Forever You
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1ヶ月もすると安澄はすっかり有名になっていた。
なにしろ成績がバツグンなのだ。
……英語以外は。
「なんでおまえ英語だけボロボロなんだ?」
「なんでだろうなぁ? 兄貴譲りかも」
「勇吾先輩は英語もトップだったぞ」
というか、全科目毎回一番だという噂だ。
「勇吾じゃなくて憲政兄だよ。俺の中で勇吾は兄貴と認識されてないんだ。めったに口利かないし」
そういえば仲が悪いって言ってたような。
「変な兄弟だな。安澄と一番よく話すのは水沢先生なのか? 一番年離れてるんだろ?」
水沢先生がいくつなのかは知らないけど、年も10以上離れてるはすだ。
「うちの家族バラバラだから。今度、来てみてよ。どんくらい違うか一目で分かるし」
とはいっても、2番目と3番目は大学生。
遊び歩いていてほとんど家にはいないらしいので、比べる機会を作るのは難しいようだ。
「ってことは、会わせられるのは結局憲政兄と勇吾だけってことじゃん。意味ないなぁ」
安澄はよく笑うようになった。
聞けば入学当初は水沢先生に「行儀よくしてろ」とキツく言われていたのだとか。
もちろん「笑うな」という意味ではないんだが、兄からのプレッシャーのためか、緩まないようにしていたらしい。
けど、笑うようになるととっつきやすくなり、それに伴い友人も増えていった。
特に2、3年の女子には「可愛い」と評判だった。
「すいません、会長いますか?」
休み時間。安澄のよく通る声が響くとざわめきが収まった。
その代わり小さな声で「可愛いよねぇ」というつぶやきが。
「どうしたんだ? 昼でもないのに珍しい」
「昼休み空いてる?」
「学食でメシ食うだけだけど。なんかあるのか?」
「英語の宿題やって」
ちょっと甘えたような言い方が妙に俺のツボを刺激する。
けど、ここは先輩らしく、厳しくしておかないと。
「やって、じゃないだろ。努力をしろ。努力を」
「間に合わねーって。午後イチなんだよ、英語」
うっかりしていて宿題があることを忘れていたらしい。
しかもけっこうな量だという。
「テキスト読めば分かるだろ? どうせ教科書から出てんだから」
「そんな速効性のないことしてたら終わんねーよ。なぁ、頼むからぁ」
敬語なんてどこへやら。
けど。
「仕方ねえなぁ……」
そんな言い方が可愛く思えてつい甘やかしてしまった。
「やったーっ!!」
満面の笑顔に八重歯が覗く。
同時に女子どもの「かわいい」って声が大きくなった。
この顔は反則だ。
たとえ俺が断わったとしても、代わりにやってやろうというヤツはいくらでもいるだろう。
「昼飯おごれよ」
「えーっ!? 俺、後輩じゃないですか」
急に丁寧語になりやがる。
「宿題やってほしいんだろ?」
「そうだけどさぁ」
「もっと早く言えよ。そしたらちゃんと教えてやるから」
「あ〜、うーん……」
この返事からして、まじめに取り組むのは嫌なんだろうな。
高一の英語なんて難しくもあるまいに。


結局、さっさとメシを食って安澄の代わりに宿題をやった。
本当に難しくもなかったから、あっという間に終わった。
安澄はその間にいそいそと食器を片付けてお茶を入れてきた。
戻ってくると背後から俺の顔を覗き込んだ。
「サンキュ、会長。へへっ」
嬉しそうな顔がめちゃくちゃ可愛い。
いくら年下でも男を可愛いと思ったことなど今まで一度もなかったのに。
「とりあえず今日はこれでいいとしても。ちゃんと勉強しような、安澄」
隣りに座ろうとしていた安澄がピクッと固まった。
「あ〜……うん?」
「しらばっくれるな。もう、やってやんないぞ?」
振り向こうとした瞬間に俺の首に安澄の腕が絡みついた。
「えー……」
抱きついた恰好のまま、がっくりと落ち込んでいる。
柔らかい髪が頬に当たって、ふわりと香る。
しかも、なんだかやけにいい匂いだ。
「あー、とにかく。今日は吹奏楽部休みだから、夕方図書館に来いよ」
半分だけ振り向くと安澄の八重歯が目線の位置にあった。
「えー、ホントにやんの??」
目を丸くする安澄の気配を感じながら。
もう少し振り向けばキスできるのに……なんてうっかり考えていた自分に気付いて焦りまくった。
「俺だってヒマじゃないんだから、ちゃんと来いよ」
「ふっえーい」
気の抜けた返事を笑ったものの。
さすがにちょっと自分の精神状態を疑ってしまった。


