座るように促されたベッドは広く清潔で、数えなければならないほど居るはずの相手の存在を少しも感じさせなかった。
「……本当にいるわけ?」
尋ねてはみたものの、自分が疑っているのは相手の存在ではなく、ここが本当に木沢の住まいなのかということなのかもしれない。
「何が?」
「ここで寝る相手」
酔いのせいなのか、座っているのに時折り揺れる俺の身体を支えながら、木沢は「ああ、それね」と軽く笑った。
「相手はいるけど、ここへは連れてこない。女の子は綺麗好きだし、すぐに部屋を片付けてくれようとするからね」
見られたら困るようなものがどこかに隠してあるのだろう。
だが、それを知っても興味など湧かなかった。
「というわけで、他人の部屋に関心など持たない人間しかここには入れないんだよ」
真顔で告げたその言葉が嘘だとは思わなかったけれど。
「……それって、『綺麗好き』じゃなくて『猜疑心』って言うんじゃないの?」
見られて困るものがなかったとしても、自分なら部屋には入れないかもしれない。
そんなことを考えていたら、木沢が耳元で呟いた。
「的確過ぎないほうがいいってこともあるんだよ」
大人だからね、と。
そう言った唇がそっと首筋に降り、やわらかく肌を噛む。
その時、ゾクリと背筋が震えたのは不快感からではなかっただろう。その証拠に言いようのない疼きが体の奥底をくすぐった。
「ぅ……ん……っ」
肌の上を滑る唇から舌先が覗く。
同時にシャツの上から爪で胸の突起を掻かれ、身体を捩るとまた木沢の口元がほころんだ。
「君を欲しがる理由が分かるような気がするよ」
「……何……のこと……?」
鈍くなった思考がゆっくりと木沢の言葉を辿る。
その頃にはもう随分と時間は過ぎて、ボタンを外された胸元に指先が滑り込んでいた。
「気にしなくていいよ。たいしたことじゃない」
何かが引っかかっていたけれど。
その先を問いたくても、酒で鈍った意識はもう切れ切れで、身体に与えられる刺激以外のものに反応できなくなっていた。
「ん……んん……っ」
深いキスの合間に部屋の明かりが落とされる。
残ったのは淡く穏やかなオレンジ色の照明一つ。
いつの間にか服を脱いだ木沢の身体は決して華奢ではなく、それがなんだか意外に思えた。
自分自身はもうまともに動く気力もなくて、身につけていたものは全部木沢が脱がせたけれど、その最後の一枚を取られた直後、不意に与えられた刺激に身体が強張った。
「あ……っ」
無意識に上げた声は自分の耳にもうろたえているのがわかるほど。
「口でされるのは嫌?」
笑いながらそこから唇を離した木沢の顔を見ることさえできず、言葉を詰まらせた。
「嫌……っていうか―――」
頭の中を回っていく感情はあまりに不確かで、早々に説明することを諦めた。
開いていた唇が結ばれると、木沢は別の問いを投げた。
「今まで誰にもされたことなかった?」
ぼんやりしていたはずなのに、降ってきた言葉に顔が熱くなる。
何か言おうとして。
けれど、言葉は出なくて。
「可愛いね」
木沢の手が頬に触れ、その熱を確かめる。
それから、またそっとキスを落とした。
唇と、瞼と、頬。
肌を滑りながら何度も押し当てられるやわらかい感触に安堵して。
ようやく少しずつ身体から力が抜けていく。
「けど、普通はこういうこと―――」
するものなのかと問いかけた時、木沢はまた唇を塞ぎ、それから、わずかに微笑むと穏やかな口調で言った。
「『普通』なんて考えなくていいよ。ここには君と僕しかいないんだから、二人で好きなようにすればいい」
そうでしょう、と問われ、少しだけ首を傾ける。
「……普通じゃないことも含めて、何してもいいって思ってるってこと?」
相手は木沢なんだから、尋ねるまでもない。
勝手に投げやりな結論を出した時に、またクスッと笑われた。
「そう。……君がしたくないって思うこと以外なら、ね」
嫌なら言って、と前置きがあって。
そのまま片手で抱き寄せると、舌を絡めながら腰を合わせた。
「ん……っ、ん」
