた。
次の仕事が待っているはずなのに。
エレベーターを待つ間も吉留はすぐ傍らに立って、時折りこちらを気にしながら。
「こんな時間に点検ですか……。もう人の出入りが多くなる頃なのに一台しか動いていないなんて、まったく困ったものです」
愛想笑いと独り言のような呟きに妙な息苦しさを感じながら。
無理矢理吐き出したのは呼吸ではなく、自分でも予期しない問いかけだった。
「……『タカキ』って人のこと、知りませんか?」
今の今まで、すっかり忘れていたのに。
突然思い出したのは、こんな状況のせいだろうか。
十河が溺愛していたというなら。そして、その男がまだ生きているなら。
受け継ぐものの一つや二つはあるだろう。
だとすれば、吉留も何か知っているに違いない―――
ふつふつと湧き上がる期待をどうにか抑えながら返事を待ったが、それは拍子抜けするほどあっけなく否定された。
「いいえ。その方がどうかしたのですか?」
あまりにも軽く返された言葉に落胆しながら、「たいしたことじゃないので」と付け足して口を閉ざした。
「十河社長の関係でしたら、羽成さんにお尋ねになってみては?」
周辺事情には一番詳しいだろうから、と穏やかな笑顔が向けられ、結局はそこに行き着くのか、と肩を落とす。
「羽成は心当たりがないって……っていうか、あんまりまともに聞く気もなさそうで……」
「そうですか」
一台しか動いていないエレベーターは三階で止まったきり。
これ以上待つようなら階段で降りようとぼんやり思った時、ようやくゆっくりと現在位置を示すランプが動き始める。
意味もなくホッと息をついた時、穏やかな声が名前を呼んだ。
「氷上さん」
ゆるりと顔を上げると吉留と目が合い、反射的に少し視線を外すと、少し困ったように微笑まれた。
「羽成さんは今一番周囲に動揺を見せてはいけない時でしょうから……どうか、分かってあげてください」
結局、吉留には羽成からまともに相手にされないことを拗ねているようにしか見えないのだろう。
「別に……羽成の態度がどうって言ってるわけじゃ……」
弁解などしたところで何も変わらない。
むしろ幼さを強調するだけだと気付いた時、続ける言葉を失った。

ぼんやりと開いているだけの瞳の片隅。
ようやくランプが点滅してエレベーターの到着を知らせる。
音もなくドアが開くまでにどれくらいの時間があったのだろう。
「では、お気をつけて。貴方がいつかどこかの企業にでもお勤めになったら、またゆっくりと十河社長の思い出話でもいたしましょう」
そんな言葉を残して。
静かに閉じるドアの向こう、吉留は軽く頭を下げながら俺を見送った。



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