Forever You
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「あら、明之、お友達?」
「こんにちは。水沢安澄です」
にこやかに迎え出たお袋に安澄は例の八重歯で挨拶をした。
「あら、もしかして水沢先生の弟さんかしら?」
「なんで分かるんだ? 似てないのに」
あっという間に目が丸くなる。
けど、その会話については実は俺の方がびっくりだった。
俺が髪を切っても、ケンカして顔に特大ガーゼを貼っていても全く気付かない注意力散漫な母親なのに。
「あらあ、似てるわよ。口元とか目元とか」
「な、明之会長。それって誉めてないよな?」
安澄が俺に向かって尋ねるとお袋が笑った。
「そんなことないわよ。先生、かっこいいじゃないの?」
「えーっ、うそ?」
本気のハテナマークが安澄の周りを漂っていた。
水沢先生は『筋肉脳』と言われるだけあっていろいろなところがちょっと鈍いけど、容姿にはまったく問題がない。
自分の兄弟だとなかなかそうは思わないんだろうけど。
……まあ、それはうちも同じか。
ガサツな姉貴といまいち頼りない恵実。どっちかに恋人でもできたら、物好きもいたものだとびっくりするだろう。
などと考えていると絶妙のタイミングで稽古着姿の姉貴が二階からドタドタと降りてきた。
「あ、明之、いいところに帰ってきた。ゲーム貸してよ」
「なんでゲーム? まだ稽古中だろ?」
「チビッ子に貸すのよ。ほら、あんたがもう飽きたって言ってたヤツ。いいでしょ?」
「いいけど」
年頃の女子が稽古着であちこちうろつくってどうなんだろう。
激しく疑問なんだが、こんなヤツ目当てに道場に通ってくる男が何人もいるんだから世の中はわからない。
まあ、水沢先生もたまに来るけど。
ぼんやり考えていたら、姉貴のハイテンションな声が聞こえた。
「あれえ? もしかして安澄ちゃんでしょ? 久しぶりねえ」
「お姉さん、こんにちは。明之会長に宿題教えてもらいに来ました」
まるっきり近所の子供のように『お姉さん』などと呼ぶ。
そんな安澄に姉貴もにっこり笑ってる。
「やあだ、会長なんて呼ばせてんの? カッコ悪ぅ」
実の弟には無遠慮に「ぷっ」という笑いを飛す。
「別に呼ばせてるわけじゃないけど」
そう呼ぶんだもんよ、仕方ないだろ。
たまに『明之さん』とか言ってくれるけど。本当にごくたまにだしな。
「えー。俺はカッコいいと思って呼んでるんだけど。ダメなら『明之さん』でいい?」
俺はそのほうがうれしいけど、と答える前に姉貴からまた駄目出しが。
「それじゃ、なあんか恋人みたいよ? 呼び捨てにしたほうが友達っぽいんじゃない?」
「けど、一応後輩だしさぁ、それはちょっとなぁ……」
何か言いたそうな視線がこちらに向けられた。
そんなことでとやかく言うヤツはいないと思ったけど。
「だったら学校のときだけ『会長』とか『先輩』をくっつければいいんじゃない? 外出たらただのお友達なんだから。ね、明之」
「え?……ああ。そうだな。一つしか違わないんだし、俺は気楽な呼び方のほうがいいけど」
その言葉はどうやら聞き流されたらしい。
安澄からは何の返事もなかった。
ポケモンの歌は歌ってなかったし、よそ見をしてたわけでもなかったけど、何か考えているところだったのかまったく無反応だった。
二人きりだったら「大丈夫か?」と尋ねたかもしれない。
でも、隣りでは姉貴がニコニコしていて。
「それにしても大きくなったわよねぇ。前はこんなだったじゃない?」
自分の胸元に手を当てて身長を示した。