後ろに回された手が探り当てた場所はまだ何の覚悟もできてなくて、濡れた指先が入り込んだ瞬間にビクンと身体が跳ねた。
「本当にあんまり慣れてないんだね。……もしかして、十河さんしか知らなかった?」
尋ねられた意味が分からなかったわけじゃない。
けれど、言葉を返すことができなかった。
木沢は視線を外すことなく「そう」と小さく呟いたけれど。
「余計なことを聞いたね」
そう言うと、何も答えられずにいる俺からまた呼吸を奪った。
快楽に押し流されるにつれて呼吸は荒くなり、アルコールが体中に回っていく。
意識は薄れているのに、抱き合う時間の長さと共に身体が熱を増し、戸惑いを残した。
唇は首筋を通って胸元に降り、乳首を弄んだ後、また濡れた先端をそっと含んだ。
「あ……っ、ん」
されるままになっている自分に疑問を持ちながらも思考と感情は鈍っていく。
それを見透かしたように、木沢が笑みを見せた。
「大丈夫?」
「……う……ん」
混乱とは別の、もやもやした感覚。
自分の中で絡まっていくものが何なのか、突き止めることもできないまま。
それでも、目の前の体温が欲しくて手を伸ばした。
硬く立ち上がったものを含んだ唇がクチュリと淫猥な音を立て、それに煽られるように熱を増す肌を持て余して、もがくように背中をシーツに擦り付けた。
「……っ、ぅ……んん……っ」
もう限界という、その時に、刺激が引いていく。
何本もの指が出入りしていた部分もその感触だけを残して解放された。
「あ………」
閉じていた瞳をゆるく開けると、木沢はいつの間にか真正面からこちらを見下ろしていた。
「大丈夫、すぐに達かせてあげるよ」
おもむろに片方の足首を掴んだ木沢の手は、それを自分の肩に上げた後で半透明の容器のキャップを開けた。
「痛かったら言って」
ドロリとした液体を滴らせた指が数回そこを出入りし、何かを確認した後でそっと引き抜かれる。
それと入れ違いに硬く熱を持ったものがゆっくりと身体を押し開いていった。
「あ……っ、……っく……」
かすかな痛みと息苦しさに背中が硬直し、やがてそれも快楽に変わっていく。
このまま全てを委ねて、熱を吐き出したら眠ればいい。
そしたら、もう何も考えなくていいのだから―――
時々意識が途切れ、そのたびに身体は激しく突き上げられる。
「う……あ、っ……」
かすれた声が淫靡に響く。
「気持ちいい?」
背けられていた顔をやんわりと正面に戻し、いたずらな笑みで問いかける。
はあはあと口で呼吸を繰り返しながらもわずかに頷くと、目の前にある唇がゆるく笑った。
「ベッドでは素直なんだね」
耳元で囁かれた「可愛いよ」という声が遠く聞こえて。
身体だけが自分のものではないみたいに、勝手に高まって限界を訴えた。
「ぅ……っ、あぁ……」
「いいよ。このまま達かせてあげるから」
ガクガクと揺れるほど深く突き上げられて歪む視界に酔いながら。
熱と空白の中、プツリと何かが切れる。
「あ、ああ……あ、あ……っっ!」
生温かいものが胸に散って、肌を伝ってドロリと流れ落ちる、その感触。
急激に薄くなる意識を押し留めたのは、肩を押さえて深く突き入れた場所に吐き出された木沢の熱。
硬さを失う前にズルリと引き抜かれたそれに肌が粟立ち、また目の前の男の笑みに変わる。
「本当は朝までずっとこうしていたいけど、続きはまた今度。来週の金曜はどう?」
自分の中にあるのは身体に残る熱を燻らせた鈍い思考だけ。
何一つまともな判断ができないまま、耳元でささやかれたその言葉に半ば無意識で頷いていた。
ぐったりとベッドに横たわった肌を拭く長い指。
呼吸が整わないまま半開きの唇に落とされる柔らかなキス。
「おやすみ。楽しかったよ」
子供を寝かしつけるように髪を梳く。
こんな行為を良いとも悪いとも思っていないはずなのに。
遠くなる意識の中、羽成の背中だけが気持ちから離れなかった。
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