そして、夕方の図書館。
「テスト前じゃないからわりと空いてるな」
絶好の環境。
……なのに安澄ときたら。
「あ〜、なんか疲れんなぁ」
さっきから欠伸と溜息ばかりだ。
「おまえの勉強だろうが。しっかりしろよ」
「あ〜っ……わかんねー」
アホのフリとかするし。
「水沢、図書館では静かにしろよ」
いきなり先生に注意されるし。
「ふえ〜い」
女子には笑われるし。
しかも、「かわい〜」だと。
安澄はそんな言葉にヘラヘラしたりはしないけど、俺はなんだか気に入らない。
「会長、なんか腹減らねー?」
無邪気な安澄。
自分がモテモテなことにはまったく気付かず、食い気に走る。
女子にはさらに笑われ、先生も苦笑中。
「これが終わったらな」
いつになったら終わるのか俺が聞きたいくらいだが。
「な、俺んち来ない? 食い物あるし。今日は憲政以外のアホ兄弟勢ぞろいだけど」
安澄の家の近所に住んでるという友人に聞いたところによれば、水沢家は美形ぞろいで有名らしい。
本当かどうか知らないが、イベントシーズンともなれば家の回りをうろうろする学生が後を絶たないとまで言っていたので、ちょっと本人に確認してみた。
「ああ、そんなのもあったなぁ。姉貴が高校の時はヤローばっかでウザかったけど、今はちょっと離れた大学行ってて一人暮らしだからそういうのはなくなった」
安澄目線では姉が一番もてたらしい。
誕生日にはポストが手紙とプレゼントで一杯になったと言って眉を寄せた。
美人の姉自慢なのかと思ったが、どうやら「すごく迷惑だった」ということらしい。
「今は?」
すでに安澄の取り巻きがいるんじゃないかと心配になったけど。
「今は勇吾とその上の雅臣の。すっげーよ。雅臣はともかく、勇吾みたいなムッツリのどこがいいんだか」
図書館中に響き渡る声で言うから、あちこちから笑いが漏れた。
「おまえ、仮にも女子憧れの勇吾先輩だぞ。後ろから刺されたらどうする?」
「あ〜……でも、大丈夫だろ。俺、一応実の弟だし」
まあ、そうかもしれないが。
「それよか、会長。女の子から手紙とか渡されたらどうしてる?」
ちょっと、声のトーンが落ちた。さすがにこういう話は照れくさいらしい。
「もらったのか?」
いつ。どんな子に?
……と聞こうとしたが、そんなレベルではなかった。
「う〜ん、なんか、いっぱい。……どうしよ、コレ」
カバンに無造作に詰め込んだ手紙の山。
「すごいな」
「この間のケンカのせいだから、一過性だと思うんだけど。誰が誰かわかんないしさ。俺、クラスの女子もよくわかんないのに」
「1ヶ月も経つのにそれはないんじゃないか?」
こういうところが安澄なんだよな。
興味がないってわけでもなさそうだけど。
「でも、あんまり女の子と話すことないから、ぜんぜんわかんないんだよ。男だって恵実と話すくらいで休み時間はだいたい寝てるし」
「おまえ、そんなことじゃ友達できないぞ?」
俺の教室に入り浸ってるからそんなことになるんだ。
ということは半分は俺の責任か。
「でも、勉強教えたりはするよ。……英語以外だけど」
それでも名前を覚えないって、どうだろ?
まあ、今更聞けないってのもあるかもな。
「手紙は一通り読んで、とりあえず安澄がいいなって思った子に返事をすればいいんじゃないか?」
名前がわからなかったら返事だってできないんだから。
印象のよかった手紙をくれたのが何年何組のどの子なのか探せばいいだろう。
「……いなかったら? 全部無視?」
「返事を求められた時に断わる理由を考えておけよ。マジメにな」
「理由なんて『好きじゃないから』だろ? 他に言いようがなくない?」