いや、それじゃいくらなんでも小さいだろと思ったけど。
「この1、2年くらいですっごい伸びたんだ。……でも、なんで俺って分かったの?」
「変わってないもん。背は伸びた以外は」
「そっかなぁ」
答えている顔を見てようやく気付いた。
安澄はさっきから姉貴に見惚れてるんだ。
やけにぼんやりしてるのも多分そのせい。
もしかしたら、幼い頃に貰ったアイスがまだ効いているのかもしれない。
「八重歯もね、相変わらず可愛いわよ?」
我が姉ながら、まるっきり近所のおばちゃんみたいだ。
いや、安澄は確かに可愛いんだけど。
「それ、学校の先生にも言われるんだよね」
不思議そうに舌先で八重歯をなぞって首を傾げる。
一応おかしいと思っているようなので、それについては安心したけど。
「先生って?」
姉貴がなぜか俺の顔を見て聞いた。
その途端、シャワールームでの会話が脳内で再生され、ちょっと嫌な気分になった。
「……副理事長だよ」
返事がトゲトゲしくなったのもそのせいだったが、姉貴はどちらかというと楽しそうに「あー、やっぱり」と頷いた。
「安澄ちゃん、気をつけないと。あの人、ホモよ。ホモ」
何の遠慮もなく「ホモ」を連呼する。
女子的恥じらいなんてモノはほんの少しも持ち合わせていないらしい。
「え? ホントに?」
安澄が本気で驚いていた。
あそこまでされながら薄っすらとも感じていなかったのは結構すごいと思うんだけど。
「本当にホントよ。私が高校行ってた頃から有名だったもん。可愛い子には奢ってあげたり、二人っきりでテニス教えたりするって」
「あー……俺、今日テニス教えてもらった」
メシも奢ってもらったんだろう?
車で送ってもらったんだろう?
『安澄くんは可愛いですから』ってお姉さんに言ってたんだろう?
くそ、エロじじい。
という気持ちが顔に出まくったが、姉貴も安澄も気付かなかったようだ。
「一緒にシャワー浴びようとか言われたでしょ? シャワー中に体触られなかった?」
「触られた。いい体してるね〜って」
まさかそこまでしていたとは。
いくら理事長の息子でも学校を首にすべきだ。
「あらあ、完璧ね。っていうか、あの人もワンパターンね」
キャラキャラと笑い転げながら安澄の肩を叩く。
姉貴にとっては面白いネタでしかないんだろう。
「被害者が出たって話は聞かないけど、一応気をつけたほうがいいよ?」
シャワー中に生肌触られたら十分被害だと思うけど。
今までそういう報告がないってことは、その程度ならまったく気にしないようなヤツだけ狙ってるのかもしれない。
「じゃあ、会長も気をつけた方がいいんじゃない? 彼女いるのかとか、俺にいろいろ聞いてたし」
安澄は真剣に俺の心配をしていたが、姉貴は「ふうん」と口元を歪めた。
余計なところだけ「女の勘」が備わっているのはどうかと思う。
「大丈夫よ、安澄ちゃん。それはきっとそういう事じゃないから。……ね、明之?」
「……まあ、俺は大丈夫だ」
我ながら曖昧な返事だ。
姉貴にはパコンと頭を引っぱたかれた。
「じゃあ、安澄ちゃんは明之の部屋で待っててね。すぐにお茶とお菓子持っていってあげるから」
「やったー。俺、すっげー腹減ってたんだよね」
本当に嬉しそうな安澄を見て、いそいそとお茶の準備をしていたお袋も笑った。
「じゃあ、お菓子じゃなくてもっとお腹にたまるものがいいかしらね? 肉まんがあるけど食べる?」
「いただきますっ!!」
返事が速攻すぎて、姉貴も母親も爆笑した。
「可愛いわね。背は大きくてもまだ一年生だもんねぇ」
俺と一つしか違わないって。
なのに、あの猫可愛がりっぷりは何だ?