「そりゃあそうだけど。言い方ってのがあるだろ?」
今時小学生でももっとマシな断わり方をするだろう。
まったく、安澄は15年間何をやってきたんだか。
「教えてよ。俺、断わったことなんてないんだから」
「いままでは好きだって言われた相手全部と付き合ったってことか?」
二股ならまだしも四股とか五股とかになったんじゃないかと思いながら安澄を見たら、思いっきりブンブンと首を振った。
「言われたことないんだよ」
「嘘だろ??」
安澄が言うには、背が伸びたのもここ半年くらい。それまではチビだったので同い年の女の子からも子供扱いされていたらしい。
勉強も水沢先生が働いているこの学校に受かるために頑張っただけで、それまではドン底だったらしい。
仮にそうだとしても特別性格に問題があるわけじゃないし、一度くらいは言われそうなもんだけど。
「ねーよ。ぜんぜん。兄貴へのお使いばっか。女の子だったら良かったのにねェとか言われてたし」
男としては顔が可愛らしすぎたってことなんだろうか。
「まあ、今までがそうなら手紙もらったの相当嬉しかったろ?」
「へへっ。そりゃあね。だから、返事とかどうすんのかなぁ……って思ったんだけど」
まったく普通の少年だった理由が分かったような気がした。
ガキの頃からちやほやされてたら、こうはならないもんな。
高飛車じゃないのはいいことだ。
でも、自覚ゼロはどうかと思う。
なんでもほどほどが一番だ。
「まあ、これからもそういうことはあるだろうから、今度からは相手の顔をちゃんと見ておけよ。で、気に入った子がいたらクラスと名前くらい聞いておけ」
「うん。そうする」
神妙な顔で素直な返事をしてから、またそっと聞いてきた。
「……明之会長、カノジョいる?」
予想外の質問にドキンと胸が鳴った。
「ストレートだな。いないよ」
「なんで? 好きな人いないんだ?」
―――……いないこともないけどな
ひとり言のつもりだった。
けれど、図書館は俺が思っているよりずっと静かだったのだ。
肝心の安澄は「ふうん」と気のない返事をしただけだったから、その話はそれ以上しなかった。
けど、思わず口にしてしまったその一言のせいで、俺は翌日から余計なことに悩まされることになった。
広まってしまったのだ。
俺に片思いの相手がいるってことが。
しかも、安澄にまで迷惑をかけることになろうとは。
「だって、涙浮かべて『知ってたら相手が誰か教えてほしいの』とか言われてさー」
俺に直接尋ねるわけにはいかないので、素直な安澄から聞き出そうとしたんだろう。
「絶対に好きな人なんか教えてくれなくていいからな。俺、うっかりしゃべっちゃいそうだし」
「ああ、わかった」
教えろといわれてもこればかりは誰にも言えない。
ましてや安澄には絶対に無理だ。
クラスのヤツにも生徒会のメンバーにも吹奏楽部の部員にも、挙句の果てには先生にまで聞かれたが、さらっと笑ってごまかした。

けど。

放課後、あまり生徒が来ない第二校舎の美術準備室前を歩いていた。
そのとき、向こうから歩いてくる副理事長と目が合った。
不意に嫌な予感がして足を止めた瞬間。
「もしかして噂の相手って安澄くん?」という声が飛んできたのだ。
あまりに唐突な出来事で、動揺を隠すことができず青ざめた。
そんな俺を見て副理事長はこの上なく楽しそうに笑いながら、
「大丈夫。誰にも言わないから。でも、僕はライバルだよ。覚悟してね」
そう言い放ったのだった。



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