ああ、姉貴もお袋もメンクイだったっけ。

……それって、血筋かな。


安澄を俺の部屋に案内し、宿題のために辞書を貸した。
「明之〜、ゲームっ!!」
階下から姉貴が叫ぶので、仕方なくいくつかのソフトを持って部屋を出た。
「ほら、どれでも持ってけよ」
「じゃあ、これとこれね」
ケースの埃を稽古着で拭き、レジ袋に入れる。
やることなすこと全てがおばちゃんだ。
使命は果たしたのでそのまま部屋に戻ろうとすると、いきなり首根っこを捕まえられた。
「明之、あんたさ」
「……なんだよ?」
「安澄ちゃんにヨコシマな考え持ってないでしょうね?」
バレてるとは思ってたけど、まさかここまで遠慮なく聞かれるとは。
「……だったら、なんだよ?」
「変な事すると嫌われるよ?」
好奇心なのかと思ったが、一応姉心らしい。
「分かってるよ」
迂闊に手なんか出して嫌われるくらいなら、このままいい先輩でいた方がいい。
それくらい俺だってわかってる。
「なら、いいけど」
幾分微妙な空気が流れていたが、タイミング良くお茶とおやつを持った母が登場したので、話はそこで終わった。
「じゃあ、明之、せいぜい頑張ってね。ねーちゃんは、応援もしないけど、反対もしないから」
「そりゃあ、どうも」
適当に流し、今度こそ部屋に戻ろうとしたんだけど。
「母さんは応援するわよ?」
「……え??」
まさか、お袋まで気付いてるのかと焦りまくった。
けど。
「それで、何の話だったの? 母さんも交ぜてよ」
まあ、そうだよな。
この人はどっちかって言わなくても鈍い。お嬢さん育ちで呑気な性格だ。
「母さんには関係ないことだから」
「冷たいのね。せっかく生んであげたのに。まあ、いいわ。これ持ってあがってね」
お盆を渡され、二階に戻る。
一気に疲れたなと思いながら部屋に入ると安澄は真剣に宿題をしていた。
「ぐあ゙〜っ、この薄っぺらい紙をめくるのが苛々するんだよな〜っ」
辞書に当たる姿も愛らしい。
「じゃあ、めくりやすい方を貸してやるよ」
お盆をカラーボックスの上に置いたあと、バッグから持ち運び用の辞書を出して手渡した。
コンパクトタイプだが、高一の宿題程度なら充分だ。
カバーもつけずにカバンに突っ込んでいるので、適度に揉まれて1ページ1ページがクチャクチャになっている。おかげでとてもめくりやすい。
元のようにカバーケースに収めようとしても絶対に無理という状態だった。
「あ、ホントだ。すっげーめくりやすい。っていうか閉じない。面白ぇ〜」
宿題の途中だったことなんてすっかり忘れ、用もないのにめくって遊ぶ。
こういうところがまだまだ子供だ。
微笑ましい光景にしばらく頬を緩めていたが、調達してきた食料が冷めつつあることを思い出し、あわててテーブルに運んだ。
「安澄、ほら肉まん」
「やったー! あ、4個もある!!」
おやつ如きでここまではしゃげるのもある意味すごい。
「言うまでもないが2個ずつだぞ」
「分かってるって。食べよ、明之」
あ、き、ゆ、き。
姉貴との話は聞き流されたとばかり思っていたが、そうではなかったらしい。
それにしてもいい響きだ。
生まれて初めて姉貴に感謝した。
ついでに、副理事長の件も忠告ありがとうだ。
まさか代々語り継がれるほど有名な話だったとは。
けど、水沢先生は知らないんだろうな。
「うま〜い!」
こちらの心配など察することもなく、安澄は肉まんを目いっぱい頬張ってご満悦だった。
柔らかい皮にパフっと噛み付く唇が熱のせいでちょっと色付いている。
「明之、食べないの?」
どうやら見とれてしまったらしい。
なのに安澄は怪訝そうな顔さえしない。
それにしても、何度呼ばれてもいい感じだ。
「……食うよ」
ゆっくりとお茶を飲んで、肉まんを掴んだ。
安澄はもう二つとも平らげた後で、俺の手の中を凝視している。
「一個食うか?」
「いいの?」
やっぱり返事は速攻で、しかも目がキラキラしている。
食い物で簡単に釣れそうだ。
「ほら」
皿ごと差し出すとパッと笑った。
「いただきます!」
もぐもぐ動く口も可愛い。
ときどきペロリと唇から覗く舌もなんだかおいしそうで。
肉まん味でもいいから舐めてみたい……などと思う俺は間違いなく末期だ。
ため息をつきつつ、空になった皿を持って階段を降りた。
自分のことながら、さすがにちょっと心配になった。